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守るべき者の為に

前回までのあらすじ



 というわけで、エリナ食堂の看板妻と呼ばれる私……ノエルが報告させていただきますよ。

 え……話の流れ的に私は関係ない? 知ったこっちゃありません。

 でも時間制限があるみたいなので、手短に説明させていただきますね。



 世界で一番大きい国と言われるサンドールへとやってきたシリウス様たち。

 なんやかんやあって、サンドールの城へ招かれたシリウス様たちは、リースちゃんのお姉さんたちと再会しました。

 だけど城では、今の王様が病気によって倒れたせいと、次の王を決める後継者争いが行われているせいでー……えーと、あなた。これなんて読むのかな?


「……不穏だ」


 そうそう、不穏でしたね。

 決して私が知らなかったわけじゃなく、ちょっとド忘れしていただけでー……。


「いいから早くしなさい! 時間がないって言っていたのはお姉ちゃんでしょ!」


 むむ……えーと、後継者争いが行われているせいで不穏な空気が漂っているみたい。

 そしてシリウス様は、国で英雄と呼ばれるジラードさんから、国の重鎮であるフォルト将軍を暗殺してほしいと依頼されたのです。

 果たして、シリウス様の返事は如何に!?


 ふぅ……まあとにかく、シリウス様が偉い人の暗殺を依頼されたって覚えておけば十分ですよ。

 これで復習はばっちりですね。

 ですが、これだけで終わりではありませんよ?

 もっと重要な情報を、この私が教えて差し上げましょう。


 実は……私がまかないで作っていた丼料理が、エリナ食堂で先月から売り出されるようになったのです。

 名付けて……『ノエル丼』です!

 かつ丼と牛丼、そして親子丼をバランスよく配分した究極の肉丼なんですよ!

 銅貨を追加すればサラダも付いてきますから、栄養バランスもばっちりです!

 肉の嵐が貴方を虜にする事……間違いなし!

 エリナ食堂へ訪れた際には、是非お試しください。


 うーん……完璧ですね。

 自分に宣伝の才能がこんなにもあったとは思いもしませんでした。

 あまりの手際の良さに時間が余っちゃいましたし、今からディーさんの恰好良さを存分に語ってー……あれ?

 シリウス様、どうしてこのような所に?

 って……ちょっと? その手は何ですか?

 まるでアイアンクローをするようなー……えっ!?

 許可なく宣伝するなって?

 でも時間が余っていたし、私はちゃんとやっていたー……あ――っ!?






「革命を起こそうと企むフォルト将軍を……どうか始末していただけないでしょうか?」


 まさか呼ばれた理由が暗殺の依頼とはな。

 出会って二日程度の相手に頼むのはどうかと思うが、ジラードはこの国で神眼と呼ばれる知将でもあるし、俺ならそれが可能だと知った上で持ちかけてきたのだろう。

 しかし革命とは……随分と穏やかではない話だ。

 受けるかどうかは一度置いておくとして、このような話を持ちかけてきた以上は事情を聞いておくべきだろう。


「幾つか質問をしたい。そのフォルト将軍が革命を起こす理由は何だ? 根拠も含めて知っている限り教えてほしい」


 印象は頑固そうな爺さんではあるが、ジュリアに対して厳しいながらも親身に接する実直な人物でもあった。

 国の為に忠義を尽くしている男に見えるので、とても革命を企んでいるとは思えないのである。


「彼は昔のサンドールを美化し過ぎていると言いますか……とにかく今の堕落したサンドールを見ていられないようなのです」

「だから革命を起こす……と?」

「はい。革命によって国の頂点に立ち、堕落した者たち全てを粛清してから、ジュリア様に王位を譲って自らも消えるつもりなのです」


 己を犠牲に国の膿を出し尽くす為……というわけか。

 正しいやり方とは思えないし、強引過ぎるとも言えるが、今のサンドールはそれくらいの覚悟がなければ変えられないのかもしれない。


「……形はどうあれ、サンドールを本気で思っているがゆえの行動だろう? 命を奪うのはやり過ぎだと思うが?」

「その粛清の対象にサンジェル様が含まれているからです」


 王の長男でありながら、愚かな連中をここまで増長させてしまった者に国は任せられないと判断しているらしい。

 何よりフォルトにとって次の王位はジュリアしか認めていないらしく、サンジェルがいると面倒だから一緒に排除する予定だと聞いたとか。


「サンジェル様に危険が及ぶのならば、こちらも相応の手段を選ぶのみです。汚れ仕事も私の領分ですから」

「忠義というやつか。ならば尚更、余所者の俺に任せるよりお前たちがやるべきだと思うが?」

「そうしたいのは山々なのですが、私たちでは無理なのです。軍を率いた戦いなら別ですが、フォルト将軍の実力は私より遥かに上なので」


 木剣とはいえ、レウスとジュリアの剣を軽々と体で受け止めた男だ。

 あれ程の実力者を密かに仕留めるとなれば、相応の作戦と人員を用意しなければなるまい。

 もし失敗してジラードが狙っていると知られてしまえば、自然とサンジェルにも責任が向けられ、王への道が遠くなるのは確実だろう。


「彼に怪しまれている私とルカは近づいただけで警戒されるでしょうし、唯一正面から戦えるであろうヒルガンは暗殺に向きません。つまり周囲に気取られずフォルト将軍を仕留められる者は、現時点においてシリウス様しかいないのですよ」

「実力を評価してくれるのは構わないが、買いかぶり過ぎじゃないか?」

「ご謙遜を。シリウス様の実力は闘武祭だけでなく、裏でも密かに伝わっているんですよ。何があろうと敵に回すべからず……とね?」


 何だかんだで色々と目立ってきたし、情報集めや面倒な連中を排除する為に裏の世界に関わっていたからな。

 実力が知れ渡っているのも変な話ではないが……。


「どうか引き受けてはいただけないでしょうか? 我々が出せるものなら何でも用意しましょう」


 俺が返事をする前に、ジラードは椅子から下りるなり床に両膝を突いて頭を下げていた。

 己の実力を理解し、主の為に恥も外見もなく頭を下げられる忠義は見事だと思う。

 その真っ直ぐさは嫌いではないが……。


「悪いが、断らせてもらう」


 よくわかってもいない、国の要人を仕留めるのは危険過ぎる。

 成功するかどうかの話ではなく、もし何か事情があってサンジェルが不利になる事があれば、この男は平然と俺を切り捨てるとわかっているからだ。

 これが暗殺ではなく捕獲なら少しは考えたかもしれないが、今はそこまでの暗部に踏み込むのは避けたい。


「どうしても……ですか?」

「ああ。今の俺にそれを手伝う理由はないからな」


 正直に言わせてもらうなら、家族や弟子たちを巻き込んでいい程の用件とは思えない。

 問題は、ジラードが何を企んでいるのか……という点である。

 英雄と呼ばれている程の男ならば、この話を持ちかける危険性と、断られる可能性が高いのを理解している筈だ。

 駄目で元々、あるいはそこまで形振り構わない状況という事かもしれないが、何か嫌な予感がするな。

 静かに警戒を強める俺に、ジラードは深い溜息を吐きながら顔を上げた。


「やはりそうですか。ならば仕方がありません」

「……何をするつもりだ?」

「この好機を逃すわけにはいかないのです。この手は使いたくなかったのですが……」


 意味深な言葉と共に、ゆっくりと立ち上がったジラードが手に持った杖の先端で床を軽く叩けば、何者かがこの部屋に近づいている事に気付いた。

 この気配……彼の主であるサンジェルどころか、仲間のルカやヒルガンでもない。

 仲間を呼んで強引な手段に出るのかと思いきや、殺気は一切感じられないし、近づいてくる気配も一人分である。

 そして控え目な扉のノックと共に現れたのは……。


「お呼びですか、ジラード様」


 ネグリジェのような薄手の服を着た、美しいエルフの女性だった。

 長命であるエルフの外見年齢はわかり辛いものだが、俺の予想ではフィアより多少若い子だと思われる。どうりで周囲の目が、フィアより銀狼族の姉弟へ向けられるわけだ。

 彼女の魅力で俺を色仕掛けするつもりなのかと思いきや、それを即座に否定したくなる程に彼女の様子は変だった。

 服の隙間から覗く肌には痛々しい痣や痕が見られる上に、目も虚ろで今にも倒れておかしくないからである


「……この女性に何をした?」

「私ではなく、ヒルガンがやり過ぎたのですよ。彼は本能のままに行動しますから、時に女性を乱暴に扱うものでして」

「それもあるが、俺が聞きたいのは彼女から意志を感じられない事だ」


 奴隷が付ける首輪らしきものは見当たらないので、少なくとも奴隷という立場ではあるまい。

 しかし呼びつけたジラードどころか、真っ直ぐ虚空を見つめる姿は、まるで人形のようにしか思えなかった。

 俺は問い詰めるような言葉と視線をぶつけるが、ジラードは淡々と語り続ける。


「それは当然でしょう。彼女の心はすでに壊れていますからね」

「薬でも使ったのか?」

「……全ては私の油断が招いた事故でした。彼女はもう、私の命令しか聞く事が出来ない傀儡になってしまったのです」


 そう語るジラードの表情に欲望の色は見られず、寧ろ悔し気な表情を浮かべていた。

 少なくとも、彼女を手に入れようとやったわけではなさそうだが……。


「ルカが竜だとすれば、私は植物に関して調べて来ました。そして森の民と呼ばれるエルフ……彼女を調べている内に、エルフの肉体は植物と似た部分がある事に気付いたのです」


 聖樹である師匠の話によると、聖樹から生まれたエルダーエルフの子孫がエルフという事なので、植物の部分が残っているのも当然かもしれない。

 魔法による治療が主体であるこの世界の医療レベルは低いものだが、この男は細胞まで調べて確信を得ているのか。やはり只者ではないな。


「自分の血を混ぜた、とある薬をエルフの体内に取り込ませれば、意志を奪って自在に操れる事を発見したのですよ。そこに立つ彼女のように」

「まさか……」

「シリウス様の想像通りです。昨夜、皆さんが飲んだワインにそれを混ぜていました。人には全く無害なものですから、シリウス様が気付けないのは無理もないかと」


 エルフにも害がないと体が認識する薬らしく、ゆっくりと体内に浸食して意志を奪っていく代物らしい。

 それにしても、まさかエルフ限定で狙ってくるとはな。

 奴が嘘を吐いている可能性もあるが、実際にフィアを診断した結果からそう断定するのは厳しいか。

 しかめっ面をしている俺へ、椅子に腰かけたジラードが追い打ちをかけるように語り続ける。


「さて……貴方の奥さんである、シェミフィアーさんは今朝から調子が悪いと聞きましたが、原因は判明しているのですか?」

「……ただの二日酔いだ」

「それは本当ですか? 頭痛だけでなく指先が痺れて動くのも億劫になり、水を大量に欲しがる……そんな症状ではありませんか?」


 ジラードの言う通り、二日酔い以外の症状が見られていたのも事実だ。

 何も言い返せずにいる俺だが、ジラードもまた辛そうな表情を浮かべている事に気付く。


「なるべくなら、この手は使いたくありませんでした。ですが私はどのような汚名や恨みを受けようと、サンジェル様を王にする義務があるのです」

「御託はいい。つまりどうしても俺にフォルト将軍を仕留めてほしいという事か」

「その通りでございます。幸いな事に、王たちが戻るのは明日になりましたからね」


 前線基地で行う演習が予想以上に遅れ、リースの父親や獣王、そしてアルベルトたちが戻るのは明日になったのは俺もリーフェル姫から聞いた。

 だからこそ、王たちが戻って警戒が厳しくなる前の今が最大の好機というのはわかる。


「この依頼を果たしてくだされば、シェミフィアーさんの安全は保障しましょう」

「つまり……フィアが助かる方法があるわけだな?」

「もちろんです。それがなければ交渉が出来ませんからね」


 もはや交渉というより脅迫と言うんだが、そんな理屈は関係なさそうだ。

 そして救いの手を差し伸べるようにジラードが懐から取り出したのは、緑色の液体が入った小さな容器であった。


「体内に取り込んで二日以内なら、薬で無力化出来るのですよ。シェミフィアーさんはまだ間に合うという事です」


 強引に薬を奪う事も考えたが、俺の実力を理解している奴ならそれくらいは想定している筈だ。

 奴を軽んじるのは危険過ぎるし、これが虚勢だと決めつけて取り返しのつかない状況だけは避けなければ。フィアの事だからな。


「……実に頼もしい言葉だ。しかしそんな薬があるのなら、何故彼女に使わなかった?」

「完成した時には、すでに手遅れだったんです。見方を変えれば、彼女が犠牲になったからこそ薬を作る事が出来たともいいます」

「その薬がそうなのか?」

「いいえ、これは偽物ですよ。強引に奪われては意味がありませんからね。先に言っておきますが、薬の作り方は私しか知りませんし、今から作れば夜までに完成しますので、今日中に仕留めていただければ十分間に合いますよ?」


 口調は丁寧だが、こちらを挑発したり、精神的に追い込んで正常な思考が出来ないようにしているな。

 知恵が回る上に主の為という大義名分もあって、非常に厄介な相手だ。

 このまま脳天を撃ち抜いてやりたいところだが、フィアが人質に取られている以上、今は従う他ないようだ。


「……いいだろう。今日中に仕留めてやる」

「そう言ってくださると思いました。フォルト将軍は手強いですから、十分に気をつけてー……」

「どんな相手だろうと、隙は必ず存在するものだ。くだらない心配をしていないで、さっさと薬を用意しておけ」


 すでに腹は括った。

 後はこちらの被害が少なくなるよう、完璧に近い仕事をするだけである。

 これ以上ここにいてもやる事はないが、俺は隣で呆然と立つエルフの女性へと近づいていた。


「何を言っても無駄ですよ。私以外の声は届きませんから」

「彼女は……どういう経緯でここに来たんだ?」

「過去に国で悪行を重ねる奴隷商人に捕まっていたところを私が助けたのですよ。そして事情を説明して実験に協力してもらっていたのですが、予想外の事故によって心を壊してしまったのです」


 自ら語る事が出来ないので、本当に望んで協力したのかはわからない。

 現時点でわかるのは、彼女が意志を取り戻す事はすでに不可能……という事だけだ。ジラードの目を盗みながら『スキャン』で調べた結果、理解出来てしまったのである。

 沸き上がる不快な感情を押さえつつ、俺は部屋を出る前にジラードへ忠告しておいた。


「今から準備を始めるが、余計な真似はするんじゃないぞ。仕事の邪魔をする存在は、お前の仲間だろうと遠慮なく排除するからな」

「もちろんわかっていますよ。こちらが介入したせいで失敗なんて目も当てられませんから」


 こういう場合は監視役を付けるものだろうが、下手な介入は邪魔になるというという点は理解しているようだ。

 他にも公になった場合に備え、俺と関わりがないと発言する為でもありそうだが、干渉してこないなら好都合である。


「何か必要な物はありますか? よろしければ私の方で用意しましょう」

「……なら毒物はあるか? なるべく強力で、すぐに効くようなものだ」

「それでしたら、こちらをお使いください」


 そう言いながら差し出してきたのは、先程ジラードが懐から取り出した容器だった。


「私が作った毒です。体内に入れば僅かな時間で体全体を痺れさせ、眠るように命を奪う優れものですよ」

「そんな物を薬とか言って見せるな」

「毒も薬の一種ではありませんか」


 一々食えない奴だが、言い返すのも無駄か。

 俺は黙って容器を受け取り、背中を向けて部屋の扉を開けた。


「夜になったら報告に来る。約束の品を用意して待っていろ」

「お待ちしておりますよ」


 深々と頭を下げているであろうジラードを見向きもせず、俺はその場を去るのだった。




 その後、宛がわれた部屋へと戻ってきた俺は、皆に荷物の整理をしてくると言い、俺たちの馬車を置いている小屋へとやってきた。

 ホクトは馬車の近くで大人しく伏せていたのだが、俺の姿を見るなり尻尾を振りながら擦り寄ってきた。


「オン!」

「よしよし。すまないが、今日はやる事が多くてな。ブラッシングはまた今度だ」

「クゥーン……」

「ホクトさん。今日は私もまだしてもらっていませんから、一緒に我慢しましょう」


 一人付いてきたエミリアとホクトが慰め合っている中、俺は現時点で得た情報を元に作戦を練り続けていた。

 実はフィアが人質にされている件は、まだ誰にも話してはいない。

 本来なら皆へ説明をして対策を考えるべきかもしれないが、暗殺を依頼された以上は慎重な行動が要求されるからである。どこで聞き耳を立てているかわからないし、今は手の内がばれる事は避けたいのだ。

 残念そうに尻尾を下げるエミリアとホクトの頭を撫で、馬車から必要な物を探して袋に詰めていると、隣で作業を手伝っていたエミリアが真剣な様子で聞いてきた。


「シリウス様。何か……あったのですか?」

「ん、何がだ?」

「その……あの御方に呼ばれてから、どこか覚悟を決めたような雰囲気がしまして」


 相変わらず、エミリアの観察眼には驚かされるな。

 感情の乱れは表に一切出していない筈だが、俺の僅かな違和感に気付いたようだ。


「……詳しくは言えないが、かなり複雑な状況になっている。それも急ぎでな」

「わかりました。私たちに手伝える事はございますか?」


 説明しない俺に不満を見せるどころか、エミリアは微笑みながら頷いてくれる。

 その信頼が嬉しくて全てを語りたくはなるが、ここは周囲で作業している人たちが見られるので説明するわけにもいかない。

 今はいつも通りに過ごしてほしいと伝えてから作業を進めていると、突然体が引っ張られ、俺の馬車に備え付けてある長椅子に座らせられていた。


「……急にどうしたんだ?」

「申し訳ありません。少しだけお時間をいただけますか?」


 こちらの非難を無視したエミリアは、俺の頭を自分の膝に乗せて、慈しむように撫で始めたのである。

 普段は俺の作業を邪魔するような事はしないので、少し困惑しながらも好きにさせていると、やがてエミリアはゆっくりと語り始めた。


「口にし辛いのでしたら、言わなくても構いません。シリウス様ならば、何があっても問題はないと私は信じておりますから」

「なら、どうしてこんな事をするんだ?」

「大変な時こそ、一度心を落ち着ける時間も必要だと私はシリウス様から教わりました。その、余計なお世話かもしれませんが……」

「いや……」


 冷静なつもりではあるが、やはりフィアが狙われていると知って焦りもあったようだ。

 俺はエミリアの言葉を受け入れ、一度深呼吸をしてから作戦をもう一度練り直す。

 どれだけ時間が迫っていようとも、失敗は決して許されないのだから。

 ほんの数分であるが、目を閉じて心を落ち着けた俺は、母さんのように優しい笑みを浮かべるエミリアを見上げながら礼を告げた。


「エミリア……ありがとう」

「勿体なきお言葉でございます」

「こんな時くらい、主従じゃなくて妻として受け取ってくれよ」

「うふふ……ですが旦那様を支えるのも、妻としての役目ですからあまり変わりませんよ」


 この優しい笑みを曇らせる事は絶対にさせるわけにはいかない。

 俺はエミリアの頬に触れながら、改めて決意を固めていた。




 それから必要な物を揃えた後、エミリアに皆への伝言を頼んでから町へと向かった。

 そのまま昨日と同じ裏道を通って情報屋であるフリージアの下を訪れたのだが、さすがに真昼間からアシュレイは来ていなかったので、俺も遠慮なく交渉が出来そうである。

 しかしサンドールの歴史や現状と違い、今回はかなり重要な情報を求めたので、常に微笑んでいるフリージアもさすがに難色を示していた。


「それは、さすがに厳しいですね」

「ですが知ってはいるんですね? ならそれに見合ったものを用意すれば、教えてくれますか?」

「……昨夜と違い、随分と強引なのですね」

「少し状況が変わりまして」


 困惑はしていても事情があるのを察したのだろう、フリージアは軽く息を吐いてから真剣な表情で答えてくれた。


「確かに対価があれば私も口を滑らせてしまうかもしれません。ですがその情報に見合う価値があるものは、並大抵のものでは無理でしょう」

「実は幾つかあるのですが、前払いとして一つ。完璧とは言いませんが、貴方の病状を改善してみせましょう」


 フリージアは過去に受けた毒により、目と足だけでなく、この部屋に焚いた香の中でしか呼吸が難しい後遺症があるそうだ。

 まだ詳しく調べていないので正確にはわからないが、使われている香から少なくとも呼吸器官なら改善出来ると睨んでいる。

 セニアから治療に関して詳しいと聞いているせいか、フリージアは興味深そうに頷いていた。


「それは確かに魅力的な提案ですね。ですが私に取り入ろうと、治療を持ちかけてきた者は過去に大勢いましたが、そのほとんどが碌に結果を残せませんでしたよ?」

「魔法や薬では難しいでしょう。貴方が外で呼吸が出来ないのは、香に体が順応し過ぎてしまったせいだと思いますから」


 この部屋で焚かれている香は、麻酔程ではないが痛みを和らげる効果がある。

 受けた毒が相当強力だったのか、彼女は香の中で長く過ごしてきたので、それが当たり前だと体が覚えてしまっているのだ。

 それゆえに香の場所以外では拒絶反応が無意識に起こって呼吸が苦しくなるのだと、俺は前世の経験からそう推測していた。


「つまり、あえて香の濃度を下げればいいのです」

「それは無理でしょう。香を薄くすれば、それだけ私の呼吸が苦しくなるのですから」

「多少の痛みは我慢するしかありません。それに一気に薄くするのではなく、ほんの少し違和感を覚える程度ですよ。そうしてゆっくりと体を慣らしていくのです」

「碌に動く事の出来ない私の体力では厳しい話ですね」

「では足や目の方も診てみましょう。手で構いませんので、少し貴方の体に触れても構いませんか?」

「……嫉妬されそうなので、殿下には秘密にしておいてくださいね」


 許可が出たので『スキャン』発動させて診断してみれば、概ね予想通りの症状だったので、先程説明した方法を使えば改善する可能性は高いだろう。

 そして彼女の目や足が上手く機能していないのは、毒物によって体内の伝達神経が破壊されたせいだと判明したが、まだ辛うじて生きている神経も見つける事が出来た。

 俺は手早く魔力による麻酔を施した後、極細の『ストリング』と再生活性を駆使し、フリージアの鈍っていた神経を蘇らせる事に成功した。

 後は……鈍った筋肉をリハビリで鍛え直せば、走るのは無理でも歩ける程度までは回復出来るだろう。


「これで一通り終わりました。麻酔が切れたら多少の痛みを感じると思いますので、しばらく我慢してください」

「痛みを感じるという事は、感覚が戻ったという事でもあるんですよね? まさか痛みを心待ちにする日が来るとは思いませんでした」


 なるべく負担は少ないように処置はしたが、今ので体力は相当消耗した筈だ。

 それでも明確な違いがわかるのだろう、喜びを噛み締めるようにフリージアは胸に手を当てながら微笑んでいた。


「それとこちらの道具を使ってください。フリージアさんだけでなく、周りにとっても役立つと思いますから」


 俺が馬車から持ってきたのは、いざという時の為に作っておいた組み立て式の車椅子である。

 簡単な説明書も入れておいたので、使えないという事はないだろう。


「セニアの言葉を信じていなかったわけではありませんが、まさかここまでとは思っていませんでした」

「前払いとしては十分だと思いますが、どうでしょうか?」

「ではこちらからも一つ聞きたい事があります。それ程の力を持ちながら、何故その情報を求めるのですか? サンドールの事は貴方には関係ありませんし、踏み込めば危険なだけですよ?」

「守る為に、どうしても知る必要があるんです。ついでにもう一つ、耳に入れておいてほしい事が……」


 更にジラードとフォルトに関する情報を耳打ちすれば、フリージアは信じられないとばかりに息を呑んでいた。

 出会って間もない余所者の俺が言ったところで説得力はないだろうが、彼女なりに違和感を覚えてはいたのだろう。

 しばらく目を閉じて悩んでいたフリージアだが、やがて覚悟を決めたのかゆっくりと語り始めた。


「わかりました。まずフォルト様についてですが、彼はー……」





 こうして作戦における裏付けをとり、面倒な準備を終えた頃には夕日が沈む直前だった。

 急いで城へと戻り、弟子たちに作戦を伝えた俺は、城から離れた森の中……今朝ジュリアと模擬戦をした森で身を潜めていた。

 この場所なら城の目も滅多に届かないので、密かに仕留めるのには持って来いであろう。

 『サーチ』で弟子たちが作戦通りに行動しているのを確認していると、こちらに近づく気配を捉えた。


「……来たぞ。姿を見せろ」


 木の陰から確認してみれば、目標であるフォルトで間違いないようだ。

 俺が部屋に忍び込んで置いてきた手紙に書いた通り、フォルトは一人で来たようだな。

 明らかに罠と知りながらも誘い出されたのは、フリージアから聞いたフォルトの秘密を手紙に書いていたからである。知られては不味い事を書かれては、さすがに無視は出来ないだろう。

 隠れるつもりはないので姿を現せば、フォルトは俺を睨みつけながら殺気を放ってきた。


「貴様……どこであれを知った?」

「それを話すと思っているのか? ここに誘い出した時点で、何をしたいのかは理解している筈だろう」

「ふん、あの小僧の差し金か。お前も少しは骨のある者だと思ってはいたが、所詮その程度の男だったか」

「何とでも言え。こちらも事情があるんでな」

「ならば力尽くで吐かせるとしよう。私の目の前に堂々と姿を現したのだ。勝利を確信しての行動だろうが……」


 情報によると、フォルトの武器は槍と盾だと聞いている。

 戦いでは常に前線へ立ち、幾千もの敵を薙ぎ払ってきた立派な槍と盾を持っているそうだが、今の彼は城内という事で長剣しか持っていない。

 だが本来の武器でなかろうと、その堂々たる構えは達人の域に達しているがはっきりとわかる。


「使命を帯びし我が命……簡単に取れると思うでないぞ!」


 守りを得意としながらも、飛び出してきたフォルトの剣を紙一重で避けた俺は、返すように剣で相手の腕を狙うが避けられる。

 そのまま俺は後方へ下がりながら投げナイフを無数に投擲するが、フォルトは剣で軽々と弾いていた。


「この程度で私を止められると思っているのか! はああぁぁ!」


 驚くべき点は、木々の至る所に仕掛けておいた、枝と『ストリング』による簡易スリングショットから放った投げナイフもきっちり弾いているところだ。

 四方から放たれるナイフを剣や小手で完璧に防ぐ技術は見事の一言だが、見惚れている場合ではない。

 俺は呼吸を整えてから再びフォルトの懐へと飛び込み、全ての投げナイフを使う勢いで放ちながら剣を振るい続ける。

 弾き、避け、互いに一歩も引かぬ応酬はしばらく続いたが、その拮抗は早くも崩れた。


「ぐっ!? こ、これは……」

「ようやく効いてきたか」


 力では勝っているフォルトが、俺の一撃を受け止められずに膝を突いたのである。

 確かに全力で戦ってはいたが、この程度で体力が尽きるとは思えない。つまり途中で撃ち込んだ針の効果がようやく出たわけだ。

 肉薄する俺自身と、無数のナイフを囮にして口から放った極小の針は、歴戦の戦士でもさすがに気付けなかったようだな。


「おの……れ、この程度の……毒で……」

「無駄な足掻きは止めておけ。そんな状態で俺と戦えるとでも?」


 針を極限まで小さくした分だけ時間は掛かったが、効果はしっかりと現れたようだ。

 もはや意識が朦朧としているフォルトだが、それでも俺を睨む目の闘志は全く衰えていない。

 しかし達人同士の戦いとなれば、もはや絶望的な状況だろう。

 武人として生きてきた相手にこのような手段はあまり好きではないが、今回は我慢するしかあるまい。

 ナイフを握り直し、ゆっくりとフォルト将軍へ近づいた俺は……。


「貴方に恨みはないが、死んでもらう」







 ――― ジラード ―――







「…………終わりましたか」


 国の到る箇所に仕掛けた根からの情報により、森で争っていた二つの内、片方の反応が完全に動かなくなった事を私は知った。

 杖から手を放して繋がりを断ち、椅子に深々と背を預けていると、私は自然と笑みが零れていた。私たちにとって一番面倒で厄介な存在が片付いたのだ。笑いたくなるのも当然かもしれない。

 そんな私を見て悟ったのだろう、隣で控えていたルカとヒルガンが声を掛けてきた。


「ジラード様。予定通りで?」

「ええ、勝ったのは彼で間違いないでしょう。フォルトの反応はわかり易いですからね」

「へっ、情けない爺だ。生意気な事ばかりほざいていやがったんだ、せめて俺の手で仕留めてやりたかったぜ」

「貴方がやっては意味がありません。それと何度も言ってますが、貴方は今後も彼等と関わらないようにしなさい。さもないと面倒が増えますから」


 気に入った女性がいるからと彼等に接触して、関わりを疑われては意味がありません。

 釘を刺すように睨みつければ私が本気だと気付いたのか、ヒルガンは視線を逸らしながら近くの椅子に座っていた。


「わかってるよ。それで、俺は何時までここにいればいいんだ? いい加減、もう寝たいんだがな」

「貴方の場合、寝ると言うより女でしょ? エルフをあれだけ壊しておいて、まだ足りないっていうの?」

「うるせえな。反応がないから仕方がねえだろうが!」

「二人とも落ち着きなさい。彼が戻って来るまでですから、もう少しですよ」


 明日まで大丈夫とはいえ、エルフの安全は少しでも早く確保したいでしょうし、すぐにやってくるでしょう。

 薬を作った後で私を狙う可能性を考えての護衛ヒルガンでしたが、これなら必要なかったかもしれません。

 念の為、再び杖を通して彼やサンジェル様の位置を確認してみましたが、特に怪しい動きはなさそうですね。


「サンジェル様は……まだ彼の仲間たちと一緒のようですね」

「まだ話しているのですか? 向こうからお茶を誘われたとはいえ、王族が長々と冒険者たちに関わるのもどうかと思います」

「彼を勧誘すれば、仲間と自然と関わるようになるのです。必要な事ですよ」

「ご苦労なこった。まあ、あの女たちと一緒なのは羨ましいがな」


 サンジェル様が頑張っているのですから、私たちも怠けているわけにもいきませんね。

 用意した薬を手で転がしながら待っていると、音もなく部屋へ近づく反応を捉えた。

 すぐさまルカに命じて扉を開けさせれば、一抱えはある革袋を手にした彼が部屋に入ってきた。


「国の英雄が勢揃いとは、随分と物々しいじゃないか」

「私たちは同士ですからね。それより、そちらは上手くいったようですね?」

「ああ。これでいいんだろう?」


 彼が濃い血の匂いを発する皮袋を広げれば、そこには体から切り取られた男の頭部があった。

 顔に刻まれた特徴的な傷痕に、年期の入った無数の皺は、私たちが依頼したフォルトの首で間違いないようです。


「はは、どんだけ偉かろうが、首だけになれば無様なもんだぜ」

「黙れ。最後まで武人であろうとした者を侮辱するような言葉を吐くな」

「ああ? 爺さん一人仕留めた程度で調子に乗ってんじゃー……」

「ヒルガン……」

「……ちっ!」


 全く……躾け方を間違えたせいか、いつまで経っても成長しない子ですね。

 即座にヒルガンを睨みつけて黙らせた私は、薬を渡しながら彼を褒め称えていた。


「あのフォルト将軍をこうも容易く仕留めるとは。噂以上の腕前ですね」

「世辞はいい。とにかくこれで、お前からの依頼は達成したんだな?」

「はい。城の者たちは気付いていないようですし、実に見事な手際でした。後始末は私の方でしておきますので、早くそれを奥さんに飲ませてあげてください」

「言われなくとも、そうさせてもらう」


 欲に塗れた単純な貴族連中と違い、彼は冷静で助かりますね。

 薬を手に入れても、まだ怒りを見せず大人しくしているのですから。

 渡された薬が本当に効くかわからないし、下手な事をすればエルフの奥さんが危険だとしっかり理解している証拠でしょう。

 もちろん奥さんが無事だとわかれば私に復讐をしにくるかもしれませんが、その備えもすでに済んでいます。


「念の為、明日にでも奥さんと話をさせてください。その方が安心でしょう?」


 薬を飲めばあの子のような人形みたいにはなりませんが、私の命令には逆らえないのです。本人が嫌がっても体は従ってしまうのだから、尚更性質が悪いかもしれませんね。

 事実を知れば彼は本気で怒るでしょうが、私に手を出せば自害するようにエルフへ命じておけば、彼はもう私へ手が出せなくなるでしょう。

 そこで貴方たちには興味がないと言えば、聡い彼ならばどうするか?

 エルフを私の声が聞こえない所へ逃がす為、この国を出ていく他がないわけです。フォルトを仕留めた罪と共に。


「元凶が何をほざいている。本当は会わせたくもないが、フィアの無事を確認する為には必要か……」


 予想通り、不快ながらも受け入れましたか。

 やはり守るべき者がいる相手には、こういうのが一番効果的ですね。

 エルフだけでなく他にも妻がいるそうですが、彼は特にエルフを気に掛ける傾向が見られますし、彼女を狙ったのは正解でした。

 そんな彼をサンジェル様は臣下にしようと考えていますが……私にそのつもりはありません。

 確かに彼は優れた人材でしょう。

 このままエルフを人質にすればそれも可能かもしれませんが、彼は互いの意見が違えてしまえば、たとえ主従の関係だろうと己の意思を貫くような者だと私は確信しているからです。

 時には罪を被ろうと、己の信念を貫くフォルトのように。

 とにかく手に負えない化物を取り入れ、私の計画を壊されるわけにはいきません。

 一番の障害であるフォルトが消えた以上、彼はもう必要ありませんし。


「ええ、償いはもちろんします。シリウス様はサンジェル様の臣下になるつもりはないみたいですから、口添えも手伝いましょう」


 それでも、闘武祭だけでなく、裏の世界でも有名な彼がサンドールへとやってきたのだ。

 その能力を利用しないのは勿体ありませんし、騒がれずにフォルトを始末出来そうなのは余所者である彼が適任でしょう。

 だからこそ私は、サンジェル様に報告して彼を城へ招き入れたのですから。

 結果……エルフの事で多少恨まれはしますが、この国に関わらなければいいと彼ならすぐに悟る筈です。

 戦う必要と意志を奪い、二度と私の前に現れないようにしておけば十分でしょう。


 すでに地盤も固まりつつあり、全て私の計算通りに動いている。

 内心でほくそ笑んでいると、先程まで真剣な表情で薬を眺めていた彼が、私に視線を向けている事に気付きました。


「フィアの件を許すつもりはないが、お前に幾つか聞きたい事がある」

「はぁ……奥さんはよろしいので?」

「どうしても気になる事があるのさ。この際はっきりと聞くが、お前の本当の目的は何だ?」


 何かを確信しているような鋭い視線を向けられますが、一体何の事でしょうか?


「目的も何も、昼間に教えた通りです。私はサンジェル様を王へとする為にー……」

「恍けるのも大概にしろ。彼に手をかけた以上、俺たちは共犯であり、後戻りは出来ないんだ。こちらも真実を知る権利があるだろうが」


 真実?

 まさか……。


「ジラード……いや、かつてこの城に仕えていた、魔法技師のラムダ……だったな。その男の目的だよ」


 この男、私の正体に……。



 お待たせしました、久しぶりの更新となります。

 今回はシリアスかつ場面転換が多く、話の切る位置があれなので、更新するのがちょっと怖かったりします。

 出来ればジラードの正体や、シリウスの行動、フィアの安否も書きたかったのですが、それを書いていると更に更新期間が伸びそうなので、ここで一回切ろうかと思います。

 何度見直しても、しっくりこないといいますか……書き直しが非常に多くて申し訳ないです。


 実は別な展開もありましたので、その辺りも次回のあとがきにて書こうかなと。


 次回はなるべく早く更新出来るように頑張ります。

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