出陣
前回のあらすじ
「えーと……このお話はフィクションです。実際のー……」
「違う違う。そこは状況次第で読むところで、カレンが読むのはここからだぞ」
「ん? レウスお兄ちゃんがジュリアお姉ちゃんにプロポーズされたり、前線基地に魔物が沢山来ているって、兵士さんが慌てて伝えに来た……ってところを読むの? じゃあ……」
「いや……もういいよ。伝わったから」
「ぜ、前線基地から緊急連絡でございます! 魔大陸とこの大陸が突如繋がり、地を埋め尽くす程の魔物がサンドールへ迫っているそうです!」
突如乱入してきた兵士の報告により、会議室は再び騒然となっていた。
魔物の大群が迫っているのだから当然の反応かもしれないが、サンドールは『氾濫』が起こる度に魔物の大群と戦い続けている国である。
だというのに、重鎮たちの反応は過剰とも言えるくらいに激しかった。
「そんな馬鹿な!? いくら何でも早過ぎる!」
「ですが実際に報告がきたのですぞ?」
「いや、誤報という可能性もある。本当に氾濫が起こったのか、すぐに前線基地へ確認の連絡をー……」
そもそも『氾濫』とは、現在俺たちがいるヒュプネ大陸と魔大陸が、潮の満干きのようなもので現れる陸地で繋がってしまい、魔大陸に生息する魔物が大量に渡ってくる現象である。
しかし氾濫は大体十年単位で起こるもので、前回の氾濫は数年前に発生しているので、少なくともまだ五年くらいは起こる筈がないのだ。
つまりあり得ない状況ゆえに、重鎮たちは激しく動揺しているわけだ。
中には連絡してきた兵士へ詰め寄っている者もいたので、サンドール王は舌打ちをしてから全員を一喝していた。
「てめえ等、騒ぐだけなら黙っていやがれ! おい、向こうは今どうなっていやがるんだ? もう少し詳しく話せ!」
「はっ! 私は魔物を直接見たわけではありませんが、早朝に監視塔から連絡がありまして……」
監視塔は、魔大陸に最も近い場所の防壁に建てられた高い塔の事らしい。
名前の通り魔大陸の状況を監視する塔であり、異常があればすぐに前線基地を通してサンドールへと情報が伝わるわけである。
そんな報告を皆が黙って聞き続けるが、向こうは予想以上に深刻のようだ。
「深夜、魔大陸の方角から大きな音が聞こえたかと思えば、海から陸地が現れてこの大陸と魔大陸が繋がったそうです。まるで氾濫のように……」
「世の中、偶にはあり得ない事が起こるってもんだ。氾濫と同じなら、慌てずいつも通りにやればいい。向こうの連中もわかっている筈だ」
「それが……報告によると、魔物たちの様子が明らかに異常だったそうです。オークやオーガどころか、あのゴブリンでさえも武装しており、更に人と同じように統制された動きを見せたとか……」
「何だとっ!?」
知能が低いゴブリンとて、手頃な枝や人が使った武器を拾って使う知恵は持っている。
しかし魔大陸に人の武器が落ちている事は稀であり、無手でいる方が多いのだが、報告によると人型の魔物全てが剣や槍のような作られた武器を所持していたそうだ。
更に本能の如く突撃してくる筈の魔物が、盾を構えて陣形を組んだりする姿も見せたらしい。
ある筈もない装備に加え、統制された動きを見せる状況は明らかな異常事態であろう。
「地上を埋め尽くす魔物たちだけでなく、空を飛べる魔物や中型の竜も多数見られたそうなので、おそらく第一の防壁はすでに……」
「落ちているだろうな。第二防壁もあまり保ちそうにねえし、こりゃあ前線基地もやばいかもしれねえぞ」
魔大陸側からサンドールを攻めるには、全部で四つの防壁を突破しなければならない。
魔大陸に最も近く監視塔がある防壁が第一防壁と呼ばれており、続いて中規模の戦力が常駐している第二防壁。
そして戦力を最も配置している前線基地へと続き、サンドールの城と町を守る最終防壁となる。
氾濫の場合、第一防壁で魔物の規模を把握し、ある程度魔物を間引きながら第二防壁へと下がり、防壁に立て籠もって殲滅する流れらしい。
普段の氾濫ならば、第二防壁か……あるいは前線基地で片付くそうだが、今回の規模は前線基地ですら突破される可能性が高いとサンドール王は判断したようだ。
「王よ、それはさすがに考え過ぎなのでは? 鉄壁の前線基地が易々と抜かれるとは思えませんぞ」
「どれだけ魔物が武装しようと、過去に幾多の危機を退けたあの基地を突破出来るとは思えませぬ」
「いや、俺たちは魔物の規模を直接見たわけじゃねえし、最悪の状況は考えておくべきだ。攻めてきたのが早朝ならば、すでに第二を突破されて前線基地でも戦闘が始まっているかもしれねえな」
サンドールから前線基地までは、起伏のない広大な平原が続いているだけだが、どんなに馬を飛ばしても半日はかかる距離だとか。
この伝達要員の兵士は道中の屯所で馬を代えながら最速で来たらしいが、すでに半日以上は経過しているので、今頃向こうでは激しい戦闘が行われている事だろう。
もはや国を立て直す話し合いどころではあるまい。魔物たちへの対策と、前線基地への補給を早急に行わなければならない状況である。
そういえば、前線基地には……。
「親父、前線基地には各国の王たちがいるのを忘れてねえか?」
「それと向こうにはレウスの親友と恋人もいるのです。父上、彼等へ戻るように早馬を飛ばした方が」
「慌てなくても、今日中にはここへ戻ってくる予定なんだろ? 馬鹿じゃねえ限り、そこからさっさと離れているだろうさ」
どちらにしろ伝令が前線基地を通っているのだから伝わっているだろうし、時間的にも各国の要人たちは基地から移動している筈である。
少し『サーチ』の範囲を広げて発動してみれば、少し懐かしい反応が近づいてー……いや、ちょうど城へ戻ってきたようだ。
それから謹慎を命じた重鎮たちを会議室から出し、事態を知り戻ってきた重鎮たちが揃って対策会議を始めようとしたその時、会議室の扉が開かれて各国の王たちが現れた。
「至急ゆえ、失礼する」
「ん? おや、そちらはようやく目覚めたのだな」
「まあな。少々寝坊しちまったが、俺は見ての通りだ。ところで、状況は俺の部下から聞いているかい?」
「うむ、詳しく知ったのはこの城に戻ってからだがな。我々が前線基地を出発した後で判明したらしい」
「早馬が我々を追い抜いた時は何事かと思ったが、まさかこれ程の事態になっているとは思わなかったぞ」
その焦り様に嫌な予感を覚えた王たちが部下を走らせ、伝達要員と並走させて簡単に事情を聞いたそうだ。
それゆえに、もっと詳しい情報を得ようと王たちは予定より早く戻って来たらしい。
「なら説明は不要だな。正直、こちらはあまり余裕がない状況でな。手を貸してほしいって言いたいところだが、無理強いはしねえ。あんたたちはすぐに国を離れる事を勧めるぜ」
各国の王たちは護衛として兵士を連れてきているが、それはあくまで最低限の戦力である。
何より立場だけでなく、結局は他国の問題なので助力は難しいだろう。
ゆえにサンドール王も当てにしておらず、各国の王たちも早々に見切りをつけたのか、己の臣下や他の王たちと話し合って国を離れる決断を出していた。
もはや大陸間会合を行っている状況ではないので、サンドール王は各々の自由にしてくれと告げてから、重鎮たちと兵士たちに指示を飛ばしていた。
そして王たちが会議室を出て行った後、俺は一度仲間たちと話し合う為にサンドール王へ声を掛けてから部屋を出た。
そんな俺が出てくるのを待っていたのだろう、会議室の外には臣下を連れたリースの父親……カーディアスの姿があったのである。
「久しいな、シリウスよ。息災であったか?」
「はい。そちらもお元気そうで」
公共の場なので王としての態度ではあるが、俺を見る目には親愛の情が込められていた。
「色々と聞きたいところだが、ここで長々と話すわけにもいくまい。リーフェルかお前の仲間がいる場所へと案内してくれぬか?」
「リーフェル様ならば私の仲間と一緒にいますので、部屋にご案内します」
「頼む。それで……何だ、あの子は……どうなのだ?」
「彼女ならリーフェル様と一緒にいます。貴方と会えるのを楽しみにしていましたよ」
「うむ!」
視線でリースの事を何度も訴えていたので、俺の答えを聞いてカーディアスは満足気に頷いている。
同時に早く会わせろと言わんばかりの圧力を感じるので、俺はカーディアスを連れて部屋へと戻った。
「おかえりなさいませ、シリウス様」
「あら、父さんも一緒なのね。ようやく戻って来れたんだ」
「父親にそのような言い方はあるまい。それよりあの子は……」
「はいはい、わかっているって。リース、こっちへいらっしゃい」
「どうしたの? あ……」
「おおぉ……」
部屋の隅でカレンとヒナと話していたリースがやってくるなり、カーディアスの威厳溢れる表情が一瞬にして崩壊した。
親馬鹿を体現するような蕩けた笑みでリースに抱き付こうとするが、背後に控えた臣下がいる事を思い出し、咳払いをしながら動きを止めた。
「……すまぬが、お前たちは外で待っていてくれ。この部屋で私が襲われる事はあるまい」
「「はっ!」」
俺たちの事を知っているのか、臣下たちは口を挟む事もなく部屋を出ていく。
それを確認したところで今度こそ……と思いきや、彼と面識のない者がいる事に気付いて再び動きが止まっていた。
「ふふ、フィアさんとカレンちゃんは私の仲間ですから平気ですよ、父様」
「そ、そうか。リースよ……会いたかったぞぉ!」
ようやく素が出たカーディアスは、万感の想いを込めてリースを抱きしめた。
久しぶりに見るカーディアスの豹変ぶりに驚きつつも、リースは素直に受け入れて父親の背中に手を回して喜んでいた。
「おお……私の天使よ! 少し見ない間に、こんなにも可愛く成長しおって!」
「そうかな? 姉様にも言われたけど、そこまで変わっていないと思うよ」
「いや、私にはわかる! ローラに増々似てきたし、女性としての美しさも磨きがかかっているぞ!」
予想通り、一年以上溜まっていた娘への愛情が絶賛爆発中である。
しばらく父親の好きにさせていたリースだが、いつまで経っても放そうとしないので、僅かな隙を突いて鮮やかに抜け出していた。
「む!? な、何故逃げるのだ!」
「このままだと話が進まないでしょ? ほら、父様に紹介したい人もいるし、今回はここまで……ね?」
「…………そうだな」
そんなわけがないと理解はしているが、娘から拒絶されたみたいに感じて本気で落ち込んでいるようである。
俺も娘から拒絶されたら、こんな絶望感を味わう……いや、彼が特殊なだけだと思う。前世で娘のように可愛がっていた子から拒絶された時はあったが、ここまでは落ち込まなかったし。
もう少し親子の再会に浸らせてあげたいところだが、今は急ぎで話し合いたい事があるので我慢してもらうとしよう。
そのままフィアとカレンの紹介を手早く済ませた後、魔大陸から魔物の大群が迫っているという事を皆へ説明して情報の共有を図る。
「城内の雰囲気が大きく変わったとは思っていましたが、まさかこのような事態とは……」
「大陸間会合も中止になったんだよね? 父様はこれからどうするの?」
「他の王たちと同じく、支度が整い次第サンドールを発つつもりだ。見捨てるようで気分が悪いが、今の我々が加わったところで大した助けにはなるまい」
上に立つ者として、無駄に臣下たちを危険な目に遭わせるわけにもいかないだろう。
どれだけ後味が悪くとも、王としての立場もあるのだと理解は出来るので、反論する者は誰もいなかった。
そんな中、神妙な面持ちで考え事をしていたレウスが、会話が途切れたのを狙ってカーディアスへ質問をしていた。
「あの……カーディアスさん。アルベルトとマリーナの事を知らねえかな? 狐尾族の兄妹なんだけど……」
「うむ、リースからの手紙で二人の事は知っている。少し話をしたが、中々優れた素質を持つ兄妹であったな」
「そっか。なら二人はどこにいるんだ? 一緒に帰ってきた筈じゃ……」
レウスが落ち着かないのは、アルベルトとマリーナの気配や匂いを感じられないからだろう。
俺の『サーチ』でも兄妹の反応は城内から感じられないし、言い辛そうにしているカーディアスの様子からして……。
「あの二人は……前線基地にいる。魔物の軍勢を食い止める為に残った獣王殿と共に戦う為にだ」
「はあっ!? な、何でだよ!」
俺たちという共通する話題があったせいか、アルベルトたちは獣王とよく話をしていたらしい。
次第に王だけでなく獣王の息子であるキースとも仲良くなったアルベルトは、友を見捨てられないと言い、早馬から情報を聞くなり引き返したそうだ。もちろん兄を放っておける筈もないマリーナも一緒にである。
「私も彼等を止めたのだ。しかし自分に嘘はつけないと、真っ直ぐな目で返されては何も言えなくてな」
「アルの野郎。どうして自分から厄介事に突っかかるんだ」
「文句を言いたくなるのはわかるけど、アルベルトも貴方には言われたくないと思うわよ」
「妻と近々生まれる子供が故郷で待っていると話していたから、引き際は見誤らないとは思うが、前途ある若者を戦場に残していくのはいい気分ではないな」
結婚を控えている状態で戦場へ向かった時といい、相変わらず嫌なフラグを立てる弟子である。そういう星の下に生まれている男なのかもしれない。
そもそもの話、一国の王である獣王が何故前線基地に残ったのか?
おそらくだが、獣王の国であるアービトレイがサンドールと同じ大陸にあるからだろう。
もしサンドールが滅んでしまえば、次は自国が狙われる可能性が高いので、戦力と防備が最も整っている場所で戦いたかったのか、あるいは敵の規模を実際に確認したいと考えたに違いあるまい。
娘が関わると駄目になる獣王であるが、普段は冷静な王だからな。
さて、知り合いたちの動向がわかったところで、今後俺たちがどうするかだが……実はすでに方針は決まっている。
先程からレウスが心配するような視線を向けてくるので、俺は大丈夫だと言わんばかりに頷いた。
「兄貴……」
「そんな顔をしなくてもわかっているさ。戻って来ないのなら、こちらからアルベルトたちの下へ行くだけだ。状況次第では力を貸す事も含めてな」
レウスの成長の為とはいえ、以前はアルベルトを見捨てる言動を取ってしまったからな。
だから今度は見守るのではなく、はっきり助けに行くのだと聞いたレウスは、歯を見せるように笑いながら拳を叩いていた。
しかし、向かう場所は魔物の大群が迫っている前線基地だ。
当然ながらやる気に満ち溢れているのはレウスくらいで、特にリーフェル姫とカーディアスは真剣な表情で深い溜息を吐いていた。
「貴方ならそうするんじゃないかと思ってはいたけど……本気なの?」
「お前たちの実力を疑うわけではないが、自ら戦地に飛び込むのは感心せんぞ」
「心配してくれて、ありがとうございます。ですが、俺にはアルベルトの安否以外にも気になる事がありまして」
サンドール王たちが魔物の対策に集中しているので、俺は別の側面から今回の状況について考えていた。
「すでにサンドール王も気付いていると思いますが、そもそもこの氾濫が自然に起きたとは思えないのですよ」
数十年単位で起こる自然現象の法則が崩れた……という可能性もあるが、この世界では地面を隆起させる方法……魔法があるのだ。
例えば『クリエイト』の魔法は土を固めて何かを作れる他に、地面を変化させて穴を掘ったり高台を作る事が出来る。
つまり膨大な魔力さえあれば、大陸間を繋ぐ道を作る事も可能なわけだ。数年かけて集めた魔石を惜しみなく使うとかな。
人為的に可能となれば、状況的に最も怪しい人物は……。
「今回の事件は、昨夜逃げたラムダが起こした可能性が高いでしょう。本人もそれらしい発言をしていましたから」
『計画は最終段階に入っています。それさえ終われば、後はどうでもいいのです』
そんな言葉を昨夜のラムダは口にしていたので、その最終段階というものが『氾濫』を意図的に起こす事だと考えてもいいと思う。
いや、意図的どころか、明らかに手を加えているとしか思えない。
報告で上がっているように、あり得る筈もない武装をした魔物たちが、人と同じように統率された動きを見せているのだから。
過去に魔物を操る敵と何度も戦った事があるし、ラムダもそういう手段を持っていると考えてもいいだろう。
「ラムダの目的はサンドールなのに、関係のない貴方が関わろうとするのは何故かしら? フィアを狙われた事がそんなに許せなかったの?」
「フィアに関する仕返しもありますが、一番は俺の個人的な事情なんですよ」
師匠はラムダの事を、どこか自分に似たものを感じると言っていた。
それに植物を操ったり、常人とはかけ離れた体や能力からして、師匠の残した何かが関わっている気がするのだ。
「私の旅は見聞を広める為ですが、他にも師匠が残したものを見つける事もあるんです」
とはいえ、師匠に関する事はあくまでついで……という感覚であり、積極的に探すつもりはなかった。本人もそう言っていたし。
しかし一国を……いや、世界を揺るがすような事件に関わっているのならば、弟子として放ってはおけないのだ。
傲慢で、容赦がなくて、本能のままに生きて周囲に迷惑ばかりかける師匠だが、死ぬ運命だった俺を拾って育ててもらった恩があるからな。
だから師匠の残したものが碌でもない使い方をされていたら、それを破壊して師匠の汚点を少しでも拭ってやりたいのである。
「もちろん師匠とは関係がない可能性もありますが、ここまで関わった以上、ある程度までは見届けておかないと気が済まないのです」
「はぁ……困った子たちだわ。強引にでも止めたいところだけど、私たちじゃ貴方を止める事は出来ないものね」
「他の者たちは……リースはどうするつもりなのだ?」
姉弟は必ず俺に付いてくるだろう。
レウスは言わずもがなだが、エミリアに至っては準備を整えようとすでに馬車へ向かっているからな。
そしてカーディアスが一番心配しているであろうリースだが……。
「もちろん、私も行くよ!」
「向こうは相当血生臭い話になる。個人的には城で待っていてほしいんだが」
「だったら尚更じゃない。向こうには怪我をしている人が沢山いるだろうし、私の力が必要になるよ」
「……無理だけはしないようにな」
魔物が群れる恐ろしさは知っている筈だが、リースに怖気づく様子は見られなかった。
自分に出来る事はあるのだと、確かな自信を持って頷くリースがそう決めたのであれば、俺は止めるつもりはない。
その後、リースを心配して取り囲むリーフェル姫たちを確認したところで、俺は近くの椅子に座っていたフィアへと向き直った。
「フィア……」
「私も行くわ……と言いたいところだけど、今回は止めておいた方が良さそうね」
「いいのか?」
基本的にフィアは後方からの援護が主だし、お腹に子供がいると言ってもまだ初期段階だから、多少の運動や戦闘なら問題はない筈だ。
何よりフィアの性格上一緒に行くと思っていたが、自ら残ると宣言したのは少し意外だった。
「カレンとヒナちゃんは連れて行かないつもりでしょ? だから私はカレンたちと一緒に貴方たちが戻ってくるのを待っているわ。夫の帰りを待つ妻ってやつね」
「助かるよ。本当なら、混乱しているこの国より、もっと安全な場所で待っていてほしいのだが」
「貴方の隣以上に安全な場所は知らないけど、私は守られるだけの女じゃないわ。こっちの事は気にせず、シリウスのやりたい事を存分にやってきなさい。帰ってきたら、抱きしめて迎えてあげるからね」
確かに今の俺たちには幼いカレンとヒナがいるので、二人を守る者が必要なわけだからな。自らその役を買ってくれたフィアの申し出は本当にありがたいと思う。
年上の余裕というのか、笑みを浮かべて送り出してくれるフィアに、俺は感謝するように彼女を抱きしめた。
続いて先程からカーディアスを観察していたカレンの前で膝を突き、目線を合わせてから今の状況を簡単に説明した。
「んー……カレンもお留守番なの?」
「今から向かう場所は危険過ぎるからな。フィアと一緒に待っていてほしいんだ」
「……わかった。ヒナちゃんと一緒に待ってる」
カレンには様々な経験をさせてやりたいところだが、さすがに戦場を体験させるには早過ぎる。
そんな俺の感情を読んだカレンは大人しく頷いてくれたが、今回に至ってはヒナを心配して傍から離れたくない方が強いのだろう。何だか無性に褒めたくなったので、カレンの頭を存分に撫でておいた。
こうして前線基地へ向かうメンバーは決まった。
「すでに向こうでは戦いが始まっているかもしれないし、手早く準備を始めるとしよう」
「ちょっと待ちなさい。もう止めるつもりはないけど、そもそもサンドール王が許可してくれるのかしら?」
「王には貸しがありますから、多分大丈夫かと。フィアたちの事を頼むついでに許可を貰ってこようと思います」
そのまま皆へ簡単な指示を出した後、俺は再びサンドール王がいる会議室へと向かった。
会議室は依然として慌ただしい空気で、臣下たちへ指示を飛ばすサンドール王は忙しそうにしていたが、俺の話はすぐに聞いてくれた。
「へぇ……行くってんなら俺は構わねえぞ。そもそも関わる必要もないくせに、本当にお節介な兄ちゃんだ」
「個人的な事情がありまして。もちろん、状況次第ではすぐに退くつもりですが」
「兄ちゃんたちが退いてきた時点で、それだけやばい証拠だってのが判明するな。どちらにしろ力を貸してくれるならありがたい話だ。しっかりと頼むぜ」
「では準備が整い次第、すぐに俺たちだけで出発しようと思います。それと一つ相談がありまして……」
そのままフィアとカレンたちについて話せば、サンドール王は何か思い浮かんだ素振りを見せながら頷いてくれた。
「確かに子供を連れて行くような場所じゃねえな。よし、その嬢ちゃんたちは任せておけ。こいつがしっかりと面倒見てくれるだろうさ」
「はあっ!? 俺なんかより、もっと適した奴に任せるべきだろ。親父の部下とかよ」
「この状況で手が空いているわけねえだろ。今のお前なら余裕があるだろうし、どうしても嫌だってんなら自分の信頼出来る奴に頼むんだな」
「……いるわけねえだろ」
多少は調子が戻ってきたようだが、やはり親友と思っていたジラードの裏切りが堪えているようだ。
しかしそれ以上に、サンドール王が何を考えて彼を指名したのかが気になる。
結果的に俺はジラードの正体を見破り、騙され続けていたサンジェルを救ったのかもしれないが、時に人は真実を知らなければ良かった……なんて思う場合もある。
もし俺が正体を暴いていなければ、ジラードは信頼出来る臣下として……友としてサンジェルの傍に残っていたのだからな。
つまりやり場のない怒りを、俺たちへぶつけてくる可能性もあり得るのだ。
状況次第では口を挟もうと考えていると、サンドール王はサンジェルの背中を叩きながらはっきりと告げていた。
「預けられる相手がいないってんなら、自分で面倒を見るんだな。それに兄ちゃんたちの仲間はよく知らなくても、ヒナってお嬢ちゃんとは面識がないわけじゃないんだろ?」
「顔を会わせた事が何回かある程度だ。話した事なんて碌にねえよ」
「知らねえ奴よりましだろ? ここはしばらく俺だけで十分だから、てめえはその辛気臭い面と頭を何とかしてきやがれ」
その言葉と共にサンジェルは会議室を追い出されていたので、俺は手短にサンドール王へ伝えるべき事を伝えてから会議室を出た。
廊下には無力な自分を悔いるように拳を握るサンジェルの姿があったが、こちらに気付くなり溜息を吐きながら振り返った。
「親父はああ言ったが、本当に俺に任せるつもりか? 臣下に騙され続けていた、こんな大馬鹿野郎によ……」
「その前にお聞きしたい事があります。サンジェル様は俺たちを恨んではいないのですか?」
「……恨んじゃいねえよ。お前たちがいなければ、俺はこのまま国を壊す手伝いをし続けていたかもしれないからな」
どうやら余計な心配だったかもしれない。
落ち込んではいても現実をしっかりと受け止め、他人に怒りをぶつけるような真似をしないからだ。
サンドール王はそんな彼の性格を理解し、少しでも精神を落ち着かせる為に現場から一旦遠ざけようと考えたのだろう。
「ならば構いません。妻と子供たちをよろしくお願いします」
「本当に変な奴だな。ああ……わかったよ。女子供は俺の出来る範囲で見ておいてやるから、さっさと用事を済ませて戻ってきやがれってんだ」
「もちろんそのつもりです。ところで、一つだけよろしいでしょうか?」
「何だ? 他にも何かあるってのかよ?」
「ジラードの事で複雑なのは仕方がないと思いますが、サンジェル様が深く考える必要はないと思います」
「……どういう事だ?」
あまり触れられたくない話題にサンジェルが不機嫌そうな表情を浮かべるが、俺は真正面から彼を見据えながら語り続ける。
「あの男がこれから何を仕出かそうと、サンジェル様がやるべき事は変わらないからです」
「俺の……やるべき事?」
「裏切った相手を殴る事ですよ。向こうの事情がどうあれ、当時の事件に関わっていないサンジェル様を利用してきたのですから。寧ろそうしないと気が済まないのでは?」
「…………ああ、お前の言う通りだ。あの野郎はぶん殴ってやらねえと気が済まねえ」
放っておいても彼なら自然と立ち直りそうな気もするが、フィアとカレンを頼むので少しお節介を焼いてみようと思う。
そのまま今回の魔物騒動は、ラムダが関わっている可能性が高い点について説明した。
「たとえ今回の騒ぎと無関係だとしても、ラムダは必ず貴方の前に現れます。殴るにしても、話を聞くにしても、向こうの彼の陰謀を退けなければ何も始まりません。ですから、今は余計な事を考えず一つに絞って考える方がよろしいかと」
「俺は殴る以外の事を考えちゃ駄目だってのか?」
「考えるなとは言いません。ですが現時点で最も適した対策を出せるのは、貴方のお父上とその臣下たちでは? サンジェル様が一人で考えたところで、最早どうにかなる問題ではないのですから」
時に己の力を自覚し、弱さを認める事も必要なのである。
辛辣な言い方でもあるが、はっきりとそういう点について説明すれば、サンジェルも思うところがあるのか黙って話を聞き続けてくれた。
「貴方が次の王であると、現王ははっきりと宣言されました。しかしそんな雑念と後悔に塗れた状態で、王としての振る舞いを学べるとは思えません。だからこそ、子供の面倒を見させてサンジェル様を落ち着かせようと考えたのでしょう」
「俺はそれすら理解出来ていなかったってわけかよ」
「王には誰よりも早く冷静になれる事も必要ですからね。というわけで、まずはうちのカレンと話して癒されてみてはどうですか? 少し独特ですが、付き合ってみると可愛い子ですよ」
「へ、何だそりゃ? 俺より若いくせに、親馬鹿みてえな発言するなよ」
付き合いは短いが、あの王の背中を見て育ったサンジェルならば、知らない連中に預けるよりは信頼出来ると思う。
空元気ではあるが笑みを浮かべてくれたサンジェルに、俺はカレンの事について説明するのだった。
こうしてサンジェルと共にフィアたちの下へ戻り、事情を説明して別れた俺は、すでに準備が終わり馬車で待機している皆の下へと向かった。
馬車の前には俺の到着を待っていた姉弟とリース、そしてホクトの姿があるのだが……明らかに人数が増えている事に気付く。
「待っていたぞ、シリウス君! いや、将来を考えるとお義兄さんと呼ぶべきかな?」
「兄貴ぃ……」
何故か困った表情を浮かべるレウスの隣には、戦闘の準備を整えたジュリアの姿があったのだ。
長い金髪を後頭部で纏め、動き易さを重点に置いた鎧を装備しており、レウス程ではないが巨大な剣を背中に背負っている姿は、戦乙女と呼ぶに相応しい凛々しさと美しさがあった。
そんな格好のジュリアがここにいる理由はすぐに察したのだが、一応理由を聞いておいた。
「もちろん、私も前線基地に救援へ向かうからだ。兵を率いて向かうつもりだったが、君たちの馬車は速いとレウスから聞いていたのを思い出してね。私だけでも乗せてもらえないかと思って交渉しにきたのだ」
「……お父上の許可は?」
「使えるものは何でも使え。最低でも二日は保たせろと言われたよ」
「そうですか……」
あの親にしてこの子あり……だな。
現在サンドールは全体の統制を整え直している状態なので、即座に大規模な戦力を前線基地へ送るのが厳しいらしい。
それで比較的自由に動けるジュリアが、すぐに動かせる数百の兵士を率いて前線基地に救援へ向かう事となったそうだ。
国の王女様を迷いなく送り出すのもどうかと思うが、ジュリアはサンドールにおいて最強の一角であり、彼女が前線に立てば全体の士気も上がるので、前線へ送るのは間違いではないとは思う。
だから俺たちの馬車でジュリアを連れて行くのは一向に構わないのだが、問題はもっと別にあった。
とりあえずジュリアの同行を許可してから、馬車の内部を覗き込んでみれば……。
「あら、許可は貰えたようね。私たちはいつでも出られるわよ」
「……何故貴方がここにいるのですか?」
そう……一番の問題は、リースの隣に座るリーフェル姫の存在であった。
もちろん彼女の付き人であるセニアとメルトも一緒なのだが、突っ込むべき点はリーフェル姫が見送りに来たとは思えない身軽な服装をしていた事である。
ジュリアと同じく理由はすぐに察して視線で訴えてみるが、残念ながら彼女は本気のようだ。
「もちろん、私たちも行くからに決まっているじゃない」
「姉様。やっぱり止めた方が……」
「心配しなくても、私たちは戦う為に行くわけじゃないから安心しなさい。エリュシオンの玉座を継ぐ者として必要だから行きたいのよ」
ジュリアと違いリーフェル姫は天性の勘と、培ってきた知恵で臣下を従えてきた王女である。
つまり最前線に立つのではなく陣地で指示を飛ばす側だと思うので、わざわざ前線へ近づく必要はないと思うのだが、リーフェル姫は迷う事なく答えた。
「知識で知ってはいても、私はまだ大きな戦争を経験した事がないのよ。だから一度は戦場の空気を感じておきたいわけ」
「それでも姉様に何かあれば大変な事になるよ」
「戦場で臆すような女王なんて上に立つ資格はないわよ。私は無駄な争いは避ける方針だけど、将来避けられない戦いに巻き込まれる事があるかもしれないし」
それが主な目的なのは間違いないと思うが、俺の予想では他にも事情がありそうな気もするな。
しかも父親であるカーディアスの許可も得ているそうなので、断る理由がなかったりする。足手纏いどころか、リーフェル姫たちは確実に戦力となり得る程の実力を持っているからだ。
そもそも置いて行ってもついてきそうな気がするから、まだ一緒に行く方がましかもしれない。
「貴方たちに合わせて動くし、基本的にリースの傍から離れないつもりよ。邪魔はしないから、私たちも連れて行ってくれないかしら?」
「リーフェル様は我々が守りますので、皆さんはご自由になさってください」
「不本意ではあるが、姫様の命令だ。お前たちには迷惑はかけないから、どうか頼めないだろうか?」
「……わかりました。ですが馬車がかなり揺れますので、体を痛めないように気をつけてくださいね」
前世の知識を参考に作ったサスペンションの御蔭で揺れは抑えられるものの、ホクトが本気で走ればあまり効果はなさそうなので、覚悟はしておいてほしいと念押ししておく。
念の為、途中で車輪が外れてしまわないようにエミリアと馬車の最終点検をしていると、突如背後から野太い声が聞こえたのである。
「「「ジュリア様ぁぁ――っ!」」」
声の主は重そうな鎧を身に着けた百人程の兵士たちで、地響きを立てる勢いでこちらに向かって来ていた。
異様な暑苦しさを感じるその集団は、レウスにアプローチを繰り返すジュリアの前へ並んだかと思えば、一斉に跪いて頭を下げたのである。
「申し訳ございません。半数の準備は整いましたが、まだ時間が必要な者も見られます。どうか今しばしのお待ちを!」
「「「お待ちを!」」」
ジュリアには命を賭けて付き従う親衛隊がいると聞いてはいたが、おそらくこの兵士たちがそうなのだろう。
並びどころか号令すら綺麗に揃える親衛隊を呆然と眺める俺たちを余所に、ジュリアは真剣な表情で代表らしき兵士を怒鳴りつけていた。
「私より準備が遅いとは何事だ! 連帯責任で全員に罰を与えるから、後で覚悟をしておけ!」
「「「はい!」」」
怒られている筈なのに、親衛隊の表情と返事が嬉々としているのは気のせいだろうか?
こう……『ジュリア命』と書かれた鉢巻を巻いていても違和感がない連中である。
そんなジュリアからの怒鳴りに目を輝かせる親衛隊であるが、次に放たれた言葉によって表情が固まっていた。
「それと一部予定が変更になった。私は彼等の馬車に乗せてもらう事になったから、お前たちは全員の準備が整い次第、前線基地へ向かうのだ」
「「「っ!?」」」
「ジ、ジュリア様! 馬車よりも馬で走った方が遥かに速いかと! すでにジュリア様の馬も用意してー……」
「そうは言うが、あそこにいるホクト殿より速い馬がいるのだろうか?」
納得がいかない表情をする親衛隊たちであるが、おすわりの姿勢で待つ立派な百狼の姿に誰も言い返す事が出来ないようである。
「……わかりました。我々もすぐにジュリア様を追いかけます」
「頼むぞ。ところでレウス、君は馬車のどこに座るのだ? 私は君の隣に座りたいのだが」
「おお……ジュリア様があんなにも無邪気に……」
「我々に向けた事がない笑みを……くぅ!」
凛々しさから一転してレウスへ微笑みかけるジュリアを見て、親衛隊は心から悔しそうに唸っていた。まあ、突然現れた男に、忠誠を誓っている王女様が夢中になっているのだから面白くはあるまい。
次第に憎しみを込められた視線がレウスへ集中する中、馬車の点検が終わったので皆に中へ入るように促した。
「了解した。私はこれで出発するが、お前たちは体力を考えて追いかけてくるのだぞ。移動で疲れ果てて戦えないなんて許さぬからな」
「「「はい!」」」
親衛隊にそう告げたジュリアと、姉弟が馬車に乗ったのを確認したところで、俺は御者台に座ってホクトに出発を命じー……。
「さあ、出発だ! 百狼の力を私に見せてくれ!」
「……オン」
「む、どうしたのだ? まだ出発ではなかったのか?」
普段から人の上に立つ立場ゆえか、俺よりも先にジュリアが出発の号令を出していた。
しかし当然ながらホクトが従う筈もなく、その場から動かずにいるのでジュリアは首を傾げている。
「ジュリア様。ホクトさんは主であるシリウス様の命令しか聞きません。それとこのパーティーにおいて、リーダーはシリウス様でございますので」
「ふむ、確かにその通りだな。私はこれから皆の義妹であり、新人になるのだからもっと自重をしなければ」
「兄貴。何かマリーナと会うのがちょっと怖くなってきたんだけど……何でだろうな?」
将来の義姉として上下関係を教え始めるエミリアに、マリーナにジュリアの件を報告する事に不安を覚え始めているレウス。
更に国の王女様が二人も同行したりと、実に混沌とした状況である。今から魔物の大群が迫る場所へ向かうとは到底思えない光景だ。
とにかく皆を上手く統制しなければと気を引き締めた俺は、改めてホクトに命じた。
「待たせたな。行け、ホクト!」
「オン!」
任せろと言わんばかりにホクトが吠えると、馬車は激しい砂埃を巻き上げながら発進した。
この速度ならば半日掛かる道のりも数時間で走破出来るだろうが、予想以上に馬車の揺れが激しい。
俺と弟子たちはある程度慣れているし、三半規管も鍛えているから大丈夫と思うが、初体験である王女様二人には厳しい……。
「素晴らしい! 馬車を牽いていながらも、百狼とはこれ程まで速く駆けられるのか! 増々ホクト殿の背に乗りたくなったぞ!」
「ちょっと不謹慎かもしれないけど、リースと一緒に旅をしているみたいでわくわくしてきたわね」
「姫様。はしゃぐお気持ちはわかりますが、頭や体を打たぬように気を付けてください」
「ならもっと私にくっ付いたらどう? 私を守るのがメルトの役目でしょ」
……予想以上に平気そうだな。
いざとなればエミリアとリースが魔法でクッションを作れるし、レウスもジュリアが怪我をしないように気を配っている。
内部の方は放っておいても問題なさそうなので、俺は馬車の状態と速度に注意しながら前方を見据えるのだった。
――― アルベルト ―――
「キース、そろそろ下がろう。これ以上離れるのは危険だ」
「だな。よし、怪我した奴はさっさと戻りやがれ! 足手纏いに構ってる暇はねえんだぞ!」
その日……世界一の大国であるサンドール国が築いた巨大な前線基地は、魔物の大群に襲撃されていた。
しかも襲ってきたのは、普通の魔物ではない。
大半が人型の魔物で構成されているのだが、その全てが武器を手にしており、更に人と同じように隊列を組んで襲い掛かって来たのである。
明らかな異常事態に、前線基地に常駐している指揮官や兵士たちの足は浮足立ち、碌な準備や迎撃が出来ないまま防壁に取り付かれてしまった。
それでも鉄壁と呼ばれる前線基地の戦力と、王族の中で唯一残った獣王様の的確な指揮により、全体の崩壊という最悪の事態は回避する事が出来た。
どれだけ魔物が束になろうと、上級魔法でさえ軽々と受け止める頑強な防壁と、数人がかりでハンドルを回さなければ開閉出来ない頑丈な正面扉を破壊するのは不可能だろう。
だから防壁に群がる魔物を魔法や弓矢で数を減らしながら時間を稼ぎ、サンドールからの援軍と物資を受けて攻勢に出る……予定だったが、魔物の数が予想以上に多かった。
更に人型以外にも空を飛べる魔物も多く、その迎撃の為に地上から迫る魔物たちへの攻撃が緩んでしまうのだ。
それでも地の利を生かし、上空から攻めてくる魔物と、防壁に爪を引っ掛けて強引に昇ってくる魔物を何とか対処していたのだが、途中から厄介な存在が現れたのである。
「ちっ! もう次が来やがったか。親父の予想通りだぜ」
「まだ私たちは下がれそうにないな」
本能のまま扉を殴る魔物たちに交じり、破城槌を抱えたオーガの集団が現れたのである。これまで何度も魔物の襲撃に遭ったが、破城槌を持ってきたのは初めてだそうだ。
巨大な丸太にロープを結んで作った簡単な代物であるが、複数のオーガが協力して運んできたのを確認した獣王様の決断は早かった。
即座に実力者を集めた部隊を作り、防壁の上から飛び降りさせて直接叩きに向かわせたのだ。
無茶苦茶なのは誰もが理解していたが、先を考えていない指揮官のせいで、オーガを倒せる魔法を使える者たちの大半が魔力切れになっていたのである。
破城槌を連続で受ければ頑丈な正面扉だろうと突破される可能性が高いし、部隊も獣王様の兵からだったので作戦は実行された。
その部隊に私も立候補し、正面扉に群がる魔物たちとオーガを何とか倒したのだが、再び破城槌を持つ魔物が現れたのだ。
「アルベルト、お前はもう戻れ。この国と関係のないくせに、妹と嫁さんをこれ以上心配させるんじゃねえよ」
「妹がいるのは君もだろう? 私はまだ戦えるし、何よりこれくらいで退いていたら師匠と相棒に笑われそうだよ」
逃げ道すらなかったあの時に比べたら、今なんて遥かにましな状況だ。
とはいえ私の子供を身籠りながらも、何一つ文句を言わず送り出してくれた妻……パメラには本当に申し訳ないとは思う。こんな危険な事に自ら志願しているのだから。
だが私は友を見捨てるような父親になりたくはないし、ここで何もせず別れたら一生後悔し続けるだろう。
せめてやれるところまでは手伝おうと剣を握り直した私は、息を整えながら少しだけ周囲の状況を確認してみた。
私の目から見て、まだ致命的な戦況ではない。
物資も十分な備蓄があるので、少なくとも数日は持ち堪えられるとも聞いている。
しかし戦闘が始まってからすでに半日近く経過しており、そろそろ日が沈み始める時間帯なので視界が悪くなりつつあった。
夜間になれば更に状況が悪くなるので、今の内に破城槌を持つ魔物を全て仕留めておきたい。
それから怪我人を下がらせ、ハルバードを手にしたキースが先頭に立ったその時、防壁の上から援護をしていたマリーナの声が聞こえてきたのである。
『兄上! キース様! 獣王様から上に戻れとの命令がありました!』
「何だと!? 俺たちがここを押さえないでどうするんだ!」
風の魔法による妹の伝達にキースが大声で怒鳴り返していたが、意図を察した私は宥めるようにキースの背後に近づいていた。
「おそらく私たちの疲労を考えての事だろう。戦いはまだ続くとあの御方は睨んでいるんだ」
「けどよ、まだオーガの連中が残って……」
「大丈夫だ。私たちの代わりもすでに送られてきている」
振り返ってみれば、新たに数人の獣人たちがロープを使って防壁の上から飛び降りてきていた。
その光景にキースも不承不承ながらも下がり始めたので、私も続こうとしたその時……。
「上だ、マリーナ!」
マリーナが戦っている位置に、一体の巨大なワイバーンが迫っていたのである。
そのワイバーン目掛けて無数の魔法と矢が放たれるが、竜種だけあって生命力が強く、空中で仕留めきれず接近を許してしまったのだ。
命を惜しまない特攻のような体当たりにマリーナが巻き込まれそうになっていたが、妹は冷静だった。
「そんな攻撃に当たるものですか!」
幻を作る能力により、マリーナは己の分身を無数に生み出してワイバーンの狙いを逸らしたのである。
二十にも及ぶ分身に見事騙され、ワイバーンはマリーナのすぐ横を通り抜けていったが、巨体ゆえの激しい風圧によってマリーナが防壁から投げ出されてしまったのだ。
「マリーナ!? くっ!」
あの位置ならばまだ間に合う!
地上で受け止めようと全力で私は駆け出すが、落下するマリーナを狙って小型のワイバーンも急降下してきたのである。
私は咄嗟に剣を投げようとしたが、ある存在に気付いて反射的に動きが止まっていた。
「…………っしゃああああぁぁぁぁ―――っ!」
上空から懐かしい雄叫びを上げながら降ってきた銀色が、マリーナに迫るワイバーンを真っ二つに切り裂いたのである。
そしてそのまま空中を蹴って軌道を変えた彼は、落下途中のマリーナを優しく受け止めてから私とキースの前に着地していた。
「ふぅ……怪我はねえか、マリーナ?」
「あ……う、うん……」
全く……私を助けてくれた時といい、君はやはり私たち兄妹の英雄だな。
輝く銀髪を靡かせ、私の妹を胸の前で抱きかかえたレウスを見た私は、こんな非常事態だというのに自然と笑みが零れていた。
おまけ ジュリア親衛隊
俺たちが馬車に乗って前線基地へ向かっている途中の話である。
激しく揺れる馬車の中でも平然としていたリーフェル姫が、レウスにアプローチを繰り返しているジュリアに質問をしていた。
「それにしても、ジュリアの親衛隊は凄かったわね。全部で何人いるの?」
「二百人くらいだな。剣ばかり振るう私を慕ってくれる、自慢の者たちだよ。しかしレウスを睨みつけていたのは許せないので、後でしっかり言い聞かせておかなければな」
「気にするなって。あれはジュリアの事を心配しているだけだろ?」
「そう言ってくれるとありがたい。レウスには失礼な態度を取ったが、普段の彼等は私との模擬戦に嫌な顔一つせず付き合ってくれるし、どれだけやられたとしても礼を欠かさない立派な者たちなのだ」
過去には腕の骨を折ってしまった事もあったが、彼等はそれでも礼を言っていたらしい。
「ただ、一つだけわからない事がある。模擬戦で私の一撃が決まる度に、彼等はありがとうございますと言いながら喜んでいる時があるのだ。終わった後ならともかく、途中で礼を言うのは早過ぎると思わないか?」
「「「…………」」」
「ジュリア。貴方も親衛隊も満足しているのなら、それ以上気にしなくてもいいと思うわよ。向こうも喜んでいるみたいだし、存分にやってあげなさい」
「ふむ、確かにその通りだな。これからも変わらず付き合っていくとしよう」
異様に暑苦しい親衛隊であったが、現時点でわかるのは全員がM……という点である。
更に男ばかりだけでなく女性も数人交じっていたので、色んな意味で凄まじい集団のようだ。
しかしジュリアは彼等の事を本気で理解していないようなので、リーフェル姫はそっと思考停止するように誘導するのだった。
余談だが……。
「あの方たちのお気持ちはよくわかります。私もシリウス様からの叱咤に喜びを感じる時がありますし」
ただ一人、親衛隊を深く理解する者がいたとさ。
※ジュリア親衛隊の掟
一つ……ジュリア様の命令は絶対。
一つ……王様よりジュリア様。
一つ……ジュリア様からの施し(模擬戦時の殴打)を受けた時は、常に感謝するべし。
※そんなジュリア親衛隊に、レウスの印象を聞いてみました。
「ジュリア様に勝ったのは見事だと思うが、我々はまだ認めておらんぞ!」
「そうよそうよ! ジュリア様の愛は、剣を通して受け取るものなのよ!」
「ジュリア様に叩かれる喜びがわからぬ素人め!」
「いや……わかりたくねえんだけど」
おまけその二 次回予告(嘘)
前線基地の戦いに飛び込んだシリウスたち。
シリウスたちが加わった事によって戦況は大きく好転するが、魔物たちの規模は予想を遥かに超えていた。
尽きる事のない魔物たちに、シリウスたちは徐々に押され始め、遂にレウスの剣が折れたその時……それは現れたのだ!
「はっはっは!」
「あ、あんたは!?」
「シリウス様のピンチに、ノエル参上! 皆さんの心の癒しは、この私にお任せですよ!」
「「「…………」」」
次回……敵か味方か!? 突如に現れた謎の人妻!
絶対見てくださいね!
皆様、お久しぶりでございます。
更新期間が空きに空いて申し訳ありません。ようやく更新となりました。
ちなみに作者は年明け早々インフルにやられてしまい、体力や気力をごっそりと奪われていました。
今は完治しておりますが、皆様も気を付けくださいね。
さて……次回から本格的な戦闘が開始となります。
大規模な戦闘になると情報が多いですし、何か抜けがありそうなので、上手く表現出来るか不安だったり。
現時点において一番大きな戦いとなるので、あれやこれやとネタはありますが、そこに至るまで長くなりそうです。
ただ書きたかったシーンが幾つもあるので、頑張って進めていこうと思います。
最後に……年を越してから初めての更新なので、遅れながら簡単な挨拶を。
こんなグタグダ更新でやっている作者ですが、今年もよろしくお願いします。