第23話 記録官の答え
最後通告は、昼前に届いた。
形式は、あくまで丁寧だった。
《通知:記録官リーネ》
《あなたの行為は、因果安定性に重大な影響を与えています》
《今後の記録活動について、指導を行います》
「……指導、ですか」
リーネは、端末の画面を静かに閉じた。
それが、
選択を迫る言葉だと分からないほど、
彼女はもう未熟ではなかった。
机の上には、二つの書類。
ひとつは、評価局指定の提出書式。
署名すれば、これまでの記録は正式に回収される。
保護は約束される。
監視下ではあるが、職務も、生活も続けられる。
もうひとつは――
何も書かれていない、白紙。
「……」
彼の姿が、脳裏をよぎる。
言葉は少なかった。
冗談も、軽口も、どこか他人事のようで。
それでも――
失敗を、絶対に消さなかった。
「……」
リーネは、白紙を手に取った。
これは、拒否だ。
世界に対する、明確な拒絶。
署名しなければ、
彼女は“矯正対象”になる。
最悪の場合、
記録行為そのものを奪われる。
「……」
ペンを取る。
だが、
評価局の書類には向かわない。
白紙の方に、ペン先を置く。
【記録官回答】
そう書いて、
一度だけ、手を止めた。
――怖くないか。
そう問われれば、
答えは簡単だ。
怖い。
世界評価機構は、
個人が逆らっていい相手ではない。
「……それでも」
リーネは、書き続ける。
【私は、失敗を失敗として記録しました】
【それが、世界に必要だと判断したからです】
彼がいない今、
この判断は、完全に彼女一人のものだ。
逃げ場はない。
【成功だけが残る世界では、
人は学びません】
【失敗を消すことは、
人を正しくするのではなく、
ただ間違えさせないだけです】
インクが、はっきりと紙に染みる。
【私は、
失敗を消してまで守られることを望みません】
最後の一行を書くとき、
胸が、少しだけ痛んだ。
だが、迷いはなかった。
「……これが、私の答えです」
リーネは、書類をまとめ、
端末に接続する。
送信。
数秒後、
端末が静かに反応した。
《受理》
《記録官リーネは、
以後、特別監視対象となります》
それだけ。
脅しも、罵倒もない。
世界は、
淡々と“敵を認識した”。
評価外層。
俺は、線が変わるのを見た。
大きな失敗因果が、
別の形に固定される。
「……やったな」
誰がやったか、
分かる。
彼女だ。
「……強いな」
胸の奥が、
少しだけ、温かくなる。
同時に、
輪郭が、また削れた。
「……そろそろ、
本当に限界か」
視界が、
白く滲む。
だが――
満足感の方が、勝っていた。
「……引き継ぎ、完了だ」
俺がやってきたことを、
誰かが理解し、続ける。
それだけで、
意味はあった。
仮設室。
リーネは、椅子に座り直した。
書類は送った。
答えも出した。
これからどうなるかは、
分からない。
「……」
ふと、
胸の奥が、静かに震えた。
声は聞こえない。
姿も見えない。
それでも――
“終わった”という感覚だけが、届く。
「……はい」
彼女は、小さく頷いた。
「……受け取りました」
何を、とは言わない。
言わなくても、
分かっている。
失敗は、
もう一人で抱えるものではない。
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