第12話 失敗記録庁封鎖
封鎖は、朝だった。
失敗記録庁にとって、朝も夜も同じはずだった。
だがその日は、はっきりと「始まりの音」がした。
低く、長い警告音。
建物全体を包み込む結界が、段階的に展開されていく。
「――世界評価機構より通達」
無機質な声が、天井から降ってきた。
「本施設は、因果不安定領域に指定されました」
「これより封鎖処理を開始します」
静まり返る庁内。
職員たちは、慌ただしく動くことはなかった。
逃げる者も、抗議する者もいない。
ここに残っている人間は皆、
世界から期待されることを、とうに諦めている。
「……始まりましたね」
リーネは、記録台の前に立っていた。
手には、いつも通りペン。
「始まったな」
俺は、建物の奥――
封鎖対象区域の境界線を見つめていた。
白い光の壁。
触れれば、因果が削られる。
「時間は?」
「正式封鎖まで、二十分」
「段階封鎖なので……」
リーネは言葉を切った。
「……全区画は、守れません」
「分かってる」
俺は一歩、前に出た。
「ここから先は、
俺が触れた因果だけが動く」
「……あなたが、消える可能性も?」
「ある」
即答だった。
「でも、今はそれでいい」
リーネは、強くペンを握った。
「……記録開始」
結界が、一段目を越える。
書架の一部が、光に呑まれた。
紙が崩れ、文字が霧のように消えていく。
「……っ」
リーネの肩が、跳ねた。
「消えています」
「失敗記録……五十年分……」
「全部は無理だ」
俺は、低く言った。
「選べ」
「……!」
「残すか、捨てるかだ」
残酷な問いだった。
だが、世界はいつもそうしてきた。
「……分かりました」
リーネは、震える手で一冊を掴んだ。
「これを……」
「理由は?」
「最初の失敗です」
「名前が残っていない、最古の記録」
俺は、頷いた。
「いい選択だ」
その瞬間、足音が響いた。
「――そこまでです」
現れたのは、監査官だった。
背後には、制御用端末と数名の評価兵。
「評価外指定者」
「抵抗は、推奨されません」
「だろうな」
俺は、ゆっくりと振り返る。
「でも、もう遅い」
指先に、微かな熱。
失敗因果が、応える。
「……っ」
結界の一部が、わずかに歪んだ。
完全な突破ではない。
だが――時間は稼げる。
「今だ!」
俺は叫んだ。
「行け、リーネ!」
「……はい!」
リーネは、選んだ記録を抱えて走った。
その背中を、俺は一瞬だけ見送る。
――これでいい。
結界が、さらに迫る。
足元が、薄くなる感覚。
「……くそ」
輪郭が、揺れる。
「評価外因果の過剰使用を確認」
監査官が淡々と言った。
「このままでは、
あなたは“観測不能”になります」
「知ってる」
俺は、笑った。
「それでも――」
もう一度、因果に触れる。
世界が、きしむ。
「……失敗は、残す」
それだけで、十分だった。
次の瞬間、視界が白に染まる。
外。
結界の外で、セラフィナは立ち尽くしていた。
封鎖は、完了しつつある。
「……間に合わなかった……」
拳を、強く握る。
彼女は、初めて知った。
正しくあっても、
何も救えない瞬間があるということを。
そして――失敗記録庁。
建物の半分が、光に呑まれた。
消えた書架。
失われた記録。
だが、すべてではない。
リーネは、崩れかけた部屋の片隅で、
抱えた記録を胸に押し当てていた。
「……残りました」
息を整え、ペンを取る。
「……彼は、行きました」
その一文を、
彼女は震える手で書き留めた。
失敗記録庁封鎖。
世界は、秩序を守った。
だがその代償として――
いくつかの失敗は、世界の外へ逃げ延びた。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




