ある日の白昼夢
Ⅴ ある日の白昼夢
鼻に異様につく匂い。煌々と照る光。割れた破片。黄色のテープ。口々に声をあげる人々。
一際目立つのはスーツ姿の女性たちや、怖い顔をした青い警官服の男たち。
泣き叫んでいる、あの子供は誰だろうか。
しばらくすると、その子はその場から剥がすように抱えられそうになる。彼はひらりと避けては逃げ回ったが、最終的に男の腕の中に捕まってしまった。
泣き叫ぶ子はひたすらに何かを掴もうとしたが、握られるのは空だけだった。
子供の涙が落ちた後、しだいに辺り一面は夜に溶けていった。そして男女も光もたちまち闇の中に消えていったのだ。
闇の中でしばらくすると、子供のとある気持ちが嫌でも入り込んできた。
ああ、『彼女』が消えてしまう。と。
『彼女』が忘れ去られてしまう。と。
気がつけば、僕は机上の木目を見ていた。
窓の外を見るとそこにはいつもの見慣れた風景があった。そして机上の端には数学の教科書や、下手すれば人も殺せそうなほど分厚い参考書が綺麗に置かれていた。
僕はくしゅん、とくしゃみをした。試験前で、しかも熱という最悪な状況での勉強での転寝は命取りだと感じた。
学校は休んだが、遅れは取れないと勉強はしたが……頭に入らず、結果はこの机の上にある涎か……。
窓を見ると、空は薄い桃色に染まっていてカラスも巣に帰る頃合いだった。
それにしても、どうしてカラスはあんなに鳴くのだろう。まるで帰りたくないと言わんばかりにしゃがれた声で苦しそうだ。カラスの声を聞くたびにその疑問をいつも空に託していた。
それにしてもあの夢は一体なんだったのだろうか。
過去のことが、夢に出てくるとは思えなかった。
あんな泣き叫んだ記憶なんて、あっただろうか?
かまぼこが空を飛んでいる夢を見たことがあるのだから、この夢もきっと空想に近いものだろう。そう思いながら、しばらく参考書とにらめっこをした。
だけど、その集中力は熱のせいもあって悲しいことに散漫としていた。
そして、十分も経たずに僕は階段を降りて居間に来てしまった。
母は買い物でいなかったため、なにをしているのと咎められることもないことに安心して青いソファに腰深く座った。
ふとテーブルを見ると、灰皿の横に、濃い紫色の物体があることに気がついた。艶やかで大きな巨峰だった。
長野県の親戚にもらったのだろうと思い、手をつけようとしたがすぐに引っ込めてしまった。
昔から食べろと言われれば食べることはできる。確かに皮を剥いたり、手が汚れたりするのは億劫だと思うこともあるけれど嫌いには繋がらない。むしろグミやゼリーに似た歯触りがお菓子みたいで、口に入れるとほんのり甘くて冷たく美味しい。
だけど何故かある時からブドウを食べたいと言う気分になることがなくなった。
いつからだろうか。
考えて食べるか躊躇している間に、母親が帰ってくる音がしたため、食べずに急いで部屋に舞い戻った。
本当に、あの夢は、夢だったのだろうか。
熱がぶり返した朦朧とした頭のまま、あの続きをみるためにまたベッドで寝転がっていたら、記憶が覚めた頃には朝を迎えていたのだった……。