魔大陸
※2022年 8月24日 更新分 1/1
念の為に、もう一日だけ注意文を。
8/23日から始まりましたが、この物語が完結するまで連日投稿となります。
話によっては内容や区切りの問題で、一日に時間を空けて2回更新する予定もありますので、読み飛ばし等に気をつけてください。
各話の前書きに、更新日付と更新回数も書いていますので、そちらを参考にどうぞ。
皆へ背中を向けつつホクトの背中に乗った俺は、手にした魔石を上に掲げながら魔力を流す。
その瞬間、奇妙な感覚が周囲に広がったかと思えば、ホクトだけでなく獣人たちが何かを感じたかのように耳や尻尾の毛を僅かに逆立てていた。
魔石自体はただ淡く光っただけだが、その効果は絶大のようだ。何せ拠点を作る為に周囲の魔物を掃討している戦闘音が明確に小さくなったのだから。
ただ……。
「これは……予想以上のじゃじゃ馬だな」
ラムダからこいつの扱い方は教わっていたので、まずは試しとばかりに魔力をほんの少し流しただけなのだが、途中からもっと寄越せと言わんばかりに魔石の方から俺の魔力を吸い始めたのである。
こちらから意識して魔力を断てば止まったが、数秒間発動させただけで魔力をかなり持っていかれた。こんな燃費が悪い代物、元から膨大な魔力を秘めた者か、何かしらの手段で魔力を回復出来る奴しか使えそうにない。この作戦が俺にしか出来ない理由がまた一つ出来てしまった。
「最早道具どころか生物みたいだな。だが、上手く調整すれば……」
ラムダたちは自身の肉体に刻んだこいつと同じ魔法陣で魔物たちを操っていたが、連中はそこまで複雑な命令は出していない筈だ。
全体の動きからしておそらく、陣形を維持する為に一定の距離感を保つ、そして近くに敵がいない限りは愚直に前進……といったところか。そして空の魔物たちはただ防壁を狙えといった感じだろう。
だから俺が魔物たちへ飛ばす命令は、とにかく単純かつ少なくする。そうすれば魔力の消耗が減り、その分だけ長く、広範囲に指示を届かせる事が出来ると思う。
「命ずる……」
更に一度発動させた事により、こいつの制限や扱い方が色々と理解出来た。
どうやら魔物の本能を捻じ曲げるような命令になる程、魔石の負担や消費魔力が大きくなるようだ。ちなみに先程の試運転で飛ばしたのは『魔大陸へ向かえ』という命令だったが、この魔石一つでは負担が大き過ぎる。
だからこそ、魔物への干渉が少ない命令は……。
「お前たちの獲物は……俺だ!」
生きる為に、獲物を喰らうという本能の指向性のみを弄る。
魔石が発動し、その指示が広範囲に飛ばされたその瞬間、周囲の魔物たちが一斉に俺へと振り向いた。正に飢えた狼の群れだ。
何らかの衝撃によって命令が届かなかったり、種族や個体差によって効果に差はあるようだが、少なくとも範囲内の大半は釣れたと思われる。
「左翼からだ」
「オン!」
俺は魔石の維持に集中する必要があるので、他はほぼホクト頼みとなる。
つまり俺以上にホクトの負担は大きい。それでも自信満々に一吠えしたホクトは地を蹴り、指示通りやや前方左翼側へと向けて駆け出した。
多少は倒されたとはいえ、未だ減ったとは思えない数の暴力の真っ只中をホクトは速度を落とす事もなく駆け抜けていく。
「十分だ。大きく回り込みながら行くぞ!」
「オン!」
俺を獲物と認識した魔物たちの群がる勢いは凄まじい。
とはいえ今回は全てを相手にする必要はない。百狼の身体能力を生かした速度と力を以て、立ちはだかる魔物だけを避けたり枯れ葉の如く吹き飛ばしているのだが、その動きに僅かながら衰えが見える。さすがのホクトも、朝からの戦闘続きで疲れが出ているようだ。
「この規模の囮役は、さすがに初めてだな」
「……オン」
「ああ、臆してなんかないさ。ホクト……頼むぞ!」
「オン!」
前世にて、若かった俺と犬が一緒に仕事をしていた頃を思い出す。
あの時はまだお互いに経験不足もあり、危機に陥いるどころか死を覚悟した事が何度もあったが、今は経験だけでなく前世をも遥かに上回る力を得ているのだ。
だからどれ程無茶な作戦であろうと、不可能では決してない。
後はどれだけ多くの魔物を引き連れ、仲間たちの負担を減らせるかどうかだ。
「二時方向へ修正! 続いて十時方向!」
『オン!』
ここから魔大陸までは馬車でも数日分の距離はあるのだが、ホクトが本気で走ればすぐに到達出来るだろう。
だが今回は多くの魔物を引っ張る必要があるので、敢えて走る速度を落としたり、隅々まで魔石の命令を届かせる為に左右へと蛇行しているので、地上だけでなく空から迫る魔物も多く相手にしなければならなかった。
ここまで来るとさすがにホクトだけでは対処が厳しくなってきたので、俺も魔石に魔力を注ぎながら投げナイフや『マグナム』を放って援護をしていた。
『オン!』
「構うな、走れ!」
無理をするなと言わんばかりな吠え方だが、お互いが生き延びる為にも負担は可能な限り平均化するべきだろう。片方が先に倒れてしまえば、連鎖するようにもう片方もすぐに潰れてしまうからだ。
その後も乱戦による予想もしない攻撃で勢いが止められそうになったものの、走り続けた俺たちはかつて過ごした前線基地に到着した。
「放置か。まあ奴にとっては邪魔な壁に過ぎなかったわけだからな」
連日の戦いで全体的に劣化していた前線基地だが、あれから明確に破壊されていたのは防壁の正門だけだった。
ラムダからすればただの通過点であり籠城という考えはなかったのか、魔物を配置していた様子はなさそうだ。これならば後に行われる基地の奪還も難しくはないだろう。
そして今の俺も拘る理由はないので、速度は緩めずただ通過するだけである。
魔物を薙ぎ払いつつ正門から堂々と前線基地を抜け、数日に亘って戦い続けた防壁前の戦場に出れば、そこは魔物たちが好き放題に暴れ回る混沌の地と化していた。
あちこちで縄張り争いのように組み合い、食事の為に小物の魔物を追い回したりと、正に世紀末だと口にしたくなる地へと飛び込めば、目に見える範囲の魔物たちが一斉にこちらへと振り返る。魔石の力はまだ好調のようだ。
「いい調子だ。さあ、もっと来い。お前たちの獲物はここだぞ」
背後からも追って来る魔物たちもいるので、立ち止まる暇はない。
前線基地を抜け、更にその先の第二防壁も通った俺たちは、遂に防衛だけでなく魔大陸を監視するのが主となる第一防壁へと到着した。
相変わらずこちらも魔物が好き放題に動き回っているが、まず気になったのは魔大陸を繋いだと聞いた道である。
兵の報告によると突然海中から道が現れたそうだが、実際に見て確認したところ、魔法で海底を隆起させて道……岩の橋を作ったと思われる。海流は結構激しいどころか、そもそも魔大陸までは船がなければ難しい距離なので、これ程の規模の橋を作るのにどれ程の魔力を使ったのか想像もつかない。
とにかくこの橋を何とかしなければ魔物の流入が止まらないので早急に破壊するべきだが、まだその時ではない。
「さて、お客さんにはお帰り願うとするか」
引き連れた魔物たちと共に魔大陸へ移動し、可能な限り魔大陸へ送り返した後で橋を壊す。
やるべき事は単純であるが、ここまで引っ張ってきた魔物たちがこの橋を渡り終わるまでの間、魔大陸内で生き残らなければならないという、実に難易度の高い話でもある。
しかもすでに夜の時間帯に突入している上に、この魔石が壊れるまでは延々と魔物を呼び寄せてしまうので、夜を徹して動き続けなければなるまい。
「ふ……はは……」
「オン」
「ああ、ここまで来たら逆に笑いたくもなるさ。さて、魔大陸の歓迎はどんなものやら」
こんな状況だというのに何故か笑いが漏れてしまう自分に呆れつつも、俺はホクトと共に大陸間を繋ぐ岩の橋へと突入するのだった。
岩の橋を渡り、初めて魔大陸に足を踏み入れて真っ先に感じたのは、空気の違いだ。
匂いや気候が変わったとかそういうものではない。この魔大陸に存在するのは人外のみであり、ここは人が足を踏み入れる地ではないと思わせる、そんな言葉には出来ない独特な空気である。
こんな魔物の巣窟を開拓しようものなら、一体どれ程の時間と費用……そして犠牲が必要なのか想像もつかない。
「随分と広そうな大陸だ。俺の知らない魔物も多そうだな」
すでに日は完全に落ちてしまったが、俺は魔力の調整で夜目をきかせているし、ホクトは百狼による超感覚があるので、夜間でも移動に関して問題はほとんどなかった。
ふと浜辺から近くの森や大陸の中心へと意識を向けてみれば、今まで感じた事のない魔物の気配を無数に感じた。本来なら夜間では下手に動くべきではないが、後方から多くの魔物が追いかけてきているので前へ進む他ない。
まずは魔大陸の海岸沿い……つまり大陸の外周に沿って移動し、サンドールから誘導した魔物たちが橋周辺で渋滞しないように前へ進み続けた。
「……この辺りか。そろそろ方角を変えるぞ」
「オン!」
危険だと承知しつつ魔大陸の奥へ進むのは、魔物を誘導する他に確認しておきたい場所があるからだ。
ラムダからの情報によると、魔大陸のどこかに一つだけ溶岩が噴き出している山があるらしく、俺たちはその活火山を目指していた。初めて訪れる大陸なので正確な位置はわからないが、ホクトの鼻を使えば探すのは難しくないだろう。
襲い掛かってくるお客さんの相手をしながら外周から内陸へと方角を変え、更に幾つもの森や山を越えたところで、草木の生えない岩場地帯へと入った。同時に気温も急激に上昇し始めたので、目的地である火山付近に近い証拠だな。
「ここか。聞いていた以上に広いな」
そのまま道なき岩場を進み続け盆地のような場所に出れば、そこには岩盤を大雑把に削って作られた巨大な製鉄所らしきものがあった。
こんな場所に文明が築かれているのは、もちろんラムダの手によるものだ。おそらく大陸を繋いだ橋と同じく、膨大な魔力による力技で作ったのであろう。
製鉄所だとすぐに理解出来たのは事前にラムダから聞いていたのもあるが、火山から流れる溶岩を使って鉄鉱石を溶かすような仕組みがあったからだ。サンドールを攻める魔物たちが持っていた出所不明の武器はここで作られていたわけだな。
すでに捨てられた場所なのか、魔物が適当にうろついているだけである。
現状を考えると無視すべき場所だろうが、知恵のある魔物がこの場所を利用するような未来は早めに潰しておきたかった。魔物が自ら辿り着いたのなら別だが、人の介入で生み出されそうな火種は可能な限り消しておくべきだろう。
「オン!」
「いや、お前の出番はまだだ。今回はあれを利用するとしよう」
はっきり言ってこの製鉄所は広く、使用不可能にするには上級魔法を数発分か、大量の爆薬を仕掛ける必要がありそうだ。
だがこの場に限ってはそう難しい話ではあるまい。鉄を溶かすのに溶岩を使っているのなら、そいつをこの一帯に流し込んでしまえばいいのだから。
「狙いは……そこか。上手くいってくれよ」
魔物から断続的に襲われる状況によって体力も魔力も碌に回復が出来ず、すでに『アンチマテリアル』を放つ余裕はない。
だから最後の一枚となった魔石製のカードを使う事を決めた俺は、高台へと避難しながらとある壁を目掛けてカードを投げた。
魔石の魔力を全て使った『インパクト』による衝撃波は硬い岩盤をも軽々と砕き、大きく開いた穴から溶岩が吹き出す。その勢いは凄まじく、広い製鉄所があっという間に溶岩で埋められていく。
「これでいい。さあ、また逃げるか」
「オン!」
高台に避難した俺たちを追っていた魔物も溶岩に巻き込めたので、今なら多少は息を吐けそうだ。
それでもすぐに魔物は集まってくるので、製鉄所が溶岩で埋め尽くされたのを見届けたところで、俺たちは再び夜の闇を駆け続けた。
その後も俺たちは、生き残る為に戦い続けた。
魔石の維持と、迫る魔物への対処以外の思考は捨て、魔大陸内を常に駆け回りながらホクトと共に戦ってきたが、夜が明け、昼を過ぎたところで違和感を覚えて意識を呼び起こす。
「限界……か」
この言葉は最も負担を担っているホクトだけでなく、手にした魔石に対してだ。
小さかった罅は大きく広がり、今にも魔法陣に届くどころか魔石自体が砕けそうな状態である。
数秒後にはただの石に成り果てるのみだが、どうせなら完全に砕こうと判断した俺は、魔力を一気に流し込むと同時に魔物たちが最も密集している地点に魔石を放り投げた。
魔力の過剰注入によって空中で粉々に砕け散った魔石だが、その分だけ効果は何倍にも高まったのだろう。軽い衝撃波が広範囲に広がったかと思えば、魔物が放つ雄叫びの凶暴さが明確に上がったのである。
「不味ったな。予想以上の効果が……」
「クゥーン……」
多少後悔はしたが、あの魔法陣が描かれた魔石はきっちりと処分出来た点は良しとしよう。あの技術は、今の人々が手にするには早過ぎるからな。
凶暴さが増した魔物たちの猛追撃に思わず冷や汗が流れるが、魔石がなくなった以上はこの魔大陸に長居する必要はなくなった。
後は魔大陸を脱出して橋を壊すだけだが、その前にもう一つだけやらなければならない事がある。
事前に聞いていた、魔大陸のとあるポイントにホクトを向かわせていたが、背後から猛烈な勢いで追いかけて来る魔物たちにホクトが何か迷うような素振りを見せた。
「……オン!」
「速度は維持したままだ。気にせず駆けろ!」
ラムダから聞いた聖樹を求める者は内陸の小さな洞窟の奥にいるらしく、その洞窟には俺一人で飛び込むつもりだった。
ここまで来て別れるのは、ホクトには別の仕事を任せているからだ。自分も大仕事があるのに俺を心配するホクトであるが、これから向かう洞窟内に入れば大型の魔物は入れないので、それなら俺一人でも対処は可能だろう。
とにかく洞窟の入口を確認したら、ホクトから飛び降りるタイミングを間違わないように構えていたが、目的の洞窟を見つけたところで俺は咄嗟に叫んだ。
「止まれ!」
急な指示でありながらもホクトは地面を削りながら速度を落とし、洞窟の手前で止まってくれた。
魔物に追われている状態で足を止めるのは致命的であるが、今回はその判断が間違いではなかったようだ。
何せあんなにも執拗に俺たちを追いかけていた魔物たちが洞窟の少し手前で動きを止めたかと思えば、悔しそうに唸り始めたのだ。まるで見えない壁があるかのように、そこから一切近づいてこない。
こんな場所に拠点を作っているのだ。魔物が近づかないような対策がされているという可能性は考えていたが、それは予想以上に強かったようだ。何せ魔物の本能ですら捻じ曲げ、完璧に寄せ付けない程なのだから。
何にしろ、急いで洞窟に飛び込む必要はなさそうだ。洞窟の方からも何も反応はないし、俺はゆっくりとホクトの背から下りながら深く息を吐く。
「ホクト、よくやってくれた」
「オン……」
「ここなら多少は安全そうだ。少し休んでから、お前は最後の仕上げに向かってくれ。苦労をかけるな」
ホクトがいなければ俺はここまでの無茶は出来なかったし、多くの魔物を魔大陸へ誘導する事は出来なかった。
この戦いが始まってから最も活躍してくれた相棒の頭を労わるように撫でていると、不意にホクトが真剣な目をこちらへ向けてきたのである。
俺一人で洞窟に入るのが心配なのもあるのだが、本当にそれでいいのかと心配している目だ。
「クゥーン……」
「わかっているさ。だがラムダから聞いた通りの相手なら、俺一人の方がいい」
ホクトの心配は尤もであり、本来なら無理はせずに一度引き返し、体調を万全にしてから仲間たちと来るべきだとは理解している。
それでも俺が一人で向かうと決めたのは、可能な限り早く対処を済ませておくべき存在であり、そして先を見据えた意味もあった。それに、中型の馬車が辛うじて通れそうなこの洞窟では、ホクトの巨体だと動きがかなり制限されてしまうからな。
「何かあれば合図を送る。見逃さないでくれ」
「……オン!」
随分と毛並みが乱れ、汚れも相俟って捨て犬のようなホクトの姿に後ろ髪が引かれてしまうが、俺はそれを振り切り単身で洞窟へと向かうのだった。
奥へ進みながら内部を『サーチ』で調べてみたところ、そこまで大きい洞窟ではないようだ。だが壁の中に魔力を弾く何かがあるのか、一部は『サーチ』では調べられない箇所もあるようだ。
途中に分かれ道が数か所はあるようだが、迷路と呼ぶ程の複雑さはないし、敵も罠も一切見当たらないので、特に足止めされる事もなく俺は順調に前へ進んでいた。
岩盤がしっかりとした地底湖の横目に進み、緩やかな下り坂をしばらく歩いたところで、洞窟内に大きな変化が見られた。
ここまで『ライト』の魔法がなければ先も見えない暗闇だったのに、急に光源が必要ないくらいに明るくなったからである。
「そうか、これが奴等の魔力源というわけか」
明るいのは、周囲の岩盤に淡い光を放つ半透明の石……つまり魔石が埋まっていたからだ。
その数も大きさも見た事もない程に膨大で、最早ただの岩よりも魔石の比率が大きい通路となっている。
大陸間を繋ぐ橋を作るのに必要な魔力は、この魔石を使って行ったというわけか。
「金銀財宝ではないが、ある意味宝の山か。ここを確保出来れば、死ぬまで遊んで暮らせそうだ」
魔石は高値で取引されるし、魔道具の研究に必要な魔石も使いたい放題だ。研究者のようなラムダにとっては最高の環境だっただろう。本人の才能もあるだろうが、サンドールとは明らかにレベルの違う技術や魔道具を生み出せたわけだ。
こんな状況でなければ魔石を拝借したいところだが、今は後回しだな。
奥へ進めば進む程に魔石が増えていく通路を歩き続け、遂には巨大な魔石をくり抜いたかのような広間へと出たところで、俺は目的の存在を見つける事が出来た。
「正に歴史的発見だな。皆にも見せてやりたいくらいだ」
ちょっとした競技場が入りそうな広間の中心には、天井まで伸びる巨大な魔石の柱があった。自然が作った芸術品とも言える立派な魔石の柱は、思わず足を止めて見惚れてしまうくらいに見事な代物だ。
だが、この場所で俺が気になったのは魔石の柱だけではない。研究用の大きな台や机、そして広間の壁際に並べられた大量のガラクタ……魔道具に視線が自然と吸い寄せられていた。
「集めたのも凄いが、これだけの数を残していたのも驚きだな」
何せその全ての魔道具に、師匠が作った証である刻印が彫られていたからだ。
サンドールを滅ぼす研究の為に、師匠の魔道具をラムダは集めていたと考えてはいたが、それは間違っていなかったわけか。
こちらも後で色々と調べる必要はあるが、まずは本来の目的を済ませようと、魔石の柱へと近づき指先で軽く触れてみた。
するとそれがスイッチだったかのように柱は淡い光を放ち始め、妙にはっきりと聞こえる声が周囲に響き渡ったのである。
『聖……樹……聖樹……』
ここまではラムダから聞いた通りだが、確認の為にラムダとの決着を付けた後の会話をもう一度思い出す。
『魔大陸に流され……必死に逃げて辿り着いたのが……洞窟でした』
『その奥に……一本の柱があったのです。その美しさに思わず触れてしまったその時……突然柱が語り出して……』
『最初は何を言ってるのか……わからなかった。そもそも自分が何者かさえわからないと……』
『けれど……あの方は私に様々な知識を授けてくれた……私にとって……初めて出会えた……師だと……』
ラムダに知識を授けた存在……それは人どころか生物ですらない、魔石に込められた謎の意思だった。
過去に獣王が治める国であるアービトレイで、魔石に人格を閉じ込めていた敵と遭遇はしたが、こいつはそれと同じなのかもしれない。魔石の大きさは桁違いであるが、どちらも似たような魔法陣が描かれているからな。
しかしアービトレイの奴と違って声を発する事が出来ないのか、直接触れている間だけ声が聞こえるようだ。一応不快な感覚はないのでそのまま静かに柱全体を眺めていると、不意に相手の方から語り掛けてきたのである。
『知識を……くれてやる。私の知識を……糧に……』
俺の正体を気にしないどころか、一方的に知識を押しつけようとするか。
ここで欲しいと答えれば、魔法陣や魔道具に関する様々な知識を教えてもらえるそうだ。個人的に興味はあるがそれは一旦置いておいて、まずお前は何者なのかと聞いてみるが、やはりラムダから聞いた通りの反応だった。
『名前……存在……わからない……わからない……私の知識を……糧に……聖樹……聖樹……』
支離滅裂と言うのか、記憶喪失になった者が唯一覚えている単語をひたすら繰り返しているような感じだな。なので前世にあった機械の人工知能みたいなものを連想してしまうが、どこか人間味も感じられる。
こんな会話も碌に出来ない存在に心酔していたラムダが不思議に思えるが、魔道具を作る者として与えられる知識が素晴らしく尊敬していたのだろう。あるいは、大切な家族を殺された上に、己自身も魔大陸に流されて心身共に限界を迎えている中、無償の知識を与えられた事で依存してしまったのかもしれない。
とにかくこの謎の存在から教えてもらった知識と、世界中から集めた師匠の魔道具を研究した事により、ラムダはあれ程の力を得たというわけだ。
「何故、知識をくれる? それでお前に何の意味があるんだ?」
『……わからない……私は……知識を……』
「さっきから聖樹と口にしているが、聖樹をどうしたいんだ?」
『聖樹……聖樹……』
「覚えているのは、その聖樹という単語なわけか」
俺が持っている聖樹の枝……師匠のナイフが近くにあっても反応が見られないのは、柱には目どころか外に関する感知能力がないのかもしれない。あるいは、柱が語る聖樹が別の存在という可能性もある。
そんな事を考えながら徐に師匠のナイフを手にしたその時、この状態では語れない師匠が何かを訴えているような気がしたので、俺は一度柱から手を離して広間の入口付近まで下がった。
距離を取ったのは念の為であり、柱の反応を警戒しつつ近くの岩盤から生えた魔石へとナイフを突き立てれば、どこか感心した様子で師匠が語り出した。
『さすがの私も、こんな光景を見たのは初めてだねぇ。世界を見尽くしてきたと思ったが、私もまだまだだったわけか』
「感心していないで早く話せ。何か気付いたんじゃないのか?」
『ふん、急かさなくても教えてやるさ。あの柱の声……私が知っている子だよ』
師匠の知り合い……か。師匠自体がぶっ飛んだ存在なので、生物じゃない知り合いが一つや二ついても変じゃないと考えてしまう俺は重症なのかもしれない。
とにかく知り合いならば話が早い。あの柱の正体について説明してくれるが、その関係性はかなり意外だった。
『あれは前世のあんたと出会う前に育てた、私の弟子さ。姿形は違おうと、この私が間違うもんか』
「俺の兄弟子ってわけか。ん、ちょっと待て。姿形が違うって事は、元々は人だったのか?」
『ああ、人族の男だよ。私がまだ外で旅をしていた頃、とある村で拾った子供でね』
偶然立ち寄った村が魔物によって滅ぼされており、寝床でも借りようと入った適当な家屋内で見つけたそうだ。
しかし師匠は子供に興味がなく、子供もまた警戒して近づいてこなかったらしい。
そのまま二人は一切言葉を交わす事もなく次の日を迎え、滅んだ村を出発した師匠だが、気付いたらその子供が後ろをついて来るようになったとか。
『別に餌を与えたわけでもないのに、何でか私の後を追ってくるようになったのさ。私がそれだけ魅力的だったわけだね』
「そのペットみたいな言い方は止めろ。どちらかと言えば頼れる相手がいないから、仕方なく師匠について行ったんじゃないか?」
『うるさいねぇ。まあそんなわけで、ずっと後ろにいられても鬱陶しいから、この私が保護してやったわけさ』
保護はしても、世話に関しては最低限しかやらなかっただろうな。
寧ろある程度子供が大きくなったら、私の世話をしろと命令していたと思う。俺はそうなっていたし。
『私の足元には及ばないが、中々に賢い男の子だったよ。教えた知識を面白いように吸収していくから、途中から何だか面白くなってきてねぇ』
「兄弟子は俺より優秀だったみたいだな」
『ふふん、嫉妬かい? でも直接戦っていたらあんたの方が上だから気にしなさんな。大雑把に言えば、あの子は物作りの方が得意な知的寄りで、あんたは脳筋だよ』
「嫉妬じゃないし、言い方が酷いぞ。それで、その人族の子供が何故魔石の柱になっている?」
『そんなの私が聞きたいくらいだよ。拾ってから十年くらいは一緒だったが、別れた時はちゃんと人の姿をしていたさ』
「他に情報は? 名前も聞きたいな」
『名前は…………忘れたねぇ。いつも『お前』や『あんた』とか呼んでいたからさ』
その後も大雑把に兄弟子との過去を説明してくれた。
聞いたところ俺の時と違いそれなりに構っていたらしく、師弟というより親子のような関係にもなっていたそうだ。
『私はね、あの子にずっと言い聞かせてきたのさ。私はいずれ聖樹となって外に出られなくなるから、別れたら二度と会えないと思えって。だからその時が来るまでに、一人でも生き残れる力を身に付けろともね』
「その結果があの姿だと? 別れた時に揉めたりしたんじゃないか?」
『いや、あの子とはきちんと納得して別れたさ。親から巣立って自分は大人になるんだと、男らしい顔ではっきりと言ってくれたもんさ。だというのに、どうしてあんな……』
軽い調子ではあるが、言葉の節々から悲しみが滲み出ている。こんなしおらしい師匠は珍しいな。
この態度からして、二人は円満で別れたのは間違いないと思う。ならば何故、目の前の兄弟子は記憶が曖昧な上にあんな状態でいるのだろうか?
『あんたは、柱に刻まれた魔法陣に気付いたかい?』
「もちろんだ。あの魔法陣、アービトレイで見たやつと似ているが、こっちのはどこか違和感があるな」
アービトレイのは小指の爪程の魔石でも人間のように思考と会話も出来ていたのに、あの柱の場合はほぼ一方的に知識を語るだけである。
魔法陣の類似性もあって無関係とは思えないので、そう考えるとあの柱は……。
『ふ、ぱっと見で気付けたのなら及第点だね。あの柱に刻まれた魔法陣……不完全だよ。だから人格の移植に失敗しているのさ』
知識は残せたものの、人格までは完全に残せなかったというわけか。
おそらくアービトレイで見た魔石は、あの柱の失敗を参考にラムダが改良したのではないかと思う。失敗は成功の元と言うからな。
その辺りは色々と気にはなるが、今は目の前の兄弟子についてだ。
すでに善悪の判断がつかない状態だとしても、彼が授けてしまった知識で大事件へと発展してしまったのだから、このまま放っておくわけにもいかないのだが……。
「師匠……」
『私の顔色を窺うんじゃないよ。やる事は決めているんだろう? さっさと済ませな』
「本当にいいのか? 記憶がなくても、彼はあんたが育てた弟子なんだ。それにあんな状態でも何度も聖樹って……師匠を求めているんだぞ」
そもそも不運だったのは、人が訪れる筈もないこんな場所へ、復讐しか残っていない男が来てしまった事なのだ。
はっきり言って兄弟子は触れない限り無害なのだから、このまま洞窟の入口を爆破して完全に塞ぎ、兄弟子が生きた証を残すという方法もある。
すでに彼を知るラムダたちはいないし、洞窟の入口を塞いで俺が忘れてしまえばここを訪れる者はいないだろう。知る者が少ない方が秘密は守れるので、俺が一人で魔大陸へ来た理由の一つがこの為でもあった。
とまあ、そういう選択もあると思い師匠の様子を窺ってみたのだが、彼女の返事は予想通りだった。
『だからこそさ。あの子はもう己の存在を疑問に思うどころか、自分がやっている事すら理解出来ない状態なんだ。誰かが終わらせてやらなきゃね』
「……わかった。俺がやろうか?」
『何を言ってんだい。私の弟子なんだから、私がやるに決まってんだろ。ほら、さっさと刺しな!』
そうか、そっちが覚悟を決めているのなら、もう俺から言う事はない。
師匠を一旦回収し、再び兄弟子の前までやってきた俺は、柱に触れながらナイフを振りかぶる。
『聖樹……聖樹……』
「貴方とは、もっと別な形で会いたかったよ」
そして魔法陣の中心へ目掛け、聖樹のナイフを突き立てた。
明日は2話連続投稿で、12時と17時に更新予定としております。




