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フォウとムルスは絶体絶命の危機に陥っていた。
砂時計はもうほとんど粒が残っておらず、にも関わらず魔物はファラの目をどうしても手放そうとしない。
フォウの火も、触手が掴んでいる目を焼いてしまってはいけないので、魔物の体全体を火だるまにするわけにもいかず、ムルスの剣はいくら体を刺しても致命傷を与えられない。
そして魔物は、何がなんでもファラの目を守るという意志を露わにしていた。
「この野郎! ファラの目を、宝石なんかだと思ってやがるんじやねえのか! 何がなんでも手放さねえつもりだぜ!」
忌々しげにフォウが叫んだ。
確かにこの魔物の執着ぶりは、ちょっとした間食用のおやつにしては異常すぎた。
自らがどんなに傷つけられようが、ファラの目だけは絶対に落としたり放り出したりしないのだ。
「こら、てめえ! もっと美味いもんを後で食わしてやるから、そいつをこつちによこせってば!」
それどころか、魔物は何本もの触手でファラの目を包み、攻撃されると体全体でそれを覆って、隠してしまう。
そうなるとまた引っ張り出すのに一苦労だ。
挑発し、あれこれと小さな攻撃を加えることで体をひっくり返し、再びファラの目の光が見えるようにするだけで精いっぱい。
とてもそれを奪い返すところまでには至らない。
「砂はあと数粒しかないぞ! どうする!」
フォウに指摘され、ムルスは慌てて砂時計を取り上げた。
斜めにして砂の落下を食い止めようとするが、なにしろ巫女の魔術がかかっているので、そんなことで粒の動きは止められない。
砂時計がどんな位置にあろうと、ころころと勝手に動いては、時を刻んでいく。
ムルスは覚悟を決めた。
「よし。俺があの触手を引きちぎって、お前のほうへ放り出す。だからお前は、ファラ様の目を持って現世へ戻ってくれ!」
「ま、待てよムルス!」
制止するフォウを振り返りもせず、ムルスは剣をその場に投げ捨て、思い切り地面を蹴って飛んだ。
魔物の体に馬乗りになる。
たちまち、魔物に触れた部分が嫌な音を立てて溶けた。
衣服はドロドロになり、その下の皮膚も粘液によって縮み、爛れていく。
さらにその上から、幾つもの触手が粘液を吐きながら巻きつく。
「おおおお!」
金属の義手で、ムルスは触手を掴んで引きちぎった。
体のあちこちから腐臭と共に煙が上がってくる。皮膚の引き攣れる痛みが全身に広がる。
しかし、ムルスは歯を食いしばって耐えた。
「ファラ様……!」
金属義手は、指も特殊な金属でできている。
幸い、シラドの開発したその金属は、魔物の粘液も太刀打ちできないようだ。
ムルスは指を魔物の体に突き入れ、それを手がかりにしてどんどんよじ登っていった。
粘液が頭から振りかかってきた。
顔の皮膚が溶け、目の中へ垂れ下がってくる。
それを腕でこすりとり、ムルスは必死で前進した。
今のムルスに見えているのは、空色の輝きのみ。
ファラの目が発する、切なく哀しい光。
全身ずたぼろになりながらも、その光へ向けてムルスは手を差し伸べる。
永遠に異世界の地獄へ封印されることなど、もはや怖くもなんともなかった。
なんとしても、やりとげてみせる。
ファラ様のために命を捨てて、俺に後悔はない。
「ムルスううう!」
フォウが絶叫した、そのとき。
光が。
さした。
「な……なんだ、この光は?」
その光がどこからやってきたのか、慌てて周囲を見回してみたフォウにもわからなかった。
しかし、洞窟の天井を貫いて、上方から真っすぐに差してきていることだけは間違いなかった。
光が目指すのは。
ファラの目。
まばゆい光は、なんらかの作用を伴うもののようだった。
それに照らされた触手はたちまち四方八方へ弾け、粘液を散らす暇もなく蒸発していった。
光に照らされたファラの目が宙に浮かぶ。
さきほどよりも強い輝きを発して、周囲を淡い空色に照らしだす。
そして、次に。
「…………氷の、剣!?」
差し込む光の帯を伝うようにして、キラキラと輝く大剣が落下してきた。
光のハイウェイをたどり、魔物の体を貫く。
魔物が絶叫した。
相変らず、音としては聞こえない。
しかしフォウもムルスも、魔物の叫びを精神の奥で確かに感じ取った。
その悲鳴にはなぜか、哀しみと絶望がないまぜになっていた。
ムルスが魔物の体の上から振り落された。
魔物が苦しげに大きく身を震わせたからである。
フォウが駆け寄り、ムルスを抱き起こした。
「か……和彦、さん?」
唖然として、魔物に突き刺さっている氷の剣を見上げる。
見間違うはずはない。あれは、和彦がいつも闘いのときに水を呼んで作り武器として使う、氷の剣だ。
そのときどきによって形や大きさは違えど、その剣と共に闘ってきたフォウには、確信があった。
しかしなぜここに、和彦の剣が。
剣の刺さった部分から、怪物の巨体に亀裂が入った。
亀裂はゆっくりと広がり、魔物は二つに分かれていく。
おおお、と魔物がまた呻いた。
フォウの心に直接、その声が響いてきた。
精神を研ぎ澄ますまでもなく、やがてフォウにはそのうめき声の中に、人の名前のようなものが混じっていることがわかった。
かすかに、魔物の思念も透けて見え始めた。
空色の目を持つ乙女。
フォウの知らない世界にかつて存在していた、過去の幻。
魔物はその人の名前を呼んでいた。
フォウは思い出した。ここがエメロードという世界で亡者が暮らす地獄であることを。
ここに来たエメロード人の魂は互いに喰らい合い、強い者が弱い者を自分の栄養とすることで、次第に強力な魔物になるということを。
それは、つまり。
この魔物も元は人間だったのだ。
自分の世界で生きて、死に。
その間にはきっと、誰かを愛したこともあったのだ。
それに気付いたとき、フォウの脳裏には九条の呟きもまた、思い出されていた。
誰にだって、会いたい人はいるものさ。
「あれは……!」
心の奥からあふれ出た衝動に押されて、気が付けばフォウは魔物に叫んでいた。
「あれは、お前の想い人のものじゃないんだ! あの目の持ち主はまだ生きている。生きて、人を愛している。かつてのお前がそうだったように。だから……!」
ついに魔物が、完全に二つに割れた。
重い振動と共に、両側へ倒れていく。
目も口もない、触手だけの化物。
けれど。
そいつが笑って、こちらに頷いてくれたようにフォウには思えた。
ファラの目が静かに宙を舞い降りてきた。
ムルスの手の中へ収まる。
砂時計の最後の一粒が、落ちた。




