五年後の再会
なんのために生きているのか分からない毎日だった。人と関わるのが年々しんどくなってきたし、これでも神経すり減らして頑張って働き続けてきたのにお金がない。昔仲の良かった友達とも最近は疎遠になっている。生きている意味が見い出せない。死ねないからただ惰性で生きているだけ。でももう何もかも嫌になってきた。息をするのも苦しい。そろそろ死にたい。
会社から鬼のようにかかってくる電話を無視して適当に歩いていたら、知らない土地の高架線の下に来ていた。静かな車道。帰宅ラッシュを過ぎて人の往来は少ないが、ショートカット狙いの車がよく通る狭い道。スピード出し気味な車がけっこう通るので、そういう輩の前にタイミングよく飛び込んでいけば死ねるかもしれない。
右側から眩しすぎるヘッドライト。ハイビームにしているのは人通りが少なく外灯も弱いからか。光のせいで目の奥まで痛んで苛つくけど、これが人生最後の不快感なんだと思えばこの苛立ちも悪くない。
今だ。
「ちょ、待って!!」
「っ……!」
背後から勢いよく左手を引かれ、無防備だった体はたやすく後ろによろけた。死ぬチャンスを逃した。内心舌打ちする。
「何してるんですか!?」
悲しげな表情で私に詰めるのは、まさかの人物だった。
忘れもしない。
「可愛さん……」
仕事帰りなのだろうか。可愛さんの髪と肌は綺麗に整えられていて、そのへんのオフィスビルによくいる爽やかな営業マンという感じ。誰からも好感を持たれそうな物腰の柔らかさと頼りがいのある空気感。あの頃と変わらない。いや、あの頃よりだいぶ頼もしくなった顔つき。今の職場にはいないタイプの男性だ。
うちの職場はいわゆる体育会系の雰囲気。かつて大手運送会社に勤めていた社長が独立して設立した個人経営の運送会社で、事務所内で配車手続きをする社員と事務員数名以外は業務委託の配達員として歩合制の収入システム。「稼げる」という社長の言葉や、求人情報に載っていた日給二万円の文字に釣られて業務委託契約を結んだけど、私の場合、1ヶ月働いて収支がマイナス四万円になった。実際に働いてみると会社から引かれる経理設備費だの車両の維持費だのでいろんなものが差っ引かれ、支出が収入を上回る。ザッと計算したら時給にして千円いくかいかないかの収入だった。高校生バイトの方が稼げているのではないかと思う。業務委託ということで、仕事用に貸してもらった軽貨物自動車の保険料やガソリン代などが自分の稼ぎから引かれることは承知していた。それは日給二万円だと信じていたから、そこからなら払っていけると踏んでのこと。明らかに嘘の日給二万円という表記。この業界に慣れているベテランなら可能かもしれないが、私のように未経験の者や業務委託を開始したばかりの人は全然稼げない仕組みになっていた。なぜならこの会社はベテランほど収入が高く設定されており、新人は最安値で働かなければならないという謎の制度があった。力量により給与を決める方針なのだろうか。それならそれで初めにそう教えてほしかったのに、そんな説明は面談の時は一切なかったし求人情報にも記載されていなかった。初めの面談でたしかに社長は言った。この仕事で月収五十万円を稼ぐのは簡単だと。でもそれはベテランならの話だ。新人は、たとえ業界経験者だとしてもそこまで稼げるわけがなかった。むしろ損ばかり。最悪私のようにマイナスになる。だったら求人情報にもそのように書いておいてほしいものだが、人手不足の昨今。社長は詐欺めいた広告を打ってでもより多く人員を確保したかったのだろう。いざ働き始めてみると、はやり新人の人ほど収入がなく不満の声が多くあった。それなのに数人で請け負う案件の現場では新人がベテランに合わせて待ち合わせ時間を調整しなければならない。新人側ばかり負担の多い配達員同士のルール。こんな仕事は辞めておいた方がいいと、歴の浅い先輩達が教えてくれつつ愚痴を言っていた。入る前に知りたかった。引っかかった私が悪いのだろうか。ひと月の収入を手っ取り早く上げたかった。慰謝料をもらえることなく離婚して、実家も裕福ではなく金銭的に絶対頼れない。自分がどうにかするしか生きる術はなかった。焦るあまり、冷静な人なら思いとどまるだろう業務委託契約の罠にあっさり引っかかってしまった。こんな自分が嫌になる。
現状の悲惨さにあいまって、会いたかった人とこんな形で再会をしてしまい、さらにいたたまれない気持ちになった。本当なら、今頃もっと幸せな生活をしているはずだった。人と深入りしすぎず適度に社会と関われるこの仕事で世の中の役に立てることを実感しながら、誰にも迷惑をかけず自分らしく生きていく。当分恋愛するつもりはなかったけど、良い出会いがあれば前向きに、友達からでもいいからゆっくり良い関係を築いていきたいと想像してみたりもした。疎遠になっている友達ともこちらから連絡を取って、細く長く楽しく交流を続けていきたかった。過去を振り返る余裕などないほど充実した暮らしを送る。そう目標を立て、先立つものはお金だと思い行動を起こした。それが見事に失敗し、希望も何もかも打ち砕かれた。精神的に頼れる者もおらず自立して生きるのはしんどい。お金のやりくり、未来への不安、そういった何もかもから解放されたかった。死んだ方が絶対に楽。なのに。
「……」
黙る私をためらいがちに見やり、可愛さんは言った。
「こんな風に山本さんと会えるなんて……。もう二度と会えないと思ってました」
「私だって……」
それ以上の言葉が見つからない。自殺を止められたことの衝撃よりも、再会してしまったことの驚きが大きくて、ただただうつむく。こんな自分を見られたくなかった。
無意識に可愛さんの左手を見やる。まだ指輪はない。ホッとするのも束の間、してないからといって相手がいないとは限らない。私だって結婚中はほとんど指輪なんてしていなかったのだから。
「…………」
「…………」
どちらかともなく目を合わせ、それは外せなくなっていく。あの頃と同じ、優しく熱っぽいまなざしを向けられ、うぬぼれそうになる。あれからもう五年も経っているのに。
「どうしてあんなマネしたんですか」
冷静な口調ながらもどこかとがめるような気配。可愛さんは、私が死のうとしたことについて尋ねてきた。
「なんとなく」
それしか言葉が出なかった。死にたくなった理由なんてたいていはひとつじゃない。少なくとも私の場合は。理由を訊かれても困ってしまう。
「そんなはずない。ちゃんと話してほしいです」
そうだった。この人はいつも私の心にストンと入ってくる。五年前だって。
「帰り道でしょ? 私にかまわず行きなよ
。もう変なことしないから」
「信じれません。もう遅いし旦那さんも心配してますよ。送るので帰りましょう」
「いないよ」
「え?」
心配してくれるような家族なんて、私にはいない。旦那のことを心の拠り所として生きていけたらと願った日もあった。でも、結局それは叶わなかった。
「そんな……。どういうことです?」
可愛さんの顔を見れなかった。
あの頃離婚を決意できたのはあなたと出会えたからだよ、なんて、言えるわけがない。優しい人だ。変な罪悪感を抱かせてしまうかもしれない。
「旦那とは離婚したの。性格の不一致でさ。よくある話でしょ」
「別れたのって、いつですか?」
「忘れた」
「そんな、適当なことばっか言って」
可愛さんはそこまで言うと、その場を離れた。いい加減な私の対応にあきれて帰ったのだろうか。久しぶりの再会だというのに気の利いたことも言えず、素直にもなれない。でも、本当のことは言えない。
五年前、可愛さんと初めて出会った頃、私は結婚していた。
申し訳ないです、一部セリフ内の名前を間違えていたので修正しました。
2025.2.20(木)17:35




