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第11話 封鎖前夜

失敗記録庁に、夜が来た。


ここでは昼と夜の区別は曖昧だ。

照明は常に同じ明るさで、時間は記録によってしか測れない。


それでも、この夜だけは違った。


――空気が、重い。


三日後。

失敗記録庁は封鎖される。


正式な通達は、まだ来ていない。

だが、世界評価機構の動きは隠しようがなかった。


監査用の結界が、建物の外周に張られ始めている。

転移陣はすでに一部停止。

新しい記録の流入も、目に見えて減っていた。


「……静かですね」


リーネが言った。


「嵐の前、ってやつだ」


俺は書架の間に腰を下ろし、古い記録をめくっていた。

封鎖が決まった今、業務としての意味はない。


それでも、手は止まらなかった。


「これ、何年分ある?」


「正式記録だけで、百二十年分です」

「非公式記録を含めると……把握しきれていません」


「全部、消される」


リーネは、否定しなかった。


「はい」

「正史に不要と判断されたものは、

正史から削除されます」


言葉は冷静だ。

だが、彼女のペンは動いていない。


「……なあ」


俺は、視線を落としたまま言った。


「お前、後悔してるか?」


「何を、ですか」


「俺に関わったこと」


リーネは、少しだけ考えた。


「……いいえ」


即答ではなかった。

だが、迷いでもなかった。


「私は、記録官です」

「失敗を残すのが、仕事です」


「それだけか?」


リーネは、初めてこちらを見た。


「……それだけでは、ありません」


言葉は続かなかった。

代わりに、彼女は棚から一冊の記録を抜き取った。


「これを」


「何だ?」


「あなたが、最初に触れた討伐記録です」


俺はそれを受け取った。


失敗だったはずの任務。

だが今は、成功として再編された因果。


「これ、もう正史だぞ」


「はい」


「だったら、残るだろ」


「……残りません」


リーネは静かに言った。


「再編された因果は、

再編者が隔離されれば、再び不安定になります」


「つまり?」


「あなたがいなくなれば、

これはまた“失敗”に戻ります」


胸の奥で、何かが軋んだ。


「……そうか」


「はい」


沈黙。


遠くで、結界が展開される音がした。

低く、鈍い振動。


「……俺が逃げたら」


ぽつりと、言った。


「お前はどうする?」


リーネは、少しだけ俯いた。


「私は……」

「ここに残ります」


「一人で?」


「はい」


それは、最悪の選択だった。


「記録官としては、正しい」

「人としては、間違ってる」


俺は、そう言った。


「それでも?」


「それでもです」


彼女は、顔を上げなかった。


「あなたが逃げれば、

ここに残る失敗は、全部“誰にも触れられない”」


「それでも、誰かが覚えていれば……」


言葉が、途切れた。


「……覚えていれば?」


リーネは、ほんの一瞬、唇を噛んだ。


「……それが、一人でも」


その言葉は、

業務報告ではなかった。


俺は、深く息を吐いた。


「なあ、リーネ」


「はい」


「もしさ」

「明日、俺が完全に消えたら」


彼女の肩が、わずかに震えた。


「その時は――」


「その時は、

あなたの記録を、最後まで書きます」


声が、少しだけ揺れた。


「あなたが、ここにいたこと」

「失敗を、失敗のままにしなかったこと」


「……それで、足りるか?」


リーネは、答えなかった。


代わりに、ペンを強く握りしめた。


インクが、紙に滲む。


「……足りません」


その言葉は、

記録官として、失格だった。


俺は、ゆっくりと立ち上がった。


「なら、決まりだ」


「……何が、ですか」


「俺は、逃げる」


リーネの手が、止まった。


「でも――」


俺は続ける。


「全部は、連れていけない」

「ここは、守れない」


彼女は、何も言わなかった。


否定もしない。

縋りもしない。


ただ、理解した。


「……分かりました」


「恨むなよ」


「……記録します」


それが、彼女なりの肯定だった。


外で、足音がした。


監査部の巡回だ。


「時間だな」


俺は、出口の方を見る。


「リーネ」


「はい」


「ありがとう」


たった一言。


それだけで、十分だった。


彼女は、顔を上げなかった。

だが、その背中は、震えていた。


失敗記録庁。


世界が捨てた場所。


その最期の夜は、

誰よりも人間らしい沈黙に包まれていた。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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