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第9話 英雄が知らなかったもの

セラフィナ・アルトリウスは、その日も完璧だった。


巡回任務。

異常因果の検知。

民間区域の安全確認。


すべて予定通り。

すべて問題なし。


世界評価機構の端末は、彼女の行動を逐一記録し、

《成功》という判定を静かに積み上げていく。


――いつも通りだ。


「英雄殿、本日の任務は以上です」


監査補佐官の言葉に、セラフィナは頷いた。


「ご苦労さまでした」


その瞬間だった。


胸の奥が、わずかに軋んだ。


「……?」


痛みではない。

違和感。


呼吸は正常。

魔力循環も安定している。


だが――

**“何かが起きた気がする”**という感覚だけが、消えなかった。


「……今、何かありましたか?」


補佐官が不思議そうに尋ねる。


セラフィナは首を横に振った。


「いえ。問題ありません」


そう答えた。

答えてしまった。


それが、彼女の“失敗”だった。


その夜、セラフィナは眠れなかった。


夢を見ないはずの眠り。

だが、目を閉じると――


輪郭の薄い影が浮かぶ。


誰かが、消えかけている。

必死に、何かに縋っている。


「……誰?」


問いかけても、返事はない。


ただ、紙を走る音だけが聞こえる。

ペンの音。

必死に何かを書き留める、かすかな気配。


セラフィナは、はっと目を覚ました。


「……これは……」


胸元の紋章が、微かに揺れている。


《正史補正》が、不安定になっている証だ。


ありえない。


彼女は今まで、一度も――

因果補正が乱れたことなどなかった。


「……評価照会」


端末を起動する。


自分自身の記録。

戦績。

因果安定度。


すべて、S評価。


完璧だ。


――なのに。


「……空白?」


記録の一部に、微細な欠損があった。


ほんの数秒。

ほんの一行。


だが、そこには確かに――

“何かがあったはずの余白”が存在していた。


「……失敗?」


その言葉を口にした瞬間、

胸が、ちくりと痛んだ。


失敗。

それは彼女にとって、概念でしかなかった。


避けるべきもの。

起きてはならないもの。


だが今、彼女の中にあるのは――

避けられなかった違和感だ。


翌日。


セラフィナは、再び失敗記録庁の前に立っていた。


今回は、誰にも告げていない。

公式任務でもない。


私情だ。


扉を開けると、

静かな空気が迎えた。


「……」


彼女は、奥へ進む。


書架。

記録。

そして――


見覚えのある背中。


「……あなた」


彼は振り返った。


昨日より、少しだけ疲れた顔。


だが、確かにそこにいる。


「また来たのか、英雄様」


「……昨日」


セラフィナは、言葉を選びながら続ける。


「昨日、あなたの近くで……」

「私は、何かを見逃しました」


彼は、一瞬だけ目を細めた。


「珍しいな」


「はい」


セラフィナは、はっきりと頷いた。


「私は、完璧であるべき存在です」

「失敗は、許されません」


その言葉は、

自分に言い聞かせるようでもあった。


「でも……」


彼女は、一歩近づく。


「それでも、私は……」

「“分からなかった”」


沈黙。


リーネが、静かに二人を見ていた。


セラフィナは、彼女にも視線を向ける。


「あなたが、記録官ですね」


「はい」


「あなたは……」

「彼が、消えかけていたことを知っていますか?」


リーネは、即答しなかった。


だが、嘘はつかなかった。


「……知っています」


セラフィナの喉が、鳴った。


「私は……」

「英雄なのに……」


声が、わずかに震える。


「誰かが消えかけていることに、

気づけなかった」


それは、彼女にとって

初めての“取り返しのつかない失敗”だった。


彼は、ゆっくりと言った。


「それが、失敗だ」


「……!」


セラフィナは、目を見開く。


「失敗ってのはな」

「世界を壊すことじゃない」


彼は、静かに続けた。


「誰かを見落とすことだ」


その言葉が、胸に突き刺さる。


「……私は……」


セラフィナは、唇を噛みしめた。


「私は、どうすれば……」


彼女の問いは、

英雄としてではなく――

一人の人間としてのものだった。


彼は、すぐには答えなかった。


代わりに、こう言った。


「ここを見ろ」


書架を指す。


「ここにあるのは、

お前が今まで“救ったと思ってきた世界”の裏側だ」


セラフィナは、ゆっくりと歩き出した。


失敗の山。

捨てられた可能性。


ページをめくるたび、

胸が、重くなる。


「……こんなにも……」


「そうだ」


彼は言った。


「成功は、全部を救わない」


セラフィナは、本を閉じた。


そして、深く息を吸う。


「……私は」


顔を上げる。


「私は、まだ正しさを捨てられません」


彼は、頷いた。


「それでいい」


「でも」


彼女は、続けた。


「失敗を、無かったことには……」

「したくない」


その瞬間。


胸元の紋章が、

一瞬だけ、光を弱めた。


世界が、迷った。


セラフィナ自身も、それを感じ取った。


「……これが……」


「最初の一歩だ」


彼は、そう言った。


英雄は、初めて――

成功以外の道を、意識した。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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