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刻まれゆく


 一瞬の沈黙の後、風岡さんは苦笑した。

「前から素直な人だとは思ってたけど、想像以上だよね。そういう人って似た系統の人に惹かれそうなものなのに、何で私なんだろね」

「困らせてごめんなさい。あくまで俺は〝友達〟なのに」

 放っておくとすぐ、好きが漏れてしまう。ずっと隠して生きてきたから、今になって反動が来たのかもしれない。甘えすぎ。自分でもそう思うくらい、風岡さんに甘えてしまっている。

「謝ることはないけど……。私こそごめん。こんな言い方しかできなくて」

「そんな、風岡さんは悪くないですよ。俺が未熟なんです」

「ううん。……初めてなんだよ。そんな風に誰かに求められるの」

 風岡さんは困ったように笑った。

「だからかな、対処法が分からない」

 風岡さんはずっと心を開ける場所がなかった。親とも友達とも距離を置いて、独りでずっと……。きっと、ううん、確実に、俺とは別の世界を見てきた。

「もう、独りではないですからね」

「……っ」

「長年のことって慣れちゃうんですよね。良いことも悪いことも。それを変えようとしても急には変えられない。その感覚、分かる気がするんです。俺も実家のことや生まれのこと、他にも色々、染み付いてしまってる部分が少なからずありますから」

「可愛さんもそうなんだ」

「そうですよ。だから、これから慣れていったらいいのかなって。新しいことにも、こうして二人でいる時間にも」

「言ってることは分かるんだけど。ね」

 風岡さんは切なげに目を伏せる。

「現状は自分のせいだってわかってるけど、仲良かった友達のこと、今になって気になりはじめてる。勝手な理由で距離を置いたクセにね。だからかな。もう何も失いたくないといつも思ってたはずなのに、自分から大切なものを手放すようなことしてた。そんな気がする」

「たしか〝美凪さん〟でしたよね」

「うん、美凪。あと、凜音って子」

「初めて聞く名前です」

 凜音さん。その名前を聞いて、輪廻転生という単語がよぎった。美凪さんとは別ベクトルで仲良くしていた人なのだろうか。

「凜音さんも幼なじみなんですか?」

「ううん、高校で知り合った子。最初はお互いに空気感というか、人への接し方が似てるなーって感じで意気投合して。でも、仲良くなったら正反対って知って」

「正反対、ですか?」

「うん。家庭環境から何から何まで全然、私とは違ってた。愛想だけ良くて内心他人に無関心な私と違って、凜音は心の底から人に関心を持ってて、お節介なくらい人の世話を焼くこともあれば、言うべきところでしっかり自己主張もしてた」

「そういう所で少しコンプレックスもあった感じですか?」

「正直ね。凜音は家も裕福だったし、両親とも子供に寄り添う優しい人達だった。凜音なんだよ、ツインレイって言葉を教えてくれたのは」

「例のブログにつながるキッカケだったんですね。もしかして、凜音さんもツインレイと出会ってるんですか?」

「どうなんだろうね。本人はそう思ってるみたいだったけど」

 風岡さんは曖昧な笑み。その先の言葉選びを迷っているようだった。凜音さんの恋愛事情は、人にあまり話せないような内容なのかもしれない。

「それよりさ、可愛さんはいる? そういう友達。とても仲良くしてて、疎遠になったら気になってしまうような」

「そうですね……。いるというか、いたというべきか……」

「それってどういう?」

「今はもう関わってないんです。疎遠どころか連絡先すら知らなくて」

 忘れようとしても消えない存在、そんな友達が俺にはいた。しま君。大人になってからも時折思い出す存在。


 島君は生まれた時から家が近所で、物心ついた時にはすでに顔見知りではあったが、本格的に仲良くなったのは小学校に入ってからだった。子供会の行事で同じ班になったのをキッカケにしょっちゅう遊ぶようになり、お互いの家をよく行き来した。彼の方が二つ年上で、その分体が大きかったのもあり、最初こそ年齢の壁を感じたがそれはすぐに無くなった。島君は頼りがいがあって優しく、何でも器用にこなす秀才で、学校の人気者だった。いつも男女問わずたくさんの友達に囲まれていた。年下の俺にも威張ったりすることはなく、同い年の友達のように分けへだてなく接してくれた。地元なので当然俺の生まれについても知っているのに、他の人のように地主の息子という理由で一線を引いたり特別扱いをすることもなかった。とても嬉しかった。

「俺も昔から人見知りはしない方で、だからか、普通に島君の学年の仲良しグループとかに混じって遊んだりしてたんです。だから島君と俺は兄弟みたいだねとか雰囲気が似てるって周りからよく言われてたんですけど、中身は全然違ったんです」

「へえ。そんな友達がいたんだ。なんかいいね」

 風岡さんは興味ありげに相槌を打ちながら話を聞いてくれている。

 根っから明るい島君と違い、俺は心の中で他人に一線引いてネガティブな予測をするのがクセになっていた。イトコとの不仲は、性根しょうねの形成に大きな影響を与えたのかもしれない。周りに合わせて話したり盛り上がったりする一方、自分の素を出すことに強い警戒心を持ち合わせていた。

 夏休みのある日。いつものように島君に誘われ、島君の友達グループと市民プールに行った。俺は親戚とお盆休みを過ごした直後で、帰ってきてからも気分が塞いでいた。その気持ちが吹っ切れないまま島君達と合流した。

『ほまりん、それどうした?』

 島君は俺の背中を見て怪訝な顔をした。ドキッとする。

『えっ? なんだろ。寝てる間にどこかにぶつけたのかなー』

 適当に答えてみたものの、島君に対してこんなウソをつくのは後ろめたい気がした。何となく本当のことは言えなかった。親戚と泊まった旅館の階段で、上の段にいたイトコから蹴りを入れられた、だなんて。

『こんなとこ、どうやってぶつけたらアザになるんだよ。誰にも言わないからホントのこと教えてよ』

『本当に誰にも言わない?』

『うん、約束する』

『絶対誰にも言わないでね』

 父さんと母さんに隠してきた、イトコ恒例の嫌がらせ。この時初めて島君に話した。

『ほまりん、それ親に言った方がいいよ。放置するから相手がつけあがるんだ』

『いや、いいんだ。お父さんとお母さんには心配かけたくないから。親戚との旅行も年に一、二回だし、その時だけ我慢すればいいから』

 父さんはともかく、母さんは昔精神的に不安定だった時期があり、それで通院もしていたそうだ。俺が生まれる前(この時はまだ自分の出自を知らなかった)の話らしい。法事の時、親戚の人が陰でそんな話をしているのを偶然聞いてしまった。本人に確認はしてないが、きっと本当のことなんだと思う。今でこそ母さんはそういう感じを見せないが、何がキッカケでまたそうなるか分からない。俺の問題でそんな風にさせたくなかった。

『だったら俺が言ってやるよ。ほまりんに二度とこんなことしないように』

 島君は怒って、俺に蹴りを入れたイトコの家まで抗議しに行ってくれた。当時はイトコの家も近所にあったので、小学生の足でもすぐに行ける距離だった。

 結果だけ言うと島君の抗議は意味がなく、むしろイトコの感情を逆撫ですることになった。嫌がらせをやめるどころかエスカレートした。でも、俺はひるまなかった。それまでだったら一人憂鬱になっていたかもしれないが、島君に話を聞いてもらえたことで妙に気持ちが落ち着いたというか、やられっぱなしでいるのが悔しく思えてきた。島君が味方になってくれたのが嬉しかったのに加え、心強く、そんな島君の忠告を聞かないイトコにものすごく腹が立った。反撃でもしないとその悔しさは収まりそうになかった。

「さすがに蹴り返したりはしませんでしたが、あっちが頭洗い終わったタイミングでボディーソープのボトルの中身を全て頭からかけたり、寒い日の温泉で冷水シャワーかけてみたり。やられた分だけきっちりやり返しましたね」

 風岡さんは吹き出した。

「ボディソープに冷水シャワー? 可愛さんがそういうことするの全然想像つかない。見てみたいよ」

「あっちは真っ赤な顔してキレてましたね」

 それを見て、胸がスーッとした。

「やられっぱなしでいるのが無難だと、それまでは思ってました。でも違うんですよね。黙って理不尽を受け入れるというのは、俺を大切に思ってくれる人の事も同時に傷つける。そう島君から教わったんです」

 イトコに絡まれるたび変なところにアザを作る俺に、父さんと母さんも何か気付いて声をかけてきた。でも、俺は頑なに口を閉ざした。そのうち仕返しするようになった俺にイトコは怒り、当然黙っているわけもなく、自分達の嫌がらせを棚上げして俺のしたことだけ大げさに言いふらすという始末。当然大人達から俺は問題児扱いされ、父さんと母さんにだいぶ迷惑をかけた。

『誉は理由なくそんなことをする子じゃありません。大人には話せない事情があるのかもしれない』

 イトコの親に謝ると同時に、父さんと母さんは親戚中にそう言って回っていた。結果〝やっぱりお金持ちは頭がおかしい〟と、一部の親戚から我が家は悪く言われた。俺は何を言われても構わないが、親まで一緒くたにされてしまうのは心苦しかった。そんなつもりはなかったのに、でも、だったらどうしたらいい。何が正解なんだ? 俺は間違っているのだろうか。しばらく悩んだ。その事を島君に話したら、

『いや、間違ってるのはイトコの方だ。理不尽な暴力に屈したらそれこそ相手の思うツボだぞ。断固拒否でいい! いつか理解してくれる人が出てくるから、きっと大丈夫』

 島君の言葉に支えられ、小学校生活の半分を乗りきった。そういったしめっぽい話をする日もあったが、島君といる時間は楽しいことの方が多かった。島君の友達もいい人ばかりで、つらいことを忘れさせてもらえた。この場所があれば大丈夫。そう思えた。

「この関係はずっと続くと思ってたんですけどね……。俺が小四になってすぐ、島君は家の都合で遠くに引っ越すことになったんです」

 島君は小学六年生。当時の俺達はまだスマホを持っていなかった。引越し先で落ち着いたら絶対手紙を出すと島君は言っていたけど、忙しいのか、それはなかなか届かなかった。でも、そこまで気にならなかった。

「こないなら俺から手紙を出してみればよかったのかもしれない。でも、そういうことをしなくても大丈夫。生まれた時からご近所で、長年親しくしてきた。少しくらい離れても島君との関係は変わらない。そう思ってたんです」

 それは間違いだった。長い付き合いだから何でも知っているような気になっていた。友情はずっと続くと信じていた。環境や状況が人を変えてしまうということを、その時の俺はまるで知らなかった。

「島君がいなくなって一年が経とうとした頃、さすがにこんなに連絡がないのはおかしいと思いました。島君と仲良くしてた同級生の友達も同じように心配してて。手紙を出してみようか。いや、電話の方がいいかも。そう思っていたところで偶然島君と会ったんです。近所の最寄駅で」

 小学生時代の一年間はとても長く、時間の開きを大きく感じる。駅のホームで島君を見かけた時、嬉しくなったのも束の間、声をかけるのをためらってしまった。外見的な成長だけではない、明らかに島君の雰囲気が変わっていたからだ。

「あっちは中学生になっていて、その分見た目の変化も大きいものに思えました。この辺の物ではない、引越し先の地域の学校の制服で、身長も伸びて、髪も染めていて。ピアスとかも開けていて。まるで別人のように思えました」

 髪を染めたりピアスしたり、それは個性だ。そこでウダウダ言う気はないが、島君の内面からにじみ出る雰囲気というものが全く違っていた。それでも島君は島君。俺は会えたのがやっぱり嬉しくて、ためらいを飲み込み、島君に手を振った。

『島君、久しぶり! こっち来てたんだー! 来てるなら教えてよー。元気そうでよかった』

 以前のように話しかけた。

 よっ! ほまりんも相変わらずだな。ごめんな、ずっと連絡できなくて。

 そんな言葉が返ってくるだろうと予想して疑わなかった。島君は一瞬だけ冷めた視線をよこして、こちらに背を向け、改札口へと歩いていった。

『島君!』

 もう一度名前を呼んだが返事はなかった。

「帰ってすぐ、島君ちに電話しました。引越し先の住所と電話番号はあらかじめ聞いていたので。でも、つながりませんでした」

 島君の家の電話番号は解約されたようだった。

「スマホなら分かるけど、家電解約ってよほどのことだね」

「そうなんです。よほどのことが、島君にはあった、そういうことなんですよね」

 よほどのこと。子供の時は、それが何なのか分からなかった。

 電話を諦め、何とも言えない気持ちになった。そのまま電話機の前で佇んでいると父さんがきた。俺があまりに落ち込んだ様子なので、

『どうした? 学校で何かあったのか?』

 心配する父さんに、島君に電話したがつながらなかった事を話した。駅で島君を見かけたことは隠して。

『仲良しだったもんな。心配なのは分かるけど、今はそっとしておいた方がいいかもしれない。寂しいだろうけど』

 そう言い、父さんは島君の家の事情を教えてくれた。一年前に引っ越したのは親が離婚したからで、母親について母方の親戚の近所で世話になるためだった。その後すぐ母親が再婚することになり島君は母親の元に居づらくなったので、父親のいるこの土地に戻ってきた、ということだった。

 最寄駅にいたのはそういうことだったのか。こちらでの転校手続きなどをするため。理解すると同時にやるせない気持ちになった。父親と別れるなんてきっとつらい。一年前そんな思いを抱えて母親についていったのに、その母親が別の人と再婚した。だから父親の元に戻った。もしも俺がそうなったら……。考えたら胸が張り裂けそうだった。

『島君は今どんな気持ちなんだろう。島君の力になりたい。何かできないかな?』

『優しいな、誉。うん。その気持ちはとっても素晴らしいことだ。ただな、つらい境遇の中にいる人に向ける優しさは、時に凶器になることもある』

『傷つけるの?』

『そうだ。誉にそんなつもりがなくてもな。今はただ、そっと見守っていくのが最善だと思うぞ』

 時間が解決してくれることもある。父さんはそう言ったが、俺はいまいちその言葉を飲み込めずにいた。放っておいたらどんどん良くない方に向かっていくのではないか、そんな気がして。

 島君は俺が悩んでいた時に助けてくれた。恩返しじゃないが、こちらも力になりたい。でも、そういう言動が島君を傷つけてしまうかもしれないのなら、何もせずにそっとしておく方がいいのかもしれない。結局は父さんの言葉に納得し、島君にはそれ以上こちらから関わらないようにした。駅で一瞬目を合わせた島君の、知らない人のような目を、ずっと覚えている。

「それ以来、人に深入りするのを避けてきたような気がします。一定のところまでは仲良くなるんですけど、深い領域には入らないし入らせない。だから、良くも悪くも当たり障りない、無難な人間関係ばかりです」

「意外なことばかり。可愛さんって幸せで充実した人間関係だけ構築してきたリア充の極みかと思ってた」

「そんな、全然ですよ。春海はるみにもイマイチ心開ききれないし」

「春海?」

「あ、結婚式呼んでくれた友達です。島君のことを除けば一番付き合い長いんです。春海は良い奴だって分かってるのに、なんか素直になりきれなくて。変に距離を置いてしまうというか」

 島君に距離を置かれた寂しさや恐怖が、精神の奥深くに染み付いてしまっているのかもしれない。もうそんな思いはしたくない、と。

「普段は意識しないようにしてるんですけどね、なんだろう。やっぱり島君の事は忘れられないんですよね」

「その人、今どうしてるーとか噂入ってこないの?」

「それが……」

 島君は父親の元に戻ってしばらくは地元で暮らしていたけど、すぐにまた別の土地に引っ越してしまい、そこから消息が分からなくなった。

「実の母も、島君も、何ででしょうね? 俺に深く関わりのある人は目の前から消えていく。そんな呪いにでもかかってるんですかね〜」

 ふざけるように明るい口調で言ってみるものの、声が震えてしまう。情けない。

 実の父にビンタされた時に泣いてしまったのは、イトコから向けられる嫌悪感が怖かったから。それも確かだが、同時に、島君と縁が切れてしまった心細さと寂しさが一気に吹き出したから。何もできない自分が歯がゆかった。罪悪感、焦燥感、仲良くしていた時間の回想、それらが混ざり合い、どうしようもなくなった。

「インスタとかフェイスブックは? お母さんもさ、名前調べたら出てこない?」

「二人とも、全くです」

 風岡さんは言葉を探すように視線を左右させる。

「可愛さんに追い討ちかけたいわけじゃないけど、それ、分からないでもない」

「え?」

「別にやましい過去があるわけじゃないけど、今まで関わった人に、現在の知り合いに、自分を探されたくない。って気持ち。私もそうだから」

「そういえば、風岡さんもインスタとかはやってませんよね」

「可愛さん、もしかして……」

「すみません。探したことあるんです」

「そっか。だよね。きっと大抵の現代人そうだよ。知り合いの名前、検索かけるよね」

 引かれなくて良かった、と、少しホッとする。

「風岡さんは、興味持たれるの苦手ですか?」

「うん。正直苦手。だからSNSは絶対やらない。特に子供時代とかの知り合いとか、つながりも持ちたくない。昔の嫌だったこと掘り返されていろいろ言われたりするのかーと思うと。今も別に、公開したい日常なんてないし」

「めっちゃ興味ありますよ、風岡さんの日常。毎日見に行きたいくらいです」

「もはやそれはストーカーでは」

「ですよね。冗談です」

 本気だけど。風岡さんがインスタやったら、毎日覗くのが日課になりそうだ。

「まあそれはさておき。島君といつか話せるといいね」

「そうですね。でも、今会っても何を話したらいいのか、分からないんですけどね。時間も経ち過ぎてますし」

「一度声かけて無視されてるんだもんね……」

「そうなんですよ。本当に別人みたいで……」

「でもそれ、可愛さんは絶対悪くないから。だからって島君が悪いわけでもないけど。善悪で語ることじゃないか、そもそも」

 風岡さんはうなりながら言葉を探している。俺のために必死に考えてくれているのが、とても嬉しい。

「私は多分どちらかというと島君側の人間だから思うんだけど、そうやって無視したり避けたり、そういうのは本人の心の問題。可愛さんが責任感じることないはずだから。責任とか、可愛さんはそんな風には思ってないだろうけど。うーん……。何て言ったらいいのか。言ってて自分でよく分からなくなってきた」

「ありがとうございます」

 風岡さんが一生懸命考えてくれるのが嬉しくて、頬が緩む。島君のことを思い出して張りつめていた気持ちも、なんだかホッとした。

「そんな、お礼言われることなんて何も」

「風岡さんと話してると、新しい発見があったり、安心できたり、別の視点で考えられたりするんです。だから」

「そう?」

「はい。だからありがとうなんです」

 風岡さんと会えて本当に良かった。

「島君のことも、実の母のことも、人に話せる機会ってなかったから、聞いてもらえるだけですごくありがたいんです。一人で考えていた時より気持ちが軽くなりました」

「だったらいいけど……。こんな話聞いた後で可愛さんにこんなこと言うのは無神経かもしれないけど、そうやって友達や実の母のことを心配できるのって羨ましくもあるなぁ。私は体験したことのない気持ちだからさ。親に関しては特に」

「そうですよね。親に愛されたいって、思いますか?」

 風岡さんは諦めたように鼻でフッと笑った。

「思うよ。今さら可愛さんにウソついてもしょうがないから白状するけど。四十も手前のいい大人なのにバカだなって思うけど、親に心配されたり逆に心配したり、そういう親子関係に憧れるよ。そんな家庭の子に生まれたかったよ。言ってて虚しいわ」

「正直に、ありがとうございます」

 風岡さんの右手を取って、両手でギュッと力を込めた。もう簡単に体を抱きしめたりはできないから、その代わりになれば。

「そういう気持ち、どんどん言って下さい」

「聞いてて疲れない?」

「全然です。むしろ俺こそ疲れさせませんでした? あんな話してしまって……」

「全然だよ。可愛さんの人間関係の話を通して自分のことも省みれるというか、貴重な思考させてもらってる」

「俺もそうです。風岡さんが友達を気にかけているのを見て、島君のことを話してもいいんだと思えた。ずっと秘め事みたいな扱いをしていたから」

「お父さんにそう言われたら、そうなるよね」

「〝何もできない自分〟を克服したくて、ずっとあがいてるのかもしれないです。昔も今も」

「そうやって悩んでるのは私だけじゃないんだね。なんかちょっと今までの自分が恥ずかしくなってきたよ」

「そんな、恥じることはないです。それも絶対必要な経過なんですから」

「ありがとう。私も、可愛さんと話してると気持ちが軽くなる」

「本当に? よかったです」

 風岡さんの顔が、再会直後よりも柔らかくなっている。なんとも言えない充実感と、幸せな気持ちで満たされていく。島君のこと、実の母の行方、気になる問題は都合良く無くなりはしないけど。いま目の前にある幸福を絶対に守りたい。強くそう思う。

「そういえばさ、会社に行く前に確認しときたいんだけど……」

 風岡さんは改まったように座り直し、俺の目をジッと見た。

「平川さんと会った?」

「えっ!? どうしてですか?」

「平川さんからメールきた」

「んー、そうですね。確か会ったような気がします」

「どうして隠してたの?」

 何て説明したらいいんだ? 風岡さんに言い寄ってほしくなくて牽制しました。とか、言えるわけない!





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