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元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第1章

元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第1章(1)ホワイトワイヴァーンの襲撃

作者: 刻田みのり

 ノーゼアの冬は厳しい。


 アルガーダ王国北部にあるこの街は北川にペドン山脈を背負っておりそこから吹きつける北風が濃密な冷気を伴ってこの土地を冷やす。あと一ヶ月もしないうちに雪の時期となりこの街を白銀に染めるだろう。


 俺は早朝に街外れで狩ったビッグワイルドボアを肩に担ぎ冒険者ギルドへと向かっていた。


 ビッグワイルドボアは野生のイノシシが魔物化したものだ。その巨大な体躯と鋭い牙は凶暴な気性と突進力と相まってとても危険なものとなる。


 このビッグワイルドボアが街の外で度々目撃されるようになり、不安になった人々から討伐依頼が出ていた。街の外に畑を持つ農夫や護衛もなしに街道を行き来する行商人にとってビッグワイルドボアのようなモンスターは十分に脅威となる。


 まあ、俺には全く脅威じゃないけどな。


 冒険者ギルドの建物は石造りだった。中は広く、大半の冒険者が依頼をこなすために外に出ているのか人数は少ない。天井にある照明の魔導具がフロアを照らしているからか中は明るかった。二カ所に暖房系の魔導具が配置されているおかげで非常に暖かい。外とは別世界だ。


 仕事を求める冒険者たちが壁に貼られたクエストの依頼書を物色しているのを横目に俺は窓口の一つへと向かった。


 カウンターの反対側には茶髪をゆるふわにした美しい顔立ちの受付嬢がいる。彼女は俺を見上げた。


 俺は首からぶら下げていた冒険者カードを空いた手で持つと彼女に見せる。


 魔法で特殊加工されたこのカードの表面には俺の名前(ジェイ・ハミルトン)と冒険者のランク(D)が記してある。見る者が見れば冒険者としての活動内容や経歴もわかる仕組みだ。故にこのカードは身分証明にも使える。


「討伐クエスト達成の確認を頼む」


 どさりと足元の床にビッグワイルドボアを置いた。


 巨大な体躯の猪の死体に受付嬢が一瞬笑顔を引きつらせる。彼女はすぐに奥の職員を呼んでビッグワイルドボアの死体を片づけさせた。体格の良い職員四人がかりでギルド奥の解体室へと運んでいく。


「ハミルトンさん、やっぱりそろそろ誰かとパーティーを組んでみませんかぁ?」


 ゆるふわの茶髪を揺らしながら受付嬢が提案してくる。


 俺は首を横に振った。


「いや、まだソロでいい。今のところやっていけてるしな」

「でもぉ、ソロだといろいろ不便でしょう? 野営のときにも誰かいれば交替で見張りもできますよぉ」

「街の外で寝るときは結界を張るから大丈夫だ」

「ええっ」


 受付嬢が目を丸くした。


「結界なんて張れるんですかぁ?」

「それくらいできて普通だろ」

「普通じゃないですぅ」


 受付嬢の声のトーンが一段上がった。


 はあっと深くため息をつき、彼女は俺を睨んだ。おいおい、ギルド職員が冒険者にそんな態度をとるもんじゃないぞ。


「そもそもぉ、ハミルトンさんっておかしいですよぉ。さっきのビッグワイルドボアだって普通は一人で運べないんですよぉ。あれ、どれだけ重いと思ってるんですかぁ」

「二頭立ての馬車よりは軽かったぞ」

「比較がおかしいですぅ」

「あのな、馬車が壊れたときに道の端に移動させないと他の人に迷惑だろ。だからそういうときは持ち上げて動かすんだ。少なくとも俺はそう教わった」


 公爵家の筆頭執事だった親父はいろんなことを俺に仕込んだ。その中には武術や魔法もある。いざとなったら俺が主を守らないといけないからってな。


 魔法については習熟したものがあった。身体強化魔法と結界魔法だ。だが、遠距離系の攻撃魔法は俺とは会わなかったようで身につかなかった。原因に心当たりがない訳でもない。それに得手不得手は誰にでもあるものだ。


 俺は高位貴族の一つであるライドナウ公爵家の執事をやっていた。


 とはいえ、それは二年前までの話。


 事情があって今は冒険者をやっている。


 *


 ビッグワイルドボアの査定が終わり報酬を受け取ると俺はギルドを後にした。


 ノーゼアの街並みを長めながら街の北西の高台にあるウィル教の教会を目指す。


 真っ白で巨大な教会はいかにもといった風の荘厳さがある。ウィル教はアルガーダ王国で最も信徒の多い宗教だ。人々の信仰を集める教会はある意味王家と並ぶ権力者とも言える。


 ほぼ日課となる礼拝をしに俺は聖堂へと入った。


 中央を開けるように左右に配置された長椅子が列を成して並んでいる。右側最前列に一人のシスターが座っていた。


 白地に水色のラインのある修道服はややくたびれているがそれを着ている当人はさして気にしていない様子だ。頭巾で隠れてしまっている髪がかつて腰のあたりまで伸びた綺麗なブロンドであったことを俺は知っている。


 俺より五つ年下の十七歳。幼さの残る顔はそれよりもさらに三つ下を思わせる。


「ジェイ」


 彼女の可愛らしい唇が動いた。


「今朝はこれまでにないほど寒かったですね」

「はい」


 俺は彼女の傍に跪いた。


「シスターエミリアがお風邪を召されておられないかと案じておりました」

「私は平気です」


 切れ長の目が優しく緩んだ。


 彼女はミリアリア・ライドナウという名を捨ててシスターエミリアと名乗っていた。俺にもそちらで呼ぶようにと言っている。様付けも拒否しているので俺は若干の戸惑いを覚えつつも彼女の希望に沿うようにしていた。


「でも、街の方ではそうでもないようですね。冷気や氷、雪といった精霊たちが悪戯をしているのでしょう? 掃除のときにブラザーラモスが他のシスターと話していましたよ」

「そうなんですか」


 俺は昨夜から街外れでビッグワイルドボアを待ち伏せしていたので街の中のことなど気にもしていなかった。


 というか正直どうでもいい。


 お嬢様が健やかでさえいてくれればそれで良いのだ。


「こんなに寒いとそのうちペドン山脈のスノウドラゴンやホワイトワイヴァーンが現れるかもしれませんね。彼らは寒冷地を好むのでしょう?」

「はい」

「ブラザーラモスが魔除けの刻印を教会の鐘に施したそうなのですがどこまで効果があるか彼自身よくわかってないみたいなんですよね。私もあれこれ考えてはいるのですがまだいいアイデアが浮かばなくて」

「ははは、万が一のときは私が必ずシスターエミリアをお守りしますのでご安心ください」


 俺が応えるとお嬢様は小さく笑った。まるで花が咲いたかのようだ。可愛い。こんなところに閉じ込めておかなければならないのが酷く残念だ。


 いや、むしろ不必要にこの街の男どもにお嬢様の存在を知らせずにいるのだからこのままの方がいいのか?


 そんなことを考えていると、お嬢様がその青い目を伏せた。


「みんなはどうしているのでしょうね」

「きっと元気にしていますよ」


 何の確証もないが俺はそう答えた。


 俺とお嬢様は十二年の付き合いだ。


 そして俺は彼女の執事として恥ずかしくないよう父にみっちり鍛えられた。若い頃高ランクの冒険者だった父は武術だけでなく魔法にも精通していて、そのため俺にも同等の能力を身に付けさせようとしたらしい。


 その思惑はある程度叶っていた。


 俺は執事としての所作も武術も全てこなせる。魔法については習得できなかったものもあるがあのまま公爵家にいたとしても問題なく執事を続けられただろう。


 けれどそうはならなかった。


「シスターエミリア」


 俺は彼女の反応をうかがいながら尋ねる。


「カール王子のことはもうよろしいのですか?」

「……」


 彼女の眉がピクリとする。表情にそれ以外の変化はないが動揺を顔に出さぬよう努めているのはわかった。


 カール王子はお嬢様の婚約者だった。王位継承権は第一位。すなわち次期国王だ。


 本来は今ごろお嬢様は王太子殿下の妃としての地位を得ているはずだった。


 俺は悔しさのあまり拳を握る。


「あんなことがなければ……」

「そのことはもう忘れなさい」


 低い声でお嬢様は命じた。その声から彼女の無念さが伝わってくるような気がして俺は拳に力を込めた。



 **



 それは忘れもしない二年前の秋の学園祭。


 シスターエミリアこと俺のお嬢様(当時はミリアリア・ライドナウ)はカール王子に婚約破棄された。


 しかもそれだけではない。


「いくら王族でもあれは酷いのではないですか? よりにもよって衆目に晒すような形で婚約破棄を宣言するなんて」


 そう、ただ婚約を破棄しただけではない。


 秋の学園祭の終わりに行われた舞踏会。


 あろうことか王子はそこでお嬢様との婚約を破棄する宣言をしたのだ。


 周囲には学園の生徒やその親族、来賓の貴族、さらには他国の招待客……多くの人の目の前でお嬢様は恥をかかされた。


 そして。


「カール王子はあなたを断罪しましたよね?」


 平民出身でありながら王侯貴族の通う学園に入学してきたメラニア・アーデスという娘に対してお嬢様が数々の嫌がらせをしたと言ってきたのだ。


 もちろんそんな事実はない。


 だが……。


「ありもしない証拠やいもしない証人をでっち上げてカール王子とその仲間たちはあなたを追い詰めた。いくらあなたが否定しようとも彼らは耳を貸さず……」

「もういいです」


 お嬢様がとても冷たい声で遮る。


 彼女ははあっと深いため息をついて首を振った。被っていた頭巾がずれて僅かにブロンドの前髪が覗ける。


「済んだことです。それに私はこのノーゼアに身を埋める覚悟で来ました。過去は捨てています」

「……」


 そうは見えなかった。


 俺にはまだお嬢様があの秋の学園祭での出来事に苦しめられているように見えた。


 この騒動には続きがある。


 婚約破棄をし、お嬢様を断罪したカール王子はその場でメラニアとの婚約を発表したのだ。


 あまりのショックでお嬢様は崩れるように倒れた。


 公爵様の付き添いで筆頭執事である親父と学園祭に来ていた俺は危うくカール王子とその仲間を皆殺しにするところだった。親父が俺を止めていなければ間違いなくやっていただろう。


 当然、メラニアも手にかけていたはずだ。


 あのときのことを思い出すと今でもどす黒い感情が沸々と沸いてくる。まるで怒りの精霊に囁かれたときのように衝動が抑え難くなってくるのだ。


「……ジェイ?」


 お嬢様の声に俺ははっとした。


 彼女が不安そうな目で俺を見ている。


「恐い顔。私はあなたも傷つけているのですね。私がしっかりしていなかったばかりに私だけでなくあなたまで不幸にしてしまった」

「それは違います」


 俺は慌てて否定した。


「シスターエミリア、悪いのはあなたではありません。ご自分を責めるのはおやめください」

「……」

「あなたが責められることなど何一つない。それは保証します。もし誰かがあなたを責めるのなら私が駆逐します。私はあなたを傷つける者を許さない。誰であろうと、王族や貴族であろうと私は許さない」


 そう、俺は許さない。


 そして絶対に彼女を守る。


 だから学園と王都から追放されたお嬢様を追ってノーゼアに来たのだ。


 修道女となってしまったお嬢様を傍で守りたいと教会に直談判したが駄目だった。下男としてすら受け容れてもらえなかった。


 俺は冒険者になることにした。


 冒険者ならかなりの自由が利くし、武術や魔法の技能も活かせる。活動をノーゼアとその周辺に限定すればお嬢様を見守ることもできるだろう。


 そして至る現在。


 俺は冒険者見習いを意味するGランクから一般冒険者であるDランクに昇格していた。討伐も採取もそつなくこなせるようになったし冒険者としての知識や技術も深めた。


 四六時中お嬢様に張り付いている訳にはいかないが、彼女の危機の際には駆けつけて対処できる程度の実力は身に付いただろう。


 まあ、ライドナウ家の筆頭執事である親父に仕込まれた段階ですでに相応の力を得ているのだが。


 *


 お嬢様を宥めてから礼拝を済ませると俺は聖堂を後にした。


 高台から長い坂を下って街へと出る。いつものように数回路地を曲がって行きつけの酒場に行った。


 くすんだ灰色の土壁に囲まれた店内は朝食と昼食の合間の時間だからか客の数はまばらだ。カウンター席の向かいは厨房で店主のデイブと料理人たちがのんびりと働いていた。


 ホールに配置された数脚のテーブルの一つを接客係のメイがやたら念入りに拭いている。首の後ろで一束にしただけの長い栗色の髪がせかせかと揺れていた。


 俺はあのテーブルで何かあったのだろうかと訝しみつつカウンター席についた。


「いつものを頼む」


 日替わりの定食を注文した。今日は確か鶏肉と根菜のスープとオーク肉の炒め物それに黒パンが二個付いてくるはずだ。


「おや旦那、今日は塩漬けの紅魚が入ってるよ。それはいいのかい?」


 陽気な口調で店主のデイブが訊いてきた。


 恰幅の良い身体を左右に揺らしながら食前酒のエールを木製のカップに注いでくれる。


 俺はコップを受け取って答えた。


「それは別の機会に。ところで、どうしてメイはあのテーブルだけ親の仇か何かのように掃除しているんだ?」

「ああ、あれ。いやぁ、旦那が来るちょっと前まで程度の悪い双子の客がいてねぇ。そいつらがあのテーブルを使っていたのさ。主だか上司だか知らないけどやたらオロシーって男の悪口を並べていたよ」


 へぇ、と応えて俺はエールを片手に件のテーブルに目をやった。


 よほど腹に据えかねていたのかメイがぶつぶつと何かをつぶやいている。何だか呪詛めいていてちょっと怖い。


 今日はそっとしておくことにしよう。


 デイブが声をひそめた。


「その双子、どうやら王都から来たらしいよ。しかもお忍び」

「そいつは珍しいな」


 北川にペドン山脈があるノーゼアはいわば辺境の地だ。そんなところにわざわざ訪れる者は少ない。まして王都からなんて相当の事情でもなければあり得ない話だ。。


 お忍びらしい、という点も怪しい。


「ちょっと聞いた話だと珍しい石が見つかったようだね。それもペドン山脈に近い位置らしい」

「珍しい石? あのあたりはミスリルの鉱脈があってほとんど掘り尽くされたと思うが。ん? 俺の記憶違いか?」

「いや旦那の言う通りだよ。あっちこっちの坑道は概ね掘られていて、ほとんど蟻の巣状態さ」


 俺は疑問に思い口にした。


「それが今になって新しい石の発掘か。随分ラッキーだな」

「確かにね。とはいえそれでどれだけの旨味がこっちに回ってくることやら。少しは街に活気が戻ってくれるといいんだけどねぇ」


 デイブの期待の薄そうなため息に俺は肩をすくめて応じた。


 ここの領主のことは知っているが別段悪い印象はない。むしろ貴族としては善良な方だろう。


 ただ、領主が良い人間であってもそのまわりが私欲に走るといったパターンはさして珍しくない。俺もそういう話を何度か耳にしていた。


 店の扉が開いて二人の客が入ってくる。どちらも川鎧を着ておりその風格から一目で冒険者だとわかった。


 背の高い中肉の男と小柄だが筋肉質の男だ。


 二人はテーブル席に腰を下ろすとすぐに大声でエールと料理を注文した。


 デイブがカウンターの奥へと引っ込んでいく。


 俺はエールを飲みながら自分の料理を待った。


 やたらでかい声でテーブル席の二人が話しだす。


「それにしても吃驚したなぁ」


 と、背の高い男。


「だな。俺っちもあんなの見たの初めてだ」


 小柄な男が相槌を打つ。


「あれ、雷光石だよな。ビリビリってスパークしまくってたし」

「そんな物に囲まれた窪みに卵があるなんて……あれ、何の卵だ?」

「うーん、大きさからしてワイヴァーンかなぁ」

「ワイヴァーンって普通巣に卵を産むんじゃないのか?」


 ワイヴァーンの中には巣ではなく岩山の窪みで産卵するものもいる。一般的ではないがいるにはいるのだ。たとえば雷属性に高い抵抗力を有するサンダーワイヴァーンとかがそうだ。


 たぶんその卵もそんな親から生まれたのだろう。


 それと新しく掘り出された珍しい石とはきっと雷光石のことだな。


 あれは時折雷を放つ希少な石だ。そんな石が地表でも見つかるだなんて何か良くない兆しだろうか。


 そんなことを思っていると俺の前に料理が並べられた。



 **



 デイブの店で食事を終えて外へ。


 腹も満たされたので少しだけ気分が良くなる。


 俺はノーゼアの街並みを見ながら常宿へと向かった。俺が泊まっているのは中堅クラス以上の冒険者が利用するようなやや宿賃の高い所だ。金はかかるが風呂付きだしお湯も安定して使えるので俺は気に入っている。


 その宿「銀の鈴亭」の前に二頭立ての馬車が停まっていた。


 貴族、それも高位貴族が所有していそうな豪華な馬車だ。繊細な装飾が施されており相当に名のある家のものだとわかる。御者の身なりだって立派だ。


「おっ、こいつは驚いた」


 近づいて見ると一応お忍びのつもりなのか装飾に隠れるように家の紋章があった。水と血と知恵を示す三つの色違いの円と双頭の竜のデザインの紋章はグランデ家のものだ。


 グランデ家は枢機卿や大司教を多数輩出している名家である。王都はもちろんここノーゼアでもその名を知らぬ者はいないだろう。


 そんな家の関係者がどうしてこの宿に?


 俺が首を傾げていると銀の鈴亭の奥から男女が現れた。


 白と水色を基調としたウィル教の僧衣姿の女性が追い払うように初老の男性の背中を両手で押している。男性の格好はいかにもといった風な執事服。おいおい本当は素性を隠す気なんてないだろ。


「ほらほら、荷物も置いたんだからもう帰った帰った」

「いえイアナ様、私も伯爵様に命じられている以上お側から離れる訳には」

「父様にはあたしの書いた手紙に一筆添えてあるから。だからはい、さようなら」

「そんなぁ」


 おや、どうやらあの娘はグランデ家のご令嬢らしいぞ。


 グランデ家と言えば確か娘が三人いたはずだ。長女は婿をもらったそうだし三女はまだ十歳にも満たない子供と聞いている。


 となるとあれは八年前に九歳で教会に入ったとかいう次女か。ええっと、イアナって言ってたよな。


 などと考えていたら鋭い視線が飛んできた。


 ついでに声も飛んでくる。


「あんた、何見てるのよ」


 イアナ嬢だ。


 すげぇこっち睨んでる。


「見世物じゃないのよ。あっち行きなさいよ」

「……」


 いや、そこ俺の常宿だし。


 そう応えたかったが不覚にも気圧された。


 返事をできずにいるとイアナ嬢がふんと鼻息を荒くした。力任せに執事姿の男を馬車の方へと押しやる。彼女がくいと顎をしゃくると執事姿の男は諦めたようにのろのろと馬車へと乗り込んだ。


 馬車の窓が開く。


「イアナ様、くれぐれも無茶はおやめくださいね」

「大丈夫大丈夫、死なない程度には自重するから」

「全く大丈夫そうには聞こえないのですが」

「心配しすぎるとまた胃を痛めるわよ」


 イアナ嬢はにっこりとして言った。


 ……また?


 おい、まさかその人の前回の胃痛の原因ってあんたじゃないだろうな?


 口に出してつっこみたいところだが再度イアナ嬢に睨まれたのでやめておいた。


 御者が手綱を引くと二頭立ての馬車が動き出し、にこにこ顔になったイアナ嬢が手を振ってそれを見送る。


 それはいいのだが、彼女が立っているのは銀の鈴亭の真ん前。


 正直、邪魔である。


 どうしたものかと思案しているとイアナ嬢が睨んできた。


「まだそこにいたの? もしかして暇なの? ひょっとしてあたしにたかろうとしてる? 小銭でも恵んでもらいたいとか考えてる?」

「……」


 見ず知らずの相手に全く容赦がないイアナ嬢に俺は言葉を失った。


 というかこの娘本当に伯爵令嬢か?


 俺が疑念に思っていると彼女はふんと鼻を鳴らした。貴族のご令嬢にあるまじき態度だ。まあ品位の無さは薄々わかっていたけどな。


「どこの誰だか知らないけどあたしに興味を持っても無駄よ。あたし、あんたみたいのはタイプじゃないから」

「……」


 それはこっちのセリフだ。


 喉まで出かかった言葉を俺はどうにか飲み込む。そんなことを口にしたら間違いなくイアナ嬢とトラブることになるだろう。面倒事は御免だ。


 だが、しばらく俺を睨み続けていたイアナ嬢は急にふっと笑みこちらに近づいてきた。


「でもまあ」


 とても悪い笑顔で。


「あたし、この街に来たばかりでお店とか全然知らないのよね。だからあんたに食事を誘わせてあげる」

「はぁ?」


 こいつ俺にたかる気か。


 とんでもないご令嬢だな。


 だいいち、俺はタイプじゃないんだろ?


「あたしの名はイアナ。ご覧の通り僧侶(プリースト)よ。で、あんたは?」

「ジェイだ。この街で冒険者をやっている」


 隠すことでもないので教えてやった。それにもし隠しても彼女がグランデ家の人間である以上その気になって調べられたらいずればれることだ。


「へぇ、冒険者なの。ランクは?」

「D」


 これも調べればすぐにわかることだ。


 イアナ嬢の笑みが広がった。うわぁ、すっげぇ邪悪な笑みだ。僧侶がそんな顔していいのかよ。


「あんたみたいのがDランクなのね。うん、わかった。続きはお店で聞く」

「……」


 俺ははぁっとため息をついた。吐き出された白い息が僅かな時間で霧散する。


「大した店じゃないぞ」


 *


 再びデイブの店。


 俺は空いていたカウンター席にイアナ嬢と並んで座っていた。目の前には本日店主お薦めの紅魚料理。ただし俺の分はない。何しろ食事してから間がないからな。エールだけで十分だ。


「あたし、僧侶と言ってもまだ司教クラスなのよ」


 イアナ嬢は自分がまだまだであるといった体で自慢をぶっ込んできた。


 通常僧侶が司教になるには十五年はかかる。それをまだ少女のイアナ嬢がなれたというなら異例中の異例と呼ぶべきだろう。


 さすがはグランデ家というべきか。


「周囲は将来有望とか次代の聖女とか持てはやしてくるけどちょっとねぇ、あんまり大したことしてないのに変に目立つのは嫌なのよね」

「……」


 いや、あんたの性格だと喋るだけで目立つと思うぞ。


 とはもちろん言わず。


 代わりに。


「それだけまわりに期待されてるってことじゃないのか? 何も期待されてないよりはよっぽどマシだろ」

「それもそうなんだけどねぇ」


 落ち着いて喋ってみるとイアナ嬢はさして攻撃的ではなかった。銀の鈴亭の前での態度は執事の件で少々気が立っていたからなのだろう。


「そもそもウィル教の上層部にうちの親族が多すぎるのよ。そのせいでやたらと期待値が上がっちゃってるのよね。グランデ家の令嬢ってだけで妙に特別扱いしているきらいもあるし。次代の聖女云々もそれが原因だと思うの」

「お、身内批判か」

「批判っていうか……」


 イアナ嬢は苦笑した。


「なまじあんな家に生まれると苦労するのよ。まぁ、あんたにはわからないでしょうけど」

「そうだな」


 というか自分がグランデ家の人間ってばらしていいのか? 今さらだが。


 訊いてみた。


「ここにはお忍びで来ているんじゃないのか?」

「え」


 頓狂な声。


 イアナ嬢はぱちぱちと目を瞬くとやがて今気づいたかのように「あっ」と声を漏らした。


「べべべ別にお忍びなんかじゃないわよ」

「……」


 その割にはえらく目が泳いでいるぞ。


 イアナ嬢はわたわたと右手を左右に振った。酷く声が上擦っている。すごい狼狽えっぷりだ。


「グランデ家の人間だってばれないように馬車の家紋も装飾で偽装したとか、宿の主にお金を積んで口止めしたとかそんなことしてないんだからね」

「……」


 おいおい、動揺し過ぎて自爆してるぞ。


 というかそんなことするならもっと他のことも気にしろよ。


 あの馬車とか執事とか見たらグランデ家かどうかはともかく高位貴族だってばれるぞ。


「ここに来たのもカール王子の……あ」


 彼女は両手で口を塞いだ。


 しまった、という表情で俺から目を逸らす。


 俺は自分の中にどす黒いものが沸いてくるのを意識しつつ質問した。


「カール王子ってあのカール王子か?」


 イアナ嬢は目を合わせようとしない。


 短い沈黙が流れた。



 **



 俺は質問を変える。


「あんたはカール王子の命令でここに来たのか?」

「……」

「どうなんだ?」


 イアナ嬢が答えないので俺は語気を強めた。


 もしイアナ嬢がカール王子側の人間だというのなら、彼女は俺の敵だ。


「そ、そんなのあんたには関係ないでしょ」


 この言葉で彼女が俺のことを本当に知らないのだとわかった。


 ひょっとしたら俺がライドナウ公爵家の元執事だと知った上で近づいてきたのではないかと疑っていたのだが考え過ぎだったようだ。


 さて、どうしようか。


 このまま感情に任せて彼女を追い詰めてもお嬢様のためにはならないのかもしれない。口を割るとも思えないしな。


 むしろ、今は泳がせて目的をはっきりさせるべきではないだろうか。


 俺はエールをあおった。


 どん、とカウンターに木製のコップを置く。


 深く息をついた。


「そうだな、俺は無関係だ。すまん、要らぬ質問だった」

「わ、わかってくれたのならそれでいいわよ」


 イアナ嬢の表情から緊張が薄まる。


 小さな声で。


「私だってあんな奴の命令なんて聞きたくないわよ」


 その発言はスルーした。


 どうやら完全に俺の敵って訳でもないようだしな。


 *


 しばらく気まずい空気のまま食事を続けた(俺はエールを飲んでいただけだが)。


 料理を食べ終え、ふうと息をつくとイアナ嬢が横目で俺を見た。


「あんた、冒険者なのよね」

「ああ」

「どのくらいやってるの?」

「二年だな」


 調べたらわかることなので教えた。


 ふぅん、と自分で訊いてきた癖に彼女の反応は薄い。


 俺はやれやれと思いつつエールを飲んだ。今日は飲み過ぎだな。


「冒険者になる前は何してたの?」


 その問いには今は答えられないな。


 俺はにやりと笑って見せた。


「覚えてないな」

「あっそ」


 意外なことにイアナ嬢はあっさり引いた。もっとしつこく訊いてくるかと思ったのだがこれは予想外だ。


 俺の驚きは表情に出ていたのだろう。クスクスと彼女が笑う。


「言いたくないなら無理には聞かないわ。どうせ大した経歴じゃないんでしょ」

「酷い言われようだな」

「だって、あんたからは落ちぶれた匂いがするし」

「どんな匂いだよ」


 イアナ嬢が声を上げて笑った。


 俺は嘆息してまた一口エールをのむ。つまみも頼んでおけば良かったかなと少し後悔。


 ひとしきり笑ったイアナ嬢は真面目な顔になり、声のトーンを下げた。


「王都で聞いたんだけどノーゼアってあのミリアリア・ライドナウのいる教会があるんでしょ?」


 あの、というところに忌避の意味を俺は感じた。どうやら王都ではお嬢様の話題はタブーだったようだ。


 俺のお嬢様ことミリアリア・ライドナウ……現在はシスターエミリアは二年前の秋の学園祭でカール王子に婚約破棄されていた。学園は王都にあり、婚約破棄と同時に行われた断罪によりお嬢様は学園と王都から追放されている。


 ライドナウ公爵家が国王と強い繋がりのある高位貴族でなかったならお家断絶もあったかもしれない。お嬢様を家から出すことに当初は難色を示していた公爵様も最終的には折れた。家を守るためには仕方がなかった。そのくらいカール王子からの追求は執拗だったのである。


 お嬢様はノーゼアの教会に身を寄せた。


 公表されてはいないが知っている者は知っている情報である。


 さて、このイアナ嬢はどこまで知っているんだ?


 俺は彼女の表情や仕草を観察した。


 真っ直ぐこちらを見据える目は本当にお嬢様のことをよく知らないようでもある。


 コツコツと指でカウンターを叩く姿は十分な情報が無くて苛ついているようにも見えた。


 俺は彼女に真意を確かめようと向き直る。カール王子の命令で動いているようだが、それならそれで利用できるものなら利用しようと思った。


 問題は俺がどこまでやれるかだが。


「イアナ嬢……」


 声をかけたとき、甲高い金属音が鳴った。


 カンカンカンと規則的なリズムで鳴り響くそれは半鐘の音だ。


「ワイヴァーンの襲撃だぁ!」


 店の外で誰かが大声で叫んでいる。


 前触れのない展開にぎょっとしつつも俺はエールを飲み干した。


 店内の客の何人かが得物を手に店から飛び出していく。ある者はワイヴァーンの急襲を罵り、またある者は自分の武功を上げようと威勢のよい声を発した。店内だけでなく外も大分騒がしい。カンカンカンと半鐘の音が一層強くなった。


 イアナ嬢が腰を浮かす。


「私も出るわ」

「止めとけ、伯爵令嬢の出る幕じゃない」

「あんたは出ないの?」


 彼女の目が半眼になった。


「冒険者なんでしょ?」


 その言葉には「冒険者なら必ず街の脅威と戦うべし」といったニュアンスがあった。


 それにはかなり反論したいところだがどうやらそんな暇はなさそうだ。


 ビリビリと何か威圧感のようなものを感じて俺はそちらへと顔を向けた。もちろんまだ店の中なので外の様子は見えない。方向的に都の北川だ。


 これは……。


 俺は素早く店を出た。背後でイアナ嬢の声が聞こえるが無視だ。


「弓を持っている者は射撃用意!」

「魔術師はさっさと詠唱を始めろ」

「戦えない奴は石壁の建物の奥に避難しろ!」


 居合わせた冒険者の何人かが大声で指示している。まだこの街の騎士団の警備隊は駆けつけていないようだ。ここまで展開が早いと警備隊の準備も追いつかないらしい。


 巨大な影が彼らの頭上を行き過ぎる。びゅうと強い風が吹いた。


 俺が空を見上げると灰色の分厚い雲を背にした白い飛竜が見えた。二頭立ての馬車五台分はある大きさだ。つまりは成竜。幼体ではなく成体のホワイトワイヴァーン。


 俺は迷うことなく身体強化の魔法を使った。


 一瞬青白い光が身体を包んで、消える。


 俺は力が漲ってくるのを感じた。心臓の鼓動がアップテンポのリズムを刻んでいる。熱を帯びた血液が全身を駆け巡っているような錯覚を覚えた。


「嘘っ、無詠唱?」


 遅れて外に出たイアナ嬢の声が聞こえる。


 それには構わず拳をぎゅっと握った。拳を覆うように黒い光が発現し黒色のグローブと化す。それは俺の身に宿るある存在の力によって形成されていた。


 俺は空を飛び回るホワイトワイヴァーンを凝視する。攻撃らしい攻撃をしてこないがあんな化け物が街中を飛んでいたらその風圧だけで被害を出しかねない。


 何より、お嬢様に危機が及ぶかもしれない。


 それだけは避けないと。


 間近までホワイトワイヴァーンが迫る。


 俺は地を蹴って跳躍した。


 身体強化魔法と黒いグローブの力によって強化された身体は常人の数倍の跳躍力を生んで俺を空へと運ぶ。上昇した勢いをそのままに俺はホワイトワイヴァーンの胸のあたりに拳を打ち込んだ。


 硬い鱗の感触とともにゴツッと音がした。打撃は衝撃となってダメージを与えたのかホワイトワイヴァーンが悲鳴のような咆哮を上げる。


 耳をつんざくような咆哮に俺は顔をしかめた。もうちょっとヤワな奴なら気絶してもおかしくない大音量の暴力だ。


「ウダァッ!」


 さっきとほぼ同じ位置にさらに一撃加えた俺は地上へと落下する。着地と同時に周囲の射手と魔法使いが弓と魔法を撃ち込んだ。一斉射撃となった攻撃がホワイトワイヴァーンを襲う。


 だが、ホワイトワイヴァーンはその飛翔速度を速めて全て躱した。急速に高度を上げたホワイトワイヴァーンが俺たちへと首を傾けて口を大きく開く。


「ブレスが来るぞ」


 俺はそう叫んで防御結界を張った。


 金色の粒子を帯びた魔力の壁が俺を中心にドーム状に広がる。理論上はドラゴンのブレスにも堪えられるという防御結界だ。ただし、この結界は広さに限界があるので全員を守ることはできない。せいぜい付近の数人を保護するのが精一杯だ。


「また無詠唱、それも結界魔法?」


 イアナ嬢のことは放置だ。


 ホワイトワイヴァーンの口内が淡く光り、一筋のブレスとなって放たれる。それは冷気のブレスで周辺の温度をさらに冷やすほどの冷たさだった。


 視界が真っ白に煙り俺は気を張りつつ煙りが晴れるのを待つ。ブレスにやられた冒険者たちの悲鳴と怒号が木霊した。あんなもの食らってたまるかと内心で毒づく。



 **



「何なのよあの化け物。というかブレスなんか吐かせてるんじゃないわよ」


 イアナ嬢の悪態が彼女の生存を教えてくれる。


 さすがグランデ家のご令嬢、と感心しながら俺は薄まっていく煙の先のホワイトワイヴァーンを探した。


 ホワイトワイヴァーンは俺から少し離れた空中にいた。水平に両翼を広げ、滑るように空を飛んでいる。


 胸のあたりに俺の殴った痕が薄らと残っていた。致命傷にはまだまだ遠い。ドラゴンより格下のワイヴァーンだがそれでも人間が楽に勝てる相手ではないということだ。


 俺は自分の張った結界を維持しつつホワイトワイヴァーンが攻撃範囲に入って来るのを待った。


 魔法を撃つことはできない。


 俺にその手の攻撃魔法を使えないというのもあるが、そもそも人間は一度に二つまでしか魔法を使えないからだ。それがこの世界のルールであり限界だった。他の種族の中には三つ以上使ってくるものもいるがそれは人間でないのだから別物として考えなくてはいけない。


「負傷者は下がれ!」

「誰か僧侶はいないか。こっちに重傷者がいるっ!」

「ポーションだっ。ポーションを分けてくれ!」


 方々で声が上がる。


 俺はイアナ嬢が一番近い負傷者に走り寄っていくのを知覚した。いちいちそんなもの見なくてもわかる。


 すぐに彼女の治癒魔法が発動した。


 イアナ嬢の魔力はなかなかのものらしい。離れた位置にいる俺にもその凄さが伝わってくる。他の冒険者たちのどよめきも聞こえるしな。


 ホワイトワイヴァーンが再び首をこちらに向けた。


 大きく口を広げ、その喉奥に光を宿らせる。


 また冷気のブレス?


 いや、あれは違う。


 俺は叫んだ。


「魔法が来るぞ!」


 ワイヴァーンの類は物理やブレスだけではなく魔法で攻撃してくる。


 よく知られているのは風魔法だ。高速の風の刃は目に見えず魔力感知できる者でなければ避けることは不可能だろう。


 そしてホワイトワイヴァーンは……。


 喉奥から吹き出るように白い光が放たれる。それは決して風魔法ではなかった。とてつもない冷たさの光は大気をも冷やし、きらきらとした微細な氷の粒を生んだ。


 無数の氷の粒を巻き込んで白い光は氷結の渦へと変化する。


 螺旋を描きながらその渦は俺たちへと迫った。


 だがそれも俺の張った防御結界には敵わない。


 間近まで届いた氷結の渦は金属音のような音を響かせながら結界に阻まれる。恐らく氷魔法らしきホワイトワイヴァーンの攻撃は俺の前では無力だった。


「もうっ、こっちは怪我人治してるんだから邪魔すんな!」


 おっと、イアナ嬢にも効かないか。


 真っ白な視界の中で聞こえてくる彼女の声に俺は苦笑した。こうなってくるとホワイトワイヴァーンの強さが大したことないようにも錯覚してしまうな。


 魔法の連射はできないらしくホワイトワイヴァーンが一時離脱するように俺たちから離れる。


 イアナ嬢が怒鳴った。


「あんたたち、手を休めないで攻撃しなさいよ! 攻撃は最大の防御よっ!」

「お、おうっ」


 気圧された冒険者たちが弓を構え、あるいは詠唱を開始する。


 手の空いている者は救護に回った。


 度重なるホワイトワイヴァーンの攻撃で周囲の気温は下がりきっている。半ば氷塊と化した冒険者の数人はもう助からないだろう。


 俺はちらと教会のある方向を見遣った。戦場は教会のある高台から距離があるがだからといって油断はできない。


 もし何かのきっかけでホワイトワイヴァーンが教会を襲いに行ったら……そんなのまずいなんてもんじゃない。


 ここで奴を仕留めなくては。


 俺はそう決心し拳を握り直す。


 腰にはミスリル製の剣があるが抜く気はない。俺にはこの拳がある。使わない剣をなぜ腰にぶら下げているかと言うとそれはこの剣がお嬢様からいただいた物だからだ。


 しかし、うっかり使って刃こぼれでも起こしたら堪らない。お嬢様は心優しいから許してくれるだろうが俺が自分を許せなくなる。


 ならば他の武器を選べばいいという意見もあるかもしれないがお嬢様がわざわざ俺のために用意してくれた剣なんだぞ。他の武器なんて使える訳がない。


 ということで俺は剣ではなく拳で戦うことにしている。


 ホワイトワイヴァーンが冒険者たちの攻撃を躱し、一回転するようにその身を翻す。


 キラリとその眼が光ったような気がした。


 やばい、と判じた俺は怒鳴る。


「避けろっ!」


 ホワイトワイヴァーンの両翼から何かが発したのを直感的に理解する。


 それは空気をも切り裂いた。反応に遅れた冒険者たちが全身から血を吹き出して次々と倒れていく。まるで見えない刃で上から斬られたかのようだ……いや、実際斬られているのだが。


「あれが奴の風魔法、か?」


 俺の呟きに応える者はいない。


 ホワイトワイヴァーンの攻撃にさらなる脅威を覚えたらしき冒険者が今まで以上に必死になって反撃する。波のように矢と魔法がホワイトワイヴァーンを襲った。魔法は大半が火炎系だ。やはり氷や水系を撃つ者はほとんどいない。俺も使うなら火炎系だ。


 ホワイトワイヴァーンはそれらを一つとして食らうことなく空中で華麗なダンスを踊る。俺から受けたダメージも短時間で回復させたようだ。胸のあたりにあった痕も綺麗に消えている。


 ホワイトワイヴァーンが口を開けた。


 ブレスか、と俺が周りに注意喚起しようとした時……。


 重々しい鐘の音が響いた。


 午後一番の鐘の音だと理解するのに数秒かかる。はっとした時…、ホワイトワイヴァーンはブレスをまだ吐いていなかった。突然の轟音に吃驚したかのように固まっている。


 いや、あれは違う。


 俺は教会でお嬢様から聞いた話を思い出した。あれは教会の鐘に施した魔除けの刻印の効果だ。その影響でホワイトワイヴァーンが動きを止めたのだ。


 ……にしてもすごい効果だな。


 おっと、こっちまで動きを止めてどうする。これは好機だぞ。


 俺は防御結界を一時的に解いてジャンプした。


 身体強化魔法と黒い光のグローブの影響により常人を超える力を得た跳躍力は容易にホワイトワイヴァーンの元へと俺を運ぶ。


 再び間近にした敵は最初の印象より間抜けに見えた。


 地上では沢山の仲間が傷を負い、命を落とした者もいる。


 眼前の敵は決して弱くはない。むしろ強敵だろう。


 だが。


 食らえっ!


 俺は拳を握り締め、ホワイトワイヴァーンの首を連打した。あえて頭部は狙わない。ワイヴァーンの類の頭部は素材として使える部位が沢山あるからだ。


 一撃だけでは致命傷にはならない。


 しかし、同じ位置に何十発、何百発とぶち込んだら?


 俺は一切の慈悲もなく拳を振り続ける。ホワイトワイヴァーンの硬い鱗を叩いているのに拳は全く痛くならない。繰り返す殴打は一発放つ度にその速度を速め、俺自身の目でも無数の残像が見えるのみだった。


 ボゴッ!


 首の鱗を凹ませ、それでも止めなかった拳は骨にまでその打撃を加える。衝撃に耐えられなくなった首の骨は無残にも折れた。


 ホワイトワイヴァーンが断末魔の叫びもなく地に落ちていく。


 ワイヴァーンの類と戦うのは初めてだったがこうなってみるとあっけないものだな、と俺は落下するホワイトワイヴァーンを目で追いながら思った。


 下にいた冒険者たちが巻き添えにならぬように散り散りに避難する。それでも間に合わなさそうな者は大声で助けを求めている。俺の防御結界の強度なら落ちてくるホワイトワイヴァーンを受け止めるくらいどうということもないのだが、生憎結界を張るには距離が遠い。ついでに時間も足りない。


 ちなみに俺の防御結界は俺を中心として発動するため効果範囲は案外狭い。強度が突出している分範囲に難があるのだ。


 あ、これやばい。


 ちょい死人が増える。


 ちらと頭の隅で「責任問題」の文字が浮かぶ。俺がホワイトワイヴァーンを殴り殺したのは多くの者が見ている。お嬢様に被害が及ばぬよう必死で戦った結果なのだがそれで死者を出して良いとはならないだろう。


 突然、ホワイトワイヴァーンの落下地点とその周辺が金色の光に包まれた。


 まばゆい光に俺は目を細める。記憶にある光だった。ただ、規模は俺のものよりずっと広い。その魔法を行使する者にも覚えがあった。


 俺のよりも範囲の広い防御結界は落ちたホワイトワイヴァーンを楽々と受け止め一人の被害者も出さなかった。つまりは俺の防御結界よりも遥かに高性能。


 くっ、さすがはグランデ家。


 ホワイトワイヴァーンの死体に隠れてその姿を視認できなかったが、俺にはイアナ嬢が得意げにフフンと鼻を高くしているのがわかるのであった。



 **



 ホワイトワイヴァーンを倒した俺は冒険者ギルドに呼び出された。


 焦げ茶色の髪の愛想の良い女性職員に四階建てのギルドの三階にあるギルドマスターの部屋へと案内される。


「ギルドマスター、ハミルトンさんをお連れしました」

「おぅ、入ってくれ」

「失礼します」


 女性職員は俺を部屋の中に導くとギルドマスターに一礼してから出て行った。


 奥行きのある部屋は品の良い絨毯が敷かれており、執務机の他に応接用のローテーブルとソファーが置かれていた。壁には高名な画家の風景画が飾られている。


 部屋の主、ギルドマスターのウィッグ・ハーゲンがその禿げ頭をキラリとさせた。


「まあ、とりあえずそこに座ってくれや」


 彼は俺をソファーへと手で示しながら促す。


「お前さんがハミルトンかい」

「はい」

「ホワイトワイヴァーンを倒したんだって? あんまり覚えのない名前なんでな。悪いが一度話をしておこうと思った」


 ギルドマスターは俺の向かいに腰を下ろした。鷲のような視線が俺を射貫く。鋭い眼光が全てを見定めようとしていた。


「聞けば素手だったんだって? その剣は使わないのか?」

「ぶん殴った方が早いので」


 説明が面倒なのでそう答えた。


 そうかい、と小さくうなずいてギルドマスターは口許を緩める。禿げ頭と右頬の大きな傷跡のせいでどこか悪役っぽいギルドマスターにそんな顔をされると妙に落ち着かなくなるな。


「ランクはまだDなんだろ? それでホワイトワイヴァーンをよく倒せたな」

「俺、強いので」

「ほう、強気だな。こいつは頼もしい」


 ギルドマスターの笑みが広がった。彼は興味深そうに目を細める。


「ところで、昇級試験は受けないのかい?」

「先月Dランクになったばかりですし。そこまで昇級を急いでないんです」


 冒険者のランクが上がるとそれだけ受けるクエストの種類が増えるが活動範囲も広くなる。


 俺はお嬢様がいるノーゼアから離れたくなかった。彼女の危機にすぐさま駆けつけられるようにしておきたかった。


 高ランクになるとギルドからの指名クエストに応じなければならなくなる。場合によっては数週間単位でノーゼアから離れるなんてクエストもあるのだ。冗談ではない。


 今のランクなら遠出しなくても済む。一定期間内に成果を上げていないとランクを落としたり酷いときには冒険者資格を剥奪されてしまったりするのでそれなりにクエストをこなしていかなくてはならないが当面はどうにかなると俺は踏んでいた。


「雪解けの季節にペドン山脈の大規模討伐をやることになっている」


 不意にギルドマスターが言った。


「お前さんも参加してくれるよな?」


 その表情はとてつもなく悪い。おいおい、ここのギルドマスターは闇ギルドの人間じゃないだろうな。


 俺はたっぷり考えてから答えた。


「……俺、あんまり人と組みたくないんですが」


 大規模討伐となれば俺一人ではやらせてくれないだろう。どうしたって誰かしらと組まざるを得なくなる。


 正直、面倒だ。


 何より大規模討伐に参加したらノーゼアの街から離れてしまう。これはまずい。


 断る理由を頭の中で並べてみるが今一つギルドマスターを納得させるには足らない気がする。何より俺の実力は他の奴らから伝わっているはずだ。どうしたって俺を大規模討伐に引っ張り込もうとするだろう。


 お嬢様のいる教会に被害が及ぶ前に……と夢中でホワイトワイヴァーンを倒したのはまずかったのかもしれない。


 今さらながら後悔の念が頭をよぎった。


「なぁ」


 俺が渋っているとギルドマスターが身を乗り出した。どういう具合か妙に禿げ頭が光る。


「大規模討伐ともなれば高ランクの冒険者も顔を出す一大イベントだ。そんなところで功績を残せれば昇格や高ランク冒険者パーティーからのお誘いを望めたりするんだぜ? お前さんだってDランク程度で満足したくないだろ?」

「……」


 いや、特にペナルティがなければ今のままでも構わないのだが。


 喉まで出かかった言葉をすんでのところで飲み込む。余計なことは言わずにおいた方が吉だろう。


「それにな」


 にやり。


 ギルドマスターが露骨に笑んだ。


「この大規模討伐は偉いさんが注目している。それがどういう意味かお前さんならわかるだろ? すでにこのためにお忍びで王都から冒険者やら僧侶やらがこの街に集まっている。あのグランデ家の人間だって来ているんだ。これは相当な案件なんだぜ」


 なるほど。


 イアナ嬢はカール王子の命令で動いているようだがどうもこの大規模討伐とも関係しているようだな。


 となるとカール王子の狙いは何だ?


 俺には大規模討伐とカール王子の繋がりがよくわからなかった。どちらかというとカール王子はお嬢様絡みで関わって来ているような気がしてならない。


 まあ、これはあくまでも俺の主観が強いからだろう。


 もっと冷静に状況を分析できればカール王子の目的も見えてくるはずだ。


 俺は膝の上で拳を握った。


 ギルドマスターを見据える。


 そんな俺に相対するみたいにギルドマスターが見返してきた。


「おっ、やる気になってきたか?」

「そうですね。ちょっと興味が沸いてきました」


 カール王子は俺の敵だ。


 お嬢様の屈辱は俺が晴らしてみせる。


 その大規模討伐にカール王子がどう関わってきているか不明だが、奴の意思が何かしらの形でこのノーゼアに向いている以上無視する訳にはいかない。


 俺は大規模討伐に参加することを決めた。


「わかりました。この話、受けます」


 *


 その後俺とギルドマスターは少し話をした。主にペドン山脈のワイヴァーンたちについてだ。


 ワイヴァーンにもいろいろ種類があるし個体によっては信じられないくらいの戦闘力を有するものもいる。情報は必要だった。


「ペドン山脈にいるのは大半がランクC相当以上の強さを持つモンスターだ。ホワイトワイヴァーンやアイスベア、キラーウルフ、そしてもちろんドラゴンもいる」


「ドラゴンとはまだ戦ったことがありません」


 出会ったことならある。


 俺は中空に目をやる。一体のパープルドラゴンのことを思い出していた。


 古き竜の生き残り。やたら光り物が好きでとても長く生きた竜とは思えぬ俗っぽさを持ったあいつ。


 俺がまだガキの頃にそいつと出会っていた。


「ペドン山脈のドラゴンはそう簡単に姿を見せんよ。厄介なのはワイヴァーン共だ」


 ギルドマスターの声が俺を現実に引き戻す。


「単体でも手こずるのにあいつらは群れを形成することもあるからな。今日の襲撃にしても一体だけだったから大した被害にならなかったがあれが群れだったらどうなっていたことか」

「大した被害にならなかった? 犠牲者も出ているんですよ?」


 俺の感情に黒いものが混じりだした。


 煽り始めてきたそれを無視しようと努める。


 俺はできるだけ静かに話そうと心がけた。


「ギルドマスターにとっては小さな被害かもしれません。ですが個々の冒険者にとっては命がかかっているんです。亡くなった奴に至っては取り返しのつかないことになっている。それでも大した被害ではないと言えますか?」


 強く、強く拳を握った。


 内なる怒りが染み出して拳を黒くするのではないかと思える程衝動が増していた。


 俺にとってはお嬢様が一番だ。


 だが、この世に生きる者として命がどれだけ尊いものかということを俺は知っている。必要に応じて命のやりとりをしなければならない世界だからこそ命を重く考えねばならないのだ。


 だから、俺は口でこそ他人はどうでもいいと言っている割にできるだけ犠牲を出さないよう気をつけている。まあ、無理なときはどうしようもないが。命ある限りいつかは死ぬものだ。


 ギルドマスターが眉を上げた。


「俺に意見か。生意気だな」

「……」


 怯まずにいるとふっとギルドマスターは短く笑った。面白いものを見つけたという感じだった。


「いいさ、お前さんが俺にどう思おうと知ったことじゃねぇ。俺にとって重要なのはお前さんがギルドの役に立つかどうかだ」

「……俺はギルドの操り人形になるつもりはありませんよ」

「はっきり言ってくれるねぇ。だが、それはそれで面白い」


 にいっとギルドマスターは俺に笑いかけた。


「大規模討伐の日が楽しみになっちまったよ」

「……」


 あ、これはやばい予感がする。


 俺は早くも大規模討伐に不安を感じるのであった。

 

 

 


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