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生い立ち


 私の人生、こんなはずじゃなかったのに。これまで何度そう思っただろう。

 思い返せば、純粋な恋心で人を好きになったことがないし彼氏ができても先の結婚生活を想像したりはできなかった。それが、若さから来る刹那的思想だったのか自分の本質なのか、未だに分からないでいる。人生で一番大事なものはお金だと思い生きてきた。その思いは年々強くなっていったように思う。お金がないと何をしようと不幸になるし、努力すら無駄になると知っていた。実際、勉強を頑張っても家が貧しいという理由で大学へは行かせてもらえなかった。今は一部地域で低収入家庭への大学無償化や給付型奨学金の支給も行っているらしいが、私の学生時代にはそういうものがまだなく進学は諦めるしかなかった。大学で専門的に学んで将来やりたい仕事もあったのに、進学を断念したことでその道は絶たれた。派遣会社を通して適当な仕事をしている傍ら、ほとんどの同級生達は親のお金で楽して進学している。教育にお金をかけてもらえる境遇が心底羨ましかった。単位のためにしぶしぶ大学へ行っていると愚痴を言う美凪みなぎに〝だったら辞めれば?〟とか〝私と代わってほしい〟と腹が立った。男と付き合って別れるたびに変な損得勘定も強化されていった。誰と付き合っても金銭感覚にまつわるアレコレが頭をちらつく。どのくらい私にお金をかけてくれるか。プレゼントの価値は。割り勘の率は。愛情の感じ方や量り方を、お金の部分でしか見ることができなかった。そんな風なので、周りの恋する女子みたいに純粋な恋心に任せて感情を全振りできない交際ばかりしてきた。かといって、金!金!とギラギラしている自分も後ろめたく、人にそれを悟られたくないとも思い、普通の恋愛をしているフリをした。普遍的な人と大きく違う思考の自分は嫌われてしまう、そんな恐れもあった。何も考えず能天気に恋愛している人達が羨ましく、必死にこの価値観を貫く自分が虚しい時もあった。かといって絶対に変えられない。愛があっても経済力が無ければ不幸になる。愛だけで困難を乗り切れるほど人間は強くない。お金がないことで衝突し、貧しさはささいなことを大事おおごとにし、人から見たら大したことない罪を擦り付け合い、一緒にいる理由だった愛はあっけなく消失する。まさに私の両親がそうだった。けれど、その価値観が全ての人に当てはまるわけではないことも分かっていた。経済力がなくたって幸せなカップルはいる。それはきっと、お金のない困難を乗り越える絆があってこそだろう。私はそんな身の振り方をできなかったけど、そんな強い絆に憧れたのも本当。お金がないのはとても恐ろしいことなのに、それを何でもないことのように朗らかに乗り越えられる男女関係が存在するのならそれは大層素敵だし、そんな相手がいるなら私だって出会ってみたい。

 誰だって異性交遊すれば一度や二度は痛い目を見る、それは分かる。でも、私の場合はその濃度があまりにも濃すぎるように感じてならない。

 付き合っている最中は優しかったのに別れた途端に知人全員に私の悪口を触れ回った元彼A。Aのおかげでしばらくあちこちで気まずい思いをした。

 私のことが嫌になって深刻な感じで別れを告げてきた元彼B。Bとは別れて半年後に偶然街でバッタリ再会した。その時私の外見があまりにも綺麗になったと彼は絶賛し、あんなに拒絶していた私との連絡を熱心に再開させてきた。Bの変化にビックリしつつも嬉しくなってしまいヨリを戻したいと願った私に、Bは言った。「俺には志輝しきを幸せにする自信がない」。当時の私はそれを真に受け、別れた時のワガママ放題だった自分を責めた。私がこんなんだから都合のいい関係にされるのだ、と。

 恋愛全盛期だった十代後半から二十代にさしかかる頃、私は自分で思う以上に親からの愛情に飢えていたのだと自覚した。物心つく頃から親にかまってもらえず、子供時代からやることなすこと全て否定されて大人になった。そのうえ両親は恩着せがましい。学費も食費も、子供のために出すお金をもったいないと感じている人達で、何か出費の必要なことが起きると「あんたのせいでまたお金がない」と嘆く母。少し反抗しようものなら「誰のおかげで生活できると思ってるんだ!」と怒りを爆発させる父。お金を使わせないよう、親を怒らせないよう、病気にならないよう、昔から細心の注意を払っていたし、高校生になるとバイトをした。そうしたら少しは優しくしてもらえると思った。でも、期待とは裏腹に褒め言葉なども特になく、「やっとバイトできる歳になったか。子供は手がかかって仕方ない。さっさと大人になって家を出ていってほしい」と陰口を言われた。父と母は普段仲が悪くほとんど冷戦状態なのに、私のいない所で私の悪口を言う時だけは不思議なほど意気投合する。何のために私はここに存在しているのだろうと思い悲しくなった。小学生の頃は特にひどく、「あんたなんて産むんじゃなかった。そしたらこんな人生じゃなかったのに」母が、疲れた背中で何度もそう言っていた。そんなこともあってか、私は優しさへの渇望や承認欲求が常人の非ではなかった。子供の頃は家で親に冷たくされる日常が普通だと思っていたのでまだ良かったのかもしれない。運が良いのか悪いのか、年頃になるとそこそこの人数の男から言い寄られた。私に好かれたくてチヤホヤしたりデレデレしてくる男子がいる。それだけで気持ちが舞い上がった。親には好かれなかったけど、外ではこうして優しくしてくれる人がたくさんいる! これまで家で孤独を感じていた反動だったのかもしれない。求められる喜びがハンパなかった。そのたび二つ返事で交際をOKし、更なる愛情をもらおうと必死になった。陰険な元彼Aも、温和な元彼Bも、初めこそ私の容姿を褒めて尽くしてくれたが、いつしかそれが当たり前になりそれでも満足しきれない私のワガママに嫌な顔をするようになった。冷たくされると追いたくなる、そういった私の余裕のなさに辟易へきえきしたらしい。だからといって、そんな自分の言動をどう改善したらいいのか全く分からなかった。愛情を求める気持ちは交際経験が増えるほど増幅していく。正確には元彼と呼べる存在は他にもいたけど、どれも長続きはせず顔も思い出せないのでカウントしていない。かといって終わりかけの恋愛を手放す勇気もなかったので、次に好意を示してくれた相手としれっと付き合い、一時的に二人の人と交際を同時進行し、後から言い寄ってきた人と関係が安定してきたら前の人と別れる、を繰り返した期間もある。別れて独りになるのが怖かった。寂しい気持ちになりたくなかった。おかげでトラブルも起きた。でも、どこか他人事。私のせいじゃない、あんなに好きだと言ってきたクセに私を大事にしなくなった男が悪いと、被害者意識すら芽生えた。その中でも記憶に焼き付いたのがAとB、そして元彼C。AとかBとかCと言ってあえて名前を出さないのは、思い出すたび当時の自分を生々しく思い出してのたうち回りたくなるからだ。性欲をはらむ無形のモノに飢えた、モンスター化した自分。思い出すと恥ずかしい。それくらい遠い過去のこと。

 元彼Cは、雄亮ゆうすけとの結婚直前まで付き合っていた二歳年上の男で、これまでで一番長く続いた相手である。同じ職場で私とは別の派遣会社から来ていたCは、基本的に穏やかで優しく人との距離の取り方が絶妙で、誰とでも仲良くしゃべれる人だった。人付き合いが苦手な私はそんなCを尊敬したし、Cと出会えたことで初めて彼氏というものに安心感を覚えた。それまでは安心よりドキドキや不安と隣り合わせの交際ばかりだった。でも、結果から言うとCとの恋愛も終盤は不穏だった。詐欺に引っかかったとかで三十万円の用意を迫られたCは私にそのお金を借りに来た。派遣会社によって時給が違い、同じ仕事をしていても私の派遣会社の方が給与が高かった。そのせいかもしれない。そうでなくてもCはパチンコ依存性でいつもお金に困っていた。いつもいつも数千円単位でお金をちょこちょこ借りにくるので、今回もそういう感じなのだろうとあまり大袈裟に捉えなかった。そのうえCには恩がある。ささいな誤解ですれ違って泣いた時があって、その時Cはそうするのが当然のように泣きじゃくる私を抱きしめてくれた。これまでの元彼ともささいな言い合いはあったが、そんな優しい対応をしてくれたのはCが初めてだった。それが刺さって大好きになり、彼に夢中になった。高校を出て貯金をし、やっと実家を出れた時にはとてつもない開放感と同時に深い孤独に襲われたものだけど、そういった長年の寂しさや両親へのわだかまりも、Cと出会えたことで吹っ切ることができた。初めて人に救ってもらったと感じた出来事。だからこそその三十万円も信用して貸したのだけど、Cはその後体調不良を理由に仕事を辞め、じょじょに連絡も取れなくなった。二ヶ月後、Cの一人暮らしのアパートに返済を求め訪ねていったら、そこはもうもぬけの殻だった。後になって冷静に考えると借用書も書いてもらわず貸した私が悪かった。だとしても、そんな別れ方をされるとは思っておらず、しばらくは悲しむことすらできなかった。そのことを相談した相手がのちに旦那となる雄亮だ。雄亮はCと幼なじみだとかで、たまにCの自宅アパートにきては私やCと一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりしていた。雄亮ですらCの行方は掴めないと言った。実家にも戻っていないらしい。Cの失踪に落ち込む私に、雄亮は優しくしてくれた。私は雄亮のことをCの友達としか思っていなかったけど、雄亮はずっと私に気があったらしい。だからあえてCと私が二人でいる時を狙ってCのアパートに来ていたと後に言っていた。それ以来、だんだん雄亮と遊ぶ機会が増え、数ヶ月経つ頃、俺と結婚してほしいと言われた。

 いい人だとは思うが、正直タイプではなかった。たまに見せる正義感は自分を良く見せるための誇張なんだろうなと薄々気付いていたし、変に見栄っ張りなところも微妙だった。何より雄亮は小太りで、頼もしいというよりマスコット的存在というか、細身な人がタイプな私は全く男として見れなかった。でも、何を思ったのか、その時の私は判断を間違えた。唯一無二の恋人だと思っていたCに失踪されておかしくなっていたのかもしれない。雄亮のプロポーズが人生を良い方向に導いてくれるかもしれないと考えてしまった。これが人生最後の天国への片道切符、そう言われたかのように。

 恋愛ごっこに揉まれる日々、男女の駆け引き渦巻くやり取りに、心底疲れ果てていた。もうウンザリ。傷付けたり傷付いたり、愛情を試して嫌な顔をされたり。外見だけ見て寄ってきて中身を知ると離れていく男ばかり。付き合っても付き合っても満たされず、むしろ枯渇こかつしていく。愛されたいなら自分から愛せとよく言うけど人の愛し方なんて知らないし。でも、そんな私にも求婚してくれる人が現れた! またとない奇跡だ。

 Cと別れ、三十万円の現金を失った私は二十七歳になっていた。知り合いはどんどん結婚していくし、親友の美凪みなぎは二歳児の母親になっていた。四年制大学に行った美凪と派遣の仕事に就いた私。生活スタイルは違ったけど家が近いのでしょっちゅう会ってはお互いのことを話したり同じようなタイミングで恋愛したり失恋したりしていたのに、美凪は大学を卒業して就職し、その道でまともな男を見つけて幸せな結婚をしていた。昔バイト先が一緒だった子も、高校の時仲良くしていた子も、みんなそう。順当に恋愛し、適正な相手を見つけ結婚していく。焦った。私だけ取り残されていく。このまま歳を取って、ずっと独りなのだろうか。将来周りが子供や孫、旦那と幸せそうに暮らす脇で、孤独な生活を送るのだろうか。あの子は昔いろんな男と付き合ってたのに結局結婚もできず独り身なんだねって笑われるだろうか。誰にも愛されてこなかったんだね、可哀想、とかって同情されるのだろうか。想像すると地獄だった。いつだったか、美凪が言った。

「結婚するなら絶対志輝の方が先だと思ってた」

 私の方が恋愛に苦労したから、とでも言いたかったのだろう。美凪は昔から私のことをよく褒めてくれた。可愛いし優しいし自慢の親友だと、歴代彼氏とかに自慢していた。私も美凪のことは大好きだったし楽しい思い出もたくさんある。だがそのセリフは全然嬉しくなかった。美凪もそれなりにつらい恋愛をしてきている、それを知っていてもモヤモヤした。悪意がないのは分かっている。むしろ美凪なりの励ましの言葉なのかもしれない。昔だったらそこまで人の言葉を悪い風に深読みしなかったはず。親友のそんな何気ない言葉にすら引っかかってしまうほど異性関係に疲れていたのだと思う。

 人の愛し方も、まともな恋愛の成立のさせ方も分からない私に結婚の話だなんて。今後こんなチャンスは訪れないかもしれない。周りから取り残されたくない。恋愛でもう疲れたくない。人間関係が苦手で正社員としてではなくいつでも辞めれる派遣社員をしているので、年々将来への不安も積み重なる。親元を離れられたことで開放感は満たされたが、最も求めていたものはいつまでも得られず、彷徨い続けて何年になる? でも、結婚すれば恋愛迷子からは確実に抜け出せる。〝失業したら一人暮らしが出来なくなり最悪ホームレスになってしまう……〟という持続的な不安もなくなる。なんて素晴らしいんだろう。 胸の中にうごめくいろんな打算が、雄亮との結婚を後押しした。貞操観念なんてとうの昔に失ってしまったのか、雄亮と体を重ねることへの抵抗もなかった。彼の贅肉がちょっと……と思ったけど、それ以上に、結婚して安全なところへ行きたい気持ちが強かった。両親はあんなに私を邪険にしていたのに、いざ私の結婚が決まるとそろって普通の親ぶった。

「お前が結婚なんて、もうそんな歳になったのか。寂しくなるな」

「もし辛いことがあったら、離婚していつでも戻ってきていいのよ。ここはあんたの家なんだから」

 どういう気持ちでそんな事を言うのだろう。昔あんなに出ていけだの金欠の原因だの産まなきゃ良かっただのと言っておいて。まあ、ようやくこんな親からも平和にサヨナラできるということで、細かいことは指摘しないことにした。これまでになく気持ちは晴れ晴れしていた。

 恋愛結婚した人から見たら私のそれは妥協もいいところで、美凪にも「本気で好きなの?」 と言われたが、妥協婚上等! それの何が悪い。恋愛ごっこなんか二度としたくない。平穏にのんびりと。そんな暮らしを死ぬまで雄亮と送っていく。そんな覚悟は人一倍あった。実際途中まではうまくいっていた。実家ではなく、雄亮と住む家が私の帰る場所なのだと、心底ホッとした瞬間もある。一人暮らしを始めた時、やっとあの親と離れられたという喜びと自由に生きていける開放感でものすごく安堵し感動したけど、予算的にセキュリティの高い物件は借りれず、防犯面での不安はつきまとった。実際に一度外に干しておいた洗濯物(主に下着)を仕事中に盗まれてからはよけい怯えた。一人暮らしは快適さと同時に誰にも守ってもらえない不安がセットになる。結婚生活はそういう心配も軽減させてくれた。自分以外の気配が家にある安心感。それは防犯面だけでなく心理的にもホッとできた。親と住んでいた時は常に顔色をうかがい気が休まらず、ストレスなのか栄養不足なのかその両方なのか中学生の時からポツポツ若白髪になりけっこう落ち込んだが、結婚してからは嘘のように白髪が無くなった。白髪が嫌で見つけたら抜くクセがついていた。結婚してからもルーティンと化した白髪抜きをしていると、根元が黒い白髪を何本か見つけて、しまった!と思うと同時にとても嬉しくなった。雄亮は仕事のストレスを家に持ち込まない人だったので、それも心地よかった。雄亮のことをCと同列に好くことはできなかったけど、実家の親以上に家族として大切だと感じていた。私の心に安寧あんねいをくれる、それだけで充分だった。恋や愛を知らないから内容の素晴らしさを比較などできないけど、平穏一色の妥協婚も恋愛結婚に勝るとも劣らないと感じた。妥協から始まったとしても、時間を共有するうちに家族愛が芽生えるかもしれない。そんな一縷いちるの望みがあった。

 誰だってそうだろうけど、結婚した時に離婚する予定なんて全くなかった。私は二十七歳で結婚し、我慢の限界を迎えて三十二歳で離婚した。私はただ、夫婦二人で平穏に暮らせたらそれでよかったのに、義両親の存在がそれを許さなかった。薄情な親に育てられてきたり、派遣先で嫌味な上司に関わったこともあり、嫌なタイプの大人には慣れているつもりだったが、旦那の親となるとそういった人達とは全くの別物だと知った。他人なのに身内のごとくどんどん侵食してくるので厄介極まりない。離婚が頭をよぎるけど、即決はできなかった。またあの地獄の独身生活に戻るのかと思うと二の足を踏む。年齢も年齢。離婚した先を想像すると不安と恐怖しかなかったが、義親に支配される苦痛と独りの孤独、どちらがつらいのだろう。日々天秤にかけ続けた。

 どうして私がこんな思いをしなきゃならない? 神様は不公平すぎる!

 そんな思いは粉雪のようにしんしんと降り積もる。結婚後、雄亮の収入を把握する機会はなかったが、夫婦の合計収入は独身時代より上がっているのは確実で、金銭的に恵まれた生活であるのは違いなかった。子供の頃みたいに水光熱を使うことに文句を言われることがないのも快適だった。それなのに、お金はあるのに、結果不幸は避けられなかった。次第に雄亮との夫婦仲は悪化し、関係を修復しようという気持ちにもなれなかった。とはいえ離婚は最終手段。我慢すれば、嵐が過ぎるのを待てば、いつかまた平穏が戻ってくる。淡々と日々を送ろうとしていた。

 気持ちを押し殺すことは得意だったのに、ある日をさかいにそれができなくなった。凜音りんねの秘密恋愛の話を聞いた、あの時から一一。











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