第二訓:頂点の存在
「"平和"を知らねェ子供共と"戦争"を知らねェ子供共の価値観は違う!!!」
「頂点に立つ者が善悪を塗り替える!!!」
「正義は勝つって!?そりゃあそうだろ 勝者だけが正義だ!!!!」
これらの台詞がなんの物か、分かる方もいると思います。
今(2010年12月現在)、集英社の「週刊少年ジャンプ」で連載中、
尾田栄一郎作、「ONE PIECE」の556話で登場した台詞です。
話の内容、その他はとりあえず置いておきましょう。
尾田先生は私も大好きですし、尊敬していますが、
今から話す内容に直接的に関係しないので。
さて、これらの台詞は正直ウンウンと納得させられる台詞です。
少なくとも私はそうさせられました。
まったくその通りだと思います。
現在内戦中の国々はなんと5カ国以上もあり、その犠牲者のほとんどが貧しい民です。
そして、それが「普通」になってしまっている…。
ご飯粒一粒でも取り合って食べる時代が、日本にもあったそうです。
今から約70年前、「第二次世界大戦」中の日本です。
とくに後期の「太平洋戦争末期」で、広島、長崎に原子爆弾が落とされたことで、
この二つの都市は戦争の惨禍を二度と忘れてはならない平和の代表的存在となっています。
それが今はどうでしょう。
今の子供たちは、口先だけ「戦争はいけない」「戦争最中はとてもみんな苦しかった」と、
言っているだけで本当に苦しかった事を分かっていません。
学校では給食を残し、その割りにやたら好きな物ばかりを食べ、「豊」に甘えすぎています。
できることならこの残したもったいない給食を内戦中の国々に送ってやりたい。
と思った先生や親御さんも多いと思います。まったくもってその通りです。
「人によっての価値観の相違」、というものはどうしても変えられない物です。
人に「ゴミ」と思われる物が本人には「宝物」であったり。
しかし、「飲食」「清潔」「排便」の三つの基本的生活習慣の「価値観」は統一すべきです。
「飲食」は価値観というより好き嫌いですが、そういうことを甘やかすから子供は
「ああ、嫌いな事はやらないでいいんだ」という間違った解釈を脳裏に残してしまうのです。
「清潔」は当然です。相手に不快感を与えるのですから。
また「排便」も同じ。犬じゃあるまいし、いくら我慢ができないからといって
そこら辺でやるというのはとても良いとは言えません。
次に「頂点」について考えてみましょう。
今、日本の経済やその他の問題についても国民のリーダーである政治家が
悪いと一方的に投げつけられています。
まあ「政治家は全然悪くない」というと嘘になりますが、
こういう一方的な国民の意見は正直「やりすぎかな」と思います。
なぜならそのリーダーを最終的に選んだのは自分たちなのですから。
「俺は違うヤツに投票した。だからこいつが当選しとけば良かったんだ」という人も
いるとは思いますが、そこは「日本のルールの中の選抜方法の多くが多数決」という所を
深く理解していただけるとありがたいです。多くはルールの中にルールが存在します。
とりあえず、「頂点」である政治家の汚職、天下りなどですが、
こういう事がある以上、日本もいつ内戦になってもおかしくないです。
なぜか。理由は2つあります。
1つめは、今内戦している国の多くは、その国のリーダーがちゃんとしていないから
戦争に発展したというものがとても多い事です。
つまり、リーダーがちゃんとしてれば戦争などのいざこざ、争いはなくなるわけです。
しかし日本はリーダーがちゃんとしてると言えますか。
2つめは「世代交代」です。
戦争を体験した年代が、この世を去る時代になってきました。
戦争体験者がゼロになってしまえば、本当の恐怖を語る物は無くなり、
平和主義、戦争放棄の鎖は最悪ちぎれてしまうかもしれません。
それでは最後に「勝者が正義」についてです。
これも頷けるないようではないでしょうか。
正義が負けるのはあくまで前座、後半で必ず巻き返します。
そして、これらもあくまで物語の中での話であるということ。
「頂点に立つ者」、そしてその責任問題。
これらをよく考えて、本当に日本を救い、そして世界中をも救ってくれる。
そんなリーダーが現れることを願いましょう。