真実の愛をお店に買いに行くお話
聖女という肩書から思いつく言葉は何だろう。
神聖さ。清らかさ。慈愛の心。神聖魔法への適性。美しくて優しい。いろいろあるだろう。
だが彼、ユナステード・デーセンナトルが思いつく言葉は「息苦しさ」だ。
伯爵子息ユナステード・デーセンナトル。今年で17歳となる彼は一族伝来の金色の髪に、輝く緑の瞳を持つ美男子だ。デーセンナトル伯爵家と言えばこの王国でも名の知れた名家である。その第二子として生まれた彼は、その立場に相応しい教養と能力、そして高い魔力を有していた。
そんな彼は極めて優良な相手との婚約が結ばれた。
婚約の相手は、伯爵令嬢マルシィラ・フォリブラード。フォリブラード伯爵家は高い魔力と神聖魔法への適性で知られた名家だ。マルシィラはその家柄に相応しい能力を有している。神聖魔法学を深く理解し、その扱いにも長けている。その才覚から王国認定の聖女候補筆頭と目されている。
しっとりとしたプラチナブロンドの髪に、澄み切った空を思わせる蒼の瞳。整った顔立ちにほっそりとした身体は清楚可憐という言葉がよく似合う。何より彼女を美し見せるのは、美しい所作と完璧な礼儀作法だ。聖女候補と聞いて疑う者などいないだろう秀麗な乙女だった。
婚約はユナステードが婿入りするという形で結ばれた。名家に生まれ、外見も優れており、能力も高い二人の結びつき。誰もがうらやむ理想的な婚約。だが当事者であるユナステードにとっては、そんなにいいものではなかった。
とにかく、マルシィラの所作は完璧で美しすぎる。厳しく礼儀作法を身に着けた貴族であっても思わず息を呑むほどの美しさなのだ。
ユナステードも伯爵家の人間であり、その立場に相応しい礼儀作法を身に着けている。だがマルシィラの完璧ぶりを見せつけられると、自分の所作の細かな粗が目立つ。そのことが気にかかり、彼女を前にするとつまらないことでミスをしがちだった。
そうすると、マルシィラにたしなめられる。
「ユナステード様、手の動きはもう少しきちんとそろえた方が美しくなります」
「ユナステード様、礼の時は背筋をあと少しだけピンとさせれば更によくなります」
「ユナステード様、その手順は間違っています。先に礼をするのが正しい作法です」」
彼女の言葉は厳しくはない。むしろ慈愛に満ちた優しいものだ。それがかえって気に障る。作法の不備を指摘するマルシィラは、まるで幼子を優しく躾ける母親のようなのだ。年頃の男性にとって、同世代の女性から子供扱いされるのは屈辱だ。
マルシィラを相手にするときには常に隙を見せることなどできない。ずっと緊張を強いられながら、それでいて優雅に振舞わなくてはならない。ユナステードにとって、婚約者との時間は息苦しくて仕方ないものだった。
「今日も肩が凝った……」
ある日の放課後。貴族たちの学園に設えられたガゼボ。その席にはユナステード一人が座っていた。つい先ほどまで、マルシィラと定例のお茶会の時間を過ごしていたのだ。
「おやおや、ずいぶんとお疲れだね」
そう言って無遠慮にも目の前の席に着く者がいた。黒髪に灰色の瞳。整った顔立ちをしているが、口元に浮かべた微笑がなんとも言えず胡散臭い。
ユナステードは戸惑った。目の前の青年を知っているような、知らないような、不思議な違和感を覚えたのだ。
「おいおいどうしたんだい? 君の親友たるこの僕、エルナッドに挨拶も返せないくらい疲れてしまったのかい?」
そう言われてぼんやりしていた頭がはっきりした。そうだ、目の前の青年の名前はエルナッド。入学当時からの友人だ。貴族子息にしては少々礼儀を守らないところがあるが、気兼ねなく話せる同級生の友人だった。親友というよりは悪友と言った方が適切な相手だった。
「婚約者様の完璧っぷりに、君はまたしてもやられてしまったわけだね」
「そんなことはない」
強がりを言い返したものの、ユナステードは椅子の背に身体を預けたままだ。本来なら背もたれを離れ背筋を伸ばすのが正しいが、疲労がそれを困難なものにしていた。そのせいでなんだか締まりのない感じになってしまった。
「君も婚約者との関係をそろそろ考え直した方がいいんじゃない?」
「何を言っているんだ? 一緒にいると少々疲れるというだけで、婚約関係を考え直すも何もないだろう」
「少々、ねえ? でも君は婚約者とのお茶会のたびに疲労困憊している。結婚したらそんなのが何十年も続くことになるんだよ。耐えられるのかい?」
それは考えないようにしていた未来だった。こんな緊迫した時間が結婚しても続くのかと思うとゾッとするものがあった。いずれは慣れるだろうと思っていたが、今のところその兆候は見られない。
「だが、彼女自身には何の落ち度もない。完璧すぎて息がつまるなんて理由で婚約解消などできるわけがないじゃないか」
例えばこのことを両親に相談してみたらどうなるだろう。ただ「礼儀作法をもっと完璧にするように」と小言を言われて終わるだけだろう。
この婚約は聖女候補筆頭であるマルシィラに対し、ユナステードが婿入りするという形で結ばれたものだ。両家にとって価値あるもので、個人の感情で左右できるものではない。マルシィラの側によほどの瑕疵がない限り両親は婚約解消の希望など受け入れないだろう。
「君は見落としているよ。ありとあらゆる婚約を破棄することのできる最強の武器がこの世にはあるんだ!」
「何を言っているんだ。そんなものがあるはずが……」
「『真実の愛』! 『真実の愛』さえあれば、婚約破棄は成立する!」
エルナッドは自信をもって断言した。その勢いにユナステードはしばし言葉を失った。
小説や演劇では『真実の愛』を見出した貴族が、人前で堂々と婚約破棄を宣言するのが定番だ。現実的に考えればおかしなことではある。しかし『真実の愛』のために貴族の常識を打ち破るというのは、奇妙な納得感がある。得体のしれない説得力がある。なにより、ロマンがある。
一瞬そんな考えに囚われたが、ユナステードは慌てて首を左右に振った。
「なにをバカなことを言っているんだ! そんなことが現実にできるわけないだろう!」
「愛は時として人の命より重いものだ。『真実の愛』ともなれば、不可能を可能にできる」
「バカな……そもそも相手がいない。婚約も貴族の立場もどうでもよくなるほど愛せる運命の相手なんて、そうそう都合よく出会えるわけがないだろう」
ユナステードが現実的なことを言うと、エルナッドはチッチッと言いながら人差し指を左右に振った。
「何を言っているんだ。私たちは貴族だ。貴族は金持ちだ。金で大抵の問題は解決できる」
「そうかもしれないが……さすがに『真実の愛』は別だろう?」
「『真実の愛』だって例外じゃないよ。さっそく今日にでも買いに行こうじゃないか」
エルナッドの妙に確信のこもった口ぶりに、ユナステードは首をかしげるばかりだった。
「なんだこの店……?」
ユナステードは思わず呻いた。
王都のはずれ、さびれた路地を抜けたとある一角。そこには『有償の愛』などという看板を掲げた店があったのだ。
『真実の愛』を売る店なんて冗談だと思っていた。お金で愛を買うと言えば真っ先に思いつくのは娼館のたぐいだ。どうせそんな店に連れていかれるのだろう。たまの気晴らしにはいいかもしれない……そんな軽い気持ちで平民に扮して夜の王都に繰り出した。そしてエルナッドに連れられた先には、この怪しげな店があったのだ。
男をひきつける派手な装飾の類はなく、地味だ。娼館というより雑貨屋のような雰囲気がある。それなのに店の看板は『有償の愛』とある。なんとも奇妙な店だった。
「ごめんくださーい。『真実の愛』を買いに来ましたー」
戸惑うユナステードをよそに、エルナッドは扉を開けて軽い調子で入っていってしまった。仕方なくユナステードもそのあとに続く。
店の中は思ってより手狭だった。左右には棚がある。棚には用途不明の怪しげな品々が並んでいる。
店の一番奥には店主らしき女性が席についていた。波打つ黒髪に妖しく輝く紫の瞳。年齢はよくわからない。顔つきは20代に見えるが、深みを感じさせる瞳もっと年を重ねているような雰囲気がある。身にまとうのは紫色のローブ。テーブルには水晶玉が置かれている。それだけ見れば占い師といった風情だった。
「いらっしゃい。今度はそちらの方が『真実の愛』をご所望ですか?」
「ええそうなんですよ、お願いします」
「承知しました。それでは席におつきください」
エルナッドは慣れた調子で店主らしき女性とやりとりをしている。初めて来たというわけではないようだ。
いろいろと気になることはあったが、ここまで来て引き返すのもなんだかしゃくだった。ユナステードは腹をくくると席に着いた。
「この店では『真実の愛』を買えると聞いたが本当か?」
「ええ、本当のことです。最初はみなさんお疑いになりますが、最後には『真実の愛』が見つかったとお喜びになるのです」
そう言って、店主は微笑んだ。その笑みがなんとも嫌らしいものに感じられて、ユナステードは顔をしかめた。
「『真実の愛』なんて形の無いものだろう。どうやって売り買いするんだ?」
「厳密にいえば、金銭を対価として『真実の愛』のお相手に引き合わせるのです。説明するより実際にやってみた方が早いでしょう。まずはこの水晶に手を置いていただけますか?」
ユナステードは言われるままに水晶に手を置いた。
「これからいくつかの質問をするので、正直に答えてください。それによってお客様の『魂の形』を調べます」
「『魂の形』を調べる?」
「そうです。魂は人によって形が異なります。そして『魂の形』によって相性が決まるのです」
「信じがたい話だな。『魂の形』を知ることができる魔法なんて存在しないはずだ。そんなことができるのは神か悪魔だけのはずだ」
「そこは店の秘密の手法があるのです。『魂の形』を調べると言ってもそこまで精度が高いわけではありません。あくまで相性占いができる程度にわかる、というだけです。でもそれだけで十分なのです。魂の相性がいい人間は、確実に恋愛が成就します」
もっともらしいことを言っているが、要はハッタリなのだろう。大げさなことを言って話に引き込むのは占い師のよく使う手だ。
バカバカしくも思えてきたが、ここまできたら最後までやらないのもなんだか気持ちが悪い。ユナステードはひとまず付き合うことにした。
それから店主は「好きな色は?」「好きな野菜と嫌いな野菜は?」「靴を履くのは右足から、それとも左足から?」などといった当たり障りのない質問を繰り返した。答えるたびに水晶玉が明滅した。そういう演出なのだろうと、ユナステードは驚きもしなかった。
そうして質問は終わった。
「……さて。これであなたの、伯爵子息ユナステード・デーセンナトル様の『魂の形』はわかりました」
ユナステードは軽く目を見開いた。この店に入ってから名前を出していないのにいきなり言い当てられた。横目にエルナッドの方を見る。素知らぬ顔をしているが、きっと彼が事前に伝えていたに違いない。
「あなた様は幼いころ、園遊会で粗相をしてしまった。そのことから礼儀作法について潜在的に苦手意識を持っていた。だから礼儀作法が完璧すぎる婚約者のことを苦痛に感じ、『真実の愛』を求めてここにいらしたわけですか」
「なっ、なんだと!?」
ユナステードは思わず驚きの声を上げた。婚約者に関する情報はエルナッドを通じて知ることはできただろう。だが10年以上前の内輪で行った園遊会について知り得るわけがない。そのことで礼儀作法について苦手意識を持っていたことは、彼自身の心の中のことで、今まで誰にも打ち合けたことはなかった。
「……なぜ、そんなことを言い当てられるんだ?」
「『魂の形』を知るというのはそういうことです」
店主はさも当たり前のように言った。どうやらこの店主はただの占い師とは一線を画する存在のようだった。
彼女は得意げに話を続けた。
「さて、これであなた様の『魂の形』はわかりました。理想のお相手はすぐにみつかることでしょう。ですが、いきなりお相手と引き合わされても困るでしょう。事前に確認がしたいはず。そこで夢の中でお試しで会って話をしてもらいます」
「夢で会うだって?」
「ええ、この魔道具『夢路の試し』を枕元に置いて眠れば、『真実の愛』のお相手と夢の中で話すことができるのです」
そう言って店主が取り出したのはチケットのような紙片だった。表面にはびっしりと魔法陣が書き込まれている。ざっと見た感じ、精神系の魔法のようだ。ユナステードはその系統の魔法はそれほど詳しくないので仔細はわからないが、夢に干渉する術式なのは間違いないようだ。
手に取って調べようとすると、店主に待ったをかけられた。
「ここから先は有料です。まずは料金を見てから実際に使うかどうかご判断ください」
そうして店主は料金について説明した
『魂の形』を調べ、夢を見るところまでが初期費用とされていた。金額は一般的なアクセサリー程度。魔道具『夢路の試し』は使い捨ての魔道具なので買取となるらしい。説明通りの効果を発揮するなら妥当な価格と言えた。
しかし『真実の愛』の購入費用として示された金額には驚かされた。それは伯爵子息であるユナステードであろうとも、用意立てるのは簡単ではない大金だった。
「ちょっと待て、なんだこの金額は!?」
「『真実の愛』のお相手とより確実に結ばれるには、ドラマチックな出会いが必要です。お相手はおそらく貴族でしょう。動かすのに金がかかります。平民だとしても、貴族と結ばれるよう段取りするならやはりそれなりの金が必要となります。様々な伝手があるので、出会いの実現自体は可能ですが、そのためにはどうしてもこれくらいの費用が必要になるのです」
「むむう……」
ユナステードは呻いたが、反論はしなかった。例えばどこかのご令嬢とお近づきになるために伯爵家で催した夜会に招き、来るように促すために工作するのなら、この程度の金額は必要になる――そのことが、貴族である彼には理解できたのだ。
「まずは、夢でお会いすることだけでも試してみませんか? 気に入らなければそれで結構。この店でのことはお忘れください。ですが……これまで、そこでやめた方はいらっしゃいませんけどね」
そう言って店主はまたあの嫌らしい笑みを浮かべた。
結局、ユナステードは初期費用を払い『夢路の試し』を買い取った。『魂の形』を調べることで選ばれる相性のいい相手というのが、どんな女性なのか気になって仕方なかったのだ。
ユナステードはタウンハウスに戻ると、早めに就寝することにした。『夢路の試し』を枕元に置きベッドに入ると、すぐに睡魔が押し寄せてきた。
気が付くと伯爵家の庭園にいた。目の前には令嬢がいた。夢の中だとわかった。夢を夢だと自覚できるのが『夢路の試し』の効果のようだった。
目の前にいるのは肩まで届く栗色の髪に茶色の瞳のかわいらしい令嬢だった。ユナステードはなんだか拍子抜けした。『真実の愛』の相手というから、傾国の美女でも現れるかと思っていた。可憐な令嬢ではあるが、期待していたほどの美しさではなかった。それに思ったより幼い。まだ学園には入学していないと思われた。
「本日はお招きにあずかりありがとうございます。ファルエンカート子爵家の娘、パーレティアでございます」
目の前の令嬢、パーレティアはカーテシーを披露した。貴族として標準的な所作だ。婚約者のマルシィラの美しい所作には及ばない。
そうして二人は席に着いた。伯爵家の庭園は花々が咲き乱れ、いつものように美しい。なかなかリアルな夢だと思った。
「なんだか夢のようですね……」
突然そんなことを言われてドキリとした。まさか夢の世界で、その登場人物から「夢のよう」などという言葉が出るとは思わなかったのだ。
「ごめんなさい、あまりに綺麗なのでつい、おかしなことを言ってしまいました」
そう言ってパーレティアは照れ笑いした。その表情になぜだか胸が高鳴った。
そうして穏やかにお茶の席は始まった。
パーレティアは話題によってころころと表情を変えた。貴族令嬢はあまり感情を表に出すべきではないとされている。パーレティアも無作法にならない程度に表情を押さえていたが、それでも隠しきれないくらい表情豊かな令嬢だった。
婚約者マルシィラとのお茶の席は堅苦しくて息の詰まるものだった。だがパーレティアと過ごす時間は違った。楽しくて穏やかで、心の休まるものだった。
それはユナステードの求めて止まないものだった。婚約者とはこんなふうに時間を過ごしたい――夢見ていた理想が、今ここにあった。
小一時間も過ぎるころには、ユナステードはすっかり彼女に夢中になってしまった。
「やはり来られましたか」
一週間ほど過ぎた頃、ユナステードは再び『有償の愛』を訪れていた。あの夢で見たパーレティアとすぐにでも会いたかったが、そのための料金を用意立てるのに一週間を要したのだ。
「金を払えば、本当に夢で出会った令嬢と結ばれることができるのか?」
「はい。子爵令嬢パーレティア様とのドラマチックな出会いを実現することをお約束いたします」
店主は当たり前のようにパーレティアの名前を言い当てた。あの夢を見てから、パーレティアの名前は誰にも明かしたことはない。
ユナステードは今更驚かなかった。『魂の形』を知るというのは、きっとそういうことなのだ。
店主は契約書を取り出した。
「この契約書にサインをして、代金を支払っていただければパーレティア様と出会えるよう手配いたします」
懐には金貨のつまった袋を用意してある。代金は十分足りる。ここにサインをするだけで、あの素晴らしい令嬢と出会うことができる。
その時、ふと疑問がわいた。
「もし代金を支払わなかったらどうするんだ?」
既にパーレティアについては家名までわかっている。探せば見つけることはできるだろう。
相性のいい相手なら、自分で出会いを演出すればそれでうまくいくかもしれない。
「具体的な手段はお話しできませんが……その時は、永遠に『真実の愛』を見つけることはできないとお考え下さい」
店主は妙に含みのある言い方をした。おそらく、代金の支払いを拒否した時点で何らかの妨害工作を講じてくるのだろう。『魂の形』を把握した店主のことだから、効果的で致命的な手段を採るに違いない。金を出し渋って彼女を失うなんて、とても耐えられないと思った。
「わかった。サインする」
「ありがとうございます」
ユナステードは差し出されたペンを手に取った。いざサインをしようとすると、手が止まった。急に重苦しいものがのしかかってきた。
ここにサインをすればすべてが決まる。ユナステードはあのかわいらしいパーレティアと出会い恋に落ちる。そして『真実の愛』を育み、婚約破棄を宣言する。それは必ずしも幸せになれるとはかぎらない選択だ。貴族の立場を失う可能性だってある。それでも、パーレティアが隣にいてくれれば幸せになれるような気がした。少なくとも、今の息苦しい婚約関係を続けるよりはましなはずだ。
だが。どんな理屈をつけようと、それは本来の婚約者、マルシィラを裏切る行為に他ならない。それは本当に許されることなのか。その迷いが、ユナステードのペンを止めさせていた。
その時だ。
「そこまでです!」
鋭い声と共に白装束の一団が店に入ってきた。
ユナステードは驚きのあまり声も出なかった。白装束の集団はいずれも神官であり、その先頭に立つのはマルシィラだったのだ。
ゆったりとした白いローブを纏い、右手には銀の錫杖を手にしている。プラチナブロンドの髪は一つまとめられ高く結い上げられている。
ユナステードにとってマルシィラは落ち着いた物静かな令嬢だった。しかし今の彼女はまるで出征を前にした騎士のように凛々しかった。その勇壮な姿にユナステードは胸の高鳴りを覚えた。
「バカな、聖女候補筆頭がこの店に来るなんて!」
そう叫ぶと、店主は店の奥へと走り去ろうとした。
「神聖結界!」
それより早くマルシィラは神聖魔法を発動させた。邪悪を決して通さない結界魔法だ。店の奥へとむかう戸口に光の壁ができた。それに店主はそれに激突した。普通の人間には害を及ぼさないはずの光の壁が、店主が通り抜けるのを許さなかったのだ。
「おのれぇ……!」
振り返った店主の姿を見て、ユナステードはあっと声を上げた。
店主の外見は様変わりしていた。頭からは二本の角が生えている。口は耳まで裂けている。背には蝙蝠の翼に、腰のあたりからは先のとがったしっぽまで生えている。人間ではない。店主は悪魔だったのだ。
「この近隣で悪魔が人々をかどわかしているという情報は得ていました! その悪行もこれまでです!」
「おのれぇ! よくも邪魔してくれたな!」
「ユナステード様! 伏せてください!」
言われるままにユナステードは床に伏せた。マルシィラは錫杖を掲げると、神聖魔法を放った。
「浄化の光よ! 悪魔を打ち滅ぼしたまえ!」
マルシィラの放った浄化の光は店主に直撃した。店主はチリすら残さず消滅した。
あの後、ユナステードはマルシィラに連れられて教会に行った。そして教会の一室で二人きりになると、今までのことを洗いざらい正直に話した。
マルシィラとの婚約関係に息苦しさを感じていたこと。悪友エルナッドに連れられて『有償の愛』に行ったこと。そこで『夢路の試し』を得て、夢の中でパーレティアに会ったこと。そして、『真実の愛』を得るためにお金を用意立てて再び『有償の愛』を訪れたこと。全て話した。
「まったく……そういうことだったのですか」
「まさか店主が悪魔だったとは……あんな店に連れて行くなんて、エルナッドはどういうつもりだったんだ?」
「そのエルナッドという人は、おそらく実在の人物ではありません」
「なんだって?」
「学園でそんな名前を聞いたことはありません。おそらくは悪魔の使いだったのでしょう」
「なんてことだ。最初から騙されていたのか……」
ユナステードの顔が青ざめた。
友人に誘われたと思い込ませ、悪魔のいる店に引き込む。
あんな当たり障りのない質問で『魂の形』の形がわかるなんて不思議だったが、契約で魂をやり取りする悪魔ならむしろ当然のことだ。
こうなるとあのパーレティアも実在の人物かわからない。もしかしたら、悪魔が夢の中で作り上げた架空の人物かもしれない。
すべては巧みに仕組まれた計略だった。その目的はおそらく、あの契約書にサインをさせること。あの時、ユナステードは契約書をよく読まずにサインしようとしていた。もしサインしていたらどんなことになったのか……今更ながら、背筋の凍る思いだった。
「君がタイミングよく来てくれて助かった……」
「聖女の修行の一環として、王都の巡回をしていたんです。もともと、あの周辺には悪魔が潜んでいるという噂がありました。そうしたら、あなたが怪しげな店に入っていくじゃありませんか。気配を探って悪魔がいることを確信して踏み込んだというわけです」
ユナステードはずいぶんと幸運だったようだ。もしマルシィラがいなければ大変なことになっていただろう。
ユナステードは尊敬と感謝の念を込めて彼女を見つめた。しかしマルシィラは気まずげに視線を落としてしまった。
「それで……わたしとの婚約をやめたいのですか」
「え?」
「だってそうでしょう……わたしといるのは息苦しいのでしょう? そのために『真実の愛』の相手を求めたのでしょう? それなら……」
ユナステードは席を立つと、床にひざまずき、頭を下げると叫んだ。
「すまなかった!私が間違っていた! どうか婚約関係はこのまま続けさせてくれ!」
「や、やめてください! 頭を上げてください! 伯爵子息ともあろう人がそんなことをしないでください! なんでそこまでするんですか!?」
マルシィラが驚くのも無理はない。同格の貴族に対し、床にひざまずいて許しを請うなどめったなことではない。
ユナステードはひとまず頭を上げると叫んだ。
「悪魔に立ち向かう君の姿は美しかった! 私はあのとき、生まれて初めて本物の恋に落ちた ! 虫のいい話だと思うだろうが、君のそばにいさせてほしい!」
まっすぐな告白を受けて、マルシィラの頬が赤く染まった。だがそれも一時のことだった。潤んだ瞳はすぐに軽蔑のまなざしへと変わった。
「信用できません。夢の中で出会った令嬢のことも、そんなふうに好きになったのでしょう?」
痛烈な反撃を受け、ユナステードは顔をゆがめた。確かにユナステードは夢の中で出会ったパーレティアのことを好きになった。『真実の愛』を見つけられると思った。ほんの数時間前まで浮気しようとしていた男が、今になって婚約者を愛しているなどと言ったのだ。信じてもらえなくて当たり前だった。
だが、ユナステードは引かなかった。今胸の中に湧き上がる熱情は、パーレティアに抱いたものよりずっとずっと強かったのだ。
「あれはただの気の迷いだ 今度こそ本物の恋だ! どうか信じて欲しい!」
ユナステードは再び頭を下げた。他に自分の誠意を伝える手段がないと思った。
マルシィラはそんな彼の姿をしばらく見つめていたが、やがてため息を吐いた。
「……わかりました。どのみち、わたしたちの一存では婚約関係を変えることはできません。ですが、今回のことは瑕疵として両家当主に報告します。いいですね?」
「ああ、もちろんだ! 罰は受ける! そして必ず挽回して見せる!」
「礼儀作法については今まで以上に厳しく指摘しますからね?」
「ああ、君に指導してもらえるなんてこの上ない喜びだ! これからも厳しくしてほしい!」
あまりのユナステードの熱心ぶりに、マルシィラは再びため息を吐いた。
その後、両家の当主に今回の事件が報告された。ユナステードはその失敗を認め、挽回すると力説した。その真摯で熱心な様子に両家の当主は感銘を受けた。そして今回の事件は一時の気の迷いだったとして、ひとまず婚約関係は続けることとなった。
マルシィラは宣言通り、礼儀作法について厳しく指導した。しばらくそうしていればユナステードは音を上げると思っていた。浮気しようとした彼のことを簡単に許すつもりはなかった。
しかしユナステードは彼女の指摘を受け止め必死に努力した。やがてマルシィラも文句をつけられないほどの完璧な礼儀作法を身に着けた。
そしてことあるごとに彼女への愛を伝えた。
「愛する君のためなら、どんな苦労もいとわない!」
マルシィラは根負けして、ユナステードの過ちを許した。
ユナステードがマルシィラに救われたときに見出した愛は本物だった。彼は他の女性に目もくれず、一途にマルシィラのことを愛した。マルシィラもまた、その愛を受け入れた。
そして二人は結婚し、貴族社会でも評判となるほど仲睦まじい夫婦となるのだった。
終わり
「真実の愛を買いに行く」というネタはけっこう前に思いつきました。
面白いネタだと思ったのですが、いいお話が思いつかずそのままになっていました。
最近になってようやく書けそうな目途が立ち、こういう話になりました。
苦労しましたが、なんとかまとまってよかったです。




