私の獣
戦場で見た、鮮烈な緑。凍てついたように命を奪う彼に、私はごくりと唾をのみこんだ。その視線で喉元を噛み切られるかのようだ。
ああ、その瞳に私だけ映してくれないだろうか。
その緑に囚われるのを想像して、身体が震えた。
当時私は食料補給専門の部隊に所属していたが、希望を出して、前線に身を投じた。伯爵家次女のお遊びはいつまで続くのか。転属した当初はそう噂された。
姉様は貴族らしく、次期伯爵として軍部のエリート街道を進んでいる。私は周りの予想に反して、戦場の最前線に三年いた。
「アリー、お前は軍曹なんだから、もっと後方にいろ」
「やぁよ。このビリビリする空気、緑の怪物がいるに決まってるわ」
「違うだろ。緑の“血の”怪物だ」
自分と同じぐらいの年の怪物。
私は彼を待っていた。
ああ、やっぱりいた。私を魅力してやまない緑。
私は剣を突きの構えにして、突撃する。
「また勝手に行っちまったよ」
「あれが赤の踊り手……」
「さて、あいつが孤立する前に行くぞ」
「援護はしないんですか?」
「したら殺されるぞ」
私は真正面から彼に斬り掛かった。部隊の中ではかわすことのできないスピードだが、彼は難なくかわす。対峙する彼と私。
「七日ぶりじゃない?寂しかったんだから」
彼は沈黙したままだ。
「あなたも昇進したのね。軍服が変わってる」
「降格とは思わないのか」
私は愉快とばかりに眉を上げた。
「私をこんなに楽しませてくれるあなたが? そんなことあるわけがないわ。あなたと戦ってると身体が火照って仕方ないの」
頬を上気させて、微笑む彼女は酷く艶っぽい。
「私も昇進したのよ。ご褒美ちょうだい」
「ここは戦場だぞ。その上敵だろう」
「頭かたいのねぇ。あぁ、下がかたいのなら、嬉しいんだけど」
彼女はうっすらと笑って、赤い舌で唇をなぞる。その姿に、彼の仲間たちはごくりと喉をならす。
「何の話だ?」
「しかも通じないとかびっくりだわ。私はこんなに疼いてるのに」
私は彼の懐に飛び込み、唇を奪う。彼の呼吸も、唾液も存分に味わった。
「ごちそーさま。次また昇進したら、ご褒美よろしくね」
私の生死を決めるのは、あなたしかいない。もちろん、あなたの生死を決めるのは私。
初めて彼女を見たとき、彼女は食料を前線に運んでいた。ただの平凡な娘。
けれど、目が違った。彼女だけ、目がらんらんと輝いていた。
――生きる。
そう叫んでいる光。
彼女は怯えて逃げ惑う仲間たちの中で唯一、護身用の短刀を構えた。 そして彼女は食料を狙うこちらの兵士を屠っていく。
補給路を断つ任務をもらった時、退屈だなと思っていた俺は、背筋が震えるのを感じた。
彼女の赤い髪が、血で重みを増していく。
最後に残る俺を見て、彼女は艶やかに微笑む。
「次はあなた?」
やっと呼吸が出来た。どうやら、息を止めていたようだ。
美しい女神。
俺にふさわしく血に濡れた女。
――ほしい。
平民の俺が軍で功績をあげたことにより、陛下から褒美をもらえると聞いたときには、何も思い浮かばなかった。けれど今は、彼女がほしい。
しかし彼女は敵だ。彼女を手に入れるには勝つしかないのだ。
彼女の口付けで熱をもった身体を、彼は落ち着けるように息をこぼした。
軍を送り出す式典で、俺は陛下に無礼を承知で直接声をかけた。
「陛下、以前お話いただいた恩賞の話なのですが」
平民の俺が急に陛下に声をかけたので、俺を罰しようと剣に手をかける近衛を陛下が手でおしとどめる。
「よい。話せ」
「はっ。有り難き幸せ。――わたくしの褒美ですが、血の踊り子をいただきたく思います」
血を撒き散らしながら踊るようにねじ伏せていく彼女の名は、こちらでは血の踊り子と言われていた。
「ほう……?捕えて好きにすればいい、と言いたい所だが、血の踊り子は貴族ゆえ、政治的にそうはいかぬ。ほしいのなら、この国を勝たせてみせろ」
彼は獰猛な獣のように笑った。
「もちろんです」
そうして五年も続く戦に陰りが見えはじめた。アリーの国の王は鼓舞のためにパーティーを開くことにした。彼女も招待され、げんなりとため息をつく。
「お姉様、軍服で行っていいかしら?」
「お前は伯爵家に恥をかかせるつもりか」
普段から眉間にシワがある美しい姉だが、私の言葉で更にシワが刻まれた。
「あら、お姉様は男性の正装で参加なさるのでしょう?」
「侮られぬためだ。お前は次女なのだから戦好きも大概にしろ。侍女がまた傷が増えたと嘆いていたぞ」
姉が気遣うように私を見てきた。戦争で失った両親に代わり、私を育ててきた姉は私の母のようなものだった。だが、同時に軍人一族である。軍の上層部に所属している姉とは思えない言葉に確信を得る。
「お姉様、私今回のパーティーの目的、知ってますわよ。そう言って私を戦場から放そうとする理由。――王子ですね」
「そうだ。王子は昔からお前が好きだったからな。王子の正室にと声がかかった」
「馬鹿な人。王子には剣なんて握ったことがない、か弱い方がお似合いでしょうに」
そうして嫌々参加したパーティーで王子に別室に誘われた。
「私はあなたが好きだ! これ以上戦わないでくれないか」
私は艶やかに微笑んだ。相変わらずまっすぐて可愛らしいお方。
続いてストンとドレスを肩から滑らせる。王子は頬を染め、紳士らしく慌てて顔を背ける。
「いいえ、御覧になって下さい。王子は私をお抱きになれますか?」
私は下着姿で王子の前に立つ。恥じらいもせず、ふくよかな身体をさらしていた。
王子はいたたまれないように顔を反らす。私は笑みを深めた。
「この肩の傷が彼につけられた最初の傷ですね。あの頃はただの補給班でしたから、綺麗に斬られてしまいました」
そう言って、左肩を愛しむようになぞる。
「小さい傷もありますが、この胸の傷と太ももの傷は一番醜いでしょう?」
その二ヶ所のみ、他の傷に比べ、意図的な切り口だった。
「私は赤の踊り子と言われてますが、実際は血に塗れた踊り子と言われています。戦場に立つと……、いいえ、彼と戦うとどうしても身体が昂ぶってしまうのです。そんな私は自分を抑えるために、男に抱かれていました。すると翌日の戦場で、彼は私の胸と太ももを醜くなるように斬り付けました。そして私と関係があった男の首をはねたのです。この傷は彼のモノという証ですのよ」
敵でありながら、おぞましいまでの執着。
「ですから私は勝ったら彼と一緒になるつもりですの」
いいでしょう? と笑う彼女の色香は醜い傷があっても変わらず匂いたつ。彼女があまりにも傷を愛しそうに撫でるため、王子は言葉を飲み込んだ。
何も飲んでいないのに、のどから苦い味がする。王子は初恋の終わりを感じた。
そしてお互いの戦いの激しさは増していく。だか、彼らの思いとは裏腹に戦が終わった。
終わらないで欲しかった。彼を手に入れられなくなる。私たちには平和なんていらない。必要なのは、喰うか、喰われるか。
和平にもっていったのは、王子だそうだ。まったく余計なことを。
そうぼやけば、姉が報われないなと苦笑いした。私の恋を実らせるために、力をつくしたそうだ。私の想いはそんな生易しいものではないのに。
平和なんていらない。彼の牙が私の首を噛み切るか、私の牙が彼の首を噛み切るか。ギリギリな場にいたい。
いきなり終わった戦に持て余していたところ、親善試合が開かれることになった。
また再び相対する緑。私は嬉々として飛び掛かった。
「王子、この試合は妹のためですね」
「ああ。だが実は向こうの王からの提案なんだ」
姉は戦場での妹たちを見たことがあった。激しく剣を交じわえる姿はお互いを求めあうようで。
だから閃く。
「褒美は相手を伴侶にする、ですか」
「そう。彼は戦に勝てば、彼女をもらうと王に言っていたようでね。彼に決着をつけさせてほしいともちかけられたんだ」
「妹もそう望んでいます。この試合はあまりにも無意味では――」
そう訴えていたが、王子の整った笑顔に口をつぐむ。
「私が言うと思うかい? そこまでお膳立てするつもりはないよ」
試合は互角だった。だが、スピードで翻弄してきた彼女に疲れが見え始め、力で圧されだす。そしてとうとう、剣が空を舞った。拾おうとする彼女の右手を踏みつける彼。首元にはひやりとした感覚。獰猛な獣に、彼女は命を握られていた。
勝者が決まり静まりかえる中、彼が口を開く。
「俺の女になれ」
手に容赦なく体重がかかる。YESしか答えを許さないようだ。
横暴な男。そんな男に私も牙を剥いた。
彼に顔を近付ける。近付く際少し首から血が流れたが、私は獣のように唇に噛み付く。手からは重みが消えて、彼と吐息を混ぜ合わせた。彼の緑の火に焼かれながら、私は答える。
「あなたが私の男になるのよ」
どろりとした話が書きたくて、書き上げました。
ただ、どう書けばいいか、なかなか形にならず、五ヶ月は温めていた話です。
その頃は戦場でキスして、昇進したらまたご褒美のくだりで終わりでした。
そんな二人の出会いと結末を考えて、このような形になりましたが、楽しかったです!
実は手を踏ん付けるシーンですが、骨を折るか悩みました。
ありだと思いましたが、剣をふるえない彼女が想像出来ず、却下(苦笑)