守りの姿勢
さんざん相手のせいにばかりしてきたけど、過去の恋愛において、私が悪い場面は多々あった。寂しさや依存心から誰彼かまわずすがりついてしまっていたこと。好意を持たれればすぐに気を許してしまったこと。特に二十代前半の頃はひどかった。
いろいろな経験を積んだ現在だからこんなことを言えるのだろうけど、どうしてあの頃もっと自分を大切にできなかったのだろう。他人の気持ちを考えられなかったのだろう。なぜもっと人と距離を置いて冷静に判断できなかったのだろう。
非正規とはいえ親元を離れて独り立ちできていたのでそれでいいと思っていたけど、それでは不十分だった。誰かが私を見てくれていないとこわくてこわくて仕方なかった。それを大義名分に、人の好意を都合良く何度も利用してきた。
これまでの周りの対応で、自分が平均よりも優れた容姿なのだと自覚できるようになり、そこにだけ変な自信を持つようになっていった。いや、そこにしか自信が持てなかった、の間違いか。外見だけ整っていて中身のないスカスカな自分を直視できなかった。私から外見の良さという価値を引いたら何も残らない……。そんな現実を受け入れたら潰れてしまうので見て見ぬフリをし、それが唯一の武器だと信じて外見磨きを徹底した。そうしたら願い通り面白いように異性からチヤホヤされた。男側からしたら軽い女と思われてもしょうがないことを自ら率先してやっていた。
付き合ってすらいない私に雄亮が結婚をしたいと言ったのは、出世欲の他にそういう腹もあったのかもしれない。彼は子供の頃から全然モテない人生で、クラスの目立つグループ達から〝チビデブリン〟と呼ばれ馬鹿にされることもあったらしい。かつて、雄亮の幼なじみである元彼Cからそんな話を聞いた。そんな劣等感を抱えた雄亮は、容姿で他者の目を引く嫁をゲットして自分を馬鹿にしてきた人達を見返してやりたかったのだろう。実際、雄亮は彼のテリトリーを狙って私を連れて歩きたがった。そんなアウェー感満載の場所で愛想笑いの会話をするのが面倒で断ることもあったが、そうすると彼は不機嫌になるのでしぶしぶ付き合うようになった。見栄っ張りな雄亮らしい。コミュニティで私の存在を褒められると、彼はいつになく気分良さそうにしていた。自分の実力ではない部分を自慢して歩く彼になんだかなぁと情けなさを覚えた。私にそんな言葉すら漏らす資格はないと分かっていたけど。お互い様もお互い様。見栄と計算にまみれた打算婚。
それでも雄亮は多少なり私に情があったのか、私が別れたいと告げた翌々日、まるで初めから知り合いでも何でもないような他人行儀な顔で私に離婚届を差し出した。用紙の証人欄にはすでに彼の母親と親友の名前、それぞれの筆跡できっちり記入されていた。離婚は二人のことなのに、証人欄を私に相談なく埋めている。そういう妙な違和感を伴った行動力が雄亮の人としての本質なのだと感じた。終わるべくして終わりを迎えた関係。夫婦間で納得していても、雄亮の周囲の人達は疑問に思うだろう。特にあの義親は。でも、離婚届を書いた日、義家族に会うことはとうとうなかった。いろいろ罵倒される覚悟もしていた。離婚届に書かれた義母の名前が全ての答えなのだろう。山本家が経済的に落ちぶれても義実家にお金を入れようとしない嫁。孫すら産んでくれない女はさっさと切り捨てたい。そんなところか。私も私で、嘘でも『お世話になりました』なんて挨拶はしたくなかったので、それで良かったが。雄亮があっさり別れを受け入れたのも、数年の結婚生活で私にはその程度の価値しかないと判断したからだろう。あるいは、すでに次の相手を見つけていたのかもしれない。私以上に気立てが良くて若く綺麗な人を。
雄亮だけではない。それより前に関わった何人か。私は自分で思う以上に多くの人を傷つけ、尊厳を踏みにじり、恨まれているだろう。その自覚がある。昔はそんなこと考える余裕すらなかったけど、こうして落ち着いて考えると嫌でも脳裏に浮かんでしまう。アパートへのイタズラも、私を知る誰かがやったのだとしても何の不思議もない。イタズラ自体は小さく犯罪にも問えないものらしいが、やった本人は大きな報復の気持ちでしたのかもしれない。
「このまま一人にさせるのは心配です。俺のワガママなんですが、お願いです。一緒に来てくれませんか?」
可愛さんからマンションへ来るよう提案された。本当にこの人は、どこまでお人好しなんだろう。会社の退職手続きだけでもかなり迷惑をかけているのに嫌な顔ひとつしないで、親身に気遣ってくれる。その気持ちはすごく嬉しいけど、私は即答できなかった。手は震えるのに言葉につまる。
警察にまで相談してくれた気持ちはありがたかったけど、これは警察に頼るべき部分ではない。私個人の問題だからだ。誰かに恨まれているとしてもしょうがない生き方をしてきた。こんな私を可愛さんは知らない。だからそうやって心配なんかできるんだ。
「ありがとう可愛さん。でも、そんな風に優しくしてもらう資格、私にはないから。もう放っておいていいよ」
「風岡さん……」
「身に覚えがありすぎる」
こんなことを言ったら今度こそ本当に嫌われるかも。それでも黙っているわけにはいかない。親身になってくれる相手だからこそ。
「可愛さんは聖人かってくらいいい人だからきっと想像もつかないだろうけど、私はそんな風に守ってもらうべき人間じゃないんだよ。離婚したのも性格の不一致とか言ったけどそうじゃない。全て私の身勝手のせい。旦那を傷つけ、旦那の友達や家族からも悪い女だと思われてる。何も言い訳できない。本当にその通り、最低の人間なんだよ私は」
「もういいです、風岡さん…! 自分で自分を傷つけるのはやめてください」
可愛さんの両手が私の両手を強くつかんだ。それ以上は言わせないとでもいうように。
「風岡さんが最低の人間。そうだとしても、俺にとってはかけがえのない存在です」
「どうして?」
「俺が知ってる風岡さんは真逆だからです。優しすぎるくらい優しい人だから。そうやって自分ばかり責めて、一人でつらい思いをして。もっと人を頼って自分に優しく生きてもいいくらいなのに」
どうして、可愛さんはそこまで……。
「可愛さんは人が良すぎるよ。私の過去を知らないから、そんなこと言えるんだよ」
「はい。たしかにそうですよね。でもそれはお互いそうじゃないですか?」
「……たしかに、私も可愛さんの過去を全ては知らないけど」
とはいえ、可愛さんが私のような過去を持っているとは考えにくい。
「風岡さんこそ人が良すぎますよ。そんなところも素敵ですけど」
「なっ」
「言わないだけで、俺も風岡さんに話しづらい過去は色々あるんです。開き直るつもりはないけど、三十年以上も生きていたらそれなりに色々ありますよ」
「そうなの?」
「そうですよ。風岡さんこそ俺を買いかぶりすぎです。俺も人を傷つけたこと一度や二度じゃないし、恨まれている可能性だってゼロじゃない」
「そ、そうだとしても! 私の比じゃないと思うけどな……。無意識に人を踏みつけてた。それも一人や二人じゃない。なのにその時は全く自覚がなかった。引くでしょ?」
「そうしないと自分を守ってこられなかったんじゃないですか? それほどに苦しかったんだと思います」
ハッとした。そうだ。望んで人を傷つけようとしていたわけではない。自分を守りたくて、愛されたくて、傷つきたくないと立ち回り、結果として人を振り回したけど、積極的に誰かを踏み台にしたかったかといえばそうではなかった。ただ安心したかっただけ。孤独感を払拭して安定した自分になりたかった。楽しい人生を送り、幸せな恋をしたかった。シンプルに言えば願いはそれだけだった。
「でももう、一人で背負い込まなくていいんです。風岡さん」
そうか。こんな私でも、可愛さんは離れずそばにいると決めてくれたのか。もう逃げないと。そう宣言してくれているのか。罪を白状するという体で、私は無意識に可愛さんの気持ちを試そうとしていたのか。




