エピローグ
気付いた時、俺は白い世界に立っていた。
「……ここは?」
どの方角を向いても、障害物どころか地平線すら何も見えず、まるで白の世界に囚われているような感じである。
敵の攻撃……いや、そんな攻撃を受けた覚えはない。
そもそもの話、俺は何故こんな所にいるのだろうか?
ゆっくりと記憶を遡り、この世界に来る前の俺は何をしていたのかを思い出す。
「ああ……そうか。俺は……」
俺は……死んだのだ。
だが殺されたとか、病気とかそういう理由ではない。
肉体が限界を迎える、つまり寿命で俺は死んだのだ。
最後の時も……きちんと覚えている。
妻や子供と孫たち、そして弟子や仲間たちと、俺は多くの者に看取られながら、幸せだったと感謝の言葉を皆に告げてから生涯を終えたのである。
俺は二度目の人生を……最後までやり遂げたのだ。
「しかし、それならここはどこだ?」
師匠が前世の俺に刻んだ転生の魔法陣は一回きりだと聞いたので、そういう感じではなさそうだ。
それに今の姿も、俺が最も活動的だった二十歳頃の肉体である。
「とりあえず、ここはあの世と考えるべきか?」
それならそれでいいが、こんな所に放り出されてどうしろというのか。
とはいえ立ち止まっていても仕方がないので、適当に歩こうとしたその時、目の前に一人の女性が立っていたのである。
さっきまでそこには誰もいなかったのに、まるで最初からいたかのように立っていた女性は……。
「シリウス様」
「エリナ……母さん……」
俺が初めて母と呼んだ女性……エリナだった。
「何故、母さんがここに?」
「ふふ、わかりません。ですが私はずっとここにいました。貴方の事を……ずっと見ていたのです」
この白の世界でずっと?
俺の事を見ていた?
わけがわからない事ばかりであるが、目の前にいる母さんは決して敵ではないのはわかる。自分でも何を言っているのかとは思うが、わからないけどわかるのだ。
「それより、シリウス様に紹介しておきたい御方が……」
「ああもう、いいから! まどろっこしいわね!」
そして再びエリナと同じように、気配も何も感じさせず女性が現れたのだ。
初めて会う女性だった。
なのに俺は……この女性を知っている。
かつて絵画で見たというのもあるが、体が覚えているのかもしれない。
「まさか……」
「そう! 私こそ、貴方を産んだお母さんよ!」
ミリアリア……通称アリアと呼ばれた女性で、俺を産むと同時に亡くなった人だ。
見た目は深窓の令嬢という感じだが、お転婆でやんちゃという単語が似合いそうな気がする。そういえば、エリナ母さんからよく振り回されたと聞いた覚えがあるな。
もう驚きの連続で一旦落ち着きたいところだが、目の前に母親がいるのだから黙っているわけにもいかないか。
「まずは初めましてと言うべきなのかな?」
「私はちゃんと貴方に挨拶して逝ったから、そんな言い方止めてよね。久しぶりね、愛しい私の息子ちゃん」
「アリア様。シリウス様はもう大人なのですから、そういう言い方はよろしくないかと」
「えー? 私の愛情をあげられなかったから、甘えさせてあげたかったのに」
大人どころか前世を合わせたら百歳を超えているので、今更甘えろと言われても逆に困る。
とはいえ、妙なやり取りで少し冷静になれたので、俺は二人を交互に見てから答えた。
「ミリアリア……母さんでいいかな? 愛情なら、エリナ母さんからしっかりと貰えたから十分だよ」
「あら、言うじゃない。あーあ……仕方がないのは理解しているけどさ、そこはエリナがずるいって思っちゃうわねぇ」
「ふふ、申し訳ありません」
軽口を叩き合う二人の空気は本当に柔らかく、何だか見ているだけで笑みが零れてしまう。
もしこの人と一緒にあの屋敷で過ごせていれば、あの時より更に楽しい毎日を送れただろうな。
「まあ、いいか。こうして成長した息子と出会えて満足だし、ようやく貴方に伝える事が出来るからね」
「伝える事?」
「見ての通りだけど、ここは不思議な場所でね。私たちは貴方の人生をずっと見ていたの」
「さっきエリナ母さんも言っていたけど、もしかして俺の前世の事も……」
「ええ、貴方が誰かの生まれ変わりって事も聞いたわよ。でも、そんな事はどうでもいいわ。何であろうと貴方は私たちの息子だもの」
何というか、母親の器の大きさを改めて思い知らされたな。
「結婚式とご子息のイオス様が生まれた時は、しばらく涙が止まりませんでしたね」
「そうそう! というか妻を三人も同時に娶るとか、世界に名を知らしめるとか、本当に凄い事ばかりしたわね。貴方は私の自慢の息子だわ」
「はい! シリウス様の母親になれた事を、私は誇りに思います」
何故見られるとか、そんなのは考えるだけ無駄なのだろう。ここはそういう場所なのだ。
そして自慢の息子だと、誇りだと言われ、涙が零れそうなくらいに嬉しかった。
「伝えたかったのは、それだけ。それじゃあ行くわよ」
「行くって、どこに?」
「わかりませんが、ここではないどこかですね。シリウス様が来た以上、私たちがここに残る理由はございませんから」
「……ごめん。一緒に行きたいけれど、俺も母さんたちのように、妻たちを待とうと思う」
若い頃に無茶をし過ぎたせいか、俺は前世と全く同じ年齢で寿命を迎えてしまったのだ。
そんな俺と違いエミリアたちはまだ十年以上は生きるだろうし、特にフィアはどれ程長生きするかわからない。
仕方がないとはいえ、俺は彼女たちを置いて先に逝ってしまったのだから、せめてここで待ち続けようと思う。
「はい、私もシリウス様はそうするべきだと思います。では私たちは……」
「そうね、残りましょうか。エリナ、紅茶を淹れてちょうだい」
「え!? あの、アリア様? ここは潔く私たちが消える流れでは……」
「関係ないわよ。それに一緒にいたら義理の娘たちと挨拶も出来るし、残らない理由はないじゃない!」
「確かにその通りですね。すぐに紅茶をご用意いたします」
「はは……まあ、いいか」
どこからもなく現れたテーブルセットに、エリナ母さんが淹れてくれた紅茶が並べられる。
椅子に着いた俺が、久しぶりに味わうエリナ母さんの紅茶に懐かしさを覚えていると、対面に座った二人がじっと俺を見つめている事に気付く。
どうしたのかと質問するよりも先に、母さんたちは慈愛に満ちた笑みで、俺にこう告げてくれた。
「シリウス……」
「シリウス様……」
「「お疲れ様」」




