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未知なる敵

 前回のあらすじ


 サンドールの防衛の要である前線基地に、魔物が大群で攻めてくる『氾濫』が起こった。

 リースとカレンをサンドール城に置いて前線基地へ向かったシリウスたちは、普段とは違う動きを魔物たちに驚きはしたもの、分散して迎撃を始めた。

 そして絶え間なく現れる魔物たちを倒し続け、いよいよ夜の時間帯なろうとしたその時……突如魔物たちが一斉に撤退し始めたのだった。



 ――― シリウス ―――



 前線基地を襲っていた魔物たちが退却し始めたのは、空が赤く染まり始める頃だった。

 振り返りもせず魔物たちが一斉に逃げ出す光景に、多くの兵士たちが歓声を上げている。


「見ろ! 魔物が逃げていくぞ!」

「我々の勝ちだ!」

「ざまあみやがれ!」


 一度は追い込まれかけたので、喜びたくなる気持ちはわからなくもないが、気を抜くのは少し早い。あの魔物たちが反転し、再び襲い掛かってくる可能性もあるのだからな。

 それにしても……魔物の逃げ方には違和感を覚える。

 もう少し粘れば闇夜で視界が悪くなる時間帯だと言うのに、まるでスイッチを切り替えたかのように全ての魔物が一斉に退き始めたからだ。

 気になる点は多いが、このまま身構えていても精神的な疲労が溜まるばかりである。

 なので最低限の警戒を維持しながら手を下ろすと、横に立っていたエミリアがタオルを差し出してくれた。


「シリウス様、こちらをどうぞ」

「ああ、助かる」


 狙撃ばかりであったが、接近された時に魔物の返り血が少し付いているし、汗も結構掻いたからな。

 水で少し濡らしてあるタオルで汚れを拭っていると、エミリアの頬にも僅かだが血が付いている事に気付いた。


「エミリアも汚れているじゃないか。動くなよ」

「うふふ……ありがとうございます」


 少しくすぐったそうにしながらも、身を任せてくれるエミリアの汚れを拭っていると、指示を飛ばしている獣王の大声が響き渡る。


「まだ気を抜くな! 警戒を維持しつつ、負傷した者から休ませるのだ!」

「「「はっ!」」」


 一方、この基地に常駐している兵士たちは未だにジュリアの名を叫びながら勝ち鬨を上げている。

 いい加減口を出すべきかと考えたところで、再び獣王に負けない大声が前線基地全体を震わせた。


「皆の者、よくやってくれた! だがまだ戦いは終わっていない! 負傷者の手当てと損壊場所の確認を急ぐんだ!」


 声の主は、魔物の追撃を止めて戦場のど真ん中に立ったジュリアであった。

 元からよく通る声をしているとはいえ、たった一人で数千に負けない声を張り上げられるのも凄いものだ。そんな彼女の隣には、まるで長年連れ添った相棒のようにレウスが立っている。


『ジュリアは親衛隊だけじゃなく、本当に皆から慕われているんだな』

『ふふ、今日から君もそうなるさ。レウスの活躍は、ここで戦っていた皆が見ていたのだからな』


 ジュリアの声によってようやく動き始めた兵士たちは、正門を開けて破城槌オーガの迎撃に出ていた戦士たちを迎え入れていた。

 それを確認しながら汗を拭っていると、周りへの指示を終えた獣王が俺の下へやってきた。


「ふぅ……何とかなったな。お主たちが来てくれた御蔭で、被害は最小限で済んだ。礼を言うぞ」

「お礼を言うのは早いでしょう。まだ油断は出来ませんね」

「うむ、どうもあり得ない事態ばかりだからな。本当の戦いはこれからかもしれぬ」


 魔物は尻尾を巻いて逃げ出しているようにしか思えないが、あれだけの大群が一体も残らず撤退するのは妙である。獲物や死骸を食らうのに夢中で、残る奴がいてもおかしくはないのだ。

 獣王もその事に気付いており、先を見据えて色々と思考しているようだ。

 しかし俺たちだけで考えていてもきりがないので、一度ジュリアと前線基地の上層部を集めて作戦会議をするべきだろう。

 それを獣王に告げて基地内に戻ろうとする前に、俺は歓声を受けながら正門へと向かっているレウスとジュリアの様子をもう一度確認してみた。


『余所者の俺がそんな簡単に認められるのかよ?』

『もちろんさ! だって私は君の戦いを見て惚れ直したんだぞ? やはりレウスを好きになった事は間違っていなかった』

『おお……そんなはっきり言わなくても』

『レウスには心の内を隠したくないのだよ。君の彼女であるマリーナ共々、私のいいところを早く知ってもらいたいものだ』


 互いの背中を預け合う戦いを経験した事により、二人の関係が大きく変わっているように見えた。本能で理解する二人だから、言葉より一緒に戦う方がわかり合えるらしい。

 少し前進した二人を眺めているとホクトが戻ってきたので、俺たちは獣王と一緒に基地内へと戻るのだった。




 その後、俺たちに遅れてサンドールを出発したジュリアの親衛隊も前線基地に到着し、全体の立て直しが進められている中、俺は一人で基地の会議室へとやってきていた。

 会議室には重要な人物だけが集められており、俺たち以外にはジュリアと獣王、そして前線基地の守衛隊長らしき中年の男と、その下の部隊長と思われる他三名だけである。

 ここへ来る前にアルベルトたちと少し話をしていたので、俺とエミリアが最後だったようだ。

 しかし俺が来るのを待っていたのか会議はまだ始まっておらず、守衛隊長の男は不機嫌そうな表情で俺を睨みつけてきた。


「……ようやく来たか。ジュリア様、何故サンドールと関係のない彼等を待つのです? ましてや会議に参加させるなど……」

「それは彼等が必要だからだ」

「何を弱気な! ジュリア様のお力と威光があれば、魔物など恐れる事などありませんぞ」

「私だけで全てを守る事は出来ない。それに、皆も先程の戦いで見た筈だ。私と共に前線で魔物を斬り捨てていた青年と、壁に群がる魔物たちを叩き落としていた狼をね。その青年の師であり、狼の主が彼なのだ」


 ジュリアから紹介されたので、遅れてきた謝罪を含めつつ軽く挨拶しておく。

 戦果を挙げたレウスとホクトの関係者だと知って納得する者もいたが、守衛隊長の表情は渋いままである。


「そして厄介な空中の魔物たちを、そこにいる義兄さんー……いや、シリウス殿とエミリア殿が大幅に削ってくれたのだぞ。そんな頼もしき彼等の力を借りた以上、我々も誠意を持って付き合わなければなるまい。だからこそ情報を共有しておきたいのだ」

「しかし……」

「遠目ですが、私も確認しました。おそらく彼等がいなければ、我々の被害は更に大きくなっていたでしょう」


 守衛隊長の隣に座る、戦の経験が豊富そうな老齢の男はジュリアに同意するように頷いている。

 それでも守衛隊長は納得出来ないのか、俺を軽く睨みつけてからジュリアへ進言していた。


「ジュリア様が信頼している者たちなのは理解しました。ですが、ここは我々の国でございます。他国である獣王様だけでなく、余所者の力を借りては我々の誇りが……」

「隊長殿の言いたい事はわかる。だが、今回に至っては事情が違うのだ。使える戦力は惜しみたくない」


 本来ならば魔物たちが持つ筈もない整えられた装備類に、統率された動き。

 そして魔物にとって攻め時である夜を目前で撤退した行動といい、異常なのは嫌でも理解している筈だ。


「それと報告は届いていると思うが、城で騒ぎが起こったのは知っているな?」

「はい。何やらジラード殿が謀反を起こした等と、わけのわからぬ報告が来ましたが……」

「全て事実だ。奴は我々の国を滅ぼすと断言していたよ」


 ジラードの謀反についての報告は送っていたものの、細部までは至っていないのでジュリアが補足していた。

 彼の本当の名前はラムダであり、サンドールを破壊する為に暗躍し続けていたという事を話し終えたところで、守衛隊長が信じられないとばかりに立ち上がったのである。


「馬鹿な!? ジラード殿がそのような真似をする筈が……」

「ジラードではない、奴の名はラムダだ。とにかく元英雄が敵になったのは事実であり、更に今回の氾濫は様々な意味で未知数なので、早急に準備を整えなければならないのだ」

「そ、早急に……ですか」

「まさかこれで魔物の侵攻を退けたと思っているのか? 逃げたとはいえ、あれだけの魔物が残っていたのだ。こうしている間も再び魔物たちが攻めてくる可能性があるのだから、現状を急ぎ報告してほしい」


 ジュリアは最前線で戦っていたので、まだ基地全体の状況を知らないままなのだ。

 なので基地内の戦力と、今日の戦いで受けた被害について説明を求めたのだが、守衛隊長の返事はどうも要領を得ない。報告し辛いのは態度で丸わかりだが、取り繕っても現実は変わらないのだからさっさと白状してもらいたいものである。

 そんな言葉に詰まる守衛隊長を眺めていた老齢の男が、軽く溜息を吐きながら代わりに説明してくれた。


「ジュリア様。語るのも情けない話ですが、魔物の異常さに多くの者が混乱し、兵たちの半数近くが負傷しております」

「お、おい! そこまで報告しなくとも……」

「しかし兵たちの話によれば、突如現れた青髪の女性の活躍によって負傷者の大半が復活したとの事です。ただ……一部の者は完全に戦意喪失しており、戦場に出すのは厳しい状況かと」

「その女性の腕前は私も知っているが、彼女の腕でも治せなかったのか?」

「はい。彼等は体ではなく、心をやられてしまったのです」


 膨大な魔物と命の危機に怖気づき、部屋から出てこない者もいるらしい。

 『氾濫』から国を守る要の場所だというのに、戦場に慣れていない者や、精神的に弱い者たちが配備されているのはどうかと思うのだが……。


「これもラムダの策略かもしれません。前線基地へ経験の浅い者たちを選別し、戦力の弱体化を図った……とも考えられます」


 俺はここへ来る前、前線基地に勤めている者や、上に立つ者たちは信頼に足る者なのかをサンドール王から聞いていた。

 王自身は眠り続けていたので詳しく知らなかったが、彼の息子であるサンジェルと側近の話によると、過去に氾濫を乗り越えた歴戦の猛者が何人もいると聞いている。

 しかし目の前の守衛隊長と、実力に見合わない一部の者たちが最近になって前線基地へ移動しているそうだ。

 そして現在、先程説明にあった怖気づいている者たちこそ、その一部の者たちらしい。

 そんな彼等を前線基地へ移動させようと提案したのが……。


「そういえば、貴殿はジラード殿の推薦により隊長に就いたのだったな?」

「貴様……何が言いたい?」

「待て、今はそれについて追及している状況ではない。しかし結果が物語っている以上、守衛隊長は別の者にするべきだと私は思っている」


 真実はどうあれ、戦場に関する経験不足だけでなく、稚拙な指示とリースから聞いた傲慢な態度からして、彼は守衛隊長に相応しくない人物である。

 とはいえ全く使えないという程ではなく、経験さえ重ねれば立派な指揮官になれると思うが、今は彼の成長を待つ余裕はないので、ジュリアは彼を降格させるつもりのようだ。現実的な判断を躊躇なく下せるのも、上に立つ者として必要な能力だろう。

 当然ながら不服そうな表情を浮かべる守衛隊長であるが、ジュリアは相手が口を開くより先に問い詰めていた。


「では聞くが、あの大群を相手に貴殿は冷静に指揮を執り続ける事が出来るのか? 軽傷ですぐに基地内へ退いたという報告も受けているぞ」

「それは……」

「負傷して下がるのはいい。しかし治療が済んでも戦場へ戻らず、私の友人と揉めていたとはどういう事なのだ?」

「あ、あの女性は本当にジュリア様の知り合いなのですか?」

「ああ、リーフェルは私の親友だ。そして治療をしていた青髪の女性も、私にとって大切な人なのだよ」


 レウスの妻を狙っている以上、ジュリアにとって二人は将来の義姉になるのだから見過ごせないのだろう。

 リースの邪魔をしようとした男だから、俺から見てもあまりいい印象がない。少し私情は入っているが、少なくとも俺も彼を守衛隊長から降ろす事には賛成だ。

 何せ彼の雑な命令のせいで、破城槌を持つ魔物たちがいるのに多くの者が魔力枯渇に陥っていたのだからな。レウスとジュリアが間に合っていなかったら、正面扉を抜かれていた可能性も十分あった。


「守衛隊長であるイムズよ。今は非常時という事で、私の権限により貴方を一時的に守衛隊長から部隊長へと降格させる。この戦いが終わった後、改めて貴方が守衛隊長に相応しい者か測ろうじゃないか」

「ぐ……く……」

「それが嫌であれば、今すぐ城へ戻って王に直談判してくるといい。私の名前を出せば、話くらいは聞いてくれるだろう」


 まあたとえそんな事をしたとしても、あの王なら撤回するつもりはなさそうだ。寧ろ勉強しなおしてこいと、更に降格させるかもしれない。

 すでに元守衛隊長……イムズの後ろ盾と思われるジラードはもういないので、城へ戻れば魔物から逃げ出した臆病者として知れ渡るだろう。

 つまりこれ以上評価を落としたくなければ、部隊長として活躍しながら生き延びるしかあるまい。

 戦闘の途中で逃げ出しそうな気もしなくもないが、多少不安でも今は戦力が欲しいので、彼を使わざるを得ないのだ。

 最早何も言い返せなくなったイムズは、悔しさを必死に我慢しながら頷いていた。


「……わかりました。今度こそ相応しい成果を見せましょう」

「うむ。何事であろうと己の欠点を認め、改善出来ねば強くなれないのだ。では次に新たな守衛隊長であるが、ここはカイエンしかいないだろうな」


 先程溜息を吐きながら説明していた老齢の男が恭しく頭を下げていたので、彼がそのカイエンらしい。

 六十歳は過ぎているであろうカイエンの身長は俺よりも低く、体格も全体的に細い。とても前線で戦うような人物に見えないので、彼はおそらく指揮官として優れた人材なのだろう。

 その証拠に、サンドール城で将軍をしていたフォルトと似た威圧感を感じるし、ジュリアもまた敬意を払うような態度で接しているからだ。


「シリウス殿には紹介しておこう。カイエンはここの守衛隊長として長年勤めていた経験があり、何度も氾濫を突破してきた強者なのだ」

「未だお迎えが来ぬ老骨ですが、精一杯応えて見せましょう。そしてジュリア様に認められし若人よ、次も期待しておりますぞ」


 先程までの毅然とした態度から一変し、飄々とした笑みを俺へ向けている。

 現時点において立場的にはジュリアが一番上なのだろうが、彼女は前線で剣を振るう予定なので、指揮に関してはカイエンに全て任せるようだ。


「カイエン殿の知将ぶりは私も聞いている。貴方が指揮を執るのであれば、私が担当していた東側の指揮権を返すべきだろうな」

「いえ、獣王様ならば問題はないでしょう。元英雄が裏切ったせいで戦力が減っておりますし、まだ残っていただけるのでしたら変わらず指揮をお願いしたい」

「心得た。だが我々の連れてきた兵たちは、そちらに比べて明らかに数が少ない。もう少し回してくれないか?」

「もちろん、兵を数部隊回しましょう。それでシリウス殿たちだが……」


 最後に俺へ視線が集まり、俺たちの立ち位置についての話となった。

 レウスはジュリアと共に行動させるとして、リースは変わらず負傷者の治療に回るだろう。一方、俺とエミリアとホクトは場所を選ばず戦えると教えたので、どこに配置させるか迷っているようだ。

 一応こちらの要望を聞いてくれるそうなので、ここは俺たちを知る獣王の指揮下に入るべきかもしれないな。


「では、俺たちは獣王様の下で動きたいと思います」

「それが妥当だな。この基地にはまだシリウス殿をよく知らない者が多いし、顔馴染みである獣王殿の方がいいだろう」

「私は構わぬが、別に指揮下に入る必要はあるまい? お主ならば、私の指示がなくとも状況に合わせて動けるであろう」

「しかし戦場において勝手に動かれるのも困りますぞ」

「うむ。特にあの大きな狼が突然目の前に現れたら、敵だと思って攻撃してしまうかもしれん。それで狼の怒りを買って反撃でもされたら……」


 確かに部隊で動くのだから、会議に参加している他の部隊長の意見は正論だろう。

 特にホクトの見た目は巨大な狼だから、見慣れていない者からすれば乱戦で敵として捉えてしまう可能性は十分あり得るが、ホクトに限ってその心配はあるまい。


「ホクトなら背後からの攻撃だろうと回避出来ますし、この状況も理解しているので問題はありません。もし魔物と間違えて攻撃したとしても、故意ではない限りは怒ったりしませんよ」

「本当にそうなのか? 」

「それは私も保証しよう。ホクト殿は下手すれば私たちよりも賢い狼だし、シリウス殿の判断力は父上も認める程だ。皆が心配するような事にはならないさ」

「……ジュリア様がそう仰るのでしたら」

「そもそも我々は彼等の心配をしている場合ではないぞ。まずは腑抜け気味な連中の尻を蹴飛ばし、喝を入れてやらねばならん」


 ジュリアだけでなくカイエンからの後押しもあり、俺たちはある程度は自由に動ける許可を貰えた。

 つまり遊撃要員なわけだが、許可してくれた皆の期待に応えられるように動かないとな。




 その後、カイエンの提案で新たな部隊編成や作戦について決められたのだが、彼が知将と呼ばれるのも納得出来る見事な采配だった。

 兵たちをなるべく休ませる交代要員や、想定外の状況に合わせた後詰めの編成等と、誰もが口を挟む必要がないくらいである。要注意なイムズの部隊も上手く配置しているので、抜かりはないに等しい。


「……以上となります。後は夜襲された時に備え、見張りを増やしておきましょう。そちらの選別は私の方で決めておきます」

「うむ、現時点で決められるのはこんなところだな。各自、定めた通りに動いてくれ」


 こうして会議が終わり、後はカイエンが細部を詰めるという事で解散になった。

 他の部隊長や兵士たちは防備の強化で忙しいが、俺たちと獣王はサンドールと関係がないという事で、何かあるまで自由に休んでいても構わないと言われた。

 というわけで、エミリアたちの下へ戻ろうと俺が椅子から立ち上がったのだが、少しだけ個人的な話がしたいとカイエンに呼び止められたのである。

 そして部隊長たちと獣王がいなくなった会議室で、ジュリアとカイエンだけで俺は話す事となった。


「ジュリア様からお聞きしましたぞ。何でもシリウス殿は、あのフォルトの毛を剃ったそうですな?」

「あー……はい。フォルト殿には申し訳なかったのですが、どうしても必要でして……」

「勝負して勝ち取ったのですから、シリウス殿が気に病む必要はありませぬよ。いやぁ、毛を失った奴の姿を私も見たいものですな」

「ふふ、あれは見事な姿だぞ。早くカイエンも見てほしいものだ」


 ライバルでありながら戦友でもあるフォルトとは付き合いが長く、軽口を言い合える気安い関係らしい。

 心から楽しそうに笑っているカイエンだが、これからが本題なのだろう。気持ちを切り替えるように咳払いをしたカイエンは、こちらへ視線を向けながら語り出した。


「君のような若人が来てくれて本当に助かった。ジュリア様の御蔭で士気は維持出来ているが、今回に至っては私の知略では覆しようがない状況になる気がしたのでな」

「現状が辛いのはわかるが、カイエンに相応しくない気弱な言葉だな」

「認めたくはないのですが、私も老いには勝てぬようです。あの裏切者たちの真意や策略に気付けないどころか、イムズ殿の暴走すら止められなかったのですから」

「カイエンは他の担当で忙しかったし、ラムダの件は仕方があるまい。それに腹立たしいが、奴の言葉は間違ってはいなかったのだからな」


 いつまでもカイエンが上では下の者が育たないので、席を空けるべきだとジラードから提案があり、カイエンは守衛隊長から指南役となったらしい。

 立場が変われば気が抜けるし、カイエン自身も引退を考えてはいたので、かなり気が緩んでいたらしい。

 カイエンのような知将がいながら、ここまで追い込まれてしまった理由がわかった気がする。


「わかっております。今は若人を生かす為にも踏ん張らなければなりませぬからな。私の全てを賭けてでも……」

「やる気を出すのはいいが、死ぬのは許さないぞ。私の花嫁衣裳を……いや、子供を見るまではな」

「……そうですな。ようやく貴方の目に適った者が現れたのですから」


 幼い頃はジュリアの教育係もやっていたらしく、二人はまるで親子のような親密さも感じられた。

 そのまま雑談を幾つか交わし、カイエンはラムダの影響は受けていないと確信したところで俺は会議室を後にした。




 ジュリアと別れた俺たちは、エミリアたちを探して基地内の食堂へとやってきていた。

 多くの兵が常駐する場所だけあって食堂は広く、兵士だけじゃなく机も大量に並んでいるので、エミリアたちを見つけるのも一苦労……かと思いきや、実にあっさりと見つける事が出来た。

 魔物たちの襲撃でまだ緊張が解けていない兵士たちと違い、エミリア……いや、レウスの周囲は明らかに空気が違っていたからだ。


「おかえりなさいませ、シリウス様」

「お、兄貴。もう会議は終わったのか?」

「うひゃっ!?」


 近づいてみればレウスの隣に座っているマリーナが、手にしたスプーンをレウスの口元へ近づけていたのである。

 どこか甘酸っぱい雰囲気を醸し出す二人を、対面に座っているアルベルトは微笑ましそうに眺めており、その隣のキースはどうでも良さ気にコップを傾けていた。

 そして俺がやってきた事に気付いたマリーナは、差し出していたスプーンを慌てて引っ込めて己の口内に運んでいた。


「あ、何だよ。食べさせてくれるんじゃねえのか?」

「う、うるさいわね! 私が食べたかったんだから、仕方がないじゃない!」

「ははは。先生は二人の仲を知っているんだから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか」

「さっさと口付けでも何でもしろってんだ。はぁ……メアリーが恋しいぜ」


 緊張していたら心から休めないので、いつも通りに振る舞えるのはいい事である。

 しかしいつ魔物が襲い掛かってくるかわからない状況でいちゃついているので、少しばかり周囲からの視線が痛い。

 交代で食事をしている兵士たちに喧嘩を売られていてもおかしくはない状況だが、レウスが前線で活躍したのが広まっているのか、絡んでくる者はいないようだ。

 エミリアが馬車から持ってきた道具で紅茶を淹れてくれたので、俺はエミリアの隣に座りながらこの状況について聞いていた。


「離れていた分を取り戻す為に、少し積極的になってみてはどうかと提案したのです」

「うぅ……まさかいきなりこんな事をするなんて。エミリアさんはよく簡単に出来ますね」

「簡単も何も、全ては愛ゆえでございます。そもそもこの行為は喜びであり、恥ずかしがる必要など微塵もありません。次は腕に抱き付いてみましょうか?」


 エミリアが未来の義妹へ自論を語っているが、残念ながら義姉エミリアが少し特殊なので、あまり参考にしないでほしいと思う。

 とりあえずエミリアの暴走を止める為に頭を撫でていると、テーブルに並べられた料理に俺は違和感を覚えていた。

 物資はサンドールから送られてくるとはいえ、戦闘が長引くのを見越して今は食事量に制限がされている。その量は空腹を訴える程ではないが、大食らいには物足りないくらいである。

 なのに目の前に並べられた料理は周囲の兵士たちが食べているものより明らかに多く、種類もまた豊富なのだ。


「随分と多いな。それにこの肉料理は明らかに他とは違うが、どこから持ってきたんだ?」

「外の魔物たちから肉を調達し、私たちが調理室を借りて作りました。シリウス様もどうぞお召し上がりください」

「まあ……基地の備蓄には手を出していないし、自分で作っているのなら文句はないか」

「この肉料理はマリーナが作ってくれたんだぜ? 美味いから兄貴も食ってみろよ」


 俺たちの馬車にある調味料を多少使ってはいるが、一言で伝えればただ肉を焼いただけの料理である。

 しかし勧められるだけあって非常に香ばしく、マリーナの許可を得て口にしてみれば、予想以上の旨味が口一杯に広がった。


「これは……美味いな。味の調整もだが、火の通しが絶妙じゃないか」

「妹は領地経営の勉強をしながらも、レウスの為にと花嫁修業も欠かさなかったのですよ。良かったな、訓練の成果が見せられて」

「も、もう……兄様ったら。そんな事まで言わなくていいのに」

「ふふ、立派に成長したものです」


 出会ったばかりの頃に数回だけマリーナの料理を食べた時があったが、失礼ながらあまり美味しくはなかったからな。

 領主の秘書としての勉強も怠っていないようだし、レウスの手綱を任せるに相応しい人物へと成長しているようだ。

 さて、そんな恋人の努力を知ったレウスは一体どう応えるのやら。


「俺の為……か。負けていられねえな」

「負けてって、別に勝負なんかする必要はないでしょ? そもそも料理ならあんたの方が上手だと思うし……」

「違うって。マリーナがいい女になったんだから、俺ももっと努力しなきゃって思ったんだよ。マリーナに相応しい男にならねえとな」 

「うっ!? 別にあんたは……その、もう十分格好いい……ああもう! そんな顔で私を見るな!」

「どんな顔だ?」


 レウスからの真っ直ぐな笑みに、喜びよりも気恥ずかしさが勝ったのか、頬を染めたマリーナは掌で顔を隠しながらテーブルに突っ伏していた。

 そんな彼女を心配してレウスが肩を叩いているが、あの二人は放っておいても大丈夫そうだな。

 とりあえず他の料理もいただこうと手を伸ばしたところで、まだ揃っていない人物がいるのを思い出した。


「料理と言えば、リースはまだ戻っていないのか?」

「はい。先程、セニアさんが報告しに来たのですが、もう少し怪我人を診て回るそうです」

「リーフェル様が付いているなら、リースも無茶はしないだろう。もう少し経って戻らなかったら様子を見に行くか。会議の内容も伝えたいし」


 後に獣王から聞くだろうが、アルベルトとキースに俺たちの配置箇所を伝える為、先程の会議内容について話した。


「……という感じで、レウスとリースを除いた俺たちは遊撃要員として動く事となった。二人は獣王様の指揮下のままだから、後で詳しく聞くといい」

「ああ。といっても、親父の事だから俺がやる事はあんま変わらねえ気がするな」

「私も全力で戦うだけです。しかし……先生を遊撃に指名したのは正しいと思います。そのカイエンという御方は、先生の実力をしかと見極めているのですね」

「だろうな」


 ジュリアに信頼されているのもあるだろうが、俺たちが余所者だからこそカイエンは配置場所を固定させなかったのだろう。

 冒険者である俺たちは命を賭けてまでサンドールを守る義理もないし、状況次第では突如いなくなる可能性も考え、敢えて重要な箇所に配置しなかったのだ。

 別に俺たちを信じていないわけではなく、守衛隊長として最悪の状況を考慮した上での判断だと思われる。


「あの逃げ方からして夜襲の可能性は低いかもしれないが、寝静まった頃を狙って……という事も考えられる。とにかく何時でも動けるように備えておくようにな」

「あの、会議で魔物の異常さについては話さなかったのでしょうか?」

「アルベルトは気付いたようだな。お前の想像通り、今回の魔物たちは知恵を持った存在に統率されている可能性が高いと判断された。今頃、隊長から下へと伝達されているだろうさ」


 魔物たちは本能で動いている姿が多々見られたので、人と比べたら稚拙な統率だろうが、規模が違えばそれだけでも脅威度が格段に上がるものだ。

 今までの魔物と思わず、人を相手にするように戦えと兵士たちへ伝わっている筈である。


 そんな話以外にも、逃げ出した魔物がすぐ攻めてこない点についても話し合いが行われた。

 魔物たちを休ませる為とか、夜間では魔物の統率に制限があるのか……等と色々考えてみたものの、やはり現時点で答えが出る筈もなく保留となった。

 結局のところ俺たちは防衛に徹するしかないし、時間を稼げばそれだけ向こうの正体や目的も判明するかもしれないので、とにかく最大限の警戒と作戦により魔物を迎え撃つ……というのが、最終的な決定となったのである。

 今は体調を万全にするのが重要という事で、俺は気分転換も兼ねてレウスに例の件を聞いてみた。


「そういえば、ジュリアの事はマリーナに話したのか?」

「お、おう! 凄く言い辛かったけど、ちゃんと説明はしたぜ。だからマリーナは怒ってない……筈」

「どちらかと言えば、反応に困るのよ。そりゃあ最初は驚いたけど、落ち着いて考えたらレウスはいつも通りに動いただけっぽいし」


 模擬戦を挑まれて勝利したら気に入られ、敵に女性の扱いに関して怒ったら結婚を申し込まれた。

 話だけ聞くと何故そこまで飛ぶのかと首を傾げたくなるが、レウスが嘘をつくような男ではないと理解しているのか、マリーナは複雑な表情で溜息を吐いている。


「レウスって誰が相手でも裏表がないし、ジュリア様が好きになるのもわからなくはないの。でもさ、こ……恋人の私がいるんだから、嫌ならちゃんと断ってほしいわ」

「それはわかっているけどさ、でも俺は別にジュリアが嫌いなわけじゃねえんだよ。ただ結婚とか言われて困っているだけで……」


 レウスなりに断ってはいるものの、ジュリアが一切諦める様子がないからな。

 おまけに今はお互いを気に入ってしまっているので、邪険に扱う事も出来ないのだ。

 恋人であるマリーナだけじゃなく、将来を約束しているノエルの娘……ノワールもいるし、レウスの恋愛事情は実に複雑である。

 そんな弟をエミリアはどう思っているのかと、隣へ視線を向けたところで……遂にその時は訪れた。


「ふむ……いい匂いがするな。レウスもいるし、私も隣にお邪魔させてもらってもいいかな?」


 そう、二人は出会ってしまったのだ。

 遅れて会議室を出たジュリアと、警戒するように三本の尻尾を逆立てるマリーナ。そして女性二人に挟まれ、俺に助けを求めるような視線を向けてくるレウス。

 外での戦いは一段落したが、基地内でも新たな戦いが始まろうとしていた。




 おまけ ノエル先生の大予想



 はいはーい、良い子の皆さん、こんにちわ。呼ばれて飛び出て、神出鬼没なノエル先生ですよ。

 何で私がこんな所にいるとか、そういう野暮なつっこみはしないでくださいね。文句がある人は、筋トレ中の暑苦しいレウ君を送っちゃいますから。

 さて……じゃあ早速だけど、これからレウ君とマリーナちゃんとジュリア様は一体どうなるのか?

 この私がずばり予想しちゃいますよ。

 とりあえず、簡単に分けて三つくらいになると思うの。


・レウス、正座する。

・マリーナとジュリアのキャットファイト。

・そしてレウスのお腹へ二人のナイフが吸い込まれ……。


 ……とまあ、私の考えではこうなるかな?

 レウ君は二人の尻に敷かれるのか、あるいは男らしさを見せて二人をメロメロにしちゃうのか。

 次回をお楽しみにー……え? あ、やっぱりわかります? 

 ええ、もちろん今のは全部嘘ですよ。

 何だか凄くピリピリした状況だから、皆の緊張を解そうと適当に言っただけです。

 ですから……その、シリウス様? 私の頭を狙って手を伸ばすのは止めてくれないかなー……って。

 今回は正直に嘘だと説明しましたし、ちょっとしたお茶目じゃないですか!

 いつもアイアンクローばかりで、いい加減私は訴えますー…………あ、良かった。

 そうそう、もっと穏便にですね……あれ、どうしてホクトさんがここへ?

 それに私をどこへ運んで……え、向こうでお説教する?

 あの、私はホクトさんの言葉を理解出来ませんから、目の前で威圧感と共に吠えられても、ただ怖いだけなんですけど。

 あはは………………ディーさん、助けてぇ!






 本当はジュリアとマリーナの対決と、夜が明けた部分まで書く予定でしたが、生存報告も兼ねて一旦投稿する事にしました。

 えーと……その、更新が滞って本当に申し訳ありません。

 ちょっと精神的にへこむ事がありまして、話の繋ぎや言い回しが全く浮かばず、書けない日々が続いておりました。

 とりあえず書籍化作業を終えて一段落し、少しは精神が落ち着いてきたので、ぼちぼちと続きを進めております。


 次回は元から考えていた区切りまでなので、内容が少し短めになるかな?


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