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ありす

Ⅲ ありす


 ありすと僕はその日以来、ブロック塀の近くで会って、話をしていた。

 だけど、三日も経たないうちに妙なことに気がついた。

 ありすは僕がどんな時間にやって来てもそこにいるのだ。

 塾の終わりに少し寄って行った時も、先生の会議で学校が午前授業だった時も、ずっと塀の上に座っていた。

 そして、彼女との会話は三毛猫のしっぽを掴むことに似ていた。


「どこに住んでいるの?」

「今はここにいるわ。だけど昔はもっと大きなところに住んでいたの」

「いくつなの?」

「あなたと同じくらいかな」

「いつも同じ服に見えるんだけど」

「悪い? お気に入りなの」


 現実世界でこんな会話はそうそうお目にかかからない。辻褄が合わなく、ピントもずれっぱなしだ。

 それでも不思議とすと耳を傾けてしまう。出る杭は打たれてけなされてしまうのが普通だが、その杭に僕は惹かれてしまったのだ。

 彼女をありすと実際に呼び始めたのは会ってから間もない頃だ。他愛もなく、だらだらと話している時だ。

「ありすっていつも塀の上にいるけど、高いところが好きなの?」

 自分が彼女のことをありすと呼んだことに気付いたのは言ってすぐではなく、彼女がえっと声を漏らした瞬間だ。

 僕は彼女の声に気付いたと同時にあっ、と口を滑らせてしまった。

 睨み付けるように彼女が僕をじろりと見た。

「アリスって私のこと?」

「そう」

「どうしてアリスなの?」

「よくわからない。理由をつけるならば、異世界から迷い込んできたように見えるから」

 僕はさらに嫌な顔をされるのを覚悟して話したが、ありすは怒る素振りも見下す視線もせず、ふぅんととぼけた顔をした。

 聡明な顔が少し間抜けに見えて僕はわずかに苦笑してしまった。

「アリスなんて私にはもったいない。どちらかと言えば、チシャ猫じゃないのかな」

 そんなことはないと反射的に答えていたが、心の中では否定できない個所があった。高いところで見物をするように相手を探り、三日月の口をして不敵な笑みを浮かべる姿はまさしく似ている。

「でも、いいかも」

 彼女はアリス、アリス、アリスアリスアリスと反芻するかもように何回も名前を歌うように繰り返した。ゲシュタルト崩壊が起きそうだった。

 そして、六回目のアリスでふと真面目な顔つきになった。世界が僕の中でまた百八十度変わる感覚が訪れた。

「ねえ、アリスって平仮名? カタカナ?」

「それって定着させるために関係あるの?」

「大有りだよ。平仮名のありすと片仮名のアリスで全く違うよ。どっち?」

「どうだか」

「ちゃんと答えて」

 ぴしゃりとありすに言われて、僕はしばらく黙りこんで思慮した。

 思慮した、と書いたがそう尋ねられたときよりもずっと前に『平仮名』と決まっていた。アリスはアリスでも、彼女は一応れっきとした日本人だろうから。という安直な理由だったが。

「そうだね……強いて言えば平仮名かな」

 僕がそう言うと、瞳を伏せて彼女はわかったと頷いた。

 なにを根拠にわかったと言ったのかはわからない。

「そう言えば、あなたの名前をまだ聞いてないね」

「なんだかいまさら言うのも変だよな」

「というか普通、男から名前って名乗るものじゃないの? 紳士としての基本の行いだよ」

 至って大真面目な顔で言うありすを傍目にそんなことは知らないと僕は言った。彼女は少しだけ不貞腐れたような顔つきになった。

 男の子、特に高校男児に紳士なんて求めてはいけないんだよ。と心の中でありすに対して僕は呟いていた。

「僕の名前は宇佐見。宇佐太郎」

「ウサ、タローね」

 それは外国人が片言で日本語を喋るような反復だった。そして彼女は縦に首を何回か動かした。

「へえ、意外な名前。随分予想と外れていたな。ユウキとかケイスケだと思ってたんだけどなぁ」

「予想してたのか。それこそもったいない。僕にはこういう地味な名前で十分」

「でも、良い名前だよ」

 僕の呟きの後、ありすはそう言ってにっと笑った。

 そう唐突に言われた僕は、まさかこんな平凡な自分の名前が褒められるとは思わなかったので、僕は少し顔を火照らせてしまった。

「ところでさ、あの猫はどうなったの」

「あの猫って?」

「忘れたの? タローが持っていた彫刻。捨てたとか言わないでよね」

 ああ、と感嘆を漏らした。この感嘆は懐かしさと不思議さから来ていた。

 ありすとあの日以来、一週間もたっていないのになぜか一ヶ月も経ったような気がしたからだ。

「ボンドで足はくっつけたよ」

「手術したってわけね。成功?」

「あぁ、成功だね」

 そう僕が言うと、ありすはくすりと力無く笑った。

 その瞬間。僕は背後で何かが横切る気配が感じられた。


「あっ」

 後ろを少し振り向いた時、僕は目を見開いてしまった。

 身に覚えのない制服の女子学生の二人組がすれ違っていたのだ。そのうちの一人は僕も見覚えがあった。

 僕の家の隣に建つマンションに住む、みなと 有希ゆきが少し声を漏らしたようだ。彼女とは小、中学校と同じ通学路を通っていた幼馴染だ。

 近所の野良犬と立ち向かったり、冒険ごっこと称して空き地を走り回ったりするお転婆な女の子だった。そういう時、たいてい僕も一緒になって彼女の盾や、子分の一人として連れまわされていた記憶が残っている。それでも、社交的でなおかつ、笑顔が可愛いこともあり、彼女が好きだったという子は少なからずいたことは間違いないだろうと思う。

 そんな彼女だが、高校が電車通学で一時間近くかかるところらしく、通学中に鉢合わせるということは無くなってしまった。そのため一瞬だけ湊であると気づくことができなかった。

 黒い髪は相変わらずだが、肩まで伸ばしていたためおとなしい雰囲気があった。意志が強いことを示す鋭い目は健在していたため、それがであるということが分かった。

 しかし目は合わせない。

 僕も目を逸らしてあからさまに他人であるというフリをする。何食わぬ顔で、湊と彼女の友人であろう女子生徒は他愛の無い会話をして去っていく。

 ただし、湊だけがありすのことを少しだけ目にしたようだった。


 なによ、あれ。

 そう言わんばかりにして凝視していたのは言うまでもない。

 ありすは僕の背けた視線を覗き込むように首を傾げていた。右左とコロコロと細い首を動かす。


「あの子、ユーキだっけ?」

 今度は僕がありすを凝視する番だった。

「ユーキじゃなくてユキだけど……ああ、でも昔はそう言われてたっけ……でも、どうしてありすがあいつの名前を知っているんだ」

 僕の問いにありすはすぐに答えずに納得がいってないような顔をした。その顔をしたいのはこちらなのにも関わらずだ。

「やっぱり友達だったんだ。どうして話さなかったの?」

 こちらの質問に答えないのは、わざとなのか。

 ちょっと不満が渦巻いたが僕は答えることにした。

「子供の頃に、話尽くしたから」

 そういうと、ありすはきょとんとした顔の後、にやりと笑ったかと思うと楽しげに笑い声を上げた。まるでその姿はアニコメに出てくる陽気な登場人物のようだった。

 そして突然ありす真顔になってこう言った。

「まぁ、そんなもんか」

 デジタル時計が6:30を示した頃、また僕は帰ろうとしたが、今日は勇気を出してあることを尋ねてみた。

「ありす、正直に答えてくれないか。君の本名を教えてほしい」

 僕が言うと、ありすはこれまでに無いほどきょとんとした顔になった。

 しかし、また例のごとく三日月口をちらりと覗かせ、予想通りの結果をもたらした。


「私はありす、それだけだよ」

 そう言って、ばいばいと小さく手を振った。

 僕は塀を見つめて、深く悩みを吹き飛ばすようにため息をついた。

 もし僕があの時、ありすと口走らなかったら彼女は本名を教えくれたのだろうか。

 言うまでもない。彼女は教えてくれなかっただろう。

 それはひょんなことから、内緒で隠れ家を見つけ、大人に秘密を言わないように奮闘する子供の目つき。

 それが先ほどの彼女にぴったり合てはまったのだから……。



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