主の下へ
※2022年 8月25日 更新分 2/2
――― エミリア ―――
魔大陸へと向かうシリウス様を見送った後、私の記憶はそこで途切れていました。
激戦による疲労に加え、張り詰めていた気が抜けたせいでしょう。ホクトに乗ったあの御方の姿が見えなくなったところで、私はその場に崩れ落ちて意識を失ったようです。
そして次に目覚めた時、私はとある部屋のベッドに寝かされていたのです。
「う……シリ……様……」
「目が覚めたようね。気分はどうかしら?」
ここは……サンドール城の一室でしょうか?
窓から見える外は真っ暗なので、時刻は夜のようですね。一体私はどれくらい眠っていたのかとぼんやり考えていると、明かりを手にしたフィアさんが私の枕元へと近づいてきました。
「フィア……さん? 私……は……」
「まだ無理に喋らなくてもいいわよ。ほら、まずは水でも飲みなさい」
「ありがとうございー……あ……」
「はいはい。食事もすぐに運ばれてくると思うから、もう少し待っていなさい」
何とか上半身を起こし、差し出されたコップを受け取ったところで私のお腹が激しく鳴りました。
恥ずかしさに頬が熱くなりますが、我慢出来ない程の喉の渇きと空腹が襲ってきたので、私は形振り構わず水を飲み始めました。
「はぁ……染み渡ります」
「当然よ。だって貴方は昨日からずっと眠り続けていたんだから」
「えっ!?」
意識を失う前に見た空は赤く染まり始める時間帯でしたから、私が気絶したのは夕方でしょう。
そして今が夜ですから、つまり私は丸一日以上も眠っていたのですね。
それだけ眠り続ければ喉も乾き、食べ物を欲するのも当然でしょう。何でもいいから口にして少しでも早く体を回復させたいところですが、今は食事より確認すべき事があります。
「あの、シリウス様は?」
「……まだ戻っていないわ」
「そう……ですか」
魔物の誘導となれば数日はかかると仰られていましたが、それでもあの御方ならば……と、淡い期待を抱いていましたが、やはりそんなに甘くはなかったようですね。
考えてみれば、私がこんなにもシリウス様と離れ続けたのは初めてかもしれません。初めて出会ったあの日から、シリウス様と会話を交わさない一日なんてありませんでしたから。
寂しさで胸が締め付けられそうになりますが、まだ確認すべき事柄が多いので落ち込んでいる暇はありません。
「リースや他の皆さんはどちらに?」
「男たちは別の部屋で寝ているわ。リースは昼には目を覚ましていたんだけどー……ああ、噂をすれば来たわね」
「あ、エミリアも起きたんだね。沢山持ってきたから、一緒に食べよう」
フィアさんの言葉に振り返れば、部屋の扉が開かれてリースが現れました。
その手には大量の料理を載せたお盆があり、空腹を更に加速させる美味しそうな匂いを漂わせていました。そろそろ私が起きるのを予想し、食堂で色々と作ってくれていたのですね。
少し行儀が悪いとは思いますが、まだ体が重たいのでベッドの上で食事をさせてもらいましょう。
「念の為に聞くけど、それで足りる?」
「足りません」
「大丈夫。ここへ戻る前に、追加の料理を持ってきてくれるように頼んでおいたから」
質よりも量と速さを意識した料理ばかりでしたが、どれも美味しくて堪りません。
およそ四人分はあった料理が次々と消えていく中、途中から城内で働く従者の方々が料理を運んでくださったので、フィアさんが苦笑しつつ受け取っていました。
「リースは別として、貴方はまだ寝起きでしょ。そんなに食べたら逆に苦しくならない?」
「問題ありません」
「そうそう! 今は沢山食べて、少しでも早く回復しないと!」
「うん、予想以上に冷静なようね。もしかしたら、起きてすぐに城を飛び出すんじゃないかと考えてもいたから、少し安心したわ」
「正直に言わせていただくなら、今すぐにでも向かいたいです。ですがシリウス様が向かわれた大陸は数え切れない程の魔物がいる場所ですから、しっかり体調と準備を整えておかなければ、シリウス様を助けるどころか私たちがやられてしまう可能性もありますから」
シリウス様がホクトさんを除いて誰も連れて行かなかったのは、私たちが足手纏いになると冷徹に判断したからです。
それは私たちの経験不足だけでなく、単純に疲労困憊だったからでしょう。だからこそ、シリウス様は去り際に私たちへ休めと告げたのです。追いかけて来るのなら、準備をしっかり整えてからと言わんばかりに。
故に私は大人しく体を休めているのですが、ここまで冷静な理由は別にありました。
「現状を把握していないのもありますが、一番の理由はフィアさんの御蔭ですね」
「私? 別に私は何もしていないし、今はただ貴方たちを見ているだけー……」
「でも眠っていた私たちと違って、フィアさんは辛い時間を過ごしていたでしょ?」
昨日の戦いでは、遠距離からの狙撃で私だけでなく多くの方々を救う活躍を見せました。
しかしシリウス様の言葉によってフィアさんは前線で戦う事はなかったので、丸一日眠り続けていた私たちと違い、フィアさんだけはいつも通りの時間に目覚めていたと思います。
もちろん私たちが目覚めるまで看病をしてくださったのでしょうが、その間ずっと悩み続けていたに違いありません。
お腹の赤ちゃんの為にサンドールに残ったとはいえ、シリウス様の安否が気になるだけでなく、見捨ててしまったかのような後悔を感じていたと思うんです。精霊の御蔭で実力も十分あり、空をも飛べるフィアさんならシリウス様と共に戦えた筈なので、その感覚が人一倍強かったかもしれません。
「フィアさんが冷静でいるのですから、私たちが無様な姿を晒すわけにはいきません。というわけで、他の皆さんについてお聞きしたいのですが」
「え、ええ。まずレウスたちだけど、皆一緒に隣の部屋で眠り続けているわ。マリーナとリーフェルたちが見ているから、何かあればすぐに連絡が来るでしょ」
「そうですか。私より目覚めが遅いという事は、それだけヒルガンが強敵だったのですね」
「でもさっき聞いた話によると、昼前には一度起きて食事をしていたみたい」
何でもレウスとジュリア様とキース様の三人は、急に起き上がったかと思えば凄い勢いで食事を済ませてから再び眠ってしまったとか。
同じ部屋にいたマリーナによると、食事の間に何度声を掛けても返事がないどころか、黙々と食べ続けていたそうです。無意識でも栄養補給を怠らないとは……シリウス様が聞けば感心しそうですね。
例外は四人の中で一番消耗が少なかったアルベルトだけで、彼だけは昼前に目覚めたかと思えば、体が動くのを確認してからすぐに部屋を出て行ったようです。
「多少無理をしてでも彼が動いたのは、魔大陸へ向かう準備を進める為ね。今も必要な物を揃える為に、サンドールの兵たちと話し合っているそうよ」
「私もさっき様子を見るついでに軽く話してきたよ。早くても明日にはレウスたちが復活すると思うから、今の内に準備を済ませておくんだって」
「良い判断です。私は皆さんの回復速度からして、夜明けと同時に出発になると睨んでいましたから。そういえば、カレンとヒナちゃんや竜族の皆さんは?」
「命の危険はないけれど、竜族たちは全員厳しい状況よ。そんな彼等を、カレンとヒナちゃんが甲斐甲斐しく世話を焼いているわ」
空から迫る魔物たちの相手をほとんどしていたので、竜族の方々は全員が満身創痍だったようです。
生き残れたものの戦闘経験の少なかった三竜たちは重症を負い、メジア様は強敵三体を相手と相打ちに近い形となったせいで深く傷付き、数日は安静にする必要があるそうです。
一番負傷が少なかったゼノドラ様でさえ飛べるようになるにはもう少し時間が掛かるらしく、私たちは空の移動手段を失っていました。
「どうも魔法や薬では治り辛い部分までやられたみたい。でもゼノドラさんは、自分なら明日には飛べるようになると言っていたよ」
「明日……ですか。それならすぐ馬を走らせるより、あの方の回復を待つ方が魔大陸へ速く着きそうですね。では、お爺ちゃんとベイオルフは?」
あの二人も戦い続けていましたが、私の知る限り大きな怪我はありませんでした。
多少の疲れはあれど、現状で最も余力が残っていると思われるお二人は頼りにしていたのですが、フィアさんの話によると現在お二人はサンドールにいないそうです。
「貴方たちが倒れた後、中央の部隊を率いていた獣王とフォルトたちが前線に残って魔物の掃討を始めたから、あの二人はそれに参加していたのよ」
「まさかずっと戦い続けていたわけでは……」
「さすがに途中で休んではいたそうよ。でもシリウスが多くの魔物を引っ張ってくれたから、今朝になって前線を更に押し上げる事が決定されたの。最後に届いた報告によると、彼等は無事に前線基地を奪還したそうよ」
「もうそこまで……」
シリウス様の誘導とお爺ちゃんの突破力もありますが、相手にする魔物が予想以上に少なかったのも理由の一つだそうです。おそらくラムダの洗脳が解けてから時間が空いた事により、縄張り争いや捕食によって更に魔物の数が減ったからでしょう。
つまりお爺ちゃんたちは前線基地にいるので、魔大陸へ向かう前に立ち寄らなければなりませんね。
その後も細かい話をフィアさんから聞いていたのですが、お腹が膨れたせいか途中から眠気が襲ってきました。
近くにいるリースも同じようで、話は一旦ここまでにして明日に備えて休もうと、別々のベッドに潜り込んだ私たちですが……。
「…………」
「…………」
「……ふぅ」
どれだけ自分を納得はさせても、今すぐ動いても意味がないと理解は出来ても、心の奥底ではシリウス様の安否が気になってしまうのです。
静かになると無意識に悪い考えが浮かんでしまい、眠気はあるのに眠れないのが本当に苦しい。
大丈夫。シリウス様は必ず……必ず生き延びていらっしゃる。
あの御方を万全な姿でお迎えする為に、今は少しでも休まなければ……。
「……やっぱり、眠れないか」
目を閉じて何とか心を静めようとしていると、隣のベッドにいるフィアさんが体を起こしたようです。やはりフィアさんも同じ状況なのかと思っていると、突然私のベッドに誰かが入ってきたのです。
匂いと気配でフィアさんなのはすぐに判明したので抵抗はせずにいると、フィアさんは子供をあやす様に私を抱き締めてくれたのです。
「あの……」
「少しだけ温もりがほしくなったの。分けてくれる?」
「……はい」
フィアさんが我儘を言っているように聞こえますが、これは私の為に嘘を吐いているのでしょう。寂しさや不安に押し潰されそうな時は、人肌によって救われる場合がありますから。
「リース、貴方もいらっしゃい」
「……うん」
城内にあるベッドは大きいのですが、さすがに三人となると少し狭いかもしれません。
ですが……今はそれが心地良い。
触れた先から感じられる二人の温もりと思いやりに心が徐々に落ち着いていくのを感じながら、私の意識はゆっくりと沈んでいくのでした。
翌朝……まだ周囲は薄暗く、起きるには少し早過ぎる時間帯に私は目覚めました。
隣で安らかな寝息を立ててたリースとフィアさんも私に続いて目を覚ましたので、お互いに挨拶を交わしつつベッドから起き上がります。
「ふぁ……おはよう」
「おはようございます。リース、体調はどうですか?」
「ん……大丈夫。私は魔力の使い過ぎと、寒さで体がやられていただけだから」
「私も完全とは言いませんが、戦闘に支障はない程度には回復しました。これなら問題はないでしょう」
レウス程ではありませんが、私も銀狼族の娘。回復に数日は必要な疲労や傷も、すでに八割くらいは癒えたようです。
後はレウスたちの様子と必要な物の準備ですが、先に着替え……ですね。
寝衣と思われる薄手の服を脱いていつもの服に着替えようとしたところで、扉がノックされてリーフェル様とセニアさんが現れました。
「貴方たちが起きたってセニアから聞いて来てみたけど……うん、元気になったようね」
「はい。昨日からずっとお世話になったようで、本当にありがとうございました」
「あはは、そういうのは私じゃなくてほとんどセニアがやってくれたから、お礼ならそっちにね。それより着替えなら、まず体を拭いてからにしたらどう?」
「皆様、どうぞこちらを。私もお手伝いします」
セニアさんがお湯を持ってきてくれたので、ここはありがたく使わせていただきましょう。
そして体を拭き終え、髪を梳いて一通りの身嗜みを済ませた私たちは、レウスたちがいる部屋へと向かいました。
あの子たちは私以上に傷つき、何度も限界を越えながらも戦っていたので、回復が間に合わない可能性もありましたが……どうやらそれは杞憂だったようです。
「んぐ……んぐ……キース! それは俺の肉だ!」
「肉の一枚如きでうるせえな! いいからお前はそっちのを食ってろ!」
「追加をもっと頼む! もちろん全て特盛だぞ!」
彼等は眠っているどころか部屋の中心にあったテーブルに着き、凄まじい勢いで食事を進めていたからです。
少々行儀が悪い食べ方が気にはなりますが、彼等の表情に疲労は感じられず、寧ろ元気が有り余っているようにも見えました。
「あ、姉ちゃん! 起きたんだな!」
「ええ。貴方は行けますね?」
「当然だ! まだちょっと痛いところはあるけど、向こうへ着くまでには慣らしとく。ジュリアとキースはどうだ?」
「私は問題ない。何時でも戦える!」
「俺もだ! 片腕がちょいと痺れているが、これくらいなら問題はねえ!」
何とも頼もしい発言ですが、やはり私と同じく万全とまではいかなかったようですね。傷はほとんど癒えても、動きに若干のぎこちなさが見られますから。
しかしこれ以上休憩を続けても気が休まらないので、今日中に出発するべきでしょう。
まだ三人は食事を続けるそうなので、続いて私たちは魔大陸へ向かう準備を進めているという、城内の中庭へとやってきました。
そこには多くの兵士たちが駆け回り、持っていく物資の確認をしているアルベルトとマリーナの姿があります。
「これは……もっと必要そうだな。あちらの荷物を少し降ろして、こちらをもう二、三箱追加しておいてください」
「兄上、この荷物はどうー……あ、エミリアさん!」
「お二人とも、お疲れ様です。作業は順調のようですね」
「はい。私なりに考えて必要な物を纏めてみましたが、エミリアさんから見て足りない物はないでしょうか?」
「そうですね……十分だと思います。今回は救出作戦ですが、必要な物はしっかりと纏めてあるようですね」
中庭の中心には一台の大きな馬車が置かれており、それに武器に食料、そして医療道具や拠点を作る為といった様々な物資が積まれていました。
アルベルトに言われて私の方でも簡単に確認はしてみましたが、不足しているような品は見当たらないですね。時間の余裕はそこまでなかったと思うので、実に見事な仕事ぶりです。
とはいえ馬車一台に物資をかなり載せているので、馬車自体が潰れないにしろ動かすのが大変そうですが、その問題は中庭にいる御方がいれば解決するでしょう。
「ゼノドラ様。もうお加減はよろしいのですか?」
『うむ。何とか飛べる程度にはな。可能であればメジアと三竜たちもと思ってはいたが、やはりあいつ等は間に合わなかったようだ。肝心な時にすまぬな』
「十分です。主に変わり、手を貸してくださるお礼を改めて申し上げさせていただきます」
『礼などよい。友を助けに行くのだから、私は力を惜しむつもりはないぞ』
一番の悩みでもあった、ゼノドラ様の復活が間に合って良かったです。竜の巨体さもありますが、その堂々とした立ち振る舞いは頼もしいの一言ですね。
これで荷物の輸送どころか、前線基地と魔大陸まで一気に向かう事が出来ます。
後はいつ出発するかですが、それを考える必要はなさそうです。
「待たせたな、姉ちゃん!」
「私たちは準備完了だ。いつでも行けるぞ、エミリア殿!」
食事を終え、装備も整えたレウスたちがやってきたので、これで魔大陸へ向かう者たち全員が中庭に揃いました。
二日前に戦った魔物たちがほんの一部に過ぎない、未知の大陸へ戦いに行くというのに、誰一人として臆している様子はありません。
頼もしき家族と仲間たちを改めて見渡しながら、私は高々と宣言しました。
「では、これよりシリウス様の救援に向かいます。皆様、どうかよろしくお願いします」
魔大陸へ向かうのは私とレウスに、リースとジュリア様。そしてキース様とアルベルトとマリーナになります。
後は戦闘だけでなく様々な分野に長けたジュリア様の親衛隊の精鋭が十人程度と、これから前線基地で合流する予定のお爺ちゃんとベイオルフとなります。
私の宣言でゼノドラ様の背に皆が次々と乗り込む中、私とリースは見送りの為に下がろうとするフィアさんへと歩み寄りました。
「どうしたの? ああ、カレンとヒナちゃんならまだ寝ているから、伝言があるなら……」
「いえ、フィアさんも……一緒に行きませんか?」
「え? そりゃあ行きたいかと言われたら……ねぇ。でも今の私はこの子を守らないといけないから」
「シリウス様の願いもありますから、その判断は間違っていないとは思います。ですが、母親としてではなく女性としてはどうなのでしょうか?」
「だよね。赤ちゃんがいるにしても、何だかフィアさんらしくないと思うの。昨日はシリウスさんに父親がいない子にしないでと言ったけど、いつものフィアさんなら待つだけじゃなくて、シリウスさんも守ろうとするんじゃないかなって……」
何も知らない子供の勝手な戯言でしょうが、そもそもフィアさんは何かあればじっとしているような性格ではありませんので、ただ待つだけの方が心に負担が大きそうな気がします。確かシリウス様がそういうものを『すとれすが溜まる』と口にしていました。
そしてお腹が大きく膨らんで動けないのならばわかりますが、妊娠はまだ初期段階であり、多少の運動は必要だとも聞きました。
魔物の巣窟へ向かうのが多少で済むとは思いませんが、それは私たちが頑張ればいいですし、シリウス様を迎えに行くという心の平穏の方が赤ちゃんに良い気がするのです。
それにあまり考えたくはありませんが、私たちが失敗して誰も戻れず一人残される状況になってしまえば、命があったとしても辛過ぎます。
「フィアさんは私たちが守ります。そして無理のない範囲で、私たちを守ってください」
「後でシリウスさんから怒られそうだね。でも私たちはちゃんと休んで戦力は整えたし、本当に駄目そうだったら一度下がればいいでしょ?」
「はい。シリウス様がどこにいるかわからない以上、どこかに拠点を作って退路もしっかり確保する予定ですからね。迅速に……そして確実にです」
「……全くもう。そこまで言われちゃったら、じっとしていられないわね」
シリウス様には後で怒られそうですが、それは覚悟の上です。
何故なら私たちは家族ですから、やはり皆さんで貴方の下へ向かいたいですし、もし最悪の結末が待っていたとしても、皆で全力を尽くしてから後悔をしたい。
倒れるのであれば前のめりに……です。
こうしてフィアさんも加わる事が決まったところで、近くにいたリーフェル様が小さく笑いながら頷いていました。
「そう、貴方も行くのね」
「ええ。皆でシリウスを迎えに行って来るわ」
「なら準備が必要ね。セニア!」
「どうぞ、フィア様」
聖樹製の弓であるアルシェリオンは持っていても、防具やマント類は外していたので部屋に戻る必要がありましたが、セニアさんが持ってきていたので手間が省けました。いつの間にと苦笑しながら受け取るフィアさんですが、私としては見習うべき技ですね。
少し時間を取ってしまったので、急いでゼノドラ様の背に乗った私は、全員いる事を確認してから号令をかけました。
「ではゼノドラ様、よろしくお願いします!」
『了解した。各々、しっかり掴まっているのだぞ』
そして用意していた馬車を手で抱えたゼノドラ様は翼を広げ、中庭からゆっくりと飛び立ちます。
吉報を待つリーフェル様たちと、次に備えて引き続き物資の準備を進める多くの方々に見守られながら、私たちはサンドールを出発しました。
最初の目的地である前線基地は馬で半日程の距離ですが、ゼノドラ様が飛べばすぐでしょう。
風を体に受けつつ到着まで静かに待ち続けていると、ふと背後にいるレウスの様子が変な事に気が付きました。
レウスの愛用の剣は昨日折れてしまったので、今は予備の剣を背負っているのですが、先程からその剣の柄を何度も握ったり離したりを繰り返していたのです。
「うーん……やっぱりこの剣、ちょっと軽いなぁ」
「私の剣の予備はそれで最後だ。物足りなくて申し訳ないが、気をつけて使ってほしい」
「ああ、気をつけるさ。でも、少し素振りして慣れておくー……」
「こんな所で振るっちゃ駄目だからね!」
「わ、わかってるって!」
今度は一緒に行くと、半ば強引についてきたマリーナに叱られているレウスの光景を、皆さん笑いながらも暖かい目で眺めていました。
少し呑気とは思いますが、これで普段通りの力を出せるのなら一向に構いません。シリウス様はいつもこんな風に私たちを見守っていたのでしょう。
到着までもう少しかかりそうなので、私は出発前に用意していただいた、第一防壁周辺の地図を取り出しました。
「それが魔大陸に一番近い地図なんだ。うーん……でもこの地図じゃ魔大陸がわからないから、あまり意味はないんじゃない?」
「現場を見てから改めて考えますが、まずはこの辺りに拠点を作ろうと考えているんです」
直接魔大陸に乗り込むのも手ですが、シリウス様の捜索が長引く点も考えて安全な場所を確保するべきでしょう。
シリウス様が生き延びる為にどこへ向かい、どのように行動するのか……そんな、私が考え得る全ての可能性を想定しながら地図を眺め続けていると、前線基地が見えてきたとの報告がありました。
ゼノドラ様が前線基地前に着地すると、まだ早朝と言える時間帯でしたが獣王様とフォルト様が出迎えてくれました。
そのまま基地と部隊の状況と周辺の魔物について話した後、今度はこちらについて聞かれましたが、私は説明をジュリア様にお任せして前線基地内へと入りました。時間が惜しいので、早急にお爺ちゃんとベイオルフを回収する為です。
正確に計ったわけではないのですが、昨日はここまで討伐した魔物の半分以上はお爺ちゃんが斬り捨てたとか。
そんな頼りになるお爺ちゃんを連れて行かない理由はありません。すでに十分過ぎる活躍はしたので休ませてあげたいところですが、お爺ちゃんの場合は連れて行かない方が怒るでしょう。
というわけで部屋の一室で眠っているお爺ちゃんを強引に起こし、寝惚け眼のお爺ちゃんの腕を引いて私は外に出ました。
「ぬぅ……エミリアよ……もう少し……」
「眠るなら移動しながら出来ますよ。そちらの皆さん、申し訳ありませんが馬車の整理を手伝ってもらえますか?」
「「「は、はい!」」」
持ってきた物資の一部を前線基地に降ろしたので、お爺ちゃんが眠る場所くらいなら確保出来るでしょう。
親衛隊の方々に手伝ってもらいながら、馬車内を整理してお爺ちゃんを寝転がしたところで、いつの間にかやってきていたベイオルフが微妙な表情で私たちを眺めていました。
「……あの人をそんな荷物みたいに扱えるのって、たぶんエミリアさんだけですよ」
「事情が事情ですので、少々乱暴にやらせていただきました。ベイオルフ、これからシリウス様を探しに向かいますが、手を貸していただけますか?」
「も、もちろんです!」
その頃になると獣王様たちへの説明は終わっていたので、お爺ちゃんとベイオルフを加えた私たちは再びゼノドラ様の背に乗って魔大陸へと向かうのでした。
魔大陸の目の前にある第一防壁に向かう間、私たちはベイオルフに現状を説明しつつ、今後の動きを改めて確認しながら話し合いを続けていました。
「ええ、僕も同意見です。あのシリウスさんがそう簡単にやられるとは思えませんから、探す意味はあると思いますよ」
「でも、あれから何の連絡もないのが気になるんだよね」
「何らかの事情で魔法が使えないか、意識がないという可能性もあります。目と鼻だけでなく勘も働かせ、私たちの持てる能力を全て駆使して探しますよ」
再び魔大陸近くの地図を片手に、シリウス様の気持ちになって行動を予測しましょう。
皆さんにも意見を伺いながら内容を纏めていると、話し合いに参加しながらも地上の様子を眺めていたフィアさんが報告をしてきました。
「うん……地上の魔物は前線基地で聞いた通りね。どこも数が大きく減っているから、今後の進軍も難しくはなさそうだわ」
「ではエミリア殿の予定通り、第一防壁を奪還してしまうか? こちらの数は少なくとも、我々なら問題はあるまい」
「ええ。一度周囲を旋回して全体を確認してからですが、その方針で進めましょう。魔大陸に近づくのはその後です」
第一防壁を奪還するという事で、ジュリア様と親衛隊の方々がやる気に満ち溢れているようですね。
シリウス様は魔大陸を脱出したものの、第一防壁で休んでいる可能性もありますから、拠点確保も含めて立ち寄るべきでしょう。
しばらく空の移動が続き、ようやく第一防壁と海が見え始めたところで、ゼノドラ様に少し高度を落としてもらい、第一防壁の上空を何度も旋回しながら地上の様子を確認しました。
「ジュリア様。周辺の魔物……少数! 群れも僅かです!」
「第一防壁周辺も魔物が少数! 目立った大型も見当たりません!」
「よし、どんなものでもいい、怪しいものがあればすぐに報告しろ!」
「あれが魔大陸なのね。うん……見たところ、特に気になるようなものは感じないわね」
「おい、報告にあった道はどこだ? それらしいもんが見当たらねえぞ」
手分けしているので様々な情報が一斉に届きますが、最も気になったのはキース様の疑問でした。
そう、魔大陸とこちらの大陸を繋いで魔物を大量に流入させたという道が、今は影も形も見当たらないのです。
その状況に皆さんも疑問に思い始めたので、すぐにジュリア様がこの辺りに詳しい親衛隊の一人に話を聞いていました。
「ここから逃げ伸びた伝令の話によると、道は第一防壁の正面に突如現れたと聞きました。その大きさも、離れていても一目でわかるくらいに巨大だったそうです」
「けど見当たらないって事は、師匠たちが壊したのか? あるいは海流によって崩れた可能性も……」
「でも兄上、魔物が大勢渡る為の道なんでしょ? いくら海流が凄くても、十日くらいでここまで綺麗に壊れるとは思えないんだけど」
「……兄貴たちだ。兄貴とホクトさんが破壊したんだよ」
様々な憶測が飛び交う中、その橋があったと思われる浜辺をじっと眺めていたレウスがはっきりと断言していました。その点については私も同意見ですね。
一部の者はどうやって壊したのかと首を傾げてはいましたが、おそらく道を破壊したのはホクトさんでしょう。
「ホクトさんはそういう必殺技を持っているからな。あそこまで綺麗に破壊出来てもおかしくねえ」
「魔物が少ないわけですよ。あんな状況だったのに、シリウスさんはやり遂げていたんですね」
「本当に誇らしいです。ですが重要なのは、あれが破壊されているという点です」
常に先を見据えているシリウス様ですから、この道を破壊した時期は魔大陸へ渡ってすぐではないと思うのです。
ホクトさんより足の遅い魔物は多いので、シリウス様が引っ張った魔物たちがサンドール側から魔大陸へ渡り終えるには少なくとも数日は要するでしょう。
つまり、シリウス様は可能な限り魔大陸に滞在し、その後でホクトさんに道を破壊させた筈なので、ここから遠くへ行っていない可能性が高くなりました。
「あの辺りにシリウス様に関する手掛かりがあるかもしれません。一度浜辺に降りてみましょう」
「それは構わねえけどよ、あの場所の奪還はー……」
「ぬりゃああああぁぁぁぁ――――っ!」
拠点の確保と、シリウス様の軌跡へ真っ先に向かいたい気持ちに迷ったその時……聞き慣れた雄叫びが真下から響き渡りました。
お爺ちゃん、どうやら目覚めたみたいですね。
それは一向に構わないのですが、私たちが何か言う前にゼノドラ様が抱える馬車から飛び降りてしまったので、皆さんも呆気に取られているようです。
「そういえばお爺ちゃんを馬車へ乗せる前に、あそこを拠点にするような話もしていましたね。寝惚け眼でしたが、きちんと聞いていたのですね」
「また勝手な事を。というか、あの人も下りるまで待てばいいのに……」
「ライオルの爺ちゃんが高い所から下りるのなんて今更じゃねえか。仕方ねえ、追いかけるぞ」
「待ってくれ。剛剣殿が向かわれたのであれば、全員で行く必要はない。あちらは私たちに任せて、エミリア殿たちは浜辺に向かってくれ」
「俺も王女様について行くぜ。細かい探し物とか苦手だしよ」
「ならば私も行きましょう。剛剣殿は私たちが見ているので、ベイオルフ殿はそちらをお願いします」
ジュリア様の言葉も一理ありますので、今回はお言葉に甘える事に決めました。
戦力を割くのは良策とは言えませんが、ここはまだ魔大陸の外側ですし、向こうはお爺ちゃんに加えてジュリア様と親衛隊に、キース様とアルベルトがいれば十分でしょう。
一度浜辺の上空まで移動し、更に高度を落としてもらったところで私たちはゼノドラ様の背から飛び降りました。
「よし! しっかり掴まっていろよ!」
「はぁ……こういう事にもう慣れつつある自分が怖いかも」
そこまで高くはないので私とベイオルフは単身で飛びましたが、フィアさんはリースを風で運び、レウスはマリーナを抱き抱えたまま飛んでいました。
浜辺なので衝撃も少なく着地出来た私たちは、まず周辺にいる魔物たちを倒し、安全を確保してから手掛かりを探し始めたのです。
「うーん……駄目だな。ここを通ったのは間違いないと思うんだけど、兄貴の匂いは古いのしか残ってねえや」
「魔力の流れが少し変だってナイアが言っているね。ホクトさんがあの必殺技を放ったせいかな?」
「口から魔力の衝撃波を放つやつでしょ? ここから魔大陸まで届くんだから、ホクトの消耗も大きそうね」
「僕は鼻も魔力感知も駄目ですから、周辺の警戒に集中します……って、エミリアさん? ぼーっとしてますけど、何かあったんですか?」
「魔物がやはり少な過ぎる気が……いえ、何でもありません。ではベイオルフ、皆の分まで警戒をお願いします」
皆さんが手掛かりを探す中、私もまた集中力を高めながら浜辺を歩き回っていました。
匂いだけでなく、あの御方を求める本能的な感覚を最大まで高めておりますが、やはり何も感じられません。
やはり……無駄足だったのでしょうか?
魔大陸から脱出し、どこかで休まれているシリウス様やホクトさんが……というのはさすがに高望みし過ぎですね。
シリウス様……貴方は今どこに?
何でも構いません。どうか私を貴方の下へ導くものでも見つかれば……。
「………………これは!?」
その瞬間……風の流れが僅かに変わった事で気付いたのです。
すぐに風の流れは元に戻りましたが、その一瞬に感じた匂いと、言葉に出来ない感覚を私は見逃しはしませんでした。
気付けば私の足は動き出し、浜辺に沿って全力で走っていました。
一歩遅れてレウスも駆け出し、リースやフィアさんが何か叫びながら追いかけてきましたが、私は風の魔法で加速して皆さんとの差を更に広げます。
そして途中にある岩礁地帯を越え、壁のように並ぶ岩を飛び越えた先にある浜辺で……。
「あ、あぁ……」
力なく倒れたシリウス様と、主に寄り添うように眠るホクトさんを見つける事が出来たのです。
ぶつ切りな感じですが、文量の調整で一旦ここで切ることにしました。
そしてこういう場合、もう少し時間を掛けたり、苦労をしてシリウスを見つけるものだとは思いますし、少々拍子抜けな部分もありますが、一応救出話にはまだ続きがありますので、明日の更新をお待ちください。
初期案ではエミリアたちも魔大陸へ向かわせる案もありましたが、そこでの戦いを描くと締め切りに間に合わー……いえ、大人の事情と、色々と話の流れも難しくなりそうなので止めました。




