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広がる世界


「本当ですか! それはぜひ、お願いしたいです」

 考えるより先に、そう口にしていた。風岡さんがずっと愛読してきたというスピリチュアルカウンセラーなる人のブログ。そういう系の話には疎かったのに、いま一気に興味が湧いた。その人に俺達のことを聞いてもらいたい。

 風岡さんと再会して以来、毎時間が幸せだ。これ以上にない優しく柔らかい時を初めて知った。それと同時にどうしようもない不安に襲われる。失う恐怖。孤独への不安。一人で過ごす時間が独りでいた時より寂しいものになった。こうして風岡さんの家に来てしまったのもそのため。まだ付き合ってもいないのにグイグイ押しまくっている俺は、自分で見ても普通じゃないと思う。昔からよく見るあの夢が原因なのだろうか。風岡さんとつながりが持てたことで、これ以上ないほど気持ちは満たされていくのに、同時に消失していくような気がする。相反する矛盾した心情。何と説明したら正しく表現できるのか分からない。


 十五歳を過ぎた男性は戦場に出ること一一。本国の決まりに従い、俺もそうしていた。平時はレストランの経営兼料理人をし、戦況が厳しくなると戦場に出向く。大人になってからはずっとその生活だった。ここはまだ敵の手が届かない長閑のどかな土地だったので、料理人になると同時期くらいに幼なじみの女性と結婚することができた。敵兵に踏み荒らされやすい地域では結婚もままならない人が多い。それに比べたら、好きな人と縁を結べた俺は恵まれている方だ。とはいえ恐怖は常にあった。戦国であるのには変わりはない。いつ敵兵がここを狙うか分からない。自分の死ももちろん恐いが、それ以上に恐いのは妻を失うこと。子供の命が危機に脅かされること。噂では、赤ちゃんなどまだ自我のない年齢の子供が敵兵にさらわれると様々な形で敵国に利用されるのだという。そう知った妻は、いつも自分のことより子供の無事を案じ、空に祈っていた。

 国の命令だから仕方なく従っているけど、本当は戦場など行きたくはない。妻と子供の元を離れたくないし、戦地で地獄のような光景を目に入れたくない。でも、戦に加わることは自分の家族を守るためでもあると割り切った。だからといって人を傷つけるのはつらい……。たとえ敵相手でも。あっちも俺と同じ血の通う人間。もしかしたら里に大切な家族を残してきているのかもしれない。うっかりそんなことをつぶやこうものなら、指揮官から「男のクセに女々しいことを言うな!」と罵倒されるだろう。身体が弱い者はおとり役として使い捨ての駒にされ、心身が強い者は前線に出される。尊いはずの人間の命を、そんな風に軽く扱うなんてどうかしている。戦争をすれば武器が売れてどこかの国がとても儲かる。そのために何年も戦をする人々。操作される民衆。その流れに抵抗感があるのに抗えない俺達。子供が生まれて初めて、戦争というものに真正面から疑問を覚えた。憤りを多分に含んで。

 妻は子供を授かりにくい体質だった。子供目当てに結婚したわけではないから子供はいてもいなくてもどちらでもいいと気楽に構えていたけど、妻は違った。俺との間に子供がほしいと言い、時に思いつめていた。そんな妻に少しでも和んでもらうべく手料理を極めていたらレストランを開けるまでに上達していた。結婚して数年後にまさかの子供を授かった。奇跡が起きたと妻は喜び、その件では深く考えていなかった俺も感動した。戦国の世に生まれながらもこれまでなんだかんだ生きてこられたというおごりもあり、命があるのは当然と無意識のうちに思っていたけど、そうではなかった。うちの子みたいに生まれてくることすら奇跡な場合がある。人の命は貴重で大切で重たいものなのだと学んだ。だから、人と人の殺し合いなんて良くないと思った。当たり前でない人の命が草のように無情に刈り取られていく現実がただただ悲しかった。

 馬鹿げた戦など早く終わってくれ。

 いつかの妻を真似るように、俺は毎日空を見上げて祈った。祈りが通じたのか、子供が生まれた年にやっと終戦した。本国と敵国の間に平和の誓いが立てられ、民衆の間に安堵の空気が満ちた。積年の願いが叶ったのに俺は喜べなかった。最後の戦で妻と子供は死んだ。二人の遺体を発見したのは隣町の老夫婦だった。戦争が二人を殺したのだと感じた。戦争が終わって皆喜んでいたけど、俺の世界は真っ暗になった。


 今朝久しぶりにああいう夢を見たのだけど、今朝のそれは病的なまでにリアルだった。あれはただの夢ではない。風岡さんを抱きしめて確信した。

「こうしてると紛れる」

 風岡さんが細い声でつぶやいた。

「俺もです」

 〝物理的にも精神的にも離れたくない。〟

 お互いの身体の奥からそう聞こえるようだった。

 今ここに生きている俺は、結婚したこともなければ子供がいたこともない。でもあれはきっと、前世の記憶というものなのかもしれない。当時の妻が前世に生きた風岡さん。目には見えない。確証もないけど、抱きしめている心地良さがそれを物語っている気がした。

「あっ」

 何かに気付いたように、風岡さんは俺から離れる。

「ごめん。つい」

 顔が真っ赤だ。愛おしい。

「もういいんですか?」

 風岡さんに向けて両手を広げる。

「いつでも大歓迎ですけど」

「そんなホイホイすることじゃないっ」

 素直じゃない風岡さん。

「もう少し抱きしめてたかったです」

「そうやって、ダラダラ変な関係になるのは嫌」

「そうですよね。もちろんそれは分かってます」

 俺はいつでも風岡さんと恋人になる心づもりでいるけど、風岡さんの方はまだそうではない。つい、関係の肩書きなんて忘れそうになる。

「ごめんなさい。友達だって自分で言ったのに」

 風岡さんを前にすると、理性や常識など簡単にどこかへいってしまう。良くない良くない。気持ちを切り替えねば。

 俺の気持ちを察したみたいに、風岡さんはスーパーの袋に視線をやった。さっき俺が持ち込んだ物だ。

「何作ってくれるの?」

「シーフードカレーにしようかと。風岡さん食べれそうですか?」

 海鮮系が食べたいという風岡さんのリクエスト。具材と酢飯だけ用意して、後は一緒に手作り感を楽しめそうな手巻き寿司にしようかとも考えたが、明日は風岡さんの職場に退職を告げに行く勝負の日。少しでも精がつくようカレーにしてみた。

「カレーかぁ、もちろん食べれるよ。楽しみ。でもカレー粉ないよ?」

「スパイス合わせて作ります」

「本格的! 言われてみればそれっぽいビンが入ってる。そういえば作るのにもこだわりがあるとか言ってたね」

「そうなんですよ。語るとめんどくさい奴になるんですけど」

「そうなの? 聞きたい」

 市販のカレールーは手軽でおいしいけど植物油脂が気になる。味覚としてはおいしいから大丈夫と思いそうになるが、植物油脂ってやつは摂ると神経障害のリスクが高まるらしい。緑内障など目の病気や、腎臓を壊す原因にもなる。結果、体臭やシミなど、目に見えて分かる症状が出るようになったり。最近学んで知った。

「細かいことまで言うとキリがないので端折はしょりますけど、添加物って摂取歴が長くなると心身に悪さをするようになるので、未来の健康のため避けるようにしてるんです」

 自分だけでなく、今は風岡さんの体調のために。

「日本は添加物大国って揶揄やゆられてる現実もあるみたいで。それでもこの国が好きだから、否定してるだけじゃ悲しいから、自分にできる努力をするだけして健康寿命を一年でも長く伸ばしたいって思うんです」

「へえ、すごいね」

 風岡さんは感心したように目を見開く。

「ただ料理が好きなだけじゃなくて、健康まで意識して作ってるなんて……。年齢的には私の方がそういうこと考えるべきなのに、可愛さんが若いうちからそこまで考えてるの普通にすごい。前からそうだったっけ?」

「風岡さんと働いてた時はそうでもなかったんですけど……」

 キッカケは、父が倒れた時だった。風岡さんと出会ったあの会社にいた頃、父が貧血で倒れ入院した。病気ではないと分かるまでとても心配した。深刻な病気ではなかったから良かったものの、人の命はいつどうなるか分からないのだと痛感した。母だって今は元気だけどいつどうなるか分からない。もちろん俺も。年齢関係なく病気になる時はなる。だから、少しでも健康に過ごせるようにと、あの頃いろいろ調べた。どうせなら趣味の料理と合わせて勉強した方が覚えやすいと思って知識を仕入れまくった。そうして自然と無添加食材を選ぶようになった。調味料やお茶なども、可能なだけ自然由来のものを。加工工程が挟まるほど消化に負担がかかって体内で解毒しきれなくなり、深刻な病気を招いてしまう。健康意識が高まってくると、自然と外食やコンビニに行く機会が減って、買い物する店も限定されるようになった。風岡さんと再会した日に行ったコンビニは、あれはあれで楽しかったけど。

「余計なお世話かもと思ったんですけど、風岡さんにも体に優しそうなチョコレートを買ってきたんです」

 高カカオが良いと言われていても、市販のチョコレートには乳化剤が使われている。これも調べるうちにヤバい添加物だと知って摂るのを控えていたのに、再会の日は浮かれてしまってつい、添加物入りのチョコレートを大量買いしてしまった。まだまだ修行が足りなかった。

「チョコレートにも、いいのと悪いのがあるの?」

「はい。実はそうなんです」

 乳化剤は解毒のために肝臓と腎臓にものすごく負担をかける。そのうえ三十五歳を過ぎると腎臓や肝臓での機能が衰えてしまうそうだ。とはいえその年齢はあくまで目安。若い頃からの生活習慣や食事で解毒能力の落ち方やタイミングも左右されるらしい。

「肝臓と腎臓は健康の要なんです。なので、できるだけ乳化剤とかよけいなもの入ってない方がおやつも楽しめるかと思って」

「ありがとう。高カカオってだけで無条件に全部いいものなんだと信じてたけど、ちゃんと知るとそうでもなかったんだね」

 風岡さんは今まできっとそういうことに興味はなかったはずなのに、今は真剣に耳を傾けてくれる。それがとても嬉しかった。

「こんな話、したところできっと友達とかには考えすぎとか言われて軽くあしらわれるんです。だから言えなくて」

「その感覚わかる。私も人には言えなくて自分の中だけで留めてたもん。スピリチュアルカウンセラーの人が書いてるブログのこと」

 少しの情報で互いが確実につながる感覚。誰かと楽しく話せることがあっても、ここまでしっくりくることはなかった。

「俺もそのブログ読みたいです」

「でも、スピリチュアル興味あるって言うと頭おかしい人扱いされることもあるよね。引かない?」

「引きません。むしろ興味あります!」

「そっか。可愛さんがそう言ってくれて嬉しい」

 風岡さんは控えめに笑い、自分のスマホを持ってきた。

「ブログのURL、ラインで送っとくよ」

「楽しみです。もし俺達がカウンセリング受けたら、どんな言葉をもらえるんでしょうね?」

「何の縁もないとか思い込みとか言われたらさすがにヘコむ」

「たしかに、それは悲しいですね」

 目を合わせ、どちらかともなく笑い合う。もしその人に俺達の関係を否定されたとしても構わない。夢の内容が合致したことや、お互いがそれまで知らなかった世界を共有しあえる喜び。それはたしかに存在するのだから。人に保証してもらわなくても大丈夫。そう思える。

「でもまずは、目の前のことだよね」

 明日の予定を思い、風岡さんはため息をついた。二ヶ月ほど勤めた運送会社を辞めに行く日。

「事務所に行くの、気が重い……」

「そうですよね」

 あの社長がどう出るのか、やはり風岡さんは不安な様子だ。

「でも、大丈夫です。これが最後。終わってしまえば、もう完全に会社ともあの社長とも縁は切れます」

「私、根性なしかな。ここに来てから、無能さ加減を目の当たりにすることばかりで……」

「絶対それはないです。風岡さんはよく頑張りましたよ。会社の体制に問題があったんです」

「…………」

「倒れてまで働こうとしていた、そんな自分をもう責めないであげて下さい」

 小さく見える風岡さんを、つい抱きしめたくなって我慢した。今はまだ、そうしていい立場じゃない(さっき思いきり抱きしめておいてなんだけど)。風岡さんの右手を両手でしっかり包んだ。少しでも励みになるように。真面目な風岡さんは、無事会社を辞めれることになっても自分を責めてしまうかもしれないけど。

「今の会社に入った時も、明日社長に話をつけに行くことも。どの選択も幸せになるために選んできたことだったと思うんです。その気持ちさえあれば大丈夫です、絶対に」

「……うん」

 ゆっくりじっくり、俺の言葉を身体中に染み込ませているかのように、風岡さんはゆっくり深呼吸をした。

「その通りだよ。幸せになりたい。そう思って選んだ。今までのこと全部」

「ですよね」

 俺もそうだ。さっき偉そうに食事のことを語っておきながら、やけ酒して肝臓に重労働させてしまうこともあるけど。基本的に良い方向へ行けるよう願って生きてきた。自分が幸せでいられるように。周囲の人が健やかであるように。そして今は、風岡さんと二人で笑っていられるように。

「大丈夫です。風岡さんは独りじゃない。何があっても俺は味方だから」

 そう実感してもらえるまで、何度でも伝えたい。耳にタコができたと言われる日が来ても。風岡さんは優しい言葉を信じられないほど苦痛な日々を駆け抜けてきた。だから。もう苦い思いをしなくてすむように。

 食事を終え食器を洗っていると、玄関先で物音がした。ドアの向こうに人の気配がしたような。足音を立てないよう静かに移動し、そっと玄関のドアを開けたが外には誰もいなかった。気のせい?

 風岡さんは食後すぐ眠くなってしまったとかで早めにシャワーを浴びたいと言い、今は浴室にいる。食器は私が洗うからそのまま置いといていいと言われたが、性分なのか、つい動いてしまった。今日はなかば無理やり押しかけたようなものだ。そうでなくても明日は大事な予定がある。早めに帰るつもりだったが、風岡さんをアパートで一人過ごさせるのは心配もあった。昨日から実は気になっていたが、父の代から付き合いのある不動産会社の話によると、この辺は男性の一人暮らし物件が多く、夜は一軒家に侵入盗が発生したこともあると言う。さっき風岡さんがチラッと言っていたように、コインパーキングの駐車料金が高め設定なのも治安の悪さを考慮してのことだろう。フェンスの囲いとゲートバーで管理されていた。風岡さんを不安にさせたくなくないのでそのことは黙っておくけど、本当ならここに泊まりたいくらいだ。どうにかして安全に夜を過ごさせる方法はないものか。

 考えていると、外で自転車をこぐみたいな音がした。このアパートの他の住民だろうか。壁が薄そうなのにあまり他の住人の気配がない。もう一度外に出て周囲を見渡したが、やはり誰もいなかった。神経質になり過ぎだろうか。一度気になるとどうしても考えてしまう。風岡さんのアパートだから、無意識のうちに過保護になっているだけ?










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