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開戦・初日

 前回のあらすじ


 サンドールの防衛の要である前線基地に大量の魔物が攻めてきたので、シリウス一行はフィアをカレンをサンドール城に残し、前線基地へ向かうのだった。

 その頃前線基地では、シリウスの弟子でもあり、レウスの親友であるアルベルトたちが戦っていたが、戦闘の途中でアルベルトの妹であるマリーナが危険な状況に陥ってしまう。

 そんな絶体絶命の中、空から降ってきたレウスがマリーナを救うのだった。




 ――― レウス ―――




 俺たちの目的地である前線基地は、どんなに馬を飛ばしても半日近くはかかるらしい。

 けどホクトさんの御蔭で、俺たちは半日どころかその半分の時間で前線基地に到着出来た。とはいえ昼過ぎに出発したから、俺たちが到着した頃にはそろそろ日が沈み始める時間だった。

 確か……魔大陸から魔物たちの襲撃が始まったのは、早朝からだって兄貴とジュリアが言っていた。

 でも前線基地までは二つの防壁を突破しないといけないので、まだ魔物が押し寄せていない可能性もあったが、近づくに連れて魔物や血の匂いが濃くなっていくので、すでに戦闘が始まっているみたいだ。


「兄貴!」

「ああ、始まって間もない……という感じでもなさそうだ。すぐに参戦するとしよう」


 移動中、兄貴はジュリアから前線基地の構造や、備蓄されている武器や物資について色々と聞いていた。

 そして平地と違い、これだけ大規模な基地での戦場となれば固まって動くのが難しい時があるので、兄貴は俺たちにはっきりと告げた。


「ジュリア様は別として、俺たちはこういう場所での戦いは慣れていない。だが防衛戦の基本は教えた筈だ。指示もある程度は出すが、基本は状況に合わせて臨機応変に動いてくれ」

「「「はい!」」」

「義兄さん、私はどうすればいい? 身分等は気にせず、遠慮なく私にも指示を飛ばしてくれ」

「ここはジュリア様の国なので、いつも通りに動いていただければいいかと。それと……義兄と呼ぶのは止めてくれませんか?」

「どちらも了解した。ならばレウスと正式に結ばれた後で呼ぶとしよう」


 うぅ……何でだ?

 俺、マリーナの事が好きなのに、会いたい筈なのに、何でこんなに会うのが怖いんだろうな?

 よくわからない気分を切り替える為に頭を振っていると、サンドールを囲っていた防壁よりも大きい壁……前線基地が見えてきたので、ホクトさんは徐々に速度を落とし始めていた。


「そろそろ到着だな。皆、手筈通りに頼んだぞ」

「お任せください!」

「おう!」


 そして馬車の速度が落ちると同時に、兄貴と俺とジュリアは馬車から飛び降りて前線基地へ向かって駆け出した。馬車は姉ちゃんたちが安全なところに停めてくれるので、俺たちは後を気にせず走る。

 突然やってきた俺たちを見て警戒する兵士たちがいたけど、すぐにジュリアがいる事に気付いて歓声を上げていた。これなら何も言わなくても、ジュリアがやってきたのが勝手に広まっていきそうだ。

 そんな中、ジュリアは前線基地の指揮官を、兄貴は獣王様を探す為に基地内へと入って行ったので、俺も兄貴について行こうとしたけど、ある事に気付いて俺は立ち止っていた。

 多くの魔物や血によって匂いが滅茶苦茶だ。それでも間違いなく、マリーナとアルベルトがここにいる事だけはわかる。

 あいつの事だから前線で剣を振るっていそうだし、上の方に行けばすぐに見つかるかもしれない。

 魔力を無駄にするべきじゃないってのはわかるけど、何か嫌な予感がした俺は地を蹴って飛び上がり、更に『エアステップ』を使って基地を見下ろせるくらいに高く飛び上がっていた。


「うわ……上も下も凄い数だな」


 地上から迫る奴だけじゃなく、空にも無数の魔物がいるみたいだ。

 ぱっと見た感じ、鋭い嘴や爪が目立つ大きな鳥や、ゴブリンに翼が生えているような魔物の姿が見られるけど、ワイバーンと呼ばれてる小型の飛竜が一番多いと思う。

 そんな飛べる魔物たちが次々と攻めて来るから、防壁の上で戦っている兵士たちは魔法や矢を放って何とか追い払っている感じだな。

 その兵士たちに交じって魔法を放つマリーナを見つけー……。


「っ!? 不味い!」


 くそ! 他のより一際でけえワイバーンがマリーナを狙って急降下していやがる。

 斬ろうにも距離があるし、剣を投げるしかねえと思ったその時、空中にマリーナの幻が無数に生まれ、見事に騙されたワイバーンはマリーナの頭上を通り過ぎていった。

 凄えな、前に見た時より幻の数が明らかに増えているぞ。俺が知らない間も努力していたんだなと感心していると、突然マリーナが吹き飛ばされ、防壁の下……魔物が沢山いる場所へ落下してしまったのだ。

 ワイバーンが通り過ぎた時の風のせいだと思うが、考えている暇はねえ。

 マリーナを助ける為、俺はすぐさま『エアステップ』で宙を蹴って加速しながら落下した。


「邪魔すんじゃねえ! どらっしゃあああぁぁぁ―――っ!」


 途中、落下するマリーナを狙おうとする小型のワイバーンを斬り捨て、もう一度『エアステップ』で落下軌道を変えた俺は、マリーナを胸の前で抱き留めて助ける事に成功した。

 腕から伝わる温もりと、懐かしい匂いを感じながら着地した後、俺はこちらを見上げるマリーナへ笑いかける。


「ふぅ……怪我はねえか、マリーナ?」

「う、うん……」


 会うのがちょっと怖かった筈なのに、マリーナの顔を見たらそんな事はどうでもよくなったな。やっぱり俺はマリーナが好きなんだって改めて思う。

 それとさっきまで遠くだったからわからなかったけど、こうして近くで見ると……。


「なあ、マリーナ。前より綺麗になっていないか? 髪だけじゃなく尻尾にも艶があるっていうかさ」

「い、一年も経てば変わるし、そもそもいきなり何を言っているのよ! あんた、本当にレウスなの?」

「本当も何も俺に決まっているだろ? あ……綺麗になるだけじゃなく、ちょっと重たくなったか? 前に抱えた時より重たい気がするぞ」

「くっ! レウスで間違いなさそうね。というか一言余計なのよ!」


 顔を真っ赤にしたマリーナに胸を叩かれてしまった。

 そんなに怒らなくても、別に俺はマリーナが太ったなんて言いたいわけじゃないぞ?

 筋肉は脂肪より重たいって兄貴が言っていたから、適度に体を鍛えているんだなって言いたかっただけだ。

 それを説明したのに……マリーナの攻撃が止まらねえ。

 どう言えば良かったのか悩んでいると、マリーナと同じくらい会いたかった相棒……アルが笑みを浮かべながら近づいて来た。


「元気そうだな、アル。早速でなんだけどさ、マリーナを何とかしてくれよ」

「君は一年近く経っても相変わらずだな。心配しなくても、妹はレウスに会えて照れているだけさ。しばらく好きにさせてやってくれ」

「兄上!」

「なら仕方ねえな。ほら、遠慮なく叩けよ。全部受け止めてやるからよ」

「うぬぬ……それだと私が悪者みたいじゃない!」


 お、覚悟を決めたら止めてくれたぞ。

 でもマリーナの顔はまだ真っ赤だし、下ろしてとも言わないからもう少しこのままでいるか。

 幸いな事に他の兵士たちが前に出て戦っているので、今は俺たちの周りに魔物がいないからな。少しくらいなら、このまま話をしていても大丈夫そうだ。


「ったくよ。いきなり降ってきたかと思えば、すぐに女と乳繰り合ってんじゃねえよ」

「悪い、久しぶりに会えたから嬉しくてさ。キースだって、離れていた恋人や家族と久しぶりに会えたら嬉しいだろ?」

「……メアリーっ!」


 やばい、何か言っちゃいけない事を言っちまったみたいだ。とりあえず、キースの妹であるメアリーはここにいないって事だけはわかったな。

 叫び始めたキースを宥めるアルと、不機嫌そうにしながらも尻尾で俺の腕に触れてくるマリーナ。

 兄貴や姉ちゃんたちとは違う、心許せる仲間たちに囲まれているせいか俺も自然と笑みが浮かぶ。

 だからもう少しこのままでいたいのに……そうもいかねえか。


「ちょっと降ろすぞ」

「え!?」


 地上の魔物じゃなく、空を飛んでいた数体の魔物が俺たち目掛けて降ってきたからだ。

 マリーナを地面へ降ろし、空からの魔物を迎え撃とうと俺たちが身構えたその時……足元に魔物とは違う影が差したのである。


「はあああぁぁぁ――っ!」


 魔物より更に上から降って来たのは金色……いや、剣を手にしたジュリアだ。

 凄まじい勢いで防壁の上から飛び降りてきたジュリアは、降ってくる魔物たちの横を通り過ぎて俺たちの前に着地していた。


「「ジュ、ジュリア様!?」」

「おいおい、何でサンドールの姫さんがここにいるんだよ?」

「無論、魔物と戦いにきたのさ。連中は私の国を狙っているのだからな」


 そんなジュリアの言葉と同時に、俺たちを狙っていた空の魔物たちが真っ二つなって近くに落ちた。全部で四体はいたのに、ジュリアはすれ違いざまに全て斬ったらしい。

 これが本来の武器を手にしたジュリアの実力なんだな。

 ただ、剣に付いた魔物の血を払い飛ばすジュリアの登場に、アルたちはどう反応したらいいか迷っているみたいだ。国の王女様が突然現れたら誰だって驚くよな。

 だからアルたちに事情を説明しようとしたところで、目を細めたジュリアが何か言いたげに俺を見ている事に気付いた。


「羨ましい……」

「ん、何がだよ?」

「上から見ていたが、先程までマリーナ殿を胸の前で抱えていただろう? これまで私はする側だったが、してほしいと思ったのは初めてだ。後で私にもやってくれないか?」

「……レウス?」

「あ……えと、マリーナ……さん?」


 笑顔なのに怖いぞ!?

 姉ちゃんたちとは違う恐ろしさに、身動きどころか呼吸すら忘れてしまいそうになっていた。何も悪い事はしていない筈なのに……何でだ?

 助けを求めるようにジュリアを見れば、任せろと言わんばかりに頷いてくれた。


「マリーナ殿、そんな顔をしないでくれ。私がレウスに惚れてしまい、結婚を申し込んだだけなのだ」

「結婚……」

「うむ、父上からも許可は貰ってはいる。だがどれだけレウスを愛そうと、私はマリーナ殿とノワール殿の後に惚れた女に変わりはない。どうか三番目の妻として許してもらえないだろうか?」

「……貴方からも詳しく聞く必要がありそうね?」

「うひっ!?」


 兄貴の『マグナム』みたいに、ジュリアは的確かつ連射で不味い事を口走っていく。

 マリーナの問い詰めるような視線に耐えきれなくなった俺は、アル……いや、キースの後ろに隠れた。


「何故俺の後ろに隠れる?」

「いや……お前なら殴られても平気そうかなって。ちょっと頼むよ」

「俺が殴ってやろうか?」


 だってお前、母ちゃんによくボコボコにされていたじゃねえか。根性は負けねえけど、体の頑丈さだけは上だと俺は思っているし。

 けどキースが横へ逃げてしまったので、俺はマリーナと再び向かい合う事となる。

 もう魔物の群れと戦う方が遥かに楽なんだけど、やっぱり先にマリーナを安心させてやらねえとな。俺はマリーナの恋人なんだし、兄貴ならそうする筈だ。

 逃げ出したくなる気持ちを捻じ伏せ、改めてマリーナと視線を合わせた瞬間……俺は剣を抜きながら片手でマリーナを抱き寄せていた。

 何故なら、上からまた魔物たちが降ってきたからだ。

 今度は三十……いや、五十は軽く超えているな。


「来るぞ!」

「ちっ! 上の連中は何をしていやがる!」

「いや……待ってくれ。何か変だぞ」


 他の皆も武器を手にして身構えていたけど、それが振るわれる事はなかった。

 だって俺たちの周りに落ちてきた魔物は全て頭に穴が空いているか、急所を撃ち抜かれて死んでいたからだ。

 誰がやったかなんて言うまでもない。皆で見上げれば、防壁の上に立った兄貴が魔法を放っている姿が見えた。


『レウス。三人を一旦下がらせて、お前とジュリア様で破城槌を持つ奴を狙え。前に出過ぎるなよ』

「……おう!」


 そうだ……浮かれている場合じゃねえ。

 確かにマリーナの事は放ってはおけないけど、兄貴が戦っているのにのんびりし過ぎだろ俺は。

 すぐに兄貴へ聞こえるように返事をした俺は、腕の中にいるマリーナの目を覗き込みながら告げた。


「すまねえ、マリーナ。こんな状況だからさ、後で説明するよ」

「……そんなに焦らなくても、ある程度はわかっているつもりよ。どうせジュリア様が急に言い出して、あんたはどうすればいいか困っているだけでしょ?」

「お、おう。大体そんな感じなんだ。ていうかわかるのかよ?」

「あんたを知っていれば、大体予想はつくわよ。でも、どうしてそうなったのか、後できっちり教えてもらうからね。私がすっきりしないんだから!」


 少し恥ずかしそうにしながらも笑ったマリーナは、俺の鼻先に指を突きつけながらそう言ってくれた。

 そんなマリーナの言葉で少し気が楽になったところで、姉ちゃんが風を操りながら俺たちの前に降りてきた。


「あ、エミリアさん!」

「マリーナを迎えに来ました。詳しい話は後にして、すぐに行きましょう」

「えっ!? 迎えにって……きゃっ!?」


 そして俺と同じようにマリーナを胸の前で抱えた姉ちゃんは、風の魔法で飛び上がって兄貴の下へ戻っていった。

 そうか、ロープを使ったとしてもマリーナだと高い防壁を登るのは大変だからな。兄貴に言われて迎えに来たわけか。


「ほら、マリーナも戻ったしアルとキースも行けよ。後は俺とジュリアに任せとけ」

「てめえが来たなら別だろ。まだ俺は戦えるし、いっちょ全員でこの辺りを一掃してやろうぜ!」

「キース。気持ちはわからなくもないが、私たちも戻るべきだ。上には先生もいるからな」

「……仕方ねえな。けど、ロープを登って戻るのも面倒だな」


 二人は姉ちゃんみたいに風で高く飛べないし、兄貴のように上手く『エアステップ』が使えるわけじゃない。

 上から降ろしているロープで壁を戻るしかないと思ったその瞬間、アルとキースが凄い勢いで上空へと飛んで……いや、文字通り引っ張られていった。


「何と! エミリア殿だけでなく、あの二人も空を飛べるのか! 後で私にも教えてもらいたいものだ」

「いや、たぶん兄貴の魔法だよ」


 一瞬だけ二人の体に兄貴の『ストリング』が巻き付いたのが見えたからな。

 兄貴の力で二人分を一気に引っ張り上げるのは厳しいけど、上には獣王様がいるから手伝ってもらったんだろう。


「ふむ……君たち本当に興味深いな。これからが楽しみだよ」

「ああ、兄貴や姉ちゃんたちと一緒だと飽きないぜ。でもまあ、その前にこいつ等をどうにかしないとな」


 周りで戦っている獣人たちの様子を見たところ、あまり状況は良くない。負けているわけじゃないけど、次々と魔物がやってくるせいでここを抑えるのが精一杯って感じだ。

 そのせいで目標である破城槌を持つオーガは、まだ一体も倒せていない。今こそ俺とジュリアの出番だ。

 空の魔物たちは兄貴がやってくれるから、俺たちは目の前の敵に集中すればいい。

 魔力を集中させながら相棒の剣を高く掲げた俺は、風圧を生み出す勢いで振り下ろしながら吠えた。


「纏めて、かかってきやがれ!」

「ふふ、気合は十分だな。ならば私も宣言させてもらうとしよう。我が国を狙う悪しき魔物共よ、私の剣を折ってみるがいい!」


 俺に負けない勢いでジュリアが吠えれば、防壁の上で戦っていた兵士たちが反応するように雄叫びを上げていた。

 狙っているわけでもないのに、凄い一体感だな。それだけジュリアは国の人たちから信頼され、頼りにされているわけか。

 そんなジュリアへ視線を向けてみれば、悩みを吹き飛ばすような爽やかな笑みを返してくれた。


「以前の氾濫よりも魔物は多いようだが、私とレウスの剣があれば何も恐れる事はないな」

「……だな。じゃあ、俺は右の方をやるから左は頼んだぜ」

「任せておくがいい!」


 何ていうか……不思議だな。

 ジュリアと一緒に戦うのはまだ二回目なのに、まるで何年も一緒に戦っているような気がする。

 いきなり結婚してくれと言われて困ったりはしたけど、今は何よりも心強いジュリアと共に、俺は魔物たちへ剣を振り下ろした。




 ――― シリウス ―――




 防壁の上から俺が飛ばした『ストリング』は、前線基地の正門前にいたアルベルトとキースの体へ正確に巻き付いた。

 同時に俺から伸びる魔力の糸を、隣にいた獣王へ握らせて引っ張ってもらえば……。


「ぬうん!」

「「うおおっ!?」」


 地上にいた二人が、一本釣りされた魚のように飛んで戻ってきたのである。

 ロープで壁をよじ登って来るより遥かに早いが、獅子族特有の身体能力で引っ張られたせいか勢いが凄まじく、二人は軽く見上げる程の高さまで飛んでいた。傍目から見ると完全に逆バンジーである。

 そんな状態でも二人は冷静に体勢を立て直し、俺たちの前に両足での着地に成功していた。


「はぁ……はぁ……な、何が起こったんだ!?」

「師匠!? もしかして、今のは師匠が?」

「ああ。強引ですまないと思うが、お前たちを早く回収しておきたくてな」


 二人に巻き付けた『ストリング』を消した後、久しぶりの挨拶も含めて何が起こったのか簡単に説明しておく。

 そのあまりにも強引な方法に二人は呆れていたが、文句を言われるより先に獣王が会話に入ってきた。


「早く戻ってこないからそうなるのだ。何時までも喋っていないで、さっさと中に戻って休んでこい」

「わかってるよ!」

「はい、何かあればすぐに呼んでください。ところで……マリーナはどこへ?」

「こ、こちらです、兄上」


 エミリアに抱えられて戻ってきたマリーナの顔色が少し悪いが、それも当然かもしれない。

 ここの防壁は非常に高く築かれているので、地上から一気に高い位置へ上がれば気持ちも悪くはなるだろう。特にマリーナはエミリアや兄たちと違い、そこまで体を鍛えているわけじゃないからな。

 無事にマリーナの回収任務を果たしたエミリアの頭を撫でた俺は、空から攻めてくる魔物へ『マグナム』を放ちながらアルベルトとキースに顔を向けた。


「奥の方でリースが怪我人の治療をしている筈だ。目立った傷はないようだが、一度彼女に診てもらってきた方がいい」

「うむ、何時でも出られるように備えておくのだぞ。まだ戦いは続くのだからな」


 そう語る獣王の視線の先には、魔物を次々と斬り捨てるレウスとジュリアの姿がある。

 二人は魔物の群れをものともせず正面から突破し、優先目標である破城槌を持ったオーガを次々と仕留めていた。


『どらっしゃあああぁぁぁ――っ!』

『はああああぁぁぁ――っ!』


 頑丈な皮膚と筋肉に覆われたオーガを一振りで真っ二つにするレウスに、目にも止まらぬ速さでオーガの四肢を斬り飛ばすジュリア。

 危険だと察したオーガは二人に狙いを付け、手にしていた丸太……破城槌を武器として突き出してきたが、レウスは冷静に動く。


『そいつは扉を狙うもんだろうが!』

『うむ、慣れない物を使うべきではないぞ!』


 レウスは破城槌を飛んで回避しただけでなく、丸太の上を駆け抜けてオーガへと接近していたのである。

 ジュリアもまたレウスに続き、二人は丸太の上を駆け抜けながら更にオーガを斬り捨てていく。

 戦局を変えつつある二人の勢いに気付いた周囲の兵士たちは更に沸き、全体の士気が上がっていくのを肌で感じていた。


「……見事だな。鍛錬を怠ったつもりはないが、今の私ではレウスの剣を受け流せる自信がない」

「ああ。それに姫さんとの動きもばっちりじゃねえか。くそ、俺も一緒に暴れたかったぜ」

「…………」

「並んで戦えなくとも、あの子はマリーナの事をちゃんと考えていますよ。後でゆっくりと語れますから、そんな悲しそうな目をする必要はありません」

「そ、そんなつもりじゃ……」


 息の合った動きで戦うレウスとジュリアを複雑な気持ちで眺めているマリーナだが、エミリアが上手くフォローしているようだ。

 そして渋々といった様子で下がる三人を見送ったところで、俺は周囲に指示を飛ばしていた獣王と視線を合わせた。

 レウスとジュリアの御蔭で正門はしばらく保つだろうが、問題はまだまだ山積みだからな。


「下は二人に任せておけば大丈夫だろう。しかし……」

「ええ、空を飛ぶ連中ですね」


 地上から迫る魔物の大群だけでなく、防壁よりも高く飛べる魔物が厄介だからな。

 獣王と合流した時に現状を軽く聞いてみたところ、どうも対空攻撃が乏しい状況らしい。


『矢の他にも魔法を放つ者もいるが、すでに多くの者が魔力枯渇に陥っているのだ』


 人の魔力は回復するのに時間がかかるので、弓矢のようにすぐ補充なんて事が出来ない。

 それゆえに魔法はなるべく温存しながら戦うべきなのだが、あまりにも魔物の数が多くて焦った前線基地の守衛隊長が、一気に薙ぎ払えと魔法を連発させる指示を出したそうだ。

 冷静ではなかったとはいえ、とてもここを任せられた者とは思えない判断である。


『どうやら実力ではなく、身分や縁によって得た地位らしいな。あまりにも見ていられんから、私が一部の指揮権を奪い取ったのだ』


 そんなわけで防壁の西側がその守衛隊長で、東側……俺たちがいる位置を獣王が指揮しているわけだ。

 自国から連れてきた兵を巧みに指揮し、戦力を温存させながら戦っている獣王であるが、西側が押されている事に気付いて舌打ちをしている。

 向こうへ援軍を送りたくても、空からの魔物だけでなく地上の援護、そして防壁に爪を立てて強引に登ってくる小型の魔物たちを迎撃する必要があるので、部隊を割く余裕がないのだ。

 冷静ではいるが、悩まし気にしている獣王へ俺は装備を確認しながら提案していた。


「わかりました。こちらは俺たちが入りますので、兵の半数を休憩か向こうの援護に回してください」

「……任せてもいいのか?」

「問題はありません。俺にはエミリアと……」

「獣王様! 前方から魔物が!」


 兵士の大声に振り返れば、中型のワイバーンが俺たち目掛けて急降下してきたのである。

 矢と魔法を受けながらもその巨体は止まらなかったので、俺は『アンチマテリアル』を放ってワイバーンの頭部を吹き飛ばした。

 しかし勢いまでは殺せず、頭を失ったワイバーンの巨体が俺たちへと迫るが……。


「ホクト!」

「オン!」


 少し遅れてやってきたホクトが俺の横を駆け抜け、迫るワイバーンの肉体を正面から受け止めたのである。

 己の倍近くはある巨体を軽々と止めたホクトは、そのまま一回転しながら地上へ向かって放り投げてくれた。もちろんホクトが投げた先は魔物が密集している地上で、ワイバーンの巨体も相まって多くの魔物を巻き込んでいた。


「ホクト様だ!」

「ホクト様ぁ!」

「皆の者、ホクト様が降臨されたぞ!」


 ホクトの登場に、ジュリアを知らない獣人たちの士気が上がっていく。

 これで百人力だと伝えるように獣王へ視線を向けた俺は、両手に銃器をイメージしながら獣王へ告げる。


「向こうはお任せします。体勢を立て直す為に、こちらは派手に行きますので」

「うむ、頼んだぞ! ホクト様とエミリア殿もな」


 満足気に頷く獣王が西側への伝令を呼びつけたところで、俺は両隣に控えた従者と相棒へ語り掛けながら一歩前に出た。


「ホクト。壁を登ってくる連中を掃除してこい」

「オン!」

「エミリア。傍で援護だ」

「はい!」

「ここからが本番だ。気を引き締めろ!」


 エミリアとホクトに指示を飛ばすと同時に、俺は空を埋め尽くさんばかりの魔物たちへ狙いを付ける。

 とはいえ適当に撃っても命中しそうなので、ここは弾丸を最も連射出来る『ガトリング』を放つべきだろうが、今回は少し連射数が劣る『マシンガン』を発動させた。

 秒間数十発で放たれる魔力の弾丸は迫る魔物たちを貫き、次々と地上へ落下させていく。


「見える範囲でも、軽く千は超えているようだな」


 そこから東西に別れて攻めてくると考えて、俺たちが相手をするのはその半分くらいだろう。

 だが魔大陸の方角からは新たな魔物の増援が次々とやってきているので、少しでも無駄撃ちを減らし、一体でも多くの魔物を仕留めなければなるまい。それゆえに小回りが利く『マシンガン』を選んだのである。


「おお、さすがはシリウス殿! 目に見えて魔物が減っているぞ」

「我々も負けていられんな」

「皆も続け! ホクト様に勝利を捧げるのだ!」


 周囲は顔見知りな獣王の兵士が多く、俺の手が回らない部分を補うように陣形を展開してくれていた。

 これなら安心して正面に集中出来るので、俺は魔物の頭部を一つ一つ確実に撃ち抜いていく。


「オン!」


 その頃、ホクトは防壁の壁を走り回り、壁をよじ登ってきている魔物たちを叩き落としていた。尻尾を振り回して魔物を払い落とす光景は、正に掃除と言って過言ではあるまい。

 この調子でいけば戦況は安定しそうだが、これだけ魔法を連発すればすぐに俺の魔力も尽きるだろう。

 まあ俺は特殊な体質ゆえに魔力の回復が異常に早く、大きく深呼吸をしている間に全回復が可能なのだが、逆に考えれば数秒間は魔法が使えないわけだ。銃器で言えば再装填リロード時間である。

 これが普段の戦いであれば接近戦等で時間を稼ぐのだが、これ程大規模な集団が相手となると、その数秒が致命的な隙となり得る。


「カバー!」

「お任せください!」


 だがその数秒の空白を、隣に控えたエミリアに埋めてもらう。

 共に戦えるのが嬉しいのか、笑みを浮かべるエミリアは風の刃だけでなく中規模の竜巻を生み出し、俺に負けない勢いで魔物を叩き落としていた。

 しかし中には竜巻を強引に抜け、自滅覚悟で迫る魔物もいたが……。


「……少し遅いな」

「それ以上、シリウス様に近づくのは許しません!」


 その頃には俺の魔力は回復している。

 大口を開けて牙を剥く魔物の口内へ、俺の『ショットガン』とエミリアの『エアショットガン』が叩き込まれ、魔物は頭部どころか体全体が弾け飛んでいた。

 今のは頭部を吹き飛ばす程度の威力だったが、エミリアの絶妙な息の合わせによって二倍以上の一撃となったようだな。


「見事だ、エミリア」

「シリウス様と息を合わせられるのは、ホクトさんだけではありませんから」


 自信満々に応えるエミリアに頼もしさを感じながら、俺は再び弾丸の嵐を魔物たちへ叩き込んでいく。

 その絶え間ない攻撃により、仕留める数が魔物の増援を上回り始めた頃……俺は隙を見て地上の様子に意識を向けてみた。

 レウスとジュリアは……問題なさそうだ。

 二人は疲れを知らないように剣を振るい続け、正門から一定の距離を保ちながら魔物を斬り捨てている。

 しかし偶に二人の周囲で戦う兵士が油断して襲われそうになっていたので、時折そちらへ『スナイプ』を放って援護しておいた。

 少なくとも、今は順調と言っていい状況だろう。

 後はサンドールからの援軍が来るまで耐えれば、俺も交代で休めるようになると思うが……やはりそう簡単にはいきそうもないか。


「アービトレイの子らよ、備えるのだ! でかいのが来るぞ!」


 竜種の中で最も強いと呼ばれる、上竜種に近い飛竜が現れたからである。

 おまけに三体もいるので、獣王が遠距離での撃破は厳しいと接近戦に備える号令をかけるのも当然の判断だろう。

 だが俺の『アンチマテリアル』なら仕留められると思う。しかし多少時間を掛けて魔力を濃縮しないと倒しきれるかわからないし、それを二発も撃てば魔力補充リロードが必要となる。

 向こうは凄まじい速度で迫っているので、このままだと三発目を撃つ前に接近を許してしまう。あれが一体でも暴れられたら全体を崩される可能性が高い。

 せっかくの優位を崩されるのも困るし、ここは一つ目の切り札を切るとしよう。


「エミリア、少し頼む」

「はい!」


 エミリアに他の魔物を頼んだ俺は、懐から淡い光を放つ掌サイズの板……カードを取り出した。

 全部で二枚用意したカードには無数の紋様が刻まれており、魔力を流せば光球となって俺の周囲に浮遊し始めたのである。

 傍目には『ライト』を二つ浮かべているだけなので、周囲の兵たちは首を傾げていた。


「あの、シリウス殿は何をする気で?」

「あれを落とします。衝撃が発生するので、今は俺に近づかないでください」


 そう告げると同時に、俺の『ストリング』で繋がれた光球は膨大な魔力を放ち始めた。

 ちなみにこの光球の核となるカードの正体は、特殊な処置で板状に加工した魔石である。その魔石の板に俺が作った魔法陣を描き、幾つも重ねて一枚のカードに仕上げてあるのだ。


「接続……完了。安定……誤差修正……」


 そしてカードに俺の『ストリング』を繋げて使えば、カードは魔力タンクとしてだけでなく、任意に操作可能な発動体にもなるのだ。

 カードには普段から使う魔法の魔法陣を一通り刻んであり、その中から必要な魔法を発動させながら狙いを付け、こちらへ迫る飛竜に狙いを付けた俺は脳内の撃鉄を引いた。


「『アンチマテリアル』……掃射!」


 俺と光球から放たれた三発の弾丸は、周囲に衝撃波を生みながら目標へ命中し、三体の飛竜は頭部……または体の半分を吹き飛ばされて落下していった。

 更に射線上にいた他の魔物も大勢巻き込んだらしく、少し余裕が生まれた獣王と周囲の兵士たちが呆然とこちらを眺めている。


「ほう……あれ程の魔法を同時に放てるとはな。以前より遥かに強くなっておるようだな」

「成長しているのは弟子だけではありませんので」


 カードを使えば、己の魔力をほぼ使わずに手数を増やせるので非常に強力なのだが……欠点は多い。

 まず一枚作るだけでも非常に手間がかかるし、一度発動させるとカード状態に戻る事はないので完全に使い捨てなのだ。

 元は魔石だから費用も馬鹿にならないので、カレンの故郷で魔石を大量に貰えなければ作ろうとも思わなかっただろう。

 最後に魔法を放った後の光球だが、今にも消えそうなくらいに点滅していた。膨大な魔力を秘めた魔石だろうと、やはり『アンチマテリアル』になると一、二発が限界のようだ。


「ですがこの技は頻繁に使えません。あまり頼りにしないでください」

「もちろんだ。友とはいえ、お主に任せてばかりでは我々の誇りが許さぬ。それにしても、お主たちを敵に回さなくて本当に良かったと思うぞ。お主を師と見初めた我が娘の目は間違いなかったようだ」

「どちらにしろ、人に向けて使う魔法ではないので安心してください。では……」

「うむ! お主と、我等アービトレイの力を魔物共へ存分に見せ付けてやろうではないか!」


 依然として先は見えない戦いだが、戦力と士気は十分だ。

 不敵な笑みを浮かべる獣王と視線を交わした俺は、新たに現れる魔物たちへ狙いを付けるのだった。




 ――― リーフェル ―――




 様々な意味で激しかった馬車から降りた私たちは、リースと一緒に基地内にある負傷者が集められた部屋へとやってきた。

 私はまだ魔物たちの姿は見ていないが、聴覚に優れたセニアが数えきれないと断言する程の魔物が攻めてきているのは判明している。

 きっと怪我人も多いだろうと覚悟はしていたけど……。


「次はこっちだ! 薬と包帯を持ってこい!」

「駄目だ、包帯が足りん。誰でもいいから、奥から新しいのを出してきてくれ」

「畜生、治療出来る奴はどこいったんだよ!? 早く治してくれ!」

「嫌だ……死にたくない……」


 これは……予想以上に酷い状況のようね。

 魔物にやられた傷で苦しむ兵士が大勢いるのに、ベッドが足りなくて床に寝かされているくらいだもの。中には体の一部を失った者も見られるのに、碌な治療もされないまま放置されている者もいるわ。

 もちろん怪我人へ治療魔法を施している者が何人もいるけど、どう見ても人手が足りていない。怪我人が運ばれてくる数の方が圧倒的に多いからだ。

 部屋は血の匂いが充満し、兵士たちの叫びや呻き声があちこちで上がっている。

 正に人の命が消えていく……死の匂いが充満する部屋ね。

 自然と背を向けたくなる衝動を堪えながら、私は目の前で立ち尽くしたままの妹……リースへと視線を向けた。

 優し過ぎる性格ゆえに、この子は自分より他人が傷つく事を怖がるから、この部屋の惨状に足が竦んで動けないのかもしれない。

 怖い気持ちはわかるわ。でもね、貴方の力ならここにいる多くの人たちを救える筈よ。

 だから恐れず踏み出しなさいと私は手を伸ばしたけど、その手は空を切った。


「……あの人と、向こうの人が最優先だね。行くよ、ナイア」


 何故なら私の手が触れるよりも先に、リースが自ら前へと歩み出していたからだ。

 それよりも今の言葉……もしかしてあの子が立ち止まっていたのは、怪我人の優先順位を確認していたって事かしら?

 怖気づくどころか、寧ろ頼もしさを感じさせる妹の背中を呆然と眺めていると、視界が少しだけ白く染まり始めている事に気付く。


「霧……ですか? リース様の魔法みたいですが」

「こんな場所で霧なんか出してどうするのかしら? あの子が魔力を無駄に使うとは思えないけど……」

「姫様、あちらをご覧ください」


 メルトが視線を向けた先にいたのは、壁を背にして座る一人の兵士だった。

 彼も負傷者のようで、体全体に痛々しい傷が幾つも見られるのに処置は何もされていない。あれでも他の人と比べて軽傷だから後回しにされているようね。

 せめて私たちで包帯でも巻いてあげようかと思ったけど、彼を眺めている内にメルトが言いたい事を理解した。


「お気付きになりましたか? 誰も手を触れていないのに、彼の傷が塞がり始めているのです」

「本人の治癒力……なわけじゃなさそうね。そうなるとやっぱり……」

「はい。リース様が生み出した霧でしょう」


 つまりこの霧に触れているだけで傷が治っていくわけね。

 広範囲に効果がある分だけ効果は薄いみたいだけど、今のように怪我人が集められた場所では最適かもしれない。

 実際、周りから聞こえていた呻き声や怒声が、困惑どころか歓喜する声に変わってきているし。

 いざという時に備えて私の臣下たちに覚えさせたいところだけど、この魔法はおそらく無理でしょうね。


「というわけで、セニアはどう思う?」

「正直に申しますと、非常に厳しいでしょう。膨大な魔力を常に放出しているようなものですから、並の者ならば数秒も経たない内に魔力が枯渇すると思います」


 精霊が見えるリースだからこそ使える魔法ね。

 更にリースは治療の霧どころか、怪我人に直接触れて魔法を発動させてもいた。別々の魔法を二つ同時になんて、マジックマスターのおじさまが見たら喜びそうね。

 あの子がエリュシオンを旅立って一年以上は経過しているから、心身共に成長していると思ってはいたけど、これは予想を遥かに越える成長ぶりね。


「大丈夫ですか? すぐに治しますから、私に任せてください」

「早く治しー……う、いや……頼む」


 私が驚いている間もリースは部屋内を歩き回り、重傷者を見極めては次々と治療を施していた。

 さっきまで痛みで悪態をついていた兵士も、リースが微笑みかければ急に大人しくなっている。そうよね、あの子が見せる天使の笑みに敵うわけがないわ。


「リースに治療を頼んだら心も回復するのよね。私も怪我をしたら、またリースにお願いしたいところだわ」

「お気持ちはわかりますが、あまりそういう事を口にしないでください。もしリーフェル様が傷つくような事になれば、リース様は微笑むどころか悲しむでしょう」

「それはそれで魅力的なのよね。どちらにしても可愛い事には間違いないもの」

「姫様……」

「冗談よ」


 メルトが溜息を吐いているし、この辺りで止めておきましょうか。

 そんな可愛いリースの活躍により、さっきまで死の匂いで充満していた筈の部屋が、澄んだ水が流れるような清浄な空気に変わっていた。エリュシオンでは青の聖女とか呼ばれてもいたし、もはや聖域と呼んでもいいかもしれないわね。

 何時までも眺めているのもあれなので、私たちもリースの手伝いをしようかと思ったその時、部屋の扉が開かれて新たな怪我人が運ばれてきた。


「くそ、どうなっている。揃いも揃って私を馬鹿にしおって!」

「お、落ち着いてください。すぐに治療出来る者が来ますので」

「さっさと連れてこい! お前が守らないからこうなったのだぞ!」


 現れたのは豪華そうな軽鎧を装備した四人の男たちだけど、負傷しているのは中心で感情を隠しもせず喚き散らしている男だけみたい。

 その不遜な態度と、部下らしき者に怒鳴りつけている様子からして、それなりに身分が高い者かしら?

 ここへ来た以上、治療を受けにきたのはわかるけど、正直に言わせてもらうならそこまで騒ぐような傷とは思えなかった。ここに運ばれた他の人たちに比べたら明らかに軽傷だし、リースが生み出した霧に触れていればすぐに治りそうね。

 とはいえ、立っているだけで治るなんてすぐに理解出来る筈もなく、男は治療をしているリースを呼び付けていた。

 他に治療出来る者が近くにいたのに、わざわざリースを狙って指名したわね。まあ、あんな可愛い子に気付くなって方が無理だとは思うけど。


「おい、そこの娘。私の治療を任せた」

「お断りします」


 しかしリースは男を一瞥しただけで、その場から動かず治療を続けている。おそらく男は軽傷だと見抜いているからでしょうね。

 あっさり断られたどころか、治療の手を止めないリースに男は怒り始めていたけど、男よりもリースの方が先に口を開いていた。


「貴方より傷が深い人はまだ沢山残っているんです。優先順位を勝手に決めないでください」

「私はすぐに前線へ戻らなければならんのだぞ! ここが落とされたらどう責任を取るつもりだ?」

「それならば問題はありません。傷ならすでに治っていると思いますから」


 普段は大人しく控え目でも、治療に関すると強気になるのは相変わらずのようね。

 そんなリースの言葉で男は傷が治っている事に気付いたみたいだけど、その態度が許せないのか部下の一人にリースを連れて来いと命令していた。

 渋々といった様子の兵士がリースへ迫るけど、それを許すわけにはいかないわね。


「お待ちください。あの御方に用事があるのでしたら、まずは私を通してくださいませ」

「な、何だお前たちは? 関係のない奴は黙っていろ」

「俺たちは彼女の関係者だ」

「そうね。私たちの許可なく、あの子へ触れるのは許さないわよ」


 私は戦場の空気を体験する為に危険を承知で前線基地へ来たわけだけど、理由は他にもあった。

 それはリースの成長をこの目で確認する事と、彼女を守る為だ。

 戦場の殺伐とした空気は、人の正常な判断を鈍らせるもの。

 姉の贔屓目がなくても、リースの治療の腕前は常人を遥かに凌駕しているからね。そんなリースを混乱に乗じてかどわかす愚か者が現れる可能性もあるので、私はなるべく妹の傍にいようと決めたわけだ。

 今のリースなら悪漢くらい簡単にあしらえるかもしれないけど、姉として放ってはおけないし、やっぱり会えなかった分だけ一緒にいたいじゃない。

 その我儘を含めた理由の為に、私たちはリースを守るように男たちの前に立ちはだかっていた。


「許可……だと? ここの守衛隊長である私の命令が聞けぬのか!」

「あの子は善意で治療を手伝っている冒険者ですわ。つまり貴方の部下ではないので、命令される謂れはございません」


 外交問題が頭をよぎるけど、今のエリュシオン王とジュリアならば、この隊長さんが戦場にそぐわない人物だと判断してくれるでしょ。

 何せ佇まいだけでわかる。実力ではなく、身分と権力で守衛隊長の座に就いた者としか思えないもの。

 どこか迫力が足りない隊長さんの睨みを正面から受け止めた私は、王族として振る舞いながら更に言い返す。


「それにしても、随分と感情的な言動が見られますね。守衛隊長と呼ばれる立場であるならば、もっと冷静であるべきだと思いませんか?」

「なっ!? 小娘に何がわかる!」

「あら、上に立つ大変さと苦労は理解しているつもりですよ? こう見えて私は王族ですし、貴方たちの姫様……ジュリアの親友ですから」


 勝手にジュリアの名前を出すのは不本意だけど、この手の相手には一番通じ易いので使わせてもらうとしましょう。

 まあレウスと結ばれる事を望んでいるあの子なら、将来の義姉であるリースを守る為なら遠慮なく使えと言いそうだけどね。


「お、お前のような親友がいるとは私は聞いておらん! ジュリア様の名を勝手に語ってただで済むと思っているのか!」


 一瞬怯みはしても、出まかせだと思われているのか退く気はなさそうね。

 全く……外では戦闘が続いているのに、こんな所で言い争いをしている場合じゃないって事を理解しているのかしら?

 思わず溜息が漏れてしまうけど、他国の相手をこれ以上説教する義理はないし、強引にでも追い払うとしましょうか。

 以前にシリウスやリースから教わった方法で、柔軟で太い『ストリング』……魔力の鞭を生み出した私は、それで床を叩きながら怒鳴りつけた。


「いい加減にしなさい! 傷が癒えたのならば、前線へ戻って戦うのが守衛隊長である貴方の務めでしょう! ここに魔物がいるのか!」

「ひっ!?」

「それとも……怖くて戻れないのかしら? もう一度怪我をすれば戦わずに済むわよ?」


 私の声に応えるように両手で引っ張った魔力の鞭から、衝撃波が生まれるような音が響き渡った。

 その迫力に守衛隊長は完全に臆したのか、負け惜しみにのような言葉を吐いて逃げるように部屋を飛び出して行った。

 小娘がちょっと脅しただけで逃げ出すなんて、彼は一体どれだけ楽な人生を送って来たのかしらね?


「とはいえ、少し大人気なかったかしら?」

「いえ……あのような体たらくでは、遠からず痛い目に遭うでしょう。姫様に叱咤されて襟を正す機会が与えられた分、運が良かった方かと」


 これ程立派な基地となれば、隊長は優れた実力と実績を備えた者が選ばれる筈だ。なのにあんな逃げ腰な者が隊長なのは、きっと国の崩壊を狙うジラード……ラムダの影響でしょうね。上の判断が鈍ければ、それだけ全体への影響が多いもの。

 後でジュリアに報告し、指揮官や全体の見直しを相談するべきかと考えていると、リースがこちらを眺めている事に気付いた。


「あの、姉ー……リーフェル様」

「心配はいらないわ。これからも邪魔な連中は私が追い払うから、貴方は治療に専念してちょうだい」

「そうじゃなくて、突然大きい音を立てたら傷に響く人がいますので、もう少し気を付けてください」

「……ええ」


 く……リースの言っている事は正しい筈なのに、何だか理不尽だわ。

 確かにやり過ぎたのは理解しているけど、貴方を守る為なんだから少しくらい……。


「でも、ありがとう。良かったら、治療を手伝ってもらえますか?」


 うん、全て許しましょう!

 その笑顔が見られたのなら十分よ。




 それからもリースの治療は続き、日が沈み始める頃には重傷者はほとんどいなくなっていた。

 私たちも使い終わった包帯を洗ったり、細々とした事を手伝ってはいたけど、正直私たちの手は必要がないくらいリースの手際は見事だった。

 気が付けば怪我人だけじゃなく、治療にあたっていた者たちにまで敬愛されているのは、治療の腕前だけじゃなくリース自身の人柄と魅力に惹かれているからだと思う。自然と人を惹き付ける部分は父さんの血を引いている証拠ね。

 そして外ではシリウスたちが頑張っている御蔭なのか、怪我人が運ばれてくる頻度が明らかに減っていた。

 リースの癒し効果も相まって、重苦しかった部屋内の雰囲気も随分と軽くなったものね。


「とりあえず一段落……と言ったところかしら」

「はい、戦場とは思えない程の余裕が生まれつつあります。だからリースも少しは休んだらどうだ?」

「私はまだ大丈夫だよ。それにね……ナイアの御蔭で、私はほとんど魔力を使う必要がないから」


 私たちだけへ聞こえるように声を潜めたリースの説明によると、まだリース自身の魔力は半分近く残っているそうだ。

 何でも傍に控える水の精霊……ナイアがほとんどやってくれるらしく、リース自身の魔力はほとんど消耗しないらしい。


「部屋を満たしている霧は全てナイアが生み出しているの。だから私は個人に専念出来るんだよ」

「それでもずっと治療を続けていたら魔力が足りなくなるでしょ?」

「そっちもナイアが補助してくれるから、私の消耗は少ないの。だから本当に凄いのは、私じゃなくてナイアなんだよね」


 例えば、五十の魔力が必要な魔法でも、リースは二、三程度の魔力で済むらしい。

 それだけこの子は精霊に好かれ、惜しみなく力を貸してくれるというわけだけど、自分の力じゃない点に少し引け目を感じているようね。


「馬鹿ね。貴方がいなければナイアは力を貸してくれないんでしょ? それを含めた意味でリースの強さなんだから、もっと自分を誇りなさい」

「ふふ……それ、シリウスさんや皆にも言われちゃったよ」

「あら、将来の義弟はきちんと気付いていたようね。説教する必要がなくて幸いだわ。それとね、貴方の成長を近くで見られて本当に良かったわ。改めて言わせてもらうけど、大きくなったわね」


 家族として誇らしいという気持ちを伝えるように、私は想いを込めてリースの頭を撫でた。

 そういえば……非常時だったから父さんにはまだ報告していないけど、今回の事件が片付いたら、リースたちはエリュシオンに一度戻る予定だったわね。

 理由はシリウスがリースを含めた結婚式を挙げる為だから、しばらくはエリュシオンにいる筈ね。更にフィアも懐妊したみたいだし、母子の健康も考えて長期の滞在になる筈。

 その間にリースをけしかけて、あの子も懐妊すれば……そのままエリュシオンに腰を落ち着ける可能性だってあるかも。

 もちろん、そんな簡単に事が進むとは思えないけれど、しばらくは楽しそうな未来が待っているのは確かよね。

 だから全員が無事に帰れるようにと気を引き締めていると、外から聞こえていた戦闘音が歓声に変わっている事に気付いた。


「何かしら? 様子が変ね」

「姫様。外の歓声と気配から察するに、魔物を退けたのかもしれません」

「あ、ナイアも魔物が逃げ始めているって教えてくれたよ」


 シリウスとレウス、そしてジュリアとホクトまで加わったのだから、さすがに魔物も勝てないと踏んだのかしら?

 でもどれだけあの子たちが規格外だとしても、これだけ大規模な戦争を覆すなんて簡単に出来るとは思わない。

 何か妙だと首を傾げていると、外の様子を見に行かせていたセニアが戻ってきた。


「報告します。どうやら魔物の大群を退ける事に成功したようです」

「……本当なの? それにしては、何か気にかかっているようね」

「はい。兵士たちは皆喜んでいますが、私はどこか違和感を覚えるのです」


 魔物は未だ多く残っており、そして追い込まれたわけでもないのに、突然全ての魔物が申し合わせたかのように逃げ出したらしい。


「私の見解ですが、あれは撤退を命じられた部隊の動きです。本能で生きる魔物の逃げ方とは思えませんでした」

「セニアがそう思ったのなら、間違いはないでしょうね」


 馬車で移動中、氾濫を起こした犯人についてシリウスは様々な推測を語っていた。

 その中の一つに、敵は魔物を操る事が出来るかもしれない……とも言っていたけど、セニアの報告ではその可能性が高そうね。

 まあ真実がどうあれ……。


「戦いはまだ続くと考えた方が良さそうね」





・おまけその一 女王様 ※フィクションのフィクションです



 怪我人の治療をしているリース。

 そんな彼女を邪魔する不届き物が再び現れ、リーフェルが手にする魔力の鞭が唸りを上げた。


「女王様とお呼び!」


 光を散らし、鞭と共に回転しながら突撃したリーフェルが居並ぶ痴れ者たちを薙ぎ払っていく。

 それを眺めていたメルトが慌てふためき、リースが叫んだ。


「駄目だよ、姉様!」

「た、頼む。君の言葉ならきっと姫様も止まる筈ー……」

「姉様はまだ女王様じゃないから、そこは王女様って言わないと」

「確かにそうね。次からはそうするわ」

「そうじゃない!」




 ※※※※※




 その様子を見ていた、とある一家……。


「ああああぁぁぁっ!? 『ストリング』の鞭を振り回すのは私が先にやったんですよ! 私の魔法なんですから!」

「いや……元はシリウス様だと思うが?」

「うん。それに鞭なら向こうの方が似合っているんじゃない?」

「シリウス様は別ですし、そんな筈ありません! そりゃあ向こうは次期女王様で、私は平民で食堂の看板娘だからー…………うぅ……」

「負けを認めたわね」



※ちなみにリーフェルの『鞭と共に回転しながら突撃』は、昔の格闘ゲームキャラが使った技を想像しています。技名を英語で叫びながら突撃していました。

 今は知ってる人、少ないだろうなぁ。作者が何故それを思い出したのかは謎。





・おまけその二 お掃除(NGシーン)



「ホクト。壁を登ってくる連中を掃除してこい」

「オン!」


 了解とばかりに返事したホクトは、何故か魔物へ向かうどころか馬車へと戻って行った。

 その光景にシリウスは首を傾げ、あっという間に持ってきたホクトは……。


「オン!」

「おお! ホクト様がモップで壁の魔物を払い落としていらっしゃるぞ!」

「我々も続け! モップを持ってくるんだ!」

「纏めて掃除してやらぁ!」


 口に咥えたモップを振り回して魔物を払い落とすという、二重の意味で掃除をしていた。

 だが、掃除と聞いて黙っていられないエミリアが即座に叫ぶ。


「ホクトさん、それは馬車用のモップですから止めてください! それに魔物を掃除するならモップより竹箒の方がいいですよ」

「オン!」 ※訳……確かにそうだ!

「…………」


 もはや言葉も出ないシリウスであった。





 どうでもいい余談ですが、リーフェルが魔力の鞭を構えていた場面にて、最初は鞭が炎に包まれるように書いていました。

 しかし周囲はリースが生み出した霧があり、設定では水の精霊は火を嫌うので、炎は厳しいかな……という事でなかった事に。

 リースの敵を排除してくれているのを精霊が理解し、限定的に許していた……なんて強引に書けたかもしれないけど、その説明を入れるのが面倒なのでカットしました。

 結局何が言いたいのかというと、炎の王女様……という小ネタが入れ辛くて悔しかったという話です。




 個人的にキャラの視点がころころ変わるのは好きではないのですが、話の展開上どうしても変える必要がありますのでご容赦を。

 そしてやはり大規模な戦争を描くのが難しく、どこまで細かく書けばいいか悩んでおります。

 戦闘中から入ったので、再会メンバーとの本格的な会話は次回からとなります。


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