プロローグ:空白を埋めた贋作師
【小説概要】
贋作師——それは、美術史の裏側を生きる者。
有名画家の “もしもの一作” を、本物と見紛うほどに描き上げ、市場へと忍び込ませる。
偽物でありながら、その筆致ひっちには、時に “本物以上の真実” が宿ることもあるという。
本作は、20世紀の美術界を揺るがせた “天才贋作師がんさくし” をモデルに描く、ストーリーである。
再現したのは過去ではなく、“もしも” の世界だった。
騙すためではなく、語るために描いた絵。
空白を埋めるために、他人になりきった人生。
芸術と嘘の狭間に生きた一人の画家の、静かで鮮やかな闘いの美生(美しいストーリー)。
プロローグ:空白を埋めた贋作師
──私は、罪悪感なんて感じていなかった。
少なくとも、「芸術」に関しては。
「贋作」という言葉が、いつも滑稽に思えた。
私が描いたのは、存在しなかった“かもしれない”一枚。
誰にも描かれなかった空白に、私はそっと線を引いた。
まるで、沈黙の続きにメロディーを添えるように。
それが“嘘”だというのなら、
この世界は、ずいぶんと嘘で満ちている。
誰もが信じ、誰もが見惚れたあの絵に、私は魂を吹き込んだ。
──だから私は、描き続けた。
たとえ、そのすべてが「名前を持たない絵」だったとしても。
*
「わたくし、アーダルベルト・ヴァイスは、14の贋作を描き──」
法廷に響いたのは、低く、よく通る声だった。
「──総額、数十億円規模の詐欺を行いました。すべての人が本物だとうなずき、感激し、『これはとても素晴らしい』と……それを楽しんだのは間違いありません」
陪審員たちは資料に目を落としたまま、表情を変えない者もいれば、眉をひそめる者もいた。
傍聴席では、報道カメラのシャッター音が規則的に鳴り続けていた。
彼はまるで自室のアトリエにでもいるように、静かに語った。
長く波打つ銀髪が肩にかかり、無精髭が口元を覆う。
肩がやや落ちた、柔らかい仕立てのグレーのジャケット。ざらついたツイード調の生地で、その下には、胸元までボタンを開けた清潔感のある真っ白なシャツ──ノーネクタイのまま、ラフに着崩している。
左手の小指には、長年筆を握ってきた者に特有の角度があった。わずかに内へ曲がり、関節の皮膚は固く光っている。
彼は法廷という場においてさえ、“芸術家としての自分”を脱がなかった。
その顔に、後悔の色は見えなかった。
*
裁判所の正面玄関。報道陣が押し寄せ、フラッシュの嵐が彼を迎えた。
「ヴァイスさん、最後に言い残すことは!?」
一人の記者がマイクを突きつけたその瞬間、
男はゆっくりと顔を上げ、記者を見た。
そして、静かに、しかし確信をもって言い放つ。
「──恍惚感が、たまらなかった」
一拍置いて、口角を上げる。
「私は、美術史に名を残す人物だ。それを消し去ることはできない」
ヴァイスは不適な笑みでこちらを見ている──まるで、それが当然であるかのように。