いつも通り
「…………」
「…………」
俺たちの前に現れたジュリアがレウスの隣へ座ると、兵士たちの雑談で騒がしかった食堂が一瞬だけ静まり返った。
食事なら部屋に運ばせる筈のジュリアが突然現れた上に、何故かレウスの隣に座ったので、兵士たちは何事かと囁き合っており、おそらく食堂内の視線がこちらに集中していると思われる。
ジュリアが来るのを何となく予想はしていたものの、マリーナが尻尾を立てて警戒をしているので、下手に口を出せない状況となっていた。
そんな緊迫した雰囲気の中……。
「こちらの料理は私とマリーナが作ったものです。よろしければ、ジュリア様も如何ですか?」
「もちろんいただこう。美味そうなのが見るだけでわかるし、実に楽しみだ」
エミリアとジュリアだけは何事もなく会話をしていた。
ジュリアは物怖じしない性格からしてわからなくもないのだが、弟の将来が関わっている筈のエミリアが全く動じていないのは何故だろうか?
それとなく送った視線で俺の疑問を理解したエミリアは、こっそりと耳打ちして教えてくれた。
「あの子はシリウス様の弟子なのですから、恋人を平等に愛するだけでなく、支えられるような立派な男になってもらいたいのです」
つまりレウスにとって必要な経験なので、弟が逃げるという選択をしない限りは問題ないらしい。
しかしエミリアが冷静に振る舞おうと場の緊張感が変わる筈もなく、マリーナは食事を続けるジュリアへ声を掛けるタイミングを掴めないようだ。
ここはレウスが率先して動くべきだが、女性への経験不足とマリーナへの負い目で迷いが生まれているのか、中々行動に移せないようである。
そうこうしている間に食事を済ませ、同時に前線基地を守る為に戦ってくれたアルベルトとキースに礼を伝えたジュリアは、最後にマリーナへと向き合っていつもの爽やかな笑みを浮かべていた。
「こうして語り合うのも数日ぶりだな、マリーナ殿。私たちと共に戦ってくれて本当に感謝している」
「は、はい。ジュリア様も息災で、何より……です」
「ふむ……すまないが、そのような畏まった言葉は止めてくれないかい? あの時と今では状況が違うし、私も貴方をマリーナと呼びたいからな」
男どころか女性でも見惚れる魅力を有したジュリアであるが、マリーナからすれば恋人を狙う敵みたいなものだ。
先程まで迷っていたマリーナも対抗心と嫉妬が爆発したのか、レウスの腕を抱き寄せながらジュリアを真剣な表情で睨みつけていた。
「言葉使いより、先に聞きたい事があります。大体の話はレウスから聞きましたが、ジュリア様は……その、本当にレウスと結婚したいのですか?」
「ああ! 私にとってレウスは運命の相手だからな。このような状況でなければ、すぐにでも式を挙げたいくらいだ」
「いや、だから結婚は早いって。それより少し場所を変えて話した方が……」
「レウスは黙ってて」
「おう!」
おお、早くもレウスを尻に敷いているじゃないか。
先程はレウスの手綱を任せるに相応しい……なんて考えたりしたが、相応しいどころか今すぐにでも任せたいくらいだ。
そんな少しずれた思考をしている間にレウスを黙らせたマリーナは、少しでも相手を知ろうと質問を重ねていく。
「では、失礼を承知でお聞きします。ジュリア様はレウスのどこに惹かれたのでしょうか?」
「どこに……か。色々とあるのだが、女性の髪を大切だと言ってくれたのが決定的だな」
「ですが、出会ってまだ数日ですよね? 本当にレウスを知った上での結婚の申し込みなのですか? 人にどうこう言える身分ではありませんが、私はレウスの事を知るのに結構時間が掛かりました」
「ふむ……」
「あ……ご、誤解しないでください。私は別にジュリア様を近づけたくないとかそんなのじゃなくて、その……レウスって女性を勘違いさせちゃう男だから」
敵対しない限りは誰でも平等に接し、困っている人がいたら放っておけないのがレウスだからな。ちょっと天然な言動が合わさった結果、助けた女性が自分に惚れていると勘違いさせてしまう事が過去に何度かあった。
つまり、そんなレウスの事をよく理解しているからこそ、マリーナはこの質問をぶつけたわけだ。
こうして一国の王女ではなく、一人の女性として質問を受けたジュリアだが、彼女は怒るどころか不思議そうに首を傾げ、答えを求めるように俺へ視線を向けてきたのである。
「私は男女の付き合いというものがよくわからないのだが、運命の相手をすぐに決めるのは変な事なのだろうか?」
「一般的に考えると早いかもしれません。しかし個人的な意見としては、時間はそこまで重要ではないでしょう。人によって感覚は違うのですから」
「そうか……」
例を挙げれば、フィアなんて出会ったその日に俺を運命の相手だと決めたみたいだからな。
そもそもの話、この戦いが終わったら今生の別れというわけでもないのに、すぐに結婚だと言い出す事が変なのである。これもジュリアの独特な感性ゆえだろうか?
だからレウスとマリーナを深く知った後で、改めて考えてはどうかと伝えようとしたのだが、それよりも先にジュリアは答えに至ったようだ。
「マリーナの心遣いは理解したし、ありがたいと思う。だが、この胸の奥から沸き上がる想いが気の迷いとは到底思えない。私は心からレウスを好きになったのだと断言するよ」
「本気……なんですね。わかりました。レウスの事なら私だって負けませんから!」
レウスには将来結婚を約束している女の子……ノワールがいる。レウスにとって初恋の相手だったノエルの娘だ。
マリーナはそれを知りながらもレウスの恋人になったので、ジュリアを追い払うのは不義理だと考えているのだろう。本当は自分だけを見てほしい願望があるだろうに、真面目というか、他人を蹴落とす事が出来ない優しい子だ。そういう面も含めてレウスはマリーナを好きになったのだろう。
結局のところレウスが受け入れれば勝負の話も薄れるが、愛情の深さでは負けていないと宣戦布告するマリーナを見たジュリアは不敵な笑みを浮かべていた。
「ふふ、それは私の台詞でもある。しかし……マリーナの心の強さと潔さは本当に素晴らしいな。レウスが惚れるのも納得だよ」
「そんな事はありません。だって、レウスにこれ以上恋人が増えてほしくないって気持ちがないわけじゃ……」
「好きなものを独り占めしたいと思うのは当然だろうし、そもそも私なんて途中から現れた邪魔者みたいなものなのだ。なのにマリーナは私を受け入れるどころか対等に接してくれるのだぞ? 私はレウスだけじゃなくマリーナも好きになったよ」
「私……も?」
そのジュリアの発言と共に、場の雰囲気が明らかに変わっている事に気付く。
好敵手同士が火花を散らす……という展開になるかと思いきや、まるでプロポーズするようにジュリアがマリーナの手を取りながら真っ直ぐ見つめているのだ。
「私はマリーナと友に……いや、家族になりたい。レウスと一緒に幸せな家庭を築こうではないか!」
「家族!?」
まるでどころか完全にプロポーズである。
少し独特な価値観に加え、異性への付き合い方に関してかなり疎いからな。おそらく本能的に気に入った相手であれば、男女関係なく一緒にいたいと考えてしまうのだろう。決して百合の花的なものではないと思う。
しかし突然プロポーズされる側からすれば混乱の極みである。呆然として言葉にならないマリーナであるが、ジュリアの猛攻は止まらなかった。
「早速マリーナ殿と絆を深めなければな。前に教えてもらった、料理を食べさせ合う事で仲良くなるとしよう」
「え?」
「あ、それは俺が先だぞ。さっき食べさせてもらえなかったんだからな」
「ええ!?」
結果的に、二人が険悪な関係にならなかったのはいい事なのだろう。
しかしレウスの恋人に関する問題だった筈なのに、気付けばマリーナが中心となっているのは何故だろうか?
いつの間にやら移動したジュリアとレウスに挟まれ、料理を食べさせてほしいとせがまれるマリーナは、尻尾を振る二頭の大型犬から揉みくちゃにされているような感じだった。
マリーナは助けを求めるようにアルベルトを見るが、彼女の兄は三人の姿を微笑ましそうに眺めるだけである。
「あ、兄上!? 何がそんなにおかしいんですか!」
「それは仕方がないさ。お前はレウスの良き恋人になろうと頑張っていたが、結婚の話になるといつもはぐらかしてきたからね。でもジュリア様に負けないと宣言したって事は、お前はもうレウスと結婚しても構わないと考えているのだろう?」
「はっ!?」
「見たところジュリア様とは仲良くやれそうだし、私も安心したよ」
勢いで口走ってしまった事に今更気付いたのか、マリーナの顔は赤くなったり青くなったりと目まぐるしく変化している。
さて、最早無視されつつあるレウス自身の気持ちだが、そこはあまり気にしなくてもいいかもしれない。すでにレウスはジュリアを認めつつあるので、結局のところ時間の問題だと思うからだ。
更にマリーナとジュリア、そしてノワールの三人は打算も何もなく心からレウスを好きになったのだから、俺たちが口を出す理由もない。
大変だとは思うが、こうやって経験を重ねて女性の扱いに早く慣れてほしいものだ。
「ああもう、わかったから! 食べさせてあげるから少し落ち着きなさい!」
「おう!」
「うむ、次は私の番だぞ?」
「はぁ……レウスが二人に増えたみたいだわ」
これは、マリーナの気苦労が絶えそうにない未来が見えるな。
いずれ俺もマリーナの義理の兄になるのだから、細かく様子を見て手助けしてやらないと。
互いに料理を食べさせ合って順調(?)に絆を深め合う三人であるが、当然ながらそれを快く思わない者が現れた。
それは周りで食事をしている兵士たちで、只ならぬ雰囲気を発しながらレウスたちを囲むように集まり始めたのである。
本人たちにとっては大事な話でも、今はいつ魔物たちに襲撃されるかわからない状況だからな。
さすがに気を緩めるにしても限度があるだろうし、怒鳴られても仕方がないと謝罪しようとしたが……。
「ジュリア様! 今の話は本当なのですか!?」
「結婚なんて聞いておりませんぞ!」
「そのようなへらへらした男がジュリア様に相応しいとは思えませぬ!」
兵士たちの怒りはジュリアの結婚に関してだった。
ジュリアの親衛隊と出会った時も似たようなやり取りが行われたが、あの時は結婚云々は語っていなかったので、そこまで酷い状況にはならなかった。
しかしここにいる兵士たちは、敬愛するジュリア本人からレウスと結婚すると聞いてしまったのである。前線で無類の活躍を見せたレウスを知っているとはいえ、さすがに結婚は見過ごせなかったようだ。前世で例えるなら、人気絶頂のアイドルが結婚宣言したような感じだろう。
怒りと妬みによる殺伐とした空気にレウスが表情を引き締めながら立ち上がろうとするが、行動はジュリアの方が早かった。
「うむ、皆が困惑するのはわかる。だが、レウスは私との模擬戦で勝った男なのだぞ?」
「「「っ!?」」」
「レウスが私と肩を並べて戦った姿を見れば、それが真実であるとすぐにわかる筈だ。とにかくレウスが私に相応しいかどうかを見極めるのは、この氾濫を乗り越えた後にしてもらいたい」
納得出来ない者には実際に勝負して認めさせるのが一番だろうが、今の状況で無駄に体力を消耗するのは避けるべきである。
それをジュリアの言葉で理解したのか、大半の兵士は何も言い返さず引き下がっていた。妙に聞き分けがいいのは、ジュリア本人から模擬戦でレウスが勝ったと聞かされたからだろう。
しかし理屈では納得出来ない者もおり、レウスを睨みつける兵士が多少見られたが、そこで目を細めたジュリアが静かに殺気を放ち始めたのである。
「先に言っておくが、卑怯な手段でレウスを狙うのは決して許さんぞ。そのような誇り知らずは、すぐに私の剣の錆になるだろう」
戦いのどさくさに紛れ、レウスを狙った闇討ち……なんて可能性もあるからな。きちんと釘を刺してくれるのはありがたいと思う。
殺気まで放つ様子からジュリアが本気なのだと嫌でも理解した兵士たちは、冷や汗を流しながら一斉に敬礼していた。
「えーと……つまり俺は皆に認められるように戦えって事なのか? 何か大変そうだな」
「何を悩んでいるのかは知らないけど、貴方は普段通りに動けばいいと思うわよ」
「でもさ、俺が勝手に動いたせいでジュリアの立場が悪くなるのは嫌だぜ?」
「貴方の場合は、細かい事は気にせず全力で取り組む姿を見せれば十分よ。それがレウスの一番の魅力だし、そういう真っ直ぐな部分を私は……」
私は好きになった……と続きそうなのに、恥ずかしさが勝ったマリーナの言葉は尻窄みとなっていく。
そのせいで妙な間が生まれたので首を傾げるレウスだが、マリーナは赤面を誤魔化すようにレウスへと指を突き付けていた。
「と、とにかく! 余計な事は考えず、貴方はいつも通り剣を振っていればいいの。わかったら返事!」
「お、おう! とにかく頑張ればいいんだな?」
一年ぶりの再会でも、この二人のやり取りは変わらないというか、相変わらず微笑ましいものだ。
これで将来はジュリアだけじゃなくノワールも加わるのだから、四人揃えばどうなるか想像もつかない。良くも悪くも、色んな意味で目が離せない子たちだ。
こうしてレウスを巡る戦いと、兵士たちの騒ぎが穏便に収まった後、治療室から戻ったリースとリーフェル姫たちと合流した。
獣王に呼ばれて席を外したアルベルトとキースの椅子にリースは座ったのだが、その物憂げな表情から疲労の色が強く見える。先程まで怪我人ばかりと対峙していたのだから、心身共に疲れて当然か。
「お疲れ様、リース。まずは水でも飲んで落ち着くといい」
「うん、ありがとう。お腹空いたなぁ……」
「リースの分は調理室に取り置きしてありますので、すぐに持ってきますね」
「それは私にお任せください。皆さんはリース様をお願いします」
調理室に料理を取りに向かったセニアを見送った後、リースの手に触れて体調を確認してみたが、特に異常は見当たらなかった。
体内の魔力は半分を下回っているようだが、まだ体調を崩す程ではない。なのに元気がないのは、おそらく精神的な疲労が溜まっているからだ。
予想は何となく付くが、隣に座るリーフェル姫に説明を求める視線を送ってみれば、妹の頭を労わるように撫でながら教えてくれた。
「治療室に運ばれた時には遅かった人がいてね、治療が間に合わず亡くなった兵士が何人かいたのよ」
「……覚悟はしていたけど、目の前で亡くなられるとやっぱり辛くて」
しかし落ち込んでいる間も怪我人は増えるので、リースは強引に気持ちを切り替えながら治療を続けていたわけだ。
そしてようやく落ち着いたところで、重圧と疲労が一気に襲ってきて気分が沈んでいるのだろう。
これ程の戦いとなれば死者が出て当たり前だし、あまり落ち込むなと慰めるべきだが……。
「でも、皆が頑張っているのに私だけ挫けていたら情けないし、それに覚悟の上で一緒に来たんだもの。まだ私は大丈夫だから、心配はいらないよ」
弱音を吐いたとしても、今のリースはすぐに立ち直れるくらいに心が強くなっているのだ。過剰な心配は必要あるまい。
とはいえ放ってもおけないので、少しでも元気が出るようにとテーブルに残っていた全ての料理をリースの前へ寄せていた。
「腹が減っていると気分も落ち込むからな。俺たちはもう十分だから、これは全部食べても構わないぞ」
「ありがとう。でも量に制限があるみたいだし、ちょっと物足りないかも」
「いや、リース殿は多くの兵たちを救ってくれたのだ。多少ならば誰も文句は言わないだろうし、私も許可するから遠慮なく食べるといい」
「他にも私とマリーナで追加の料理を作りましたので、量については問題ありませんよ」
「リースさんの口に合うといいんだけど……」
「本当! じゃあ、マリーナの腕前を見せてもらおうかな?」
皆と話している内に気分が落ち着いたのだろう、普段の柔らかい笑みを浮かべられるくらいにリースは元気を取り戻したようだ。
その後、セニアが軽々と二十人前は超える料理を持ってきたり、それをあっという間に平らげるリースの姿に周囲の兵士たちを騒然とさせたりはしたが、俺たちは和やかに食事を終える事が出来た。
そして食事を終えた後、ジュリアの計らいにより基地内の一部屋を使わせてもらえたので、俺たちは部屋に集まって思い思いに休んでいた。
リーフェル姫たちも一緒なので結構な人数となったが、それでも皆が寝転がれるくらいには広い部屋である。おそらく隊長クラスでなければ使えない部屋なのだろう。
明らかに優遇されているので、周りから反感を買いそうな気もするが、ジュリアの説明によると必要な処置なそうだ。
『皆はそれだけの活躍はしているし、何より注目を集め過ぎてしまったからな。ここなら兵士も簡単に来られないので、ゆっくりと休めるだろう』
実際、食堂ではレウスの事を知ろうとしたり、リースへ感謝の言葉を伝えようと話しかけてくる兵士が大勢いたのだ。
礼を言われるくらい別に構わないと思うが、事ある毎に対応していたらゆっくりと休めないので、今は隔離されている方がありがたい。
何だかんだでついて来たマリーナも加わり、交代で休む順番を決めたところで、一旦俺はエミリアを連れて防壁全体を見渡せる基地の最上階へとやってきた。
防壁の上では魔物に対する見張りや、戦闘の準備に駆け回る兵士たちの姿があるので、彼等に一言告げてから指笛を鳴らせば、数秒も経たない内に上空からホクトが降ってきたのである。
「速いのはいいが、そんなに焦って来なくてもいいんだぞ? 周りの人が驚いているじゃないか」
「オン!」
「シリウス様を待たせるわけにはいかない……との事です。それは私も激しく同意します」
「あー……お前の忠義は嬉しいが、程々にな。それで外の様子はどうだ?」
俺がホクトに命じていたのは偵察で、逃げた魔物たちの動向を調べてもらっていた。
広範囲に放った『サーチ』の反応によると、逃げ出した魔物は前線基地から少し離れた平原でたむろしているらしく、魔大陸へは戻っていないようなのだ。
つまり魔物たちは何時攻めてきても不思議ではない。今は闇夜で何も見えないが、明るくなれば魔物の姿を遠目で確認出来るだろう。
俺は魔物の位置や規模は見なくても十分わかるのに、わざわざホクトに偵察させたのは、ある存在を確認させる為であった。
「そうか、特に動きは見られない……か。なら連中はいたか?」
「クゥーン……」
「怪しい魔物はいましたが、あの人たちは見当たらなかったそうです」
俺が知りたかったのは、魔物を操る首謀者と思われるラムダたちがいるかどうかであった。
魔物たちを刺激しないよう慎重に調べていたとはいえ、ホクトの鼻と直感を欺けるとは思えないので、現時点でラムダたちは近くにいないと考えるべきか。
「オン!」
「そして怪しい魔物ですが、匂いと気配は違っても以前見た人造の魔物と同じ存在で間違いない……とも仰っています」
過去にパラードやアービトレイで対峙した、魔物を操る合成獣らしきものがいるのがわかったので、そいつを始末すれば魔物たちの統率は崩れるだろう。
やろうと思えば『サーチ』を駆使して狙撃も可能だとは思うが、それは今ではない。操る存在がいるからこそ魔物は下手に動かないのだから、もし枷が消えてしまえばすぐにこちらへ攻めてくる可能性が高いからだ。
それに倒したところで次の合成獣が送られるだけだろうし、大元を叩かなければ根本的な解決になるまい。
ラムダはあれだけ国を憎んでいたので、滅ぶ様を直接確認しようと近くにいてもおかしくはないと考えていたのだが……予想が外れたのだろうか?
ホクトの報告を聞いた俺が首を傾げていると、隣に控えたエミリアが物憂げな表情でこちらを見上げている事に気付いた。
「シリウス様。もし彼等を見つけたら、どうするつもりだったのですか?」
「もちろん倒すつもりだ。俺たちとの関係性はどうあれ、あんな連中は放っておける存在じゃないからな」
目的はサンドール国だけだろうが、その後でやる事がないからと獣王の国であるアービトレイどころか、他の大陸まで侵略しないとも限らないからな。
魔物を操れる力があれば不可能とは思えないので、奴等はここで確実に仕留めておくべきなのだ。
だがエミリアの不服そうな表情からして、聞きたいのはそれだけじゃなさそうだな。
「何か言いたそうな顔をしているな。気になる事があるなら、遠慮なく口にするといい」
「その……私の勝手な想像なのですが、どうしても気になるのです。もし敵陣にラムダを確認したら、シリウス様は一人で突撃しそうな気がして……」
前世で最後に戦った敵がラムダに似ているせいか、自然と警戒を強める俺の些細な変化を感じ取ったらしい。
心配だと言わんばかりの視線を受けながら、俺はエミリアの頭を撫でながら微笑みかけた。
「奴が色々と気になるのは事実だが、さすがにそんな事はしないさ。あれだけ手の内が見えない相手に一人で突撃する程、俺は己を過信はしていないぞ?」
前世で命を落とした最後の作戦を思い出す。
状況的に仕方がなかったとはいえ、外部からの援護を碌に受けれなかったどころか、相手の戦力を完全に読み切れなかったせいで俺は生き残れなかったのだ。死んでまで学んだ失敗なのだから、同じ轍は二度と踏みたくはない。
仮にラムダや敵の総大将が現れて一点突破を狙うにしても、まだ準備も戦力も足りないのだ。どちらにしろ、もう一、二日は様子見するしかないのが現状である。
そういった内容を冗談交じりに伝えた御蔭か、エミリアは安堵するように表情を和らげていた。
「とにかくこんな状況だから、引き際を見誤らないようにしないとな。問題はジュリア様に撤退を渋られた場合だが、そうなったら強引にでも運ぶ事になるかもしれない」
「そこはレウスに任せましょう。私の持論ですが、時には強引にでも引っ張ってもらいたいものですし」
「オン!」
尽きる事なく攻めてくる魔物の大群に、先が見えない戦い。
訓練なんかとは比べようもない試練であるが、これもまた弟子たちにとって良き経験となるだろう。
しかし皆が生き延びられなければ、どのような経験も意味がない。俺のような二度目の人生なんて弟子たちにはないのだからな。
それから部屋に戻り、俺たちは交代で数時間の仮眠を取ったのだが、魔物の襲撃は特になかったので俺たちはゆっくりと休む事が出来た。
そして全員が目覚め、装備の確認を終えて早目の朝食を食べ終わった頃には、昇り始めた太陽がゆっくりと世界を照らし始める時間帯になっていた。
『サーチ』の反応では、依然として魔物に動きは見られない。
まだ薄暗いので遠くは見えないが、僅かに感じる獣臭と気配から魔物たちは近いと嫌でも理解出来たので、守衛隊長になったカイエンの指示により、全部隊は早々に指定された位置へと就く事となる。
リースは昨日と同じくリーフェル姫たちと一緒に治療室へ向かい、レウスはマリーナたちと共にジュリア部隊へと入る中、遊撃要員となった俺とエミリアとホクトはとりあえず獣王の近くに待機していた。
「……明るくなってわかりましたが、基地全体の雰囲気が随分と変わりましたね」
「ああ、これが前線基地本来の姿なんだろうな」
周囲に目を向けてみれば、巨大な矢や岩を撃ち出す対大型魔物兵器……バリスタが防壁のあちこちに配置されていた。
昨日まで数台しか設置されていなかったものが、夜を徹した作業によって数十台に増えているので、戦力だけでなく視覚的な意味でも頼もしく感じる。
「一つ気になったのですが、何故これ程の武器が倉庫に仕舞われたままだったのでしょうか?」
「どうやら点検の為に外されていたらしい。次の氾濫は当分先なので、纏めて整備したらどうかと語ったラムダの提案によってな」
「ふん、見事に奴の掌で踊らされているな。だがこれ以上は好きにさせん」
バリスタ以外にも、ロープを通した丸太で壁をよじ登る魔物を叩き落とすような代物も用意されており、弓兵部隊と魔法部隊が効率よく運用出来るように配置されている。
作戦も準備は万全で、ジュリアだけでなくカイエンが再び指揮官に復帰したのもあり、士気は十分に高い。
全員が適度な緊張感を保つ中で静かに時は過ぎていき、日が十分な高さまで昇った頃、ようやく動き始めた魔物の大群が俺たちの前へと姿を現した。
昨日と変わらず地を埋め尽くす程の大群なので、心が弱ければ足が竦むどころか逃げ出したくなる光景であろう。
だがこちらにはそれに負けぬ戦力と、強固な防壁がある。
更に一部を除き、前線基地の兵士たちは過去に氾濫を経験している者が多いので、魔物の大群を前にしても物怖じする様子はなかった。
だが……魔物たちの姿がはっきりするなり、全部隊に僅かながら動揺が走ったのである。
「……何だあれは?」
「ああ、明らかに違う」
「見ろ、見た事のない魔物もいるぞ!」
地上も上空も小型の魔物が大半を占めていた昨日と違い、大型の魔物の割合が明らかに増えていたからだ。昨日が全体の二割だとすれば、今日は四割といった感じだろう。
よく見れば、簡単に作られた弓矢や投石器といった遠距離用の武器を持つ魔物も増えており、丸太の破城槌どころか取り回しの良い棍棒を手にしたオーガもいる。つまり対人を想定した武器に変えているのだ。
「シリウス様。これは一体……」
昨夜の作戦会議において、魔物が夜間になって退いた理由を話し合ったが、その時は結局答えは出なかった。
だが一つだけ、あまり考えたくはない予想が挙がっていたのだ。
まだ初日を過ぎただけなので、そうだと決めつけるには早いと判断されたのだが……。
「見ての通りだ。向こうも段階を上げてきたらしいな」
それは躍起に攻めなくても、その気になればいつでも落とせるという余裕の表れか、またはじっくりと攻め続けて俺たちを嬲り殺そうとしている可能性である。
簡単に説明するのなら、敵に遊ばれている……と言うべきだろう。
何か盤面をひっくり返せるような策や出来事が起こらない限り、この戦いは長くなるだろうと俺は確信していた。
「まずは固まって動くより離れて戦うとしよう。状況に合わせて、押されている箇所の援護に回れ」
「わかりました!」
「オン!」
俺は長期に亘る戦いは慣れているが、弟子たちはその経験がまだ浅い。
分散し、各々の位置で頑張っている弟子たちを思いながら、俺は誰にも聞こえないように呟いていた。
「エミリア、リース、そしてレウス。ここからが踏ん張りどころだ。切り抜けてみせろよ」
おまけ せめてノワールは……。 ※ただ書きたかったネタなので、時系列や状況は無視してください。
「ねえ、レウス。貴方が女性に関して疎いのはわかっているけど、子供がどうやって出来るかくらいは知っているわよね?」
「それくらい知ってるって。確か……ベッドの上で互いに必殺技を使えば出来るんだろ?」
「……うん。間違っているとは言えないけど、色々不安なのはわかったわ」
恥ずかしさより呆れが勝っているマリーナは、続いて隣にいるジュリアへと視線を向けた。
「それで、ジュリア様は……」
「そのような目をしなくても心配はいらないさ。レウスのやり方は間違っているとマリーナは言いたいんだろう?」
「ちょっと違うけど、知っているならいいんです」
「俺のは間違っているのか? だったら教えてくれよ」
「うむ。ベッドの上で必殺技を放つのではなく、奥義を放つのだろう? 子供は宝とも呼ばれるくらいだからな、必殺技程度で出来る筈があるまい」
「なるほどな!」
「ああ……ノワールちゃん。貴方だけはまともでいてほしいわ」
長くなりましたが、今回でようやく初日が終わりました。
次から二日目に入りますが、少し話の展開の速度を上げる予定ではあります。
何と言いますか、こういう大部隊がぶつかる戦いって長続きしないのが私のイメージですので。




