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「死後の世界?」
思いもかけない質問に、和彦は驚いた。
「リューン人が死後の世界をどんなふうに考えていたのか……なんて、どうして知りたいんだい」
「それは、まあ。職業的な興味というか」
フォウが頭をかきながら言った。
「地球でも、死後の世界はないと言い張る人はいるんだけどさ。俺たち霊幻道士は経験則によって、そうじゃないことを知ってるわけ。けど、国によってけっこう死後の世界に対する考え方は違ってて、それなのに世の中はこっちでもあっちでもけっこううまく回ってるんだよ」
「ということは、国が違うと死後の考え方が違う?」
「違う違う」
フォウが大げさに手を振ってみせた。
二人がいるのは、古い時代には墓地だったと思われる村外れの岩場だった。
牧場の柵が壊れて馬が逃げ出した、探すのを手伝ってくれと村から研究所に緊急の連絡が入ったのが事の始まり。
取るものもとりあえずジープで駆けつけた和彦とフォウは、泡を食っている九条にあれこれ互いに矛盾する命令を矢継ぎ早に出され、右往左往させられた挙げ句、最後の一頭となった迷子の馬を探してここまでやってきたのである。
石がたくさん積まれたオブジェが並んでいるのを見て、和彦が目を丸くしてこれはなんだと尋ねた。フォウが、これはたぶんお墓だと思うよ、うわあ百年は経ってるんじゃねえかなあと驚いた。
それから、草に埋もれかけているのが気の毒だといって、二人でなんとなく草刈りを始めた。
しばしの時を経て、綺麗になった岩場を満足そうに眺め回していたフォウが、ふと和彦に質問を投げかけてきたのだ。
「そうだねえ。リューンでも、死後の世界はあると考えられていたんじゃないかな」
顎を撫でながら、和彦は記憶をたどってみた。
「死んだ人を埋葬するのは、死者に敬意を表してというだけではなかったと思う。特に貴族の葬式では、死体に大きな石を抱かせる姿勢を取らせてから甕に詰めて、海に沈めていた」
「い、石を? なんで?」
「僕としては単に、浮き上がってこないよう重しにしているとくらいに思ってたんだけど……改めて考えてみれば、死後に甦ってこないようにという考えもあったのかな、という気がしてきたよ。そういえば、甕のふたも二度と開かないように、粘土で塗りこめていた」
「わりと独創的……」
「実際、歴代のリューン王は意識体になって王宮の地下に封じ込められていたわけだからね。死後にも魂が存在し得るということについては、今では僕も信じているよ」
そう言って、和彦はきゅっと唇を引き結んだ。
手が無意識に腕輪をまさぐる。
歴代王たちは地下でずっと、この腕輪を守っていたのだった。リューン存亡の危機に、腕輪を発動させるために。
デュアルの軍団の猛攻を受け、首都が陥落したあの日、リューン・ノアと呼ばれていた第一王子は地下を訪れた。
逃走した父王から、強引に王位を受け継がされたからだ。
王となって最初に行うのが地下詣でだということは、子供の頃からずっと聞かされていた。
従順な第一王子は自国滅亡の瞬間にも、教えられたとおりに儀式を行おうとした。
そうして。
僕もまた、逃亡を望んだ。
自らの国と共に滅ぶという選択肢もあったはずなのに。王子としては、そちらの道を取るべきだったのに。
時空を越え、世界を超え。
こうして今は、闘いのない国で安穏と暮らしている。
「けどさあ和彦さん。それは死者がこの世に戻ってくるという話であって、俺の聞きたいリューン人の考える死後の世界、とはちょっと違うんだよなあ」
厳しい顔で考えこんでいる和彦に、まぜっかえすようなおどけた口調でフォウが言った。またぞろリューン時代の辛い記憶を反芻していることが、表情から察せられたのだろう。
「海に葬るってことは、リューンの死後の世界も海の向こうにあるっていうイメージなのかな? 沖縄のニライカナイみたいに……ああ、でもニライカナイは死者の世界とは限らないしな。どっちかというと、うちの国でいう仙境に近い」
「何を言っているかよくわからないよ、フォウくん」
「要するに、死者を地面の下へ埋葬する習慣のある国では、死者の国は地下にあると考えがちなんだ。リューンでは、死んだ人を埋めないわけだろう? だから、民俗学的に死者の国がどこにあると考えてるのかなあって」
「そんなこと言われても、リューンの大地はいつでも凍り付いていて、地面を掘ろうとしても簡単には深い穴が作れないんだ。海に葬るという習慣はそのせいじゃないかと僕は思ったんだが」
「地球でも地面が永久凍土になってる国はあるよ。でも、シベリアとかグリーンランドでも、死者は無理やりにでも地面の下に埋めちゃうんだぜ。うーん、こりゃ面白いな。文化や文明の違いとその理由について、いろいろ考えられそうだ」
フォウは一人で面白がっている。
ことさら陽気にふるまって和彦の気分を引き上げようという意図も含みながら、実際にも興味津々でワクワクしている。
「残念ながら俺は自分の目で死後の世界を見たわけじゃないから確かなことは言えないんだけど、見たことのあるやつらの話を聞くだに、国が違うと風景も違い、中での暮らしも違うみたいなんだよな」
「暮らし? 死者になっても、暮らしがあるのかい」
それよりも。
「死者の世界を、フォウくんは見たことがない? 霊幻道士をやっていたのに?」
「だって俺、自分が死んだことねえんだもん」
というのが、霊幻道士の端的な返答である。
「俺たちの仕事は、あの世に行けなかった魂がその思いの強さのせいで悪霊になったものであって、あっちで暮らしてる連中は別に現世に対して悪さをしねえから、守備範囲外なのさ。悪霊はあっちの世界から弾き出されるから、向こうまで追いかけてく、なんてこともないしね。俺たちの仕事はあくまでこっち側、というわけ」
「あっちとか向こうとか……それが君の言う死後の世界っていうわけかい。存在していると断言したわりには、ずいぶんあいまいな表現を使うんだね」
「だって自分の体験じゃなくてまた聞きだから、どうしても曖昧になっちゃうんだよ」
「また聞き?」
「一般的に俺たちはそこを冥府と呼んではいるけど、国によってそれが天国になったり地獄になったりする。日本では確か、古代中国で使われてた黄泉っていう言葉が流用されてるんだっけ。要するに、死んだ後で人間が行く場所のことさ。そこへ出入りしてるやつに言わせると、その人が所属する民族や文化によって、いろんなふうに見えるんだって。」
「つまり、実際に向こうの世界をのぞける人がこの世に存在している、ということ?」
「俺たちの業界では、走無常と呼ばれてる」
フォウは大真面目な顔で頷いた。
「人間でありながら、選ばれて死神の手伝いをしてるやつのことだ。今風にいえば、ボランティアかな」
「ボランティアって……」
「たまたまあの世で手違いがあって、こっちの世界に返されてきた人が任命されることが多いっていうけど、中には代々で仕事を受け継いでいる一族もいるんだぜ。そういう事情で、走無常はあの世とこの世を行き来することができるんだ。いや、冗談でも迷信でもなくて、マジな話だってば。香港警察にも現役の刑事で走無常をやってるのがいるってことは、うちの業界では有名な話でさ。
よその国の同じような業界では、それをシャーマンだとか霊媒だとか呼ぶんだろうけど。たいていは走無常と違って、向こうの世界をのぞき見るのが関の山みたいだけど、中には向こうから霊を無理やり引っ張りだせる人もいる。あ、世の中にいる、そういうのができると自称してるやつはたいていインチキなニセモノだから、和彦さんも気をつけろよ」
「僕が何を気をつけるって?」
「そういうこと言うやつほど、コロッと詐欺師に騙されるんだよな。いいかい、和彦さん……」
フォゥの専門話はまだまだ続きそうだったが、そこで大きな邪魔が入った。
「こらあ、てめえら! なにサボッてやがる!」
裸馬に勇ましくまたがった九条先生の登場である。
「ありゃ、銀星号じゃないすか」
フォウがその栗毛馬の額にある白い十字模様に目をとめて、頓狂な声を上げた。
「見つかってたんですか、なあんだ」
「なあんだ、じゃねえ!」
九条は場所からガミガミと怒った。
「無線でいくら連絡しても返事もしやがらねえ、携帯鳴らしても出やしねえ。見つかった馬を探して山ん中うろうろしてたら気の毒だと思って探しに来てみりゃあ、こんなガレ場でお花摘みかよ! バッカ野郎ども、こんなとこ草取りしたところで、麦の一本も生えやしねえぞ」
「こんなとこ、たあひでえ言い草ですぜ、先生」
フォウが果敢に反撃した。
「大昔のこととはいえ、この豪雪地帯に入植して必死に生きてた村人たちの墓が並んでる場所だ。綺麗にしてあげたってバチは当たらねえでしょう」
おっ、と九条が少し驚いた。
馬から飛び降りて周囲の石積みを見渡し、本当だ墓場だと呟く。
さっきまでとは打って変わった丁寧なしぐさで岩場に一礼し、両手を合わせた。
「ほら」
フォウが和彦を肘で小突いた。
「天下無敵のバンカラ大将でさえ、墓を見ればああやって手を合わせるじゃねえか。死者に対する敬意ってのは、死ねばただの土くれに戻ると考えてる文化の中では生まれねえものなんだ。和彦さんのとこではどうだったんだい?」
「それは、まあ。死んだ者を邪険に扱うことはなかったと思うけれど。うーん、死後の世界か。あまり考えたことはなかったなあ」
「水に放り込んだ後の死者がどうなるとか、想像しなかった?」
「そりゃあもう、甕の中で腐って骨と化していくんだろう」
だめだこりゃ、とフォウが笑い出した。
「なんたって相手が和彦さんだもんなあ。あんたの住んでたとこの人たちがどうのこうのじゃなくて、その中でこの人だけが超現実主義者だったというオチのほうが、可能性が高いって気がしてきたぜ」
「なんの話だ?」
九条先生がきょとんとした。
結局、三人で草むしり続きをしながら話を続けることになった。
九条先生は意外に物知りで、古今東西のさまざまな死生観を二人に教えてくれた。
「一説には、ネアンデルタール人も死後の世界を信じていたと言われてる。死者を埋葬して、そこに花を供えているからだ」
「ネアンデルタール人って?」
「なんだ、知らねえのか。人間が人間へ進化する前に滅びちまった、プロトタイプの生き物だ。そんな原始人でさえ死者を悼むことを知ってたというのは、感動的な話だと思わねえか」
「そういう情感的な話が九条先生の口から出てきたことに、むしろ俺は感動しちゃいますね」
「てめえ、この」
九条がフォウに石を投げるふりをした。
「それにしても、こんなとこに墓場があるなんて知らなかったぜ。この近くは往診の途中で何度も通ったことがあるのによ」
「俺たちも偶然見つけたんですよ」
「死して屍拾う者なし、か。いっときは花なんか捧げられても、結局はこんなふうに朽ちて忘れられちまうもんなんだと思うと、人間なんて空しいもんだぜ」
「えらく感傷的なことを言うじゃないですか」
「言っちゃ悪いか」
次にはガンガン怒り出すのかと思いきや、九条先生はぷいと顔を背けてしまった。
表情を見られるのが嫌だったらしい。
「俺だって、会えるものなら会いたい死人が、いないわけでもないんだぜ」
小さな声で、呟くように言った。
和彦はハッとして草抜きの手を止めた。フォウも驚いて、和彦の顔を見上げた。
続けて何か言おうとするのを、和彦は首を小さく振って止めた。
九条は二人に背を向けたまま、無言で草を抜き続けていた。
うっかり感情を吐露してしまったことを後悔しているようにも見えた。
それが誰かは、和彦もフォウも知らない。
大親友の氷浦なら知っているだろうが、問いただしてみる気もない。
ただ、九条ほどの男でも死者に思いを残すことがあるのだ、という事実が。
和彦とフォウの胸に深いさざ波を残した。




