一生の思い出
※2022年 8月28日 更新分 1/1
――― シリウス ―――
想定外の事態ばかりではあったが、俺は何とか魔大陸から生還する事が出来た。
だが激戦によって積み重なった疲労と、洞窟の落盤に巻き込まれた怪我のせいか、俺は救出されてからも三日近く眠り続けていたらしい。
しかしエミリアたちの機転によって何とか目覚める事は出来たわけだが、だからって他人の殺気をぶつけるように仕向けるとはな。俺の事をよく理解しているようで何よりだが、それを説明された時は何か複雑な気分にもなった。
「水はまだ飲まれますか? 紅茶はいかがですか? お腹は空いていらっしゃいませんか?」
「だ、大丈夫だ。食事は……さすがに厳しいが、何か口にしないとな。腹に優しいものを頼みたい」
「レウス! 食堂に作っておいたスープがありますから、早く取ってきなさい!」
「何で俺が! 姉ちゃんばかりじゃなく、俺にも兄貴と話させろよ!」
喉が渇いていたせいで上手く喋れなかったが、エミリアが飲ませてくれた水で何とか会話は出来るようになった。
しかし何やら姉弟喧嘩が始まっているが、そんな二人を宥めつつ俺を見つけた時の状況を聞いてみたところ、一つ気になる点が出てきたのである。
俺が意識を失ったのは海中だったのに、サンドール側の浜辺にいたのは何故だろうか?
「海の中だったの!? 普通に考えたらホクトが探してくれたんじゃないかな?」
「いや、あの時はホクトと別行動だったから、あそこから探すのはな……」
広大な海中どころか、完全に足跡が途絶えていた俺を探すのははっきり言って不可能だ。匂いを辿ろうにも、俺は一度も海面に出られなかったからな。
だが、あの時の俺は海上だと思われる方角へ手を伸ばし、最後の力で『マグナム』を放った。おそらくその『マグナム』をホクトが感知し、俺を助けてくれたのかもしれない。
しかも大陸間を繋いでいた岩の橋も破壊してくれた後なのだ。下手をすれば消滅してもおかしくない程に消耗した上に、俺を守ろうと弟子たちに攻撃を加える事にもなったそうだし、お前には本当に無茶をさせてしまった。
「本当にありがとうな、ホクト」
「クゥーン……」
名を呼べば、すぐ傍にいるホクトが首だけ伸ばして俺の胸元付近に頭を乗せてきたので、俺は精一杯の感謝を込めて頭を撫でてやった。
その後、エミリアたちに看病をしてもらいながら数日が経過した。
傷の後遺症や寝たきりによって碌に動かなかった体だが、ようやく歩ける程度まで回復したところで、俺たちはサンドールを発つ事にした。
もう少し動けるようになってから出発でもいいが、どうもサンドール側は魔大陸から戻った俺の扱いに困っているらしく、念の為に早くここを離れるべきだと、弟子たちや見舞いに来てくれたサンジェルから聞いたからである。
ちなみに魔大陸で見つけたものに関しては、ある程度選別してサンジェルたちに話す事にした。
魔石の柱となった兄弟子や、あの崩壊した洞窟の事は誰にも知られない方がいいので、魔大陸でラムダの研究所らしき建物を見つけたが、中に入るとラムダが仕掛けた罠が発動し、彼が残した物は全て消滅した……と説明したのだ。
もちろん俺も魔物の相手に精一杯で、ラムダの知識や技術については調べる余裕はなかったとも伝えておいた。どれだけ信じてもらえたかはわからないが、そこに対してあまり追及されないのは、わざわざ敵役になってくれたというカイエンが上手く動いている御蔭だろうな。
そしてある意味最も目立ち、あの戦いで空を担ってくれた竜族たちだが、俺が目覚めた次の日に故郷である有翼人の集落へと戻って行った。さすがにこれ以上、集落の守りを同胞たちに押し付けているのは忍びなかったらしい。
もちろん事前に決めていた通り、竜族の血を引いているヒナはメジアが保護するので集落へ連れて帰る事になった。
孤独な過去と実験体のような扱いをされていたせいか、感情や表情の変化が乏しい少女であったが、カレンと別れる時は寂しそうに涙を零していた。しかし驚いたのは、カレンだけではなくサンジェルにも同じ反応を見せたのである。
「…………」
「う、おお……どうした、チビ?」
自分の足に抱き着いて静かに涙を流すヒナに動揺を隠せないサンジェルだったが、さすがにこのままでは駄目だと思い、ヒナを抱え上げてから笑いかけていた。
「泣かなくてもいいだろうが。だってチビには頼もしい竜のおじさんがいるんだろ。本当にまた俺に会いたくなったら、ここへ遊びにこい。面倒だがこの俺が直々に付き合ってやらぁ」
「……うん……うん」
さすがのメジアも口出しはしなかったが、こちらに聞こえてくるくらいの歯ぎしりをしていたので、三竜が慌てた様子で離れている。
そんな様子をゼノドラは苦笑しながら眺めていたので、エミリアに体を支えてもらっていた俺もつい突っ込んでしまう。
「いいのか、あれ? もう父親みたいなんだが」
「ふ、すでにそのくらいの覚悟を持っている証拠だろう、心配はいらんさ。それよりシリウスよ。無事に戻ってきたはいいが、今後はあまり無茶をせぬようにな。お主より周りの者たちの方が不憫で仕方がなかったぞ」
「耳に痛いが、忠告はありがたく受け取っておくよ」
「うむ。カレンの事もあるし、いつでも我々の所に顔を出してくれ。何か合図を送ってくれれば、すぐ迎えに行くからな」
「ああ。じゃあまた会おう」
こうして竜族たちと別れ、俺たちは日常へと戻っていくのだった。
そんな事がありながらサンドールの出発当日を迎え、城の正門前で馬車の最終点検をしていると、大勢の者が俺たちを見送りに来てくれた。
サンジェルたちといった王族を始め、俺だけじゃなく弟子たちが個人的に仲良くなった者たちが入れ替わり立ち代わり現れるせいか中々話が尽きないが、点検が終わり馬車にホクトを繋いだところでようやく出発となった。
「レウス。各引継ぎが終わり次第、私はすぐに君の下へ向かおう。行先はエリュシオンで間違いないのだな?」
「ああ。兄貴とフィア姉の子供が生まれるまでいるみたいだから、しばらくはいると思うぜ」
「了解した。ふふ、フィア殿の赤ちゃんを見られるのが、今から楽しみで仕方がない」
俺たちについて来ると思われていたジュリアだが、聞いての通りサンドールの事後処理もあって、仲間に加わるのはもう少し先になった。
別れを惜しむように手を繋ぐ二人を横目に、俺はサンジェルと握手を交わしながら質問をしていた。
「やはり、カイエン殿は来なかったようですね。最後に挨拶くらいはしたかったのですが……」
「まあ、お前を嫌っているから仕方がねえよ。俺から伝えておくから気にするな」
目覚めてから、カイエンとはほんの数回どころか事務的な会話しか交わしていない。
つまりカイエンはそれだけ本気に取り組んでおり、こちらから話し掛けると逆に邪魔をしてしまうので俺も彼に関わる事は避けていたが、さすがにこのまま別れるのも……な。
そう考えていると視線を感じ、視力を強化して城の上部へと目を凝らしてみれば、遠くの窓から俺たちを見下ろすカイエンの姿があった。
『カイエン殿、色々と便宜を図っていただき感謝します。どうかお元気で』
咄嗟に『コール』を発動させて礼を伝えてみたのだが、彼には俺が作った魔道具はないので返事はない。
だが彼はほんの僅かだけ口元を緩ませ、何かを呟いてから姿を消した。こちらに伝える為だったかどうかはわからないが、カイエンの言葉は読唇術でしっかりと理解出来た。
『こちらこそ感謝する。達者でな』
可能であれば一度くらい酒でも酌み交わしたかったものだが、それは今度の楽しみにしておくとしよう。二度と会えないと決まっているわけじゃないからな。
俺が何かしているのを察したのか黙って見ていたサンジェルは、視線を目の前に戻したところで最後の挨拶をしてきた。
「色々とあったが、お前はこの国を救った英雄だ。くだらねえ連中は俺の方でも何とかするから、懲りずにまた来てくれよな」
「レウスとジュリア様の事もありますから、状況次第では顔を出す可能性はありそうですよ」
「ああ、そん時には親父が王だった頃より立派な国にしておくさ。だからお前には絶対に見てもらいたいんだ。大きくなった国と……俺もな!」
「ええ、楽しみにしています」
王の素質を開花させたサンジェルと、彼をしっかりと支える者たちがいればサンドールはもう大丈夫だろう。
ほとんど助言程度しか出来ていなかったが、まるで教え子が立派に成長したかのような充足感を味わいつつサンジェルと別れを告げ、馬車を出発させた。
城門を潜り町に出たが、情報は統制されていたのか特に大きな騒ぎも起こらなかったので、俺たちは平和に町を抜けてサンドール全体を守る防壁を抜ける。
そこで数台の馬車を並ばせた一団と合流する予定なのだが、その前にここへきて初めて訪れた場所、防壁に沿って作られたスラム街へと視線を向けた。
かつて情報収集の際にセニアと訪れたそこには、ラムダについて教えてくれた情報屋がいたのだが……。
「ふ……相変わらず仲がいいようだな」
建物の影で隠れるようにこちらを窺っているのが、俺が渡した車椅子モドキに乗った情報屋のフリージアと、サンジェルとジュリアの弟であるアシュレイだった。
あの二人は裏側で活躍していたので、あれからほとんど顔を見る事はなかったが、二人の仲も健康も順調そうである。
それにしても、王族の次男とフォルトの孫娘によるカップルか。複雑さはうちのレウスとジュリア程ではないが、二人には幸せになってもらいたいものだな。
距離があるので二人に見えているかわからないが軽く会釈をしていると、俺たちが来るのを待っていた一団の長……リーフェル姫が呆れた表情で息を吐いていた。
「予想はしていたけど、遅かったわね。向こうが離してくれなかったのかしら?」
「お待たせして申し訳ありませんでした。まあ、そんな感じでして」
「まあいいわ。それより馬車の順番だけど、基本的に私たちがついていくから、貴方たちは先頭を走ってちょうだい」
この一団は、俺たちを心配して残っていたリーフェル姫の近衛たちである。
とはいえ全員ではなく、近衛のほとんどは現王であるカーディアスと共にエリュシオンへと戻ったので、ここにいるのは大体三十人くらいらしい。
「でも、下手をしたらこれにアルベルトやアービトレイの人たちも加わっていたんでしょ? もしそうなっていたら、誰も手を出せない部隊になっていたでしょうね」
「もう現時点で無理な気がするけど」
「だよな。寧ろ爺ちゃんが暴れ過ぎないように俺たちが頑張らねえと」
「ああ……仲間がいるって素晴らしいですね」
獣王とアルベルトたちは俺が起きるのを見届けた後にサンドールを発ったので、俺たちがサンドールを訪れた時と変わった点は、リーフェル姫の一団と爺さんとベイオルフが加わっている点だな。
そんわけで俺たちにとって初めてとなる大人数での旅となったのだが、道中は平和そのものである。
何せどれだけ魔物が現れても、爺さんやレウスたちが率先して片付けてしまうから、俺は馬車に乗ったまま何もする必要がなかったからだ。
そもそも鈍った体では碌に戦えなかったので、俺はひたすらリハビリに励んだり、カレンに座学を行ったりしながら、俺たちはのんびりとした空気のままエリュシオンへと向かうのだった。
※※※※※
そうして俺が魔大陸から帰還してから、三ヶ月くらい経過した。
あれから俺たちは無事にエリュシオンへと到着し、とある準備の為に忙しくなりながらも、充実した日々を過ごしていた。
「ぬりゃああああぁぁぁ――――っ!」
「どらっしゃあああぁぁぁ―――っ!」
今日も今日とて、早朝から剣士たちの模擬戦による雄叫びを、俺はベッドの上でぼんやりと聞きながら体を起こした。
現在俺たちが身を寄せているのは、エリュシオンの中心から少し外れた箇所にある、十人程度なら問題なく住める大きな館だ。
ここはリーフェル姫が保有する隠れ家の一つなのだが、滞在中は好きに使っていいと許可は貰っているので、今は俺たちの拠点として使わせてもらっている。
「ちょ、ちょっと二人とも! 今日は記念する日なんですから、もうこの辺で……」
「だからこそじゃろうが! ぬはははははは!」
「仕方ねえ、もう少し付き合ってやるよ。実は俺も……落ち着かねえからさ!」
いつもより外から聞こえる声のトーンが高いのは、遂にこの日を迎えたからだろう。かく言う俺も、目が覚めてから微妙に落ち着かないのだ。
理由はわかっているのだが、実際に行うのは初めてだから仕方がないのかもしれない。しかも普通と違って三人分だからな。
そのまま体の調子を確かめてからベッドから下りたところで、扉から普段より回数が多いノックが響いた。
「シリウス様ーっ! お目覚めになられましたか! 目覚めている筈ですよね! 目覚めていないと駄目ですよ!」
実に興奮しているようだが、ノックはする冷静さは残っていたらしい。
そして俺の許可を得て、普段より数倍増しのテンションで部屋に入ってきたのは、元気が売りである自称看板娘のノエルである。
いつもならエミリアが起こしに来るのだが、今日だけは特別という事でノエルが代わりに来たわけだ。とはいえ、これは予想以上に酷い。
「おはようございます! さあ、お着替えの時間ですよ! 私がお手伝いしますから、脱ぎ脱ぎしましょうね!」
「自分でやるからいいよ。全く、緊張しているのが馬鹿らしくなるテンションだな」
「当然じゃないですか! 遂に……遂に……エミちゃんたちの記念すべき日が来たんですから!」
喜びの舞いだと口にするなり、俺の前で意味もなく回り始めるノエルを見ていると緊張しているのが馬鹿らしく感じてきたな。
とりあえずノエルを部屋から追い出し、いつもの服に着替えてから食堂へと向かえば、ノエルと同じくエリュシオンに来ていたディーと、彼の娘であるノワールがテーブルに料理を並べていた。
「おはようございます、シリウス様」
「おはようございまーす!」
「ああ、おはよう。客人なのに料理までさせてすまないな」
「いえ、こうして皆に料理を振る舞うのが懐かしくて、本当に嬉しいです。それと……朝からうちのノエルが騒がしくてすみません」
「ディーさんまで何ですか! だってエミちゃんたちにとって一生の思い出になる日なんですよ!」
「それは俺も嬉しいが、俺たちが無駄に騒いでも仕方がないだろう。ところで、レウスたちはまだ外なのか?」
「なら私が呼んで来るね!」
レウスの従者になると決めたノワールは、雑用だろうと積極的に取り組んでいるようだ。
外に向かって駆け出すノワールを見送っていると、俺と同じように娘の後姿を眺めていたディーが感慨深そうに呟いた。
「ノエルみたいにはしゃげませんが、俺も本当に嬉しく思っています。だって俺たちと同じ幸せを、これからシリウス様や彼女たちも味わえるですから」
そのまま横へと視線を向けてみれば、先程まで椅子に座っていた二歳くらいの男の子を抱えて頬擦りしているノエルの姿がある。
この子はノエルとディーの間に生まれた第二子のディランで、まだ見慣れていない俺をぼーっと見つめていたのだが、今は母親の幸せオーラに感化されて嬉しそうにはしゃいでいた。
「ああ、確かに楽しみだ。だからこそ、今日の式をきっちりと行って喜んでもらわないとな」
「ええ。シリウス様たちが祝福してくださったあの式で見たノエルの笑顔は、俺は今でも鮮明に思い出せますよ。もちろん今の笑顔も最高ですが」
「相変わらずノエル一筋で結構。そうか……今度は俺が祝ってもらう側なわけか」
「はい。盛大にお祝いさせていただきます!」
「私もですよ!」
そう……本日行われるのは結婚式である。
新郎は俺で、新婦はエミリアとリース、そしてフィアと四人が主役となる結婚式だ。
本来ならエリュシオンに到着してすぐに行う予定だったのだが、話を聞いたリーフェル姫の提案……というか、暴走によって規模を少し大きくする事になったのだ。
『関係者数人だけでひっそり……とねぇ。せっかくのリースの結婚式なんだから、もっとこう……何とかしましょうよ!』
『私は別にひっそりでも良かったんだけど』
『甘い! 甘過ぎるわ! 三人もいるんだし、もっと衣装とか、場所とか、人員に拘ってやりなさいよ! つーかやりなさい!』
『えぇ……』
『言っておくけど、私はまだ控え目な方だからね。父さんなんて、城の一部を開放しようとか言っていたわよ』
盛大にやるのは構わないが、さすがに王族級の規模は止めようという結論が出たので、こことは別の屋敷を貸し切って式を行う事が決まった。
しかし、貸し切る予定だった館の改修作業や衣装等の準備により、大体二ヶ月くらい式を延期する事にしたのだ。それに故郷での引継ぎを終えたマリーナとジュリアがこちらに向かっているそうなので、彼女たちの合流を待つ時間も出来た。
そんなこんなで目の前にいるノエル一家を始め、マリーナとジュリアが合流したところで諸々の準備は整い、こうして式当日を迎えたわけだ。
ディーと話している内に少しは落ち着いたが、式の事を考えると再び緊張に襲われてしまう。それを誤魔化すように、ノエルが淹れてくれた紅茶を飲んでいると、外で剣を振るっていた三人が戻ってきたのである。
「いたた……全く。こんな日くらい、もう少し控え目に出来ないんですか?」
「じゃかましい! エミリアがいないんじゃから仕方なかろうが!」
「だからって、姉ちゃんの所へ勝手に行くなよ? あっちは女性しか駄目だからな」
ここにノエルとノワールを除く女性たちがいないのは、準備の為に結婚式の会場となる館に前日から泊まっているからだ。
次に妻たちの姿を見るのは式が始まってからだろう。特にリーフェル姫が拘っていたというドレスが、妻たちをどんな風に彩ってくれるのか楽しみで仕方ない。
「レウス様! これで汗を拭いてください」
「おう、ありがとな。それにしても、ディー兄にしてはちょっと控え目な食事だな」
「昼には式でご馳走を沢山食べられるだろう?」
「それもそうか。なら腹が鳴らない程度で十分か」
「おかわりじゃ!」
「相変わらずこの人は何も聞いていませんね」
ノエルたちの御蔭であまり寂しくは感じないが、やはり全員が揃った状態が一番だな。
将来、ここに俺とレウスの妻たちが全員揃い、子供も生まれた光景を夢想しながら、俺は食事に手を付けるのだった。
それから式が行われる館へとやってきた俺は、タキシードのような服に着替えて来賓の相手をしていた。
集まった来賓だが、まずは朝から一緒にいるノエル一家。
エリュシオンからは、お忍びの恰好でいるカーディアスとリーフェル姫たち。そこに学校長であるロードヴェルとマグナ先生。ついでにガルガン商会エリュシオン支店の店長であるザックも来ている。
隣の大陸からはアルベルトとマリーナ。そして最も距離が離れている者が、レウスへ嫁ぎに来たようなものであるジュリアだ。
そして向こうの事情もあって呼ぶかどうか迷ったが、エミリアの要望によって招待した彼女のお爺さんであるガーヴの姿もあった。
「シリウスよ。このようなめでたき日に呼んでくれて、感謝する」
「こちらこそ、忙しい中ありがとうございます。礼ならエミリアとホクトに言ってやってください」
「すでに伝えてある。それにしても、息子夫婦を失い自棄になっていたこの私が、まさか孫の晴れの日を見られるとはな。本当に……素晴らしい事だ」
彼の住処である銀狼族の集落は森の奥深くなので、連絡や移動手段といった問題はあったが、そこはホクトが迎えに行く事で解決出来た。
正装なので、リーフェル姫を通して借りた服で窮屈そうにはしているが、その表情はとても柔らかい。出会った当初は事情があって孫たちを遠ざけてはいたが、その確執が消えた今は孫を祝福したくて堪らないようだ。
余談だが、どうせならフィアの父親も呼ぼうとも考えたのだが、さすがに彼は森から出るのを嫌うエルフなので諦めた。まあフィアの方から止めた方がいいと言い出し、後で子供を見せに行けば十分だろうと判断された。
「ふふふ……私の学校で学んでいたあの子供が戻ってきたかと思えば、三人も同時にとはね。本当に見ていて飽きない子ですよ」
「卒業してからまだほんの数年だというのに、少々変わり過ぎでは? 私の授業を受けていたのが、もう遠い過去のように感じます」
「オイラも同感っす。それにこの間教えてもらった新しい魔道具の案が多過ぎて、どれから作ろうか迷って仕方がないっすね」
「あまり褒められている気がしないんだが……」
式場で教え子と生徒の再会なのだから、もう少しこう……感慨深い雰囲気になってもいいと思うのだが、俺たちの場合は少し変わった付き合いだったからな。これくらいがちょうどいいのかもしれない。
ザックもまた結婚を祝うというより雑談しに来ているような感じだが、この世界の結婚式は基本的に食事会のような雰囲気で行われるので、間違っているとも言えなかったりする。
そのまま来賓への挨拶回りを続けて一段落したところで、レウスとアルベルトとベイオルフがやってきた。
「師匠。改めまして、おめでとうございます。私も自分の式の時は盛大に緊張していましたが、師匠も例外ではないようですね」
「魔物の大群の前でもあれだけ平静だったのに、こっちの方だと動揺するんですね。何だか不思議ですよ」
「さすがに戦いとは勝手が違うからな。お前もいつかわかる時がくるさ」
「うーん……僕は結婚とか、それ以前にそういう女性がいませんし、しばらくは剣の腕を磨く事に専念しますよ」
「おお、それってつまり剣が恋人ってやつだな。恰好いいじゃねえか!」
「ぐっ!? 悪気があって言っているわけじゃないとは理解していますが、何かレウス君だけには言われたくないです!」
「レウス、とりあえず謝っておいた方がいいと思うよ」
「ん? よくわからねえけど、すまねえ」
レウスも俺と同じように、将来を約束しているような女性が三人もいるからな。余程の事が起こらない限り、俺と同じように三人同時に娶ると思う。
しかしまだ幼いノワールがいるので、レウスの場合は何時になるのかと考えていると、奥の扉が開かれて三人の女性……つまり俺が想像していたレウスの奥さん候補たちが会場へと入ってきた。
「お、戻ってきたみたいだな。姉ちゃんたちはどうだった?」
「ばっちり! シリウスさん、皆さんの着替えが終わりましたよ」
「お姉ちゃんたち、凄く……凄ーく綺麗でしたよ!」
「ああ。あれこそ正に宝石と呼ぶに相応しい美しさだった。ドレスは堅苦しくて嫌いであったが、あれなら私も着てみたいものだな」
彼女たちは後学の為に、俺の妻たちが着るドレスの着付けや諸々の準備を手伝っていたのだ。
そんな三人が現れたという事は、遂にその時が訪れたというわけか。
緊張が増していく中、奥の扉から司会進行役を買って出たリーフェル姫が現れ、新婦たちの入場だと告げた。
いよいよ……か。
前世では幼い子供を拾って弟子にしたので、子育てに近い経験はしているのだが、俺は妻を娶った事がない。妻のように支えてくれる女性はいたが、己の仕事もあって婚約だけはしなかった。
つまり結婚式は初めてなので、とにかく妻たちに恥をかかないよう、冷静に深呼吸をしたその時……。
「「「おお……」」」
参加者たちの感嘆の声が会場に響き渡る中、俺は一瞬だけ呼吸を忘れていた。
何故なら緊張とか、新郎の役割だとか、そんなものが全て吹き飛ぶ程に、俺はウエディングドレス姿の彼女たちに見惚れていたのである。ジュリアが宝石のようだと比喩していたが、正にその通りだと思う。
「シリウス様……」
「シリウスさん……」
「シリウス……」
彼女たちのドレスは、俺が話した事のある前世のウエディングドレスをイメージして作られた。
白を基調とした三人のドレスが光を反射して輝いているが、リーフェル姫の案や裁縫職人たちのアレンジにより、各人のドレスにちょっとした個性や特徴がある。
エミリアのドレスは正統というか、全体的に装飾は大人しめだ。しかしそれは彼女の美しさを何倍にも引き立てる為であり、まるで月のように輝き、どこか儚さも感じられる美しさを放っていた。
リースのドレスにはリボンやフリルが盛られており、綺麗というより可愛さを重点に置いた作りだった。相手を優しく包んでくれるような、彼女のイメージを上手く表した見事なドレスだと思う。
そしてフィアのドレスは、一部に薄い生地が使われて肌が透けて見える部分があり、エルフという種族も相俟って神秘を体現したかのようなドレスだ。更に神々しさも感じられ、どこかの地母神だと言われてもおかしくはないな。
「ふんふんふーん……えへへ!」
そんなウエディングドレスに身を包む彼女たちの前を、こちらもまた可愛らしい服を着たカレンが草籠に入った花びらを巻きながら歩いていた。
あれも俺の話を聞いて用意されたフラワーガールと呼ばれるもので、会場の中心に立つ俺の近くまで花びらの道を作ったところで、カレンは俺に満面の笑みを向けてからノワールの横へと戻っていく。
カレンの御蔭で少しだけ落ち着けたので俺は一度深呼吸をし、ゆっくりと歩いてきた彼女たちが目の前まできたところで手を差し出した。
「こう……何だ。言葉が浮かばない美しさって、こういう事なんだろうな。式の途中だからあまり語れないが、今は一言だけ伝えさせてくれ。エミリア、リース、フィア……綺麗だよ」
「ああ……凄いです。これが、あの時お姉ちゃんが感じていた幸せなのですね」
「えへへ。もう何て言ったらいいのか……嬉しくて涙が零れそう」
「外の世界が気にならなかったら、貴方に出会えなかったら、私はこの胸の温かさを知らないままだったのね。本当に、ありがとう」
差し出した俺の手に三人の手が乗せられたところで四人が振り返れば、少し厳かな服を着た神父役……ディーの姿があった。ノエルとディーの結婚式では俺が神父役をやっていたので、何とも感慨深いものだ。
しかしさすがのディーも、来賓の豪華さに加え大勢の注目を集めているせいか激しく緊張しており、持っている本を開く手が若干震えてもいた。
それでも読み上げるページをしっかりと確認したディーは背中を向け、かつて俺も口にした始まりの言葉を口にしてから、再び俺たちへと振り返る。
「それでは……新郎、シリウス。貴方は新婦エミリア、フェアリース、シェミフィアーを平等に愛し、生涯支え合うのを誓いますか?」
「誓います」
「新婦、エミリア。貴方は新郎シリウスを、妻としてだけでなく従者としても愛し、生涯支える事を誓いますか?」
「誓います!」
「新婦、フェアリース。貴方は新郎シリウスを妻として愛し続け、生涯支え合うのを誓いますか?」
「ち、誓います!」
「新婦、シェミフィアー。貴方は新郎シリウスを妻として愛し続け、生涯支え合うのを誓いますか?」
「誓うわ」
人数の関係と、個人的な事情もあって誓いの言葉を少しだけ変化させてもらった。
こんな誓いの言葉は、世界中で俺たちくらいだろうな。
「あなた方は、自分自身をお互いに捧げますか?」
「「「「捧げます」」」」
「では、新郎は新婦に指輪を」
彼女たちへの想いは、この指輪を初めて渡した時から変わっていない。
そして彼女たちに指輪を嵌めるのは二度目であるが、こうして儀式での行為は妻たちにとって一生の思い出となるのだから、俺は想いを込めつつ丁寧に指輪を嵌めていった。
最後に皆が用意してくれた俺用の指輪を、三人が協力して嵌めてもらうという少々不思議な行為を挟んでから、俺は妻たちと口付けを交わす。
「今日この時より、四人は夫婦となりました。皆様は祝福と惜しみない拍手を」
こうして儀式は終わった。
ディーが終了を宣言したところで来賓へと振り返れば、濁流のような勢いの拍手と祝福の言葉が俺たちへ投げられた。
「うう……良かった、良かったね! 今のエミちゃんたちの姿、私はずっと覚えておくからね!」
「リース、本当におめでとう。皆で幸せにならなきゃ許さないわよ」
「兄貴! 姉ちゃんたち! おめでとう!」
「おめでとう! それにしても、主役でもないのに胸が高鳴って仕方がないな。今すぐにでも剣を振りたい気分だよ」
「おめでとうございー……って、振っちゃ駄目ですからね!」
聞き分けるだけでも大変なくらい、多くの方々から届けられる祝福の言葉に俺たちは手を上げて応える。
しかし、返礼をしようと会場を見渡したその時……あまりにも異様な集団を見つけてしまい、俺の視線は自然とそこへ吸い寄せられていた。
「く……何と……美しい姿か。フェリオス、ローナよ……見ておるか?」
「リースよ……ううぅ……リースよぉ……」
「う……ぐ……エミリア。綺麗じゃのう……綺麗じゃのう……」
そう、見事な男泣きをしている親族たちである。
まあ一人は明らかに違うのだが、そのあまりの迫力と異様さに引いている者も見られた。何だか締まらないが、これも結婚式の醍醐味かもしれないな。
「さあ! 大事な誓いが済んだところで……騒ぐわよ! 料理を運んでちょうだい!」
気付けば司会進行のような役割をしているリーフェル姫の言葉により、彼女の侍女たちが料理を手に会場へと雪崩れ込んできた。
次々とテーブルに料理が並べられ、各々がそこへと近づいて飲み物や料理に手を伸ばす光景をぼんやりと眺めていると、エミリアとリースが俺の両腕を軽く引っ張り、背中にはフィアの手が触れたのである。
「シリウス様、どうかしましたか?」
「ぼーっとしている場合じゃないわよ。早く行きましょ」
「うん、皆が待っているよ」
「……ああ、行くか」
妻となったかけがいのない彼女たちの温もりを感じながら、俺は熱の冷めやらぬ皆の下へと向かうのだった。
おまけ 爺と爺
結婚式が行われる数日前。
ホクトに運んでもらいエリュシオンへと到着した銀狼族のガーヴは、相変わらず気難しそうで厳格そうな表情であるが、久しぶりに見る孫たちに口元を緩ませ、近づいてきた姉弟へと優しい言葉を掛けていた。
結婚式についてはホクトから聞いており、姉弟とある程度話したガーブは、こちらへ近づいて来るなり俺の肩に手を置きながら、落ち着いた声で語り掛けてきた。
「私が言えた義理はないだろうが、あの子を頼む。お前なら……安心して託せる」
「もちろんです。子供が生まれて落ち着いたら、ガーヴさんにも見せに行きますね」
「そうか。それは……とても楽しみだ」
色々あって信頼されているのか、ガーヴは俺に対しても終始穏やかで、本当に嬉しそうにしていた。
だが……一人だけ穏やかではない人物がいたのである。
「……あれが、エミリアのか?」
「そうだぜ。俺たちの爺ちゃんだ」
「ぬぅ……」
エミリアを孫のように可愛がっている、剛剣ライオルである。
話には聞いていたが、実際に血筋の繋がった本物のお爺ちゃんが現れた事により、爺さんの心中は穏やかではなかった。
「貴様がガーヴか。わしのエミリアに何の用じゃ……おぉ?」
大人気ないというか、こう……どこかの下手な不良みたいな絡み方である。
その爺さんの迫力に戦いが始まりそうな空気だが……。
「お主が噂に名高きライオル殿か。ホクト殿から聞いたが、私の孫を守ってくれていたそうだな。礼を言わせていただきたい」
「ぬ……ぬぅ……」
ガーヴの大人の対応に、爺さんの勢いが衰えていた。
更にエミリアが間に入り、二人の手を取ってから笑いかける。
「家族は血筋だけではありません。私からすれば、どちらも大切なお爺ちゃんですよ」
「「エミリア……」」
嬉しそうに笑う二人の爺さんの様子に、周囲で警戒をしていた者たちから安堵の息が漏れた。
だが……。
「よし! ではどちらがエミリアを守れる強さを持つか試してみようでないか! 表に出よ!」
「わ、わかった……」
結局、二人は戦う事になってしまった。
余談であるが、二人の爺さんによる模擬戦はライオルが勝利したのだが……。
「だ、大丈夫ですか、お爺ちゃん?」
「う、うむ……平気だ。やはり剛剣は強かったな」
「そう? 剛剣を相手にそこまで戦える時点で凄いと思うわよ」
「そうそう! やっぱり爺ちゃん凄いぜ!」
「すぐに治療しますね」
「ぬああああぁぁぁぁ―――っ!? 何じゃ、何じゃこの敗北感は!?」
孫だけでなく、俺の妻たちやレウスにまで囲まれているガーヴの姿に、爺さんは別な意味で敗北を味わっていた。
結婚式という事もあり、過去に登場したキャラたちも何人か登場させてみました。覚えていない人は思い出すか、適当にスルーしても結構です。
しかしそのせいか人数が多く、台詞が多かったり、誰に台詞を言わせるかで結構悩みましたね。
ちなみにこれを更新した頃には、本作の最終巻に載る予定のエミリア、リース、フィアのウエディングドレス姿のカラーイラストが完成し、拝見させてもらっていました。
何と言うか、見事なものです。是非とも、皆さんにも見ていただきたいですね。
問題がなければ来月発売予定なので、興味があれば皆さんも是非。
明日で最終話の更新となります。
まず最後の話を17時頃に更新し、その1時間後にエピローグとなる話の更新で終わりとなります。




