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過去との決別


 思いきって社長に電話をかけた。社長は5コール目で電話に出た。

「お疲れ様です。昨日は無断欠勤してしまい申し訳ありませんでした」

『どういうつもり? まだ入ったばかりなのにそんなんじゃ今後も給与払えないよ?』

「そのことなんですが、業務委託契約についてお聞きしたいことがありますので、明日どこかでお時間頂けますか?」

『明日は無理ですね』

 急に敬語になる社長に違和感を覚えた。この感じ、雄亮ゆうすけが私との離婚を決めた時と似ている。自分にとって都合良く物事が運ばなくなると察した瞬間、こちらに見せつけるかのようにあからさまに距離を取る。そうやって臨戦態勢に入っていくタイプの人間か。

 社長は私が辞めることを察したのだろうか。不遇な扱いをかえりみることもなく、使えないと分かったら手のひら返し。可愛かわいさんの言うように、社長はロクな人間ではないのかもしれない。面談で感じのいい人と思っただけに戸惑う。この先の展開が不安で手が震えてくるけど、今は可愛さんがそばにいる。可愛さんは張りつめた表情でこっちを見ている。本気で心配してくれている。こわくて投げ出したくなりそう。でも、頼ってばかりいないで、できるところは自分で動かなければ。

「明後日はどうでしょうか?」

『午後の一時ならいいですよ』

「承知いたしました。そのお時間に会社の事務所に伺います。宜しくお願いいたします」

 窒息するかと思った。知らないうちに呼吸が浅くなり、頭がクラクラする。可愛さんは一歩こっちに近づく。

「大丈夫ですか?」

「うん。やっぱり社長の声聞くと不快感がね……」

「そうですよね。できることなら全て代わってあげたいくらいです」

「ううん。ついてきてくれるだけでとても助かるよ。本当にありがとう」

 可愛さんのおかげで昨日ほど追いつめられてはいないけど、罪悪感を消しきれないのはたしか。

「今までいろんな所で働いたけど、こういう途中放棄みたいな辞め方したことあまりなかったから、これでいいのかってモヤモヤする」

「無責任と損切りは別物です。風岡さんはもう充分にがんばりました。身体と心が悲鳴をあげるほどに」

「うん……」

 言われてみればその通りだ。私は業務委託の契約期間内に辞めようとしている。会社側からしたらそれは裏切りにも値する行為で、責めは避けられないだろう。でも、私としては仕事全てに対し責任を持ってこなしてきた。荷物も丁寧に扱った。配送指定時間に遅れて怒られたこともあったけど、それは受けた仕事全体からしたらほんの一部の話で、引き受けた仕事のほとんどを指定時間内に終わらせた。もちろんそれは同じ現場に入った他の配達員の人達の能力のおかげだけど。私も不慣れなりに場を読み、できるだけ迷惑をかけないよう動いた。取引先から嫌な言動をされても会社の名誉を守るため我慢した。相手はお客様だ。言い返したり感じ悪い対応で返したりなど絶対せず、冷静に対応した。それを評価することなく、失敗すれば仕事内容とは全く関係ない年齢などのパーソナルな部分を攻撃して責める会社の体質。そのうえ正当な対価をくれるわけでもない。そんな悪質な職場に居続けるのは大損でしかない。

「時間も体力も無限じゃないもんね」

 社長にとって配達員の事情や心情などどうでも良く、会社の経営と自分の利益が最優先なのだろう。それは仕方ない。でも、知ったことか。私にも生活がある。自分を苦しめてまで不誠実な会社に尽くす義理はない!

「危なかったね。可愛さんに会わなかったら私、このまま社長の思うがままいいように使われるところだった」

 客観的に見たらおかしいことでも、その渦中にいるとそのおかしさに気付けないことがある。そういうものなのだと洗脳されてしまう。私の実家がそうだったように。

 可愛さんに再会()えて、本当によかった。

 私から罪悪感が消えたことに気付き、可愛さんはホッとしたように微笑した。

「話し合いは明後日に決まったんですよね。何時ですか?」

「一時がいいって」

「一時ですね。分かりました」

 可愛さんは自分のスマホで予定を確認し、明後日のスケジュールを埋めてくれている。本当についてきてくれる気でいるのだと分かり、改めて感謝したくなった。距離が縮まったとはいえ他人なのにここまでしてくれるのは本当にありがたい。今は疎遠になってしまった美凪みなぎ凜音りんね。もし仮にいま彼女達と連絡を取り合っていたとしてもこんな相談はとてもできない。こういう事情で同行してほしいなんて絶対に頼めない。可愛さんは七つも歳下でずっとそのことが気になっていたけど、今では歳の差がそんなにあるように感じなかった。悪く言えば私が幼稚なだけかもしれないけど。こんなに頼りになる男の人がそばにいて本当に助かった。離婚してから五年間、もしかしたら一生独りなのかもしれないと心のどこかで覚悟して生きていた面もあった。そんな現実が今、音を立てて変わり始めていることに心が震えた。私にはありえない奇跡だと思ってきたから。

「可愛さん、本当にありがとう。迷惑かけるけど、当日はどうかお願いします」

 改めて頭を下げた。

「そんな、顔を上げて下さいっ」

 可愛さんはあわてた。

「頼りにしてもらえて嬉しいです。任せてください!」

 大丈夫。未来はきっと明るい。そう思わせてくれる雰囲気が、可愛さんにはある。柔らかい春の木漏れ日みたいな笑顔。とても眩しくて、ずっと探していたものにやっと巡り逢えた気がした。


 それからいったん帰宅するべく、可愛さんの車で送ってもらうことになった。自分でバスなり電車なり使って帰れる。そう言って一度は断ったけど、倒れたばかりだから一人でなんてとても帰らせられないとひどく心配し、可愛さんは車を出してくれた。

「そうでなくても、送るのは当たり前ですから。もうすぐ日も暮れてきますし」

 当たり前に女性扱いしてくれているのがくすぐったい。でも嬉しい。

 可愛さんは、住んでいるマンションもさることながら乗っている車もとても乗り心地の良い高級車で、改めてお金持ちの生まれなのだなと痛感した。倒れた後に軽く眠ったとはいえ、はやり深くは眠れていなかったみたいで、いつの間にか助手席で眠ってしまっていた。可愛さんの車の性能がいいというのもあるのかもしれないが、運転自体も丁寧で穏やかで。すごく心地良い運転だ。

 可愛さんの住むマンションはやはりというべきか、駐車場をはじめなにからなにまで高級感満載だった。車が濡れないよう屋根があり、隣の車との間には仕切りがあってぶつかり合う心配もない。エントランスホールは吹き抜けで明るくソファーなどが置いてあり、住人同士がゆったり談笑できるスペースがあった。宅配ボックスも正面玄関辺りに集合しているタイプではなく、各部屋にそれぞれ設置されているタイプ。これは宅配業者的には配達に手間がかかりそうだとにわか配達員の視点で思ったりしたが、そこはプロなら何とかするのだろう。さすがだ。運送業を続けられなかった私は、改めてその業種で世の中を支えてくれる人達に敬意を示したくなった。

 マンションの部屋を出てからの通路も別次元だった。外部から中が見えない仕様で、それは駐車場も同じだった。プライバシーが完全に守られている。玄関もカードキー。紛失したら大変そうだけど、鍵穴がないからセキュリティ面でものすごく安心できそうだ。それに、正面玄関も当然オートロックなので侵入盗のリスクも低そう。何より、こういうところに住めるような人は民度が高そうだとも思う。そこが何より魅力的だ。こんな部屋にいつか住みたいと、若い頃はひそかに憧れた。そんなことずっと忘れていたけど、今になってふとそんなことを思い出した。

 実家は両親が結婚してすぐに建てた新築の一軒家だったが、両親が手入れや掃除をあまりしなかったので常に汚かった。念願の一人暮らしは叶ったものの、収入面からアパートが精一杯でマンションになんてとても住めなかった。結婚してからも、雄亮ゆうすけの会社の社員寮として建てられたアパートに住んでいたので、高級マンションは夢の夢と化した。

 出発前に可愛さんはうちのアパートの住所を聞いてくれたので、私が眠ってしまってもその間にナビを見ながらなんとかたどり着いてくれたようだ。アパート前の路肩に車を停めハザードをつけると、可愛さんは寝ている私を起こした。

「風岡さん、着きましたよ」

「えっ!? もうこんな時間!?」

 外は真っ暗で、時間を見るともう夜九時だった。可愛さんちを出たのはもっと前だった。四時間くらい経っている。ナビで到着予定時間を見たら、可愛さんのマンションとうちは一時間かからないくらいの距離だった。

「もしかして途中で迷った? 運転任せっぱなしにしてごめんね」

「いえ。大丈夫ですよ。一度は着いたんですけど、ぐっすり寝てたから起こすの可哀想かなと思って、あえて遠回りしてたんです」

 可愛さんはジッとこちらを見つめ、穏やかで寂しそうな顔をした。心の奥まで届きそうなそのまなざしにドキッとして、思わず顔をそらした。

「そうだったんだ。気にせず起こしてくれたらよかったのに。運転疲れたでしょ?」

「全然。ドライブ好きだし、このくらい余裕です」

「さすがだね、すごい」

 お世辞でもなんでもなく、素直にすごいと思った。可愛さんは照れていた。それは若さなのか、可愛さんの性格なのか。いや、年齢は関係ないのか。

 二十代前半の頃のこと。元彼Aと付き合っていた時、彼は言っていた。

『人に運転させといて横で寝るヤツの神経が知れない。それで元カノとも大ゲンカした!』

 運転手の気持ちとしてそれも一理あるかもしれないなーと、Aの助手席では絶対寝ないよう気をつけた。でも、残業続きだった週の週末に長時間ドライブに誘われ、帰り道にうっかり寝てしまった。結果最悪の展開になった。私の家に着くとAはあからさまに不機嫌で、私はとっさに謝った。

『ごめん、寝ちゃってた。今週ちょっと疲れてて』

『ホント女って無神経。男に運転してもらうのが当たり前と思ってない?』

 そういう人だと知っていたのに寝てしまった私が良くなかった。とはいえ、疲れているのだから少し眠ってしまうのくらい笑って許してほしいとも思った。

『思ってないよ』

 私だって普段から運転してるし、怒る気持ちも分からなくはない。運転で多少なりとも気疲れしている横でグーグー寝られる虚しさは分かっているつもりだ。

『でも、志輝しきは寝てたじゃん。それって俺を大事にしてないってことでしょ! カワイイからって調子に乗ってない?』

『乗ってないよ』

『ウソだ。自分に自信ある女ってすぐ男を下に見るからなー』

 自信なんて生まれてこのかた持ったことないけど?

 と言ったところでまた何か不快な事を言い返されるのだろう。イライラしつつ最終的に私は黙った。その後も似たようなことで彼の地雷をことごとく踏んでしまい、Aとの関係は終わった。Aは友達も多く車の改造とかも好きだったので、走り屋仲間がたくさんいた。そのへんのコミュニティではフレンドリーで面白い人だと思われ男女問わず人気があった。面食いな美凪もAを見た時「文句なしにカッコイイ!」と目を丸くしていた。でも、私はその人気を不思議に思った。女はこう! と、何かというとひとくくりにして決めつける発言が多くそれがとても苦手だった。別れられてホッとした。

 目が覚めた瞬間、そのことを一瞬思い出して焦った。可愛さんを不快にさせていたかもしれない、と。でも、可愛さんはマンションを出た時と変わらず穏やかな感じで、怒っている様子はなかった。ただ、少し寂しそうというか、それだけでなく、何か心配事がありそうな気配を漂わせていた。

「褒めてもらえて嬉しいです」

「そう? 私が寝てるのに一人で運転し続けるの、退屈じゃなかった?」

「全然、楽しかったです。風岡さんがそこにいてくれるだけで、運転ってこんなに違うんですね」

 少しの無言。やっぱり負担をかけただろうか。

「ごめんなさい。ちょっとウソつきました」

「えっ?」

 何? 嫌な感じでドキドキしてしまう。何か言われたらどうしよう。

「風岡さんと離れたくなくて、あと五分、あと五分、そうやってるうちにこんな時間になっちゃって」

「それって……」

 わざと遠回りして、私とバイバイする時間を先延ばしにしてたってこと?

 正面を向く私の顔に、運転席の可愛さんの視線が注がれているのが分かる。薄暗い車内。これはまずい雰囲気かも。流れでどうにかなってしまうパターンだ。

「可愛さんも気分転換したかったんだよね。うん。長い運転もだし、今日は本当にいろいろとありがとう」

 急いでお礼を言って助手席を飛び降り、ドアを閉めようとした。

「あ! 待ってください」

 可愛さんは運転席から降りると後部座席から何かを取り出し、それを私に向かって差し出した。

「よかったら食べて下さい」

 紙袋の中に、さっき出してもらったおかず何品か入った密閉容器とチョコレートが数箱入っていた。可愛さんちの棚に入っていた物かもしれない。ペットボトルの水もある。

「ありがとう。私の好きな物ばかり。嬉しい。マンション清掃やってた頃を思い出すよ」

 あの頃もこうして、水やチョコレートを差し入れしてくれた。今日はおかずまで。

「あの頃ね、可愛さんの気遣いに本当に支えてもらってた。今もこうやって気にかけてもらえて、手作りのおかずくれて、本当にありがとう。すごく助かる」

 可愛さんが言ってくれたことを意識した。嬉しい時は笑う。前向きに好意を受け取るように心がける。つい過去を見てしまいがちになるけど、それはもう言葉の通り過ぎ去ったもの。今の判断に影響させすぎてはいけない。ネガティブな記憶はなかなか封印できないけど、可愛さんの教えてくれたことをやっていけば、私でも変わっていけそうな気がする。

「めっちゃ嬉しいです! 風岡さんにそう言ってもらえると、何でもできそうです。こんなので良ければいつでも作るのでリクエストください」

 満面の笑みで可愛さんはとても幸せそう。私の今の対応は正解だったと、可愛さんの反応が教えてくれた。

「いつでも気軽に連絡ください」

「業務連絡で使ってたメールの方? それとも、ライン?」

「ラインがいいです! いや、メールでも全然嬉しいんですけどね。ラインはプライベートって感じがするから」

「そうだよね」

 夢みたい。可愛さんとラインの約束をする日がくるなんて。

 ずっとこんな日を望んでいた。

 離婚して独り身になってからも、時々可愛さんのラインのプロフィールを見に行っていた。ストーカーみたいでねちっこい女かなと後ろめたく思いつつ、やめられなかった。見に行かないように頑張って、一ヶ月我慢できた期間もあった。それが最長。その一ヶ月が明けると、アカウント名が変わっていた。以前は《可愛誉》だったのに、アルファベットで下の名前だけの表記になっていた。私と同じ。変な期待をしてしまった。もしかしたら私の真似をしているのかも、と。でも、それだけで他に期待できる要素は何もない。連絡がくるわけでもない。都合のいい妄想だろう。

 可愛さんのアイコンや背景画像は、わりと高い頻度で変わっていた。いろんな場所に行くのが好きなのか、旅好きな彼女ができたのか……。画像が変わるたびに可愛さんの新しい恋愛を連想してしまいモヤモヤした。画像が差し代わるということは、そのつど可愛さんが生きている証拠でもある。それは単純に嬉しかったけど、なぜ私は彼と離れてしまったのだろうと同時に悲しくもなった。そのたび、例のスピリチュアルカウンセラーのブログを読みに行き気持ちを回復。それを繰り返した。

「連絡、しますね」

「うん」

「ずっと一緒にいたから、寂しいです」

「うん。なんか離れがたいよね」

 しばらく見つめ合う。同じアパートの人が帰ってきたのをキッカケに、私は強引に可愛さんから離れた。

「近所迷惑になりそうだから、このへんで」

「ですよね。引き留めてすみません」

「ううん。ありがとう」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 私が二階の自分の部屋に戻るまで、可愛さんは見送っていてくれた。惜しむように手を振りながら。

 びた外通路の手すりに寄り、私も階下の可愛さんに手を振り返した。こんなに幸せな夜を、このアパート敷地内で感じることになるとは思わなかった。

 もし可愛さんに止められていなかったら、今頃私は死ぬか大怪我をしていた。このアパートに帰ることもなかっただろう。

「ありがとう」

 つぶやき、可愛さんの気配を感じながらアパートの扉を閉めた。可愛さんは私がアパートの室内に戻ってからも、しばらくそこにいたみたいだった。













 一部、描写の間違いを訂正しました。2025.6.26

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