表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
131/214

恐ろしく自由な人

 師匠。


 金髪を靡かせ、女性でさえ魅了させる美貌と肉体を持ち、更に異常な知識と戦闘能力を持つ美女である。


 そんな彼女は前世で孤独だった俺を拾ってくれた人である。

 つまり恩人なのだが、扱いがあれなので素直に礼を言えない人物であった。


 何せ俺を拾った理由を聞いたところ、不思議そうに首を傾げ、しばらく考えて口にした言葉が……。


『理由……何でだったかねぇ? あの時は腹が減っていたから、あんたが獲物に見えたせいかも知れないねぇ』


 ……である。

 気まぐれで拾ったせいか俺の事は放任主義で、師匠はただ寝床を貸してくれた同居人みたいなものだった。

 更に師匠の家事能力は壊滅的だったので、俺は自分で飯を作ったりと、生きる為に家事を覚える必要があった。

 家の掃除に洗濯、そして食事の用意は俺の仕事になっていたが……拾われた身なので文句は一切ない。


 こう聞くと冷めた関係のように見えるが、親の愛を知らなかった俺はそんなものだと納得していた。



 そして当時の俺は生まれながら親がいなかったり、住んでいた孤児院が襲われたりと理不尽な事に振り回されてばかりだったので、とにかく強くなりたかった。

 だから少しでも強くなろうと、師匠に鍛えてほしいと志願したのが……地獄の始まりだった。


 そして師匠は俺を実験するように鍛え、弄り、面白いと笑いながらも鍛え続けてくれた。

 毎日殺されかけて……山の奥地に一人放り込まれ……戦場に放り出され……俺を殺す気かと師匠を何度呪ったことだろうか。

 本当……よくあの地獄を耐えてこれたと思う。

 自分が負けず嫌いなのもあったが、あの頃の俺は師匠に勝てれば何があろうと生きていける……そう信じていたからだろう。

 悪く言うなら、当時の俺は馬鹿だったからだ。



 そんな奇妙な関係は十年以上も続き、ある日……偶然か奇跡かわからないが、俺は初めて師匠に一撃を与える事ができた。


 その次の日……置手紙を残して師匠は姿を消した。



 そして……。






『はっ! 銃を再現したのは見事だけど、そんなんじゃ効かないねぇ!』

「こう見えて本家より数倍の威力だけどな!」


 異世界へ転生した俺の前に……師匠は現れた。


 何故ここにいるとか、聖樹様と呼ばれているかなんて後回しだ。

 今はこの戦いを乗り越えなければ会話もままならないからである。

 殺し合おうなんて久しぶりにあった弟子に掛ける言葉とは思えないだろうが、師匠にとってはそんなの日常茶飯事であり、あの言葉も遊ぼうぜって気持ちで口にしているようなものだ。

 つまりこれはじゃれ合いである。師匠にとっては……だが。

 じゃれ合いだが……死ぬ可能性を秘めた本気の遊びで、過去の俺にとっては常に死を予感させる真剣勝負だった。そもそも模擬戦なんて言葉が師匠の辞書に存在しない。

 手加減に失敗して俺の心臓を何度も止めてしまった事もあり、その度に蘇生させてもらったものである。


 そしてこの戦いに弟子たちが割り込んできたら師匠がうっかりやってしまいそうなので、俺は弟子たちに待機を命じてから戦い続けていた。




 喉を裂こうと俺はミスリルナイフを振るうが、師匠は皮膚に触れるか否かの紙一重で避け、俺の脳天を突こうと木製のナイフを突き出してくる。

 首を捻って避けたが、師匠は腕を伸ばしたままナイフを振るって追撃してきたので、俺はナイフを突き出して弾く。

 そのまま格闘戦にもつれ込み、ナイフの刃がぶつかり合う度に火花が飛び散っていた。


「ったく……どうなってんだよ、そのナイフは!」

『何を言ってんだい、見ての通り木製のナイフさね』

「ミスリルとぶつかって火花を飛ばすものを木製とは言わん!」

『そりゃあ私の一部だからさ!』


 それなら間違いなく凶器だ。

 当たれば普通に刺さって死にそうな気がするので、こちらもナイフで弾き、避け、受け流しながら直撃を避けていると、師匠は口を大きく開けながら笑っていた。


『いいねぇ……いいじゃないか! ここまで強くなっていたのは予想外だったねぇ!』

「俺も、師匠の強さがよくわかったよ!」


 こうして打ち合えるようになったからこそわかる。

 前世の俺は完全に遊ばれていて、師匠の実力を全く発揮させられなかったという事が。

 この絶望的な差を知っていたら俺は強くなるのを諦めていたかもしれないな。


 そして互いに突き出したナイフの先端がぶつかれば、力が拮抗して互いの動きが一瞬だけ止まった。

 しかしすぐに互いのナイフが弾け飛んで宙を舞ったが、俺はそのまま一歩踏み出して師匠の首を右手で掴んでいた。

 後はこのまま握り潰せば勝ちだろうが、師匠もまた俺の首を掴んでいて、反対の手もお互いの胸に添えていつでも魔法を放てるようにしている。

 そして遠くに俺と師匠のナイフが地面に落ちたところで、俺は小さく息を吐いた。


「引き分け……か。今度こそ勝てると思ったんだが……」

『いや、この姿は仮だからねぇ。例え今の私を倒しても、次の私があんたを殺すだろうさ。ふふふ……』

「怖い事を言うな。というか、大人気ねえ……」


 全く……本当に変わってないな。

 聖樹と呼ばれる存在から溢れた光によって現れた点から、目の前にいる師匠は魔力によって作られた仮初の体と思われるので、言っている事は間違いじゃないだろう。

 楽しそうな笑みを浮かべる師匠と、苦笑していた俺はお互いの首から手を離し、そっと拳をぶつけ合うのだった。





 そして師匠とのじゃれ合いが終わって弟子たちの下へ戻った時、俺の胸に向かってホクトが突撃してきて鼻を擦りつけてきた。


「っと!? 全く……その体になっても師匠が怖いのかよ」

「クゥーン……」


 まあ子犬の頃に刻まれた精神的疾患トラウマだし、師匠は色んな意味で規格外だったからわからなくもない。

 落ち着かせるように頭を撫でていると、呆然と俺の戦いを見ていた弟子たちも近づいてきて困惑した表情を浮かべていた。

 まだ師匠の威圧と殺気によって委縮しているようだが、一番早く立ち直ったエミリアが真剣な様子で俺に質問してきた。


「あの……シリウス様? 聞き間違いでなければ、あの御方の事を師匠と……」

「ああ、そうだ。俺に戦いと生き方を教えてくれた師匠だ。小さい頃に別れたきりで、こんな所にいるなんて知らなかったけどな」

「私たちを拾ってくださった以前の話でしょうか?」

「色々気になる事はあるだろうけど、今は向こうとの話を済ませてから……な」

「……申し訳ありません、出過ぎた真似をしました」


 俺の気持ちを汲んでくれたエミリアの頭を撫でてから振り返れば、師匠は地面から生えた木の根によって作られた椅子に座っていた。

 そして偉そうに踏ん反り返っている師匠を見て、俺は思わず突っ込んでいた。


「師匠、行儀が悪いぞ」

『やれやれ。久しぶりに会った師にそれかい? 小言を言う癖は死んでも変わらないんだねぇ』

「師匠がだらしないから身に着いたんだよ。言うなれば師匠のせいだ」

『そうかい? まあ立って話すのも何だ、こっちに来て話そうじゃないか』


 都合が悪くなると流すところも変わらない。

 俺を死んでも変わってないと師匠は言ったが、こちらからすれば師匠の方が変わってないと思う。

 深く溜息を吐いていると、俺たちの周囲から木の根が生えてきて、大きなテーブルと人数分の椅子を作っていた。


『あんたたちも座りな。座り心地は保証しないけどね』

「えーと……」

「座って……いいのか兄貴?」

「座らないと煩いぞ」


 俺が遠慮なく師匠の対面に座れば、弟子たちも恐る恐ると言った様子で他の椅子に座っていた。

 気付けば周囲に控えていたエルダーの姿が消えていて、残っているのは俺たちを案内してきた執事エルダーと、根に捕えられて動けない三人のエルダーだけだ。

 そして師匠は欠伸をしながら、執事エルダーに人数分の紅茶を要求している。

 先程まで放っていた殺気は何だったのかと思えるその緩い姿に、弟子たちは徐々に落ち着き始めていた。


『まずは紅茶でも飲んで落ち着こうじゃないか。一号、手を抜いたらぶっ飛ばすからね』

「わかりました」

「一号? 何でそんな名前に……」

『姿が似たような連中だからね、私が適当に名付けたんだよ』

「なあ兄貴、変な名前ー……」


『ああ?』


「ひっ!?」

「キャイン!」


 師匠のネーミングセンスは皆無だ。そしてそれを不用意に突っつけば、今のように何故か切れる。

 小声でもはっきりと聞きとった師匠の怒気に、レウスだけでなくホクトも一緒になって俺の背中に隠れていた。


『やれやれ……体だけは立派な癖に情けないったらありゃしないね。さて、あんたは色々と聞きたい事があるだろうけど、まずは何から説明するかねぇ……』

「そうだな、師匠に聞きたい事は沢山ある。だけどまずは、彼女を……フィアを呼んだ理由からだな」

『そのエルフかい? 呼んだのは渡すものがあるからなんだけど、まずは謝らないといけないんだよねぇ……』

「なん……だと!?」


 俺の心臓を止めても謝らなかったあの師匠が……謝っただと!?

 思わず空を見上げたが聖樹の枝が見えるだけで、隕石どころか槍すら降ってこなかった。


「あの……聖樹様。何故聖樹様が私に謝る必要が?」

『そこの縛られているアホの事さ。あんたに渡そうとしたものを奪おうとして、余計な事をしたようだね』

「師匠、ざっくり過ぎてわからん。順を追って説明してくれ」

『説明は苦手なんだけどねぇ。まず今の私……聖樹ってのはね、条件を満たしたエルフにあるものを授ける義務があるのさ』


 師匠は掌に丸くて小さなものを生み出し、コイントスのように指で真上に弾いていた。


『こいつは私の種さ。これをあんたに渡そうとエルダーを使いに出したんだけど、そこのアホは暴走してねぇ……』

「フィアを襲ったわけか。でも、殺そうとしていたのは何故だ?」

『変にプライドが高い個体だったし、余所の男のものになっていたのが許せなかったのかもしれないね。こう見えて、このアホたちは産まれてまだ十年程度の餓鬼だからねぇ……』

「「「十年!?」」」


 その事実に弟子たちの驚きの声が響き渡った。

 エルフだって数十年に亘る子供時代はあるのに、俺たちが戦ったエルダーたちはどう見ても成人にしか見えないからだ。


『エルダーエルフってのは聖樹を守る為に生み出される存在だからねぇ。必要なのは即戦力となる兵士で、子供の時代と豊かな感情は無意味なのさ』

「し、質問よろしいでしょうか? どうやって……生み出すんですか?」

『こう、木の根からポン……とね。悪いけど、生むにも周期があるから今は見せられないんだよねぇ』


 大雑把過ぎて意味がよくわからないが、聖樹は自らの手駒を生み出す女王蜂や女王蟻のようなものと思えばよさそうだ。規格と規模は圧倒的に違うけど。


『そのせいなのか、感情の欠けたエルダーばかり生まれるのさ。そこの一号みたいに朴念仁がほとんどだけど、偶にそこのアホみたいな欲に忠実な奴も生まれるんだよねぇ』


 だから死や仲間に対する感情が薄かったのか。

 俺の予想だが、俺たちを襲った連中は欲望が特別に強いエルダーだったのかもしれない。


「襲った理由はわかったけど、師匠が持ってるそれを欲しがるのは何故だ?」

『そうさねぇ……ちょっとそこのワンちゃん。エルダーエルフは強かったかい?』

ワンちゃんって……俺!? えーと、凄く強かった……です」

『聖樹を守る兵士だから当然さ。だけどね、エルダーたちの能力が発揮出来るのは私の加護が届く範囲だけなのさ』


 加護が届く範囲は、位置的にフィアの故郷へ入る前に野営したあの草原までらしい。

 そして加護を受けられる範囲では体力と魔力が無尽蔵で、それこそ俺が仕留めたように首を取るか、完全に消滅させなければ倒す事が出来ないらしい。


 その反則に近い能力の代わりに、加護の範囲外へ出たエルダーは急速に衰弱し、数日も経てば死んでしまうそうだ。

 成程……そこまでわかれば欲しがる理由も推測出来る。


「つまりその種があれば、加護の範囲外でも無事なわけか」

『そういうわけさ。そしてエルフも同じく体内に取り込めば、私から離れても外で生きていけるのさ』

「……ちょっと待て。エルフも加護が必要なのか?」

『エルダーエルフの血が混ざっているんだから当然だろう? まあエルダーと違って能力が低くて消耗が少ないから、十年くらいは平気さね』


 エルフの新事実が次々と明かされていく。

 フィアに視線を送ってみたが、知らないとばかりに首を横に振っていた。


「旅に出たら十年で戻らないといけないのはそういうわけだったのね。その後、十年も森にいなければいけないのも、理由がなければ森から出るなっていうのも……」


 フィアの話によると、仕来りによる旅に出て戻ってこなかったエルフは何人もいたそうだ。

 その大半は魔物や人に襲われたせいだろうが、戻れずに衰弱死したエルフもいたのだろう。

 外でエルフが滅多に見当たらない理由がまた一つ判明したな。


「師匠、その種を渡した人は他にいるのか?」

『私の代で渡すのはこれが初めてさ。前回はー……一号は知ってるかい?』

「二百年程前ですが、ロードヴェルと名乗る男のエルフに渡したようです。好奇心が異常に旺盛な子でした」


 こんな所で懐かしい名前が出てきたな。そして、百年以上も外にいて現役なのも同時に判明した。

 まあ今はそれを置いておこう。今は種について聞かなければなるまい。


「師匠。その種を貰ったらフィアはどうなるんだ?」

『この種は維持する為のものだからねぇ。エルダーみたいに魔力や体力が無尽蔵にはならないし、体が変身したり、意識が乗っ取られる事はないから安心しな』

「……他に何かあるんだろ?」

『当然さ。この種を貰ったエルフは死を迎える前に聖樹と同化して、私のように次の聖樹になるのさ。種を取りこむのは、聖樹の存在に近づける為でもあるのさね』


 やはり旨い話だけは転がっていないか。

 だが、それは人族の俺からの観点で、エルフであるフィアにとってどうなのかが重要だ。それに、まだ聖樹についてまだ何も知らないからな。

 フィアに視線を向けてみたが、彼女は恐れているというより不思議そうに首を傾げるだけだった。


「それで、何故私なのでしょうか?」

『理由は説明し辛いけど、様々な知識と経験が聖樹に影響を及ぼすらしくてね。好奇心が旺盛で、外の世界を見て回れるような子が適しているからさ』

「好奇心が旺盛……ですか。フィアさんを表す言葉ですね」

「そうね。自慢じゃないけど、好奇心に関しては自信があるわ」

「あの、自慢する事じゃないと思うんだけど……」

『とにかくあんたのような子がピッタリなのさ。森に引き籠ってるエルフには無理ってわけさね』


 師匠の砕けた話し方に、大分皆の緊張が解れてきたようだ。

 それ以前に緊張感がなさ過ぎる気もする。フィアの様子からして種を貰うつもりのようだが……本当にいいのだろうか?


「なあフィア。何となく察しているが、本当に種を貰うつもりか? 聖樹と同化したらどうなるかさえもわからないんだぞ?」

『聖樹なんて、目に適ったエルフに種を渡して、自分を守るエルダーを生んで、アホな事をする奴がいたら種族問わずぶっ飛ばしておけば基本的に自由さ』


 何か緩いぞ?

 いや……師匠が楽観的過ぎるんだな。

 横を見れば、紅茶を淹れながら会話を聞いていた一号エルダーがどことなく溜息を吐きそうな雰囲気だし。


「いや、もっと重要な事があるんじゃないか? これどう見ても、世界に必要な存在っぽいんだが……」

『確かに聖樹は世界に必要な存在らしいね。けどね、ほとんど適当に監視してるだけで十分なんだよ。飽きたら次のエルフを探して押しつけちまえばいいさ』

「だから緩いぞ師匠! 同化したら何か酷い事は起こらないのか?」

「ふふふ、心配してくれるのは嬉しいけど、私は大丈夫よシリウス。そりゃあ不安が無いと言えば嘘になるけど、これはエルフにとって栄誉ある事だと思うの。だから私は貰おうと思っているわ」

「……そうか。君が決めたのなら、俺がこれ以上言うのも野暮か」

「それに、これがないと定期的に里へ戻らないといけないじゃない。そうなると貴方の隣にずっといられないし、聖樹様になるのも数百年は先だから……迷う理由はあまりないわね」


 その場合は俺がエルフの里近くに住む方法もあっただろうが、俺を束縛したくないとフィアが嫌がった。


「なら……聖樹って普段は何をしているんだ?」

『基本は寝ているだけで、異常が無ければ数十年に数日だけ目覚める感じさね。いなくなった時はまあいいかと諦めていたけど、あんたが近づいてくる反応を感じて私は二日前に起きたばかりさね』


 異常以外にも、種を渡す為にわざわざ起きるわけか。

 しかし魔力は感知出来ても、性格までは見られないのにどうやってフィアのようなエルフを探すのかと聞いてみたが、そこはエルダーを密かに派遣させて観察させているそうだ。


『言い忘れたけど、絶対に聖樹を継げってわけじゃないよ。あんた以外にも種を渡したエルフはいるから、そこから適当に選ぶだけさ』

「先に言え!」

「あ、あはは……それなら遠慮なくいただけそうですね」


 こうしてフィアは種を貰う事を決意し、一度椅子に座り直してから師匠へ頭を下げた。


「聖樹様。私……シェミフィアーは、その種を謹んでお受けします」

『そうかい? ほら』


 フィアと比べて師匠が軽すぎる!

 それよりこの展開はー……。


「はっ!」


 師匠の手がぶれた瞬間、俺は反射的にフィアの前へ手を伸ばして拳を握っていた。

 その動きに皆驚いているが、俺の掌の上に師匠が持っていた種があるのを見せれば納得していた。


「ったく、渡すならちゃんと渡せよ。大雑把過ぎるぞ!」

『飲めば一緒なんだから、この方が手っ取り早いんじゃないかい?』

「だからって指弾で飛ばすな! 喉をぶち抜く気か!」


 師匠の力なら、石を銃弾のように飛ばせたっておかしくないからな。あまり堅くない種のようだし、握った衝撃から少し痛い程度で済んだだろうが……肝が冷えるので止めてほしい。

 苦笑しているフィアに種を手渡したところで、俺と師匠のやりとりを見ていたエミリアが自然な笑みを浮かべていた。


「ふふ……珍しいシリウス様ばかりです。聖樹様は本当にシリウス様の師匠なのですね」

『ああそうさ。この負けず嫌いとは十年以上は付き合ったからねぇ。私が色んな事を教えてやったもんさ』

「理不尽は嫌ってほど教えてもらったけどな……」

「色んな事をー……あれ? 十年以上……ですか? でも私とシリウス様が出会ったのはー……」


 会話がおかしい事にエミリアは気付いたようだ。

 産まれてから十年以上で考えると、俺はすでに姉弟と出会っている。

 エミリアは俺をずっと見てきた筈なのに、これ程強烈な師匠の存在に全く気付かないのはおかしいと思っているのだろう。


『おや? あんた、もしかして転生したのを教えていないのかい?』

「ああ。俺はもうシリウスだからな」

「「「「……転生?」」」」


 俺が前世で六十歳近くまで生きて、この世界に赤ん坊として転生した事実は弟子たちに語っておらず、俺の異常な成長と知識は全て夢の中で知り、体験した御蔭だと説明している。

 別に隠したかったわけじゃなく、その方が周囲を納得させやすかったからだ。

 それに……今の俺は前世の男ではなくシリウスなのだ。もはや別人のような前世の俺を知ったところで何があるのか……という話である。


『アホだねあんたは。弟子どころか惚れられている相手に隠し事なんかするもんじゃないよ。その程度で信頼を損なうような付き合い方をしてきたのかい?』

「うん……弟子を導く立派な言葉だな。その好奇心満載の楽しそうな笑みさえなければ俺も素直に騙されたのに……」

『何で隠さないといけないんだい!』

「ああもう、わかったから落ち着いてくれ。そうだな……これも丁度いい機会だ」


 それから困惑している弟子たちへ俺の前世について語った。

 別世界で生まれた俺は師匠と出会って鍛えられ、エージェントと呼ばれる仕事で生き抜いたー……。


『へぇ……あの負けず嫌いの子供がそうなるとはねぇ。何人倒したか覚えているかい?』

「師匠はちょっと黙ってろ」


 そして弟子を育てる為に引退し、六十過ぎで亡くなったところで話が終わった。

 さて……この事実を知った弟子たちはどんな反応を見せるだろうか?

 どこか緊張しながら待っていると、フィアが笑いながら満足気に頷いていた。


「うん……正直、途方のない話ばかりでわからない事が多いけど、色々と納得も出来たわ。出会った時は子供だったのに、あの頼もしい背中と言葉も当然ってわけね」

「私も初めて会った時は父様みたいだと思っていたから、凄く納得出来るよ」

「兄貴……爺ちゃんより爺ちゃんだったのか?」

「体はちゃんと若者だぞ? しかし……本当に信じられるのか? 異世界だとか突拍子もない話ばかりだし、こう見えて中身は七十過ぎの爺さんになるぞ俺は?」

「あはは。貴方の隣で不思議な行動や強さを見ていれば信じたくもなるわよ」

「それにシリウスさんは自分でも言っていましたよね? シリウスさんはシリウスさんって。その前世はよくわかりませんが、私たちが好きになったのは……その、今のシリウスさんですから」

「爺ちゃんだろうと何だろうと、兄貴は俺の目標で尊敬する兄貴だぜ!」


 流石に嫌われるような事はないと思っていたが、笑って受け止めてくれたので心が軽くなった。

 むしろ話してくれなかった事を少し残念がっているようで、俺が軽く頭を下げていると、さっきから静かだったエミリアが寂しそうな目を向けてきた。


「どうしたエミリア? 言いたい事があるなら言ってくれ」

「あの、シリウス様は……元の世界に帰りたいと思っているのですか?」


 それはこの世界で産まれた頃に何度か考えた事だ。置いてきてしまった弟子たちに相棒、そして一人の女は気になったが……すでに俺は決意している。

 例え向こうの世界に戻れるとしても……。


「俺はもうシリウスで別人だから、向こうに戻りたいとは思っていないよ。なにより、こっちにはお前たちがいるからな」

「……はい! 私は前世なんて関係ありませんし。シリウス様の傍にいられるのなら……それだけで十分です」


 どうやらかなり心配させてしまったようだ。

 謝りながら頭を撫でてやれば、感極まったのかエミリアは俺の腕にしがみ付いて甘噛みをしてきた。


『ふむ……こうやって女を落としてきたわけか。私がいなくなった後は、女たらしを身に付けたんだねぇ……』

「師匠。空気を読め」

『何でさね! 生意気な!』


 心外だとばかりに指弾で種を飛ばしてきたが、俺は首を動かして回避するか手で受け止めていた。エルフにとって貴重なものをほいほい撃つなよ。

 当てられないと師匠が諦めたところで、俺と師匠を交互に見ていたレウスが不思議そうな顔をしていた。


「あの……師匠さんに聞いてもいいかな?」

『何だいワンちゃん?』

「転生とか異世界を知ってるって事は、師匠さんも兄貴と同じ向こうの人なのか?」

『違うよ。私は元々こっちの住民さ。ほら、聖樹と同化するのはエルフって言っただろう?』

「いや、同化したからそうなったのかなって……」

『ふむ……そういう考えもあるか。まあとにかく私は元々こっちの世界に住んでいたエルフでね、色々と実験していたら異世界に渡る魔法陣が作れたから、それを使って向こうの世界へ渡ったわけさね』


 俺が聞こうと思っていた事をレウスが聞いてくれた。

 性格はあれだが、師匠はいわゆる天才のような存在だったらしく、エルフの長命を生かして世界を放浪しながら魔法と武芸を極めたらしい。

 そして故郷へ戻り百年近く魔法陣の研究を続け、異世界へ亘る魔法陣が偶然出来てしまったわけだ。


 前世でも疑問に思っていたあの強さと、外見が全く変わらなかった理由はエルフだったからか。特徴的な耳は魔法か何かで隠していたのだろう。


「……よくそんな魔法陣を作ったもんだ。危険そうな気がするし、ちゃんと秘匿しているんだろうな?」

『使う度に魔法陣は爆発して跡形もなく消えるし、魔法陣を描こうにもアホみたいに複雑だから安心さ。何より……発動に必要な肝心の魔力が足りないさね』

「どれくらい必要なのでしょうか?」

『世界中に住む人々の魔力を数年注ぎ続けるくらいに必要だろうね。ちなみに私は、聖樹が数千年に一度作る聖樹の実を勝手に使わせてもらったのさ』


 それだけの魔力を宿るものを無断拝借とは……やる事が半端ない。


『後はまあ、向こうの世界をぶらぶらと遊びながら巡って、あんたを拾って鍛えてから帰ってきたのさ。いやー……こっちへ帰ってきた時は先代に怒られたもんさね』


 いや、それはもう怒られるレベルじゃないだろう。

 余談だが、聖樹の実はこちらの世界に帰ってきた時に粉々となったらしい。


 とまあ……そういう経歴もあり、師匠は数十年前に聖樹様を引き継いで今に至るわけだ。

 引き継いだと言うが、責任を取らされているだけだと思うが。


「何かもう……理解が追いつかないわね」

「でもさ、師匠さんが何かしてくれたから兄貴はこっちに来たんだろ?」

『ああそうさ。だから感謝しなよワンちゃん。そこの弟子と狼の体に魔法陣を直接描いといて、死んだらこっちへ来るようにしていたのさ』

「いつの間に。そんな事をされた記憶がないぞ?」

「クゥーン……」

『手加減を間違えて、あんたたちを仮死状態にしてしまった時にちょいとね』


 前世で相棒や弟子に言われて気付いたけど、背中に妙な痣があると言われた覚えはある。

 あの頃は師匠との戦いで付いた傷痕が沢山あったし、それも同じものかと思っていたが……あれは魔法陣だったのか。


 そして何となく想像は付くが、ついでにあれについても聞いておくか。


「なあ師匠。どうして俺をこの世界に転生させたんだ? 師匠の事だから、俺に何かしてほしいからってわけじゃないんだろ?」

『ああ、何もないね』

「わかっていたが、本当に何もないんだな。師匠お得意の気まぐれってやつか」

『それもあるが、あんたが可哀想だったからさ。飽きもせず私と戦い、青春も何もない子供時代を送っていたあんたが不憫でねぇ。だから実験も兼ねて転生させてみようと思ったのさ。ちなみにあの犬はおまけだね』

「クゥーン……」

「……同情かよ。そんなの俺が自分で決めた事なんだから、師匠が同情する理由なんかないだろと言いたいところだけど……」


 だが……俺はこうして転生し、弟子と恋人に囲まれながら充実した日々を送れている。


 前世の地獄を思い出すと素直に礼を言えなかったけど……今なら言えそうだな。


「……ありがとう、師匠」

「……オン!」

『まあ、親なんてものがわからなかったのもあるけど、あんたに親らしい事を一度もしてなかったからねぇ……』

「全くだ。俺たちを便利な玩具か非常食としか思っていなかったんじゃないか?」

『……それ以外に何かあったのかい?』

「否定しろ!」

「キャインッ!?」


 素直に礼を言おうが、結局のところ俺と師匠との関係はこんな感じなのであった。



 在りし日のホクト





 それはホクト君がまだ百狼ではなく、普通の犬だった頃の話です。


 瀕死だったホクト君が前世のご主人様に拾われて傷が癒えた頃、ホクト君は家で狩りに出かけたご主人様の帰りを待っていました。

 そして入口から物音が聞こえ、ホクト君は尻尾を振りながら迎えに行ったのですが……。


「ふーむ、こっちのワインは中々の味さねぇ……」


 先に帰ってきたのは、下界にお酒を飲みに出掛けていた師匠でした。

 この頃はまだ師匠を怖がっておらず、ホクト君は遊んでとばかりに師匠の足元でじゃれつきます。


「ふむ。中々……」


 そして師匠はホクト君を抱き抱え、水を張ったバケツに浸けてホクト君を洗い始めたのです。

 ご主人様が同じようによく洗ってくれるので、当時のホクト君は洗ってもらうのが大好きでした。

 少し乱暴ながらも洗ってもらい、嬉しそうに尻尾を振っていたのですが……急に尻尾が逆立ち始めました。


「まずは……手ごろな大きさに切断かねぇ?」

「キャン!?」


 ホクト君が野生の勘に目覚めた瞬間です。


「お湯が沸く前に内臓を取って……そうそう、味噌を用意しないとね」

「キャンキャン!?」


 正に絶体絶命。

 師匠に抱えられているので、ホクト君は逃げる事が出来ません。

 しかし……天使は舞い降りました。


「ただいま! 良い子にー……って、何してんだ師匠!」

「ちょっと味噌汁を作ろうかと思ってね。やっぱりお酒を飲んだ後は飲みたくなるのさ」

「俺の家族を食おうとするな! というか、それは味噌じゃなくてぬか漬けだ!」

「じゃああんたに任せた。味噌汁が無理なら犬の煮込みで頼んだよ」

「ふざけんな!」

「キャイーン!?」




 そして現在……ホクト君はその恐怖体験の一部を、レウス君に語り終えました。




「俺をワンちゃんって呼んでいるし……まさか俺も食うつもりじゃ!?」

「……オン!」


「落ち着け! 今は木だから食われる事はないだろうが」


『何を言っているんだい? そこのアホなエルダーみたいに、根っこで取りこんだ後で食べられるさね』


「兄貴ぃぃ――っ!」

「キャイーンッ!?」

「だから背中に隠れるんじゃない!」








 見ている分には面白いですが、関わるととんでもない目に遭いそうな自由な女である師匠。

 とにかく破天荒で自由でやりたい放題なイメージで書いたのですが、大雑把で鬱陶しいキャラな気も……。


 説明ばかりで申し訳ないですが、これである程度は消化できたと思います。

 まだ広げた風呂敷が畳み切れていないのですが……もう少しだけ師匠との戯れは続きます。



 次回の更新は一週間後です。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] はえ〜なるほど。 百狼への転生は必然?それとも偶然なのかな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ