第15話 呼び声の記録
その違和感は、朝だった。
失敗記録庁の残骸――
正確には、かつて因果保管課だった区画の仮設室。
リーネは、いつも通り机に向かっていた。
公式業務は、もうない。
提出すべき報告も、評価対象も存在しない。
それでも、彼女は記録を続けている。
「……」
ペンを走らせる音だけが、部屋に響く。
【失敗記録・非公式補遺
整理番号:未付与】
見出しは、毎回そう書く。
番号を付けた瞬間、それは“整理対象”になるからだ。
【発生日時:本日未明】
【事象:地方第三街道・橋梁崩落事故】
【評価:未定】
ここまでは、普通の失敗だ。
だが――
リーネのペンは、次の行で止まった。
「……おかしい」
橋は崩れた。
だが、死者はいない。
崩落の原因は老朽化。
予兆はあったが、対応は間に合わなかった。
世界評価機構の速報評価では、
「想定内の事故」として処理されている。
――それでも。
「……因果が、余っている」
言葉にすると、奇妙だった。
結果は出た。
被害も確定している。
だが、この事故には
**“使われなかった選択”**が残っている。
「……ここ」
リーネは、記録を読み返す。
【事故発生直前、
一名の通行人が進路を変更している】
たった一行。
だが、彼女の指はそこから離れなかった。
「……理由が、ない」
なぜ進路を変えたのか。
なぜ、事故に巻き込まれなかったのか。
記録上、その人物は
「偶然助かった」と処理されている。
――だが。
「偶然で済ませるには、
因果が綺麗すぎる……」
リーネは、静かにペンを置いた。
深呼吸。
そして、公的書式を閉じる。
代わりに、
一冊の薄いノートを開いた。
表紙には、何も書かれていない。
【個人記録】
そこに、彼女は書く。
【この失敗には、
“拾われなかった判断”がある】
書いた瞬間、
胸の奥が、わずかに熱を持った。
――来る。
そう、直感した。
「……」
リーネは、目を閉じる。
彼女は祈らない。
祈る対象を、持たない。
だが今だけは、
強く“意志する”。
(これは、失敗です)
(成功にしてはいけない)
(消してはいけない)
ペンを、強く握る。
その瞬間――
紙が、微かに震えた。
インクが、
滲む前に“定着”する。
「……っ」
リーネは、息を呑んだ。
これは、かつて一度だけ起きた現象。
彼が、消えかけた夜。
「……聞こえた?」
今度は、確かに。
音。
紙をめくる音ではない。
部屋の外でもない。
頭の奥に直接響く、意味の音。
「……こちら、です」
リーネは、無意識に言葉を発していた。
返事はない。
だが、
失敗因果の記録が――
“こちらへ伸びている”。
「……やっぱり」
リーネは、静かに確信する。
彼は、まだいる。
世界の外側で、
失敗だけを見ている。
「……呼びます」
それは、業務ではない。
命令でもない。
彼女自身の、選択だった。
【評価外指定者は、
この失敗を“観測した”】【
書いた瞬間、
空気が、わずかに軋んだ。
部屋の隅が、
一瞬だけ“ずれた”。
「……」
リーネは、視線を上げる。
何も、見えない。
それでも――
彼女は、微かに笑った。
「……今度は、
ちゃんと準備します」
失敗を、失敗のままにするために。
そして、
世界に拾われなかった誰かを、
もう一度“ここに置く”ために。
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