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第一訓:人間は考える

「人間は考える葦である。」ーブレーズ・パスカルの言葉ですね。

正直、私は今でもこの言葉の意味が全くと言っていいほど理解できません。

自分が小学生のときには、勝手に「足」だと思っていました。

だから「んー?何となく分かる気がする。」と本当に勝手な解釈で満足していました。

多分、人間は「動く」=原動力は「足」で、脳ミソがついているから「考える」という結びつきだったんでしょうね。


いま考えてみても「葦」というのはたしか植物で、ナイル川近辺に生えてるんじゃなかったっけ?という曖昧な結論で終わってしまいます。

ここでは正しい意味はさておき、

これにもとづいて人間は「何故考えるのか?」という点を今回は述べて行く事にしましょう。

まぁ「正しい意味」というのも、人によって異なってくるのですがね。


人間が考えるきっかけ、というより、人間の脳ミソが飛躍的に高まったきっかけというのを

皆さんはご存知でしょうか。多分学校の授業でやったと思いますが。


それは「二足歩行」です。っていうかだったと思います。定かではありません、私の中で。

猿と人間の大きな違いは、「二本足で立って歩くか」という事ではないでしょうか。

ということは、猿がトコトコ歩いたら、もうそれは立派な人間と言う事になります。

しかし、残念ながら今のは当ってるとも間違ってるとも言えないものです。

猿と人間のもう1つの大きな違いは「自分の意志で考えて行動できるか」でしょう。

猿の行動はあくまで「本能」です。「意志」ではありません。


さて、話を戻してみましょう。

とりあえず、今ので人間の「考える起源」が見えたと思います。

次は「何故考えるようになったのか?」ということです。


「何故考えるようになったのか?」

はい、皆さんいろんな意見があると思います。

すこし考えて、答えが出たら下に進みましょう。

















出ましたでしょうか。


あくまで個人の意見ですが、

「周りの危険から身を守るため」というのが私の意見です。

「考えて行動」できなければ様々な事態に素早く対応する事ができませんので。



これはあくまで「昔」。

ではいよいよ最後に「現在」の「何故考えるのか?」に触れて行きましょう。


状況は違いますが、今でも考える事は、自分の身を守る事に役に立ちます。


ここからは推測ですが、

そういう風に「経験」から「行動」の間に「思考」が入り、

それが自然になっていったため、さらにいろいろな方向にも考えるようになれた、

というものではないでしょうか。まるで木々の枝が様々な方向に分かれるように。


これが人間は「何故考えるのか?」の答えに最も近い結論です。

結局大きな目で見れば現在も昔も、「考える」ことの意味、必要性は変わらないわけです。

当然現在は進化して「自分の身を守る」から「相手を傷つける」ことにも使えるようになってしまいました。

でもそれもまた、「人間」の意味であり、価値であり、宝なのでしょう。

だって、人を傷つけない人なんていないのですから。


こうしてさらに進化して「相手の身を守る」ことがごく当たり前であるような「人間」が生まれるのを見てみたいですね。何百何千何億年後、人が生きていなくとも。

「考える『足』がもたらす結果」を。

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