らしくいられる
『ほんっと使えない……』
俺と付き合ってくれた女性はみんな、なぜかいつも最終的には横柄になる。頼み事をされるのは別にいい。でも、その後にお礼や労いの言葉がひとつもなかったり、時に汚い言葉で罵られることもあって、それが毎回ものすごく引っかかった。でも言えずにいた。そんなことを言おうものなら小さい男だと思われそうだし、彼女の機嫌を損ねてしまうだろう。それに、この人にもいいところがあるんだ。このくらい大したことない。……飲み込んだ気持ちは、時間の流れと共にわだかまりとして心の奥に少しずつ積み重なっていった。
そんな時春海が、彼女と毎日ケンカばかりで困っていると嘆いた。いつも陽のパワー全開の春海としては珍しく、会ってからずっとため息ばかりでうなだれている。春海が大学生、俺が専門学校に通っている時のこと。高校卒業と同時に進路が別れてからも俺達は月に二、三回ほど遊んでいた。
『好きで付き合ったのに、そんなにケンカすることある?』
『するだろ。最初は良くても、だんだんお互いの欠点とか見えてくるしさ』
『んー。欠点ねー。言われたこともないし言ったこともない』
『んなアホな。それはそれでおかしいって』
『そうかなー』
その時は春海の言葉が理解できず適当に流していた。春海の言っていることを無意識では理解していたのかもしれないが、理解できないフリをしないと自分を保てなかった。
『前から思ってたけど、誉は彼女に尽くしすぎ。相手からも同じ分返してもらえてる?』
『さあ。どうなんだろ。考えたことない。感謝されたくてやってるわけじゃないのにありがとうを求めるなんて、なんか傲慢な気もするし』
『そうかー? 傲慢てか普通じゃね?』
『普通なの?』
『あのなぁ。何でもかんでも言う事聞いて従うからコイツには何してもいいってナメられるんだよ。たまには強く反論するなり突き放すなりしないと』
『そういうものかな』
自分の言葉が俺にイマイチ響いていないのを察して、春海はわざとらしくため息をついた。
『なんつーかな。相手を優先しすぎるっていうか、肝心な時に自分を表に出さないっていうか。それは誉の優しさでもあるんだろうけどさ。それはそれでなんかなー』
相手を優先、か。そうなのだろうか。たしかに、喜ぶ顔が見たくて率先して何でもした。相手から望まれることは大抵叶えてあげられた。最初は彼女も喜んでくれていたように思う。でも、次第に何かが噛み合わなくなって、最後には全て無になる。感謝されたくて何かをやってるわけじゃなかったし、恩を着せたいわけでもなかった。それでも、やっぱり何かを求めていたのかもしれない。心に引っかかる何かは無意識に形を変え、相手に向ける俺の言動をひどいものにしていった。自分から好きになったのに勝手に冷める。身勝手で最低な男の完成。
「ありがとう。可愛さんにお願いしてよかった」
退社手続きの帰り道。遠慮がちにジュースの紙袋を受け取ると、風岡さんはお礼を伝えてくれた。
「そう言ってもらえると、生きる活力になります!」
本当にそう思った。この日のために俺は今まで生きてきたのだと本気で思う。おおげさだと風岡さんは笑っていたけど、そんな空間がもうすでに幸せで、まだ付き合っていないけどそれでもいいような、充分満たされているような、そんな気がする。
前に春海が言っていたことも一理あるのかもしれない。不満があるならお互いに言わないと伝わらない。もちろんそういうパターンもあるのかもしれないが、人はきっとみんな常に自分らしくありたいと思いながらも、自分らしさとは別の仮面をつけて日々を生きている。そういう中で誰かと付き合ったりして素の自分が表面に出てきた時、欠点が見え過ぎたり無理を感じるなら、それはもう根本から合わないってことなんだろうなと思う。風岡さんと出会って一緒に働くようになってからそれを体感した。風岡さんの隣は、それまでに知らなかったくらいとても居心地がいい。今は手探りの関係だけど、それでも。無理にお互いの気質を変えようとしなくてもどちらもが自然体でいられるような。それどころか、一人でいる時より内から輝くようでもある。幸せに付き合い続けるにはそんな感覚が大事なんだと思う。昔の俺は風岡さんとの出会いなど当然知るはずもなかったから、春海に対してこういう気持ちをうまく言語化できないまま話は終わっていった。
風岡さんの会社の退職手続きに行った帰り、ショッピングモールへ寄った。体調の悪い風岡さんを一人車内に残すのは申し訳なかったが、一刻も早く済ませておきたいことがあった。あの会社への入金手続き。ショッピングモール内のATMで早々に済ませた。
風岡さんの退職についての話し合い。最初は契約書を盾に強気だった社長も、こちらが強く出た途端にヘラヘラした態度に変わり、違約金は払わなくていいことになったが、体調不良などで欠勤した日が数日あり月収が充分に稼げておらず、風岡さんが利用した社用車のガソリン代が四万円近く未払い扱いになるとのこと。それだけは振り込みしてほしいと言われていた。業務委託の罠だと思った。労力と報酬が全く見合わない。汚い抜け道に納得いかない気持ちもあったが、それだけは業務委託の契約上致し方ないので、払ってしまうことにした。風岡さんが同席できなくなって、かえってよかったのかもしれない。おかげで風岡さんの代わりにガソリン代をひっそり支払えた。これから風岡さんの生活が良いものになるよう、あの会社の件は早々に全て解決させておきたかった。しかし、ブラックもブラック、かなり危ない会社だと分かった。事務所に入った時の空気がもう、良いものではなかった。ネガティブな色をした人の気が充満していたし、こちらの出方次第で変化する社長の態度もやばいと感じた。契約期間の三ヶ月に満たなかったとはいえ、あんなところに二ヶ月もいた風岡さんは本当に頑張ったと思う。この会社はもう少し人を大事にしないと、経営が傾くのも時間の問題だと思った。
風岡さんを自宅まで送り届けると、アパートにはひどいイタズラがされていた。あの会社とやっと縁が切れると安心していたらこの事態。風岡さんが何をしたと言うのだろう。ひどいにも程がある。自分のことみたいにやるせなく、悔しい気持ちになった。
動揺している風岡さんをひとまずアパート内で休ませ、その間に俺は各所へ電話した。スマホで写真を撮って現場の証拠保全をしたり、警察を呼んだり、ここの物件の管理会社に今回の件を報告した。警察には、軽微な犯罪で犯人の手がかりとなる決定的な証拠もないため犯人検挙は難しいと言われた。防犯カメラなどがありそこに犯行の様子が映っていれば内容証明郵便で賠償請求したり、警察が加害者を特定できれば犯人を呼び出して示談金を受け取る流れになるだろうが、ここには防犯カメラがないためそれも難しそうだ。警察の人が言うには、この辺にはたまにこういう妙なイタズラをする人間が現れるとのことだったが、その情報が妙に引っかかる。それが本当なら他の住人のドアにも同じイタズラがされていそうなのに。なぜ風岡さんの部屋だけ? もしかして、誰かに恨まれているとか、個人的感情での犯行だろうか。でも、風岡さんが誰かに恨まれているなんて考えられない。贔屓目を差し抜いたとしても、誰かから恨みを買うような人ではない。結局、無差別的なものか風岡さん狙いの犯行かは分からないままか。モヤモヤして仕方ない。警察も近辺のパトロールは強化すると言ってくれたけど、それだけでは心もとない。
全ての対応を終えた頃、アパートの室内で横になっていた風岡さんが目を覚ました。警察から聞いた話を伝えると、
「そっか。わかった……。私の代わりにいろいろしてくれて、本当にありがとう」
声は弱々しく、風岡さんは少し疲れた顔でうつむいた。俺の手前眠ったフリをしていただけで、実はほとんど休めなかったのかもしれない。そうでなくても、こんなに次から次に問題が起きたらしんどくもなる。
「風岡さん、こんな状態の時に言うのもアレなんですけど、ひとまずうちのマンションに来て下さい。ここは危ないです」
「大丈夫だよ。軽いイタズラだし、直接何かされたとかでもないし……。今までもなんだかんだ無事に住んでこれたし」
これ以上可愛さんに迷惑はかけられない。そんな表情をしている。
「手、震えてます」
小刻みに震えている風岡さんの手。当たり前だ。女性の一人暮らしは何かと警戒が必要で、こんなことがあったらなおさら、一人はこわいはずだ。
「このまま一人にさせるのは心配です。俺のワガママなんですが、お願いです。一緒に来てくれませんか?」




