第25話 記録されなかった名前
仮設室は、以前より静かだった。
失敗記録庁の名残は、もうほとんどない。
書架も、端末も、最低限のものだけが残されている。
それでも、
リーネは毎日ここに来ていた。
机に向かい、
ペンを取り、
記録を書く。
それが、彼女の選んだ生き方だった。
【失敗参照ログ】
いつの頃からか、
世界の公式記録には新しい項目が追加されていた。
成功事象の下。
評価スコアのさらに下。
《未採用判断ログ》
《参照可能》
誰かが意図したとは、書かれていない。
仕様として、最初からそうだったかのように扱われている。
評価局は、困惑した。
失敗は、削除できない。
非表示にもできない。
無視はできる。
だが、消えない。
「……」
リーネは、その表示を見て、
小さく息を吐いた。
「……残しましたね」
それ以上、言葉は続かなかった。
彼の名前は、
もう思い出せない。
記録にも残っていない。
正史にも、非公式記録にも。
彼が誰だったのか。
どんな顔で、どんな声で話していたのか。
曖昧だ。
だが――
選択だけは、はっきりと覚えている。
失敗を消さなかった。
世界に迎合しなかった。
最後まで、戻らなかった。
「……」
リーネは、
一冊のノートを開いた。
個人記録。
誰にも提出しない、誰にも評価されないもの。
最後のページ。
そこには、
たった一行だけが書かれていた。
【この失敗は、
世界にとって必要だった】
名前はない。
署名もない。
それでいい。
彼は、
記録されるために行動したわけじゃない。
外では、
人々がいつも通りに暮らしている。
成功は称えられ、
評価は更新され、
世界は前に進む。
だが、どこかで。
成功の影に、
小さな失敗が必ず映るようになった。
誰かが立ち止まり、
考える。
「……本当に、これでよかったのか?」
その問いが生まれる限り、
彼は、完全には消えない。
リーネは、ペンを置いた。
窓の外を見て、
ほんの少しだけ、微笑む。
「……お疲れさまでした」
声は、静かだった。
返事はない。
それでも――
その言葉は、確かに届いている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語は、
「成功した人の物語」ではありません。
「世界を救った英雄の物語」でもありません。
評価されなかった選択、
記録されなかった判断、
正史に採用されなかった失敗――
そういったものが、本当に“無意味”なのかを考えるために書きました。
この世界では、
成功だけが残り、
失敗は消えていきます。
けれど現実では、
私たちは失敗の中で考え、迷い、学びます。
失敗がなければ、次の選択すらできません。
主人公は、最後まで報われません。
世界に戻ることもなく、
名前すら残りません。
それでも彼が選んだのは、
「失敗を失敗のまま残す」ことでした。
それが正解だったのかどうかは、
作中でも、ここでも、断言しません。
ただ――
成功の裏に失敗が見える世界の方が、
少しだけ、人が生きやすいのではないか。
そう思っていただけたなら、
この物語を書いた意味はあったと思っています。
最後までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。
またどこかで、
別の物語としてお会いできれば嬉しいです。




