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見えているか、あの眩耀の空が  作者: ジャミゴンズ
本編 陽はまた昇る
9/21

第九話 台風の目2

 


 

            U 21


 


 


 敗北を振り返る事は悪い事ではない。


 気分はあまり宜しくないが、次の勝利に必要ならば積極的に検討をすべきである。


 何より、ブッチャーもどきに負けた時、俺は途轍もなく腹が立った。


 ぐるぐるを走るのに、命を揺らす場所を理解するのに勝利を欲したからだ。


 単純にブッチャーの陰を背負っているのも気に食わないが。


 とにかく、かしわ記念、帝王賞、どちらのレースも走って感じた事は、GⅠと呼ばれる格付けのレース相手は速いウマばかりだという事だ。


 最終直線で競り合ったブッチャーもどき、スターのガキは勿論の事、他のウマ達も流石に高い格付けのレースに出走しているだけあって、ウマの能力に長短こそある物の全体的に速いレース展開になる。


 どのウマ達も力の差そのものはあまり無いだろうが、展開、天候、馬場、騎手、全ての要素が絡み合うと縺れる事が多くなるだろう。


 ただやはり、ブッチャーもどきとスターのガキはそんな奴らの中でも一つ上の力を持っていると感じる。


 必死になってようやく背中に手が届く、位には壁があるのだろう。


 ただ、振り返ると俺に勝機が無いわけではない。


 あいつ等よりも豊富なレース経験は、ぐるぐるを走る展望を描くうえで有利な要素だ。


 これを最大限に生かさなければ、勝つ可能性を引き下げることになる。 理屈はレースの中でも活かせるものだ。 だからこそ思考を怠ってはならない。


 もしかしたら勝つことが出来たのに、などという後悔など走った後に残したくは無い。


 何より、むかっ腹が立つからな。


 一瞬とは言え俺をビビらせて、ブッチャーの影を追わせるだなんて。


 


 それに、レースを勝つ可能性を引き上げる方法にもう1つだけ俺には心当たりがある。


 


 何も考えないで走ることだ。


 


 一見矛盾したように感じる考えだが、根拠はある。


 ブッチャーもどきを追いかけた時、命を揺らす世界を初めてみた時。


 俺はレースそのものを見失って―――思いの丈を吐き出すように感情だけで走っていた。


 かしわ記念では、そのせいでシュンの事を忘れ、落としちまった訳だが。


 要するに論理的な思考をせず、余計な事を取っ払って走る事だけに集中していた時。


 俺は速くなっている。


 限界だと思っていた速度を越えて、俺は前に脚を運べている。


 かしわ記念だけでは判然としなかったが、帝王賞でもそうだったとなれば間違いはないだろう。


 実際どうなのかは未だに分からないが、殆ど確信に近い事実。


 理性を解放すれば、感情を爆発させれば、その時、俺は理性で抑えていた限界を越える事が可能だ。


 言うなれば、本能の解放と言った所だろうか。


 俺のウマとしての力。


 速く走るという本能が限界だと決めつけていた心身を乗り越えて、加速できる。


 


 大事なのはこの二つの要素のバランスだ。


 


 勝つための効率性の追求。 


 そして心身の限界を乗り越える為の激情。


 レースに勝つために、ブッチャーもどきとスターのガキ、あいつ等よりも速くゴールする為には。


 どちらか一方だけでは足りない。 


 ウマとして俺に与えられた能力を最大限に生かす為に、理性と本能の調和が必要だ。


 他のウマよりも俺は感情の制御に長けている。


 それは 『競馬』 を行う上で大きな武器となっていることが分かっている。


 だが、本能のままに走る、ということを俺は能動的にしたことは無い。


 引き出す為に必要な物は何なのかを、早急に掴まねばならない。


 でなければ、また負ける。


 ちびが煽るからとか、ニンゲン達が肩を落とすからじゃない。


 俺が負けたくないから勝ちたいんだ。


 


 感情を制御し、効率的にレースを運ぶ。 


 感情を解放し、ただ走ることだけに意識を向ける。


 相反するような2つ事柄を掌握した時、俺の走りはきっと完成するだろう。


 もしかしたらその先があるのかもしれないが、まずは其処に到達できなければ意味がない。


 ダークネスブライト、ネビュラスターに限らず、ぐるぐるを走るのが強いウマ達にはそうして対抗しなくてはいけないのだろう。


 調教をしている時から意識しなければ、それを為すのは難しい。


 


 ……


 


 難しいんだが、実のところそれ以前の問題に今、俺はぶち当たって頭を悩ましている。


 ぶっちゃけて言おう。


 この緑色の地面の事だ。 


 


 ―――シバ、走りにくいんだが


 


 


「う、う~~~~ん………」


 


 巌調教師はぐるっと回ってきたワイルドケープリの走りに、実に困ったと言う顔を隠さずに唸った。


 息子から話を聞かなくても分かる。 ワイルドケープリの走法は長らく走ったダート用に完全に適応されていた。


 そもそも体格や馬体から、馬場の適性がダート寄りであるのはハッキリと判っていた事ではあった。


 だが、この余りに賢いワイルドケープリという馬は、芝でもダートでも問題なく走れるだろうとも思っていたのである。


 根拠は勿論ある。


 ワイルドケープリは、その走法を競馬場のコースによって器用に変えていた。


 近走であるかしわ記念、帝王賞のレース映像を見返すだけでも理解できる人は分かるだろう。


 ストライドの大きい走りであったかしわ記念に比べ、ピッチに近い走法に切り替わっていたのが帝王賞である。


 その事にいち早く気付いていたのは、巌だった。


 ダイオライト記念を前に、芝のレースでも走れるだろうとオーナーに豪語した理由はここにある。


 本来、馬はただの動物である。


 野生の馬を見れば分かるが、動物は本能によって自然と走り方を自分で調整する。


 そして、一度固まった走り方を変化させるというのは在り得ない、とは言わないが稀有である。


 人間は理想のフォームを目指して、自らの意思で矯正することは出来る。 だが本能がむき出しである動物は生まれ持った自らの走法にそもそも疑問を覚えたりはしない物だ。


 そんな常識、自然の理とも言うべき壁をワイルドケープリは破った。


 それもごく自然に、当たり前のように超越しているのである。


 ワイルドケープリは賢い。 何度も繰り返すが、数多の管理馬を抱え 『馬』 を見て来た巌が震えあがるほどの感情を抱くのは、この賢さ故なのだ。


 動物として 『走り易い』 というだけの走法よりも、どの様に走ればベストになるのか。 


 競馬で勝つ為に走り方さえ変えて、すぐに環境に適応していくのがワイルドケープリという馬だ。


 まさに今、初めて走る芝の調教場で、普段からはとても想像がつかないほどバタついた走りを見せているのがその証拠だ。


 手前の替え方も異様にぎこちない。 まるで新馬を見ているかのようである。


 どうすれば速くなるのか。


 どう走れば競馬に強くなるのか。


 ただ調教の場で走らせるだけで、無限に進化していく。


 芝とダートの違いにワイルドケープリは適応しようとしている。


 次走が芝のレースであることを理解して。


 


 感動に震えるのは良いとして、巌はオールカマーまでにワイルドケープリが完全に芝に適応できるか。


 間に合うかどうかは微妙な期間だと思った。


 流石に今までずっとダートを走っていて、急に芝重賞のレースに適応しろというのは難しい注文だったかもしれない。


 ワイルドケープリ本来の能力が高いから、変な走り方でもスピードはそこそこ出ている。


 とはいえそのスピードは普段から園田のトラックで見せている力強く伸びやかな走りと比較すると、何ともまぁ不細工であった。


 引き換えという訳ではないだろうが、意外だったのはラストファインが芝にも適応できている事に気が付けた事だ。


 ワイルドケープリよりもずっと早く、芝の走り方に馴染んでいるし、ともすればラストファインの方が芝コースを走るのは上手いかもしれない。


 レースを経験していないからこそか。 環境への適応、そして飲み込みが早いのは競馬関係者にとっては判るだろうが、底知れない武器の一つだ。


 まだまだラストファインは気難しい所を随所に見せているが、林田厩舎の者たちに一定以上の信頼を返してくれているようにも見える。


 この絆は人嫌いのラストファインにとって細くとも重要な要素だろう。


 ラストファインに見限られないように、注意深く管理しなくてはならない。


 競走馬になった特殊な経緯が、ラストファインを想定していた以上にタフにしているのか。


 あるいは、気難しさでは負けていないワイルドケープリとウマがあった仲になれた影響もあるのだろうか。


 この二頭が一緒の厩舎に預けられたことは、もしかしたら途轍もない幸運だったのかも知れなかった。


 無理に厩舎を閉じなくてよかった。 


 ワイルドケープリと併走するラストファインを見て、巌はそう思った。


 まぁ、本格化も迎えていないラストファインはそれでもワイルドケープリと比べて非常に遅い走りで、あっさり千切られてしまったが。


 併走できる相手がGⅠ勝ち負けできる馬だけなのは、ラストファインにとっては不幸なところだと思う。


 今度、よその厩舎の管理馬と併走をお願いしてみようか。


 しかし、ラストファインはラストファインで、馬が嫌いだからなぁ……


 眼鏡を拭きながら巌は唸った。


 予定された調教を終え、少し汗を掻いている駿が近づいてくる。


 


「すげぇぜ親父、まったくとんでもない。 ワイルドケープリは凄い馬だ!」


「なんだ、何かあったのか?」


「今日背中に乗って分かったけど、放牧前とは明らかに手応えが違う、見てくれよ」


 


 そう言って興奮したように手を差し出す息子。


 駿の手は僅かに震えていた。


 


「信じられないだろうけど、まるで全盛期に戻ったかのような―――ちくしょう、俺はもうだめだ、上手く言葉が出てこない」


 


 まるで新馬戦に戻ったかのような。


 デビューから難なく6連勝をした過去と比べても、明らかにコンディションが良い。


 抜群の反応。 ともすれば余計な指示を出さず騎乗に集中している駿が遅れてしまいそうなほどの鋭敏さで、鞍上の駿の方が追い付くのが精一杯であった。


 ワイルドケープリの凄まじさという物を駿は直に感じていた。


 まだまだ芝に馴染めていない用でバタついてしまっていたが、そんな事を問題にしないくらいの感触である。


 放牧を決断した父親の判断は、まさに正しかった。


 興奮しきりに駿は父へと身体を乗りだして話し始める。


 


「出来れば今すぐにでも出走したいくらいだ。 凄い事になるぞ、親父」


「分かってる、そう興奮するな馬鹿。 だが、そうだな。 ワイルドケープリが芝に適応できるのであれば、そうなるに決まってるんだ」


「適応できなくても出た方が良い」


「あ? いいやお前、それはオーナーに申し訳ないだろう」


「ワイルドケープリが走りたがってる、あいつが適応しようとその気になってるのは、親父の理論だと芝で勝ちたいから何だろ?」


「……ああ、まぁ、そうなるのか」


「だから、走らせた方が良い。 オーナーの機嫌よりワイルドケープリの気勢を削がない事の方が、俺は大事だと思う」


「……失礼な息子だな、お前」


 


 息子に諭され、巌は大きく息を吐いて何時も被っている帽子の鍔をそっと撫でた。


 


「ボロ負けしても泣くんじゃねぇぞ」


「負けてもいいなんて言わないけど、もう俺はワイルドケープリと走ることしか考えてないんだ。


 残りの騎手人生、俺はアイツと共に走るだけって、そう決めたんだ」


 


 巌はニヤリと顔を歪ませて微かに笑った。


 本物の馬鹿になっちまったな。


 一丁前の事を言いやがって、そう心の中で笑い飛ばす。


 


「ああ、勝負といくか」


 


 ワイルドケープリは地方馬の枠で出走条件を満たし、中山へと足を踏み入れた。


 


 


 


 


過去ログ     検索ワード【ワイルドケープリ】


 


  園田にワイルドケープリとかいう強そうな馬が現れる 134


  【ダート三冠挑戦】ワイルドケープリ6連勝中【地方馬】 250


  園田競馬 ワイルドケープリ、ダート三冠路線へ【応援すれ】 96


...


  園田の競走馬ワイルドケープリ、調教時に放馬して爆走してしまう 203


...


......


...........


  久しぶりに重賞へ ワイルドケープリ、ダイオライト記念【応援すれ】19


  【ダイオライト記念】こいつすげえ追い込みだぜ【ワイルドケープリ】 151


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  ダークネスブライト、ネビュラスターもワイルドケープリも余裕で千切る 637


  やっぱワイルドケープリ強くね? 429



……


  ワイルドケープリ次走オールカマーの謎 821


 


 


 


 紙面を睨みつけ、顔を上げてパドックの映像を確認し、そしてまた、紙面へと視線を落とす。


 落ち着かない様子でペンをブンブンと揺らす。


 今時代ではもう見なくなった、馬券を買うおっさんのクラシックスタイルで頭を悩ませているのは、動画にて予想を公開している者であった。


 秋競馬がいよいよ盛り上がるという時期に開催されるオールカマー。


 例年、レベルが高い馬が集まる今年のこのレースは、どんどんと予想が入り組んで難しくなっているように思えた。


 今年も違わず、重賞勝ち馬が名を連ねており、書いては消し、書いては消しを繰り返して形を作って、動画で公開したのが次の予想だった。


 


 


 


 9/25 中山 産経省オールカマー 芝2200 GⅡ


 


1番 ニューアジャーニー


2番 アライアスクイーン   〇


3番 ワイルドケープリ


4番 スモウキングハリテ


5番 デイビショップ     ◎


6番 ギンボシ


7番 オーワッチャー     △


8番 トリフォッリオ     〇


9番 インパクトバシュー


10番 ネイヨンハルベルト


11番 ハウササウザンド


 


 


 今年の春、大阪杯を制したデイビショップ。 直前まで天皇賞(秋)に直行と思われていたのが、まさかの参戦。 


 一昨年のダービー勝ち馬であるトリフォッリオが最有力だと思われていたが一気に混迷した。


 というのも、トリフォッリオもデイビショップも逃げ馬であり、直接対決は今回が初めて。


 展開次第で切れ味が凄まじい、牝馬に時折見られる強烈な追い込み馬であるオークス勝利馬アライアスクイーン。


 エリザベス女王杯も見事に差し切り勝ちをしており、先の宝塚記念でも印象に残る強い負け方をしている。


 同じく後方から捲って鋭い差し脚を持っている、GⅡでは多くの勝ちを重ねて、いよいよ次の天皇賞でGⅠ戦線へと駒を進めようかという古豪オーワッチャーに勝ちの目が生まれてきた。


 予想屋である彼が本命にしたのはデイビショップだ。 


 大阪杯で絶対本命視されていた昨年のクラシック三冠馬クアザールを撃破した、謎の条件馬。


 遅れてきた怪物なのか、それともクアザールの油断だったのか。 それがハッキリするのが今回のオールカマーになるだろう。


 その他の馬に目を向ければ、夏の上がり馬のギンボシが不気味な存在だが、2000以上の距離は初。


 ネイヨンハルベルトはオーワッチャーと同じく、GⅠ戦線でも活躍しているが中長距離よりはマイルよりの適正に加えて、ネイヨン軍団の呪いとして大外を引いた為に除外された。


 一番の謎なのはワイルドケープリというダート戦線を走っていた7歳馬の突然の挑戦。


 だがこれは、誰がどう見ても考慮に値しない存在で、ワイルドケープリが勝つような事があれば事件だろう。


 ネット上では揶揄うような表現、もっと言えば暴言にさえ近い言葉ばかりでワイルドケープリという馬に期待をする者は皆無であった。


 予想屋を自称している以上、普段よりも念入りにワイルドケープリという芝重賞への参戦馬の情報を集めていたが、新聞・SNS・その他メディアの情報を追っても特筆すべき物はまったく見当たらない。


 過去の記事や掲示板のログでさえ追ってみたが、何も分からなかった。


 強いて言えば脚質が追い込みで、ダート競争では本格化し始めたかもしれないこと。


 その末脚は本物であること位だが、同じ脚質で既に芝競争で実績のあるアライアスクイーンが居るのだから、それが脅威にはなり得ないだろう。


 


「ん? 通話?」


 


 携帯電話を見てみれば同じように趣味で競馬予想をして動画をあげている仲間からのものだった。


 付き合いは長いがそんなに頻繁に話をする仲でもない。 首をひねりながら通話のボタンを押してみる。


 


「どうしたんだ?」


「いや、現地に来てるんだけどさ。 俺の動画を確認してほしくて」


「動画? 最新の予想動画でいいの?」


「そうそう。 昨日アップしたんだけど、どれに印つけてたか忘れたんだよ」


「はぁ? なんじゃそりゃ。 自分で見りゃいいじゃないか」


「色々と慌ただしくてなぁ、動画もやっつけで作っちまった。 しかも携帯のWi-Fiを忘れたんだ。 いやぁ、パドック見てたらデイビショップの出来がやたら良いからさぁ」


「ふーん、予想は俺と被ってるな。 ああ、これか。 ちょっと待てよ……おっと、印がついてるのはオーワッチャーとニューアジャーニーだな」


「ほんとに? じゃあそっちは買っておかないとアカンか。 ちなみに、そっちは印はどう打った?」


「ワイルドケープリだな」


「はー? ワイルドケープリって地方馬だったよな? マジかアンタ?」


「はははは、冗談だって。 流石にワイルドケープリは買えない買えない。 まぁ穴党のワッショイさんなら買ってるかもしれんけど」


「そうだよな、まぁ流石に?」


「そうそう、流石に。 デイビショップ本命だよ、俺は」


「あー手堅い。 トリフォッリオも人気してるけど、パドック見てるとデイビショップ優勢かも。 ああ、ワイルドケープリはパドックで物見してるぞ」


「それはいらん。 まぁ貴重な現地情報ありがとな。 幸運を祈るよ」


「おーう、今度飲みに行こう、またなー」


 


 電話を切ってしばらく、オーワッチャーはともかくニューアジャーニーに印を打ったのは中々に冒険だなと一人ごちる。


 確かに実力面で言えばニューアジャーニーにもチャンスはあると思う。 桜花賞を獲っているからGⅠ馬の力を持っているのは明白だ。


 しかし、クラシック期の秋競馬は怪我で棒に振ってしまった。 春に復帰してからしばらく、着順は振るわずに札幌記念で2着に食い込んできたが、更に距離を延長しての挑戦となる。


 この距離で実績のあるアライアスクイーンを蹴って、好走したとはいえローテーションも厳しいオールカマーで印を打つのは難しいと思うのだが、他に買いの材料になる情報があったのだろうか。


 暫く考え込んでいたが、気が付くと目の前のモニターからはファンファーレが鳴って、出走馬が続々とゲートへと入っていく。


 アナウンサーの口上が始まり、一瞬の静寂。


 このゲートが開くまでの一瞬が、予想屋の男にとっては一番好きな瞬間だった。


 知らず笑顔になり、音がなる。


 ゲートが開いてわっと飛び出していく中で内枠の一頭が明らかに出遅れて思わず、うおっ、と声が出る。


 アライアスクイーンかニューアジャーニーか、と目を凝らせば、帝王賞から乗り込んできた謎のダート馬、ワイルドケープリであった。


 


「あらららら、終わったなぁ」


 


 男は苦笑しながらも安堵する。


 予想屋からしても突然に芝に挑戦してきた不気味だった存在。


 ワイルドケープリから意識を外してカメラが追っている先頭集団へと真剣な目を向けた。


 


 


 


―――知らない奴しかいねぇな


 


 俺はパドック、待避所のぐるぐるを終えてゲートの前に着くと、騎手もウマも見知った顔が誰一人として居なかった。


 ゲートに入る前にぐるぐると回っているウマ達の中で足を止め、緑の大地をじっと眺める。


 シバとダートではかなり赴きが変わっていた。


 どちらでも実力を発揮できるウマというのは珍しいのかも知れない。


 走る事そのものは出来るが、レースに臨むという前提で考えると確か芝とダートを同じレベルで走るというのは、なかなか大変な作業だろう。


 芝はダートの様に、地面を叩き粉塵を撒き上げるように走ろうとすると脚を捕られやすい。


 過剰な力で走れば速度が殺されるし、走っている最中にバランスを崩す可能性が高くなるので上のニンゲンともテンポがずれる。


 


 俺はそれでも胸を躍らせていた。


 こうした慣れない事や初めての事に相対するのは楽しさを感じる。


 観客席スタンド前に集まって、レースの発走を待っているニンゲン達を一瞥。


 俺の人気は一番低かった。 初めてシバを走るからだろう。


 今日、俺と一緒にレースを走る事になる顔ぶれを見て回ったが、シバでぐるぐるの実績を積み上げてきた奴等であることは一目でわかった。


 やる気のある奴、無い奴の差はあったものの、自信も勝気も溢れているのが大半だ。


 スターのガキみたいに威嚇してくるような奴は居なかったが、俺を見ても路傍の石が歩いているかのような反応ばかり。


 まぁ、シバのレースに初めて顔を出したのだから舐められている事に否応は無い。


 


 それはそれとして、ハナから負ける気もないけどな。


 


 ぐるぐるを負けるのは、悔しいことだと俺は知っている。


 何時の間にか空を見上げていたらしく、シュンに首を押されたことで自分がゲートに入る番だという事に気が付いた。


 


 


 さて、やるか。


 


 


 ゲートが開く。


 シバでスタートの練習だけは出来なかったから、そっと脚を伸ばしてスタートダッシュは切り捨てた。


 何時もなら暴れだすシュンも、今日はそれを覚悟していたのか。


 何もせずに俺のペースのまま手綱を揺らした。


 


 脚を踏み出す。


 脚を踏み出す。


 前を走るシバウマ達を尻目に、俺はゆっくりとギアを上げていく。


 バランスは成立している。 シバに合わせた力加減を調節し、蹄を大地に立てる。


 視線を前で走る10頭のシバウマ達に向ける。


 繰り出す脚、引き付けて、大地を蹴り上げて芝生を抉る。


 それぞれ多少の走法の違いはあれど、参考になるじゃないかと脳裏に焼き付け模倣し―――俺は力を抜いてリラックスして追走した。


 ヤル気の無いように見えるかい?


 そうじゃない、俺は今この瞬間、最もシバを走るということを学習している。


 目の前に最上と言っても良い、シバを走ってきたジューショーバが居るのだから。


 そうして悠々とターフの上を走っていると、去来するのは焦げ付いた過去の追憶だ。


 


 俺が台無しにした日々はいったいどれ程の物になった。


 描いた未来から目を逸らしてどれほどの期間、無駄にしたか。


 


 シバを走って思うのは俺がこの挑戦を楽しんでいるということだ。 


 何度も繰り返した失敗、そして失った時間を取り返すための挑戦なのだと、俺は理解している。


 俺だけではなく、俺に関わったニンゲン達も同様であったことを知った。


 ボクジョウで、ハヤシダキューシャで、そしてウマヌシも。


 まぁ、実際のところ俺にはそれほど関係がない、無意味な感情を乗せられているだけだが、ついでに想いを汲み取ってやっても良いくらいの物だ。


 そうした数多くの奴等と、俺自身が失敗を繰り返し、失態を演じて、俺は彩の無い世界に閉じこもっていた。


 俺はまだまだぐるぐるを走りたい。


 だから、まだ遅くない事をニンゲン達に証明する為にも、俺は出来る限りレースに勝たなければいけないんだろう。


 オールカマーはシバのジューショーだ。


 ぐるぐるを走り続けるためにはジューショーを獲らなくてはならない。


 ああ、そうだ。


 まとめて面倒を見てやると、言っちまったからな。


 仕方が無いから、全員連れて行ってやるさ。


 


 シュンの掌へとワイルドケープリは意思を伝え、手綱から口の奥へ返答が返る。


 ゆっくりと、たどたどしかった互い思惟が馬具を通して一頭と一人の距離が近くなって、速くなった。


 2200の距離。 走破すれば僅か2分と少しばかりの時間が無限に引き延ばされ、踏み出す脚が芝生を蹴り上げ大地を抉る瞬間までも明確に把握することが出来た。


 一つだけ、互いに完全に理解していることがあるのならば、それは一つだけだ。


 


―――"俺は" このままじゃ終われない


 


 馬具の軋む音のズレが限りなく0に近くなり、ワイルドケープリは次の一完歩で普段よりもシバを走る体が頭一つ低く沈んだことを体感した。


 一瞬、ワイルドケープリは反射的に耳を後ろに向け、駿が背中に乗っている事を確認してしまった。


 居る。


 ちゃんと居るじゃねぇか。


 60戦以上ぐるぐるを回って、走ってきて初めての感覚。


 それはお互いがそうだろう。


 揺れ行く身体を通し、唇に残る震えが駿の緊張を一瞬だけ表わしていた。


 俺は笑った。


 土壇場だろう。 だが間に合った。


 心の奥底でほんの少しだけ恐れていた不安の種が、かき消える。


 毎回思うが、俺達はレースをスマートに決められないな。


 いつも何かしらが遅れている。


 だが、良いじゃないか。


 俺も、俺に携わってきたニンゲンも、失敗ばかりしてきたからこそ、俺達に過程はさほど重要じゃない。


 今は結果が手に入れば良い。


 俺とシュンはお互いに、今この瞬間に『走る』ことが出来た。 ニンゲンと馬が一緒に走るということがどういう事なのかがお互いに理解できた。


 沢山のぐるぐるを走ってきて、ようやくだ。


 向かい正面の直線を向いて照りつける太陽の日差しがワイルドケープリの前に広がった。


 影となって伸びた10頭の駿影がターフに連なり伸び行く。


 おおよそ10馬身。


 俺はまた笑った。 シュンもきっとそうだろう。 ああ、良い具合の『差』だ。


 スローペースってやつか? 今回ばかりはありがてぇな。


 


 レースの状況を理解した瞬間から、溢れ返るほどの本能が前に追いつき、抜かせと命令を送りはじめる。


 今この瞬間、俺とシュンは【一緒に走る】ことが出来るから、猶更に煮え滾り、全身が震えた。


 在って無いような馬身差だ。


 今すぐ、そう今すぐに―――


 ワイルドケープリは爆発しそうな感情を無理やり抑え込む。 本能を理性で蓋をする。


 ここで『掛かる』と負ける。


 レースとはそういうものだ。 


 明確に開催日と定められたゴールがあるから、天候も馬場状態も駆け引きも工夫も展開も生まれる。


 ただニンゲンとウマが一緒に走るだけの事ならば、こんな大がかりな設備やルールを整える必要もない。


 レースをしなければ、レースに負けるのは必然だ。


 蓄積された60戦以上の経験則と観察し記憶してきた知見が本能を抑え込み、口の奥で逡巡している"相棒"に、ハミを緩める事で伝えた。


 口元を薄く揺らすだけでいい。


 それだけでシュンは理解する。 俺と一緒に『走る』シュンは理解してくれる。


 そうだろう。


 


―――どうせ最初から遅れてるんだ、追い抜くのは最後で良いじゃねぇか


 


 三つ目のコーナーへと侵入していく。 視界の先に明確なルールであるゴールの板が見えてきた。


 最後方を走るウマにペースを合わせるように追走する。


 カラカラと馬具が鳴っていた。


 鐙が腹を打つ音が耳朶に響く。


 


 まだか。


 


 煮え滾る『行き脚』を必死に抑える。 第4コーナーの終わりが嫌に遠くに思えた。


 膨らんでいく他のウマ達が、都合が良いくらいに俺が潜れるスペースを広げていく。


 まるで罠を仕込んでいるかのように、さぁ食らいつけと誘われているかのようだ。


 


 まだか。


 


 シュンの荒くなっている息遣いが聞こえてくる。


 最後方に居た他のウマ達がギアを上げて、前目のウマ達に食らいつこうと襲い掛かった。


 焦れているシュンに対して身体を揺らす。


 まだだ。


 先頭集団が4コーナーを回って観客席から数えきれないほどのニンゲンの歓声が大きくなっていく。


 コーナーを膨らんで外目につける。


 他のウマ達が目の前から消えて。


 


 


―――そして開けた。


 


 


 一直線にゴールまで続く新緑のターフの道。


 10頭。


 俺が抜かすにはまだまだ十分な距離。


 内々による他馬をよそに、俺は外目めがけて飛び出した。


 馬場およそ四分どころ。 


 一直線に開けた緑色の大地に、どこまでも伸びた一筋の道を幻視する。


 


 


 俺はこの光景を待っていた。


 


 


 俺は色濃い緑の道を見据え、初めて走る事に関して、レースをする事に関して、考える事を止めた。


 ただ一つの思いを、全力で身体全体で表現をする為に。


 


 


 たった一つ。 勝利という 『結果』 を目指して。


 


 


 


―――本能を解放しろ


 


 


 


    不要を削ぎ落せ―――


 


 


「おいおいおいおい! なんじゃあそりゃあ!!」


 


 モニターの前で一人の男が叫んだ。


 


「beautiful……」


 


 ターフの上でジョッキーの一人、リーディングに名を連ねる外国籍の男が、自身の騎乗を一瞬忘れて声を唸らす。


 あっという間に外を突き抜けて行ったワイルドケープリに目を奪われる。


 その光に照らされた鹿毛の雄大な馬体が。


 長く伸びた鬣と尻尾が揺れて、新緑の大地を力強く蹴り上げる姿が。


 あまりに現実離れした光景に美しさすら覚えて、鎬を削る勝負の場であることさえ忘れかけてしまった。


 


 


 スタンドに集う者たちも、先頭を走る集団を他所に、ただ一頭。 


 


 


 まるで早送りしたような、大外の最後方からの加速に誰もが目を奪われた。


 場内アナウンサーの声が、一際大きく上がって。


 


 


「外から飛んで来たワイルドケープリ!」


 


 


 歓声と罵声の渦は言葉超えて世界を轟かせる。


 そして震えた世界が一完歩、脚を繰り出すたびに揺れて驚嘆を呑みこむ。


 だが、分かるぜ。


 俺が、他の誰でもない、今この音を―――命を揺らしているのが俺だ。


 この場所は放逸され、先の見えない景色と音に満たされている。


 俯瞰してこの場所を捉えることが出来たからか、俺は気づいた。


 


 先があった。


 


 それは光だった。


 


 光が命を揺らす光景の先に迸り、ただ前を走って向かう俺を飲み込もうとしていた。


 違う、この光の先に何かがある。


 根拠も理屈も無い、ただそう思い込んでいただけなのか。


 ひたすらに前を見て走るだけの俺には分からなかった。


 無心に光を追いかけた。


 それこそ、幼かった俺が無我夢中にブッチャーの背を追いかけていた時の様に。


 次第に光の先の何もかもが消え去って、俺自身も上下左右を見失った。


 


     脳が、焼き切れそうだった。


 


「―――デイビショップ広山應治! 懸命に逃がすがワイルドケープリに捕まった!


そのまま一馬身! 二馬身! どんどん突き放して今! 今ゴールイン!


ワイルドケープリだ! 信じられない結果になりました! ワイルドケープリです! 第××回オールカマー、優勝はダート地方馬、古豪の挑戦者! 驚異の末脚が炸裂したワイルドケープリでした!」


 


 認識できたのはそこまでで、何も思考することなく。


 何ものも認識する間を与えず。 他の誰よりも速く俺はゴール板を駆けて、それでも光の先へと脚が勝手に弾んだ。


 気付いたのはシュンが俺へ止まれと意思を示して、少し経ってからだった。


 吠えて嘶いていたのにもそこで気付いて、ようやく俺は行き脚を緩めた。


 


 同時に音が戻ってくる。


 少しばかりざわついた、困惑するような雰囲気でぐるぐるは揺れていた。


 


 その風と大地から響く音が心地よく、俺は暫くの間ずっとそこに立って動くことをしなかった。


 この余韻は経験したことが無い。


 ああ、まったく。


 命を揺らす先……そう、言うなればブッチャーが残してくれた場所の先に、続きがあった事に、俺は今ぐるぐるの中で気づいた。 


 あんな光が在ったなんて想像もしていなかった。


 そうか。


 ぐるぐるで、俺が目指すべき場所はあの光の先なのかもしれない。


 命を揺らす場所そのものを。


 そのすべてを呑みこもうとする。


 あの光の先には何が待っているんだ?


 ターフの上をゆっくりと、観客席へと向かって走っていく。


 ざわめきが歓声へと変化し、シュンが拳を握って大声で叫んでいる。


 何度も何度も手を振り上げ、身体全体で勝者が誰なのかを誇示していた。


 


 そういや、スパートしてからシュンが上に乗っている事なんてまるで考えることも無かった。


 2200を走ったというのに、そんなに疲れてもいない様に感じる。


 


 ターフの上で空を見上げる。


 光の先という未知を知って興奮を覚えている。


 荒げた呼吸は、疲労ではない。


 こんな昂りは記憶にすらない。


 快楽とも言えそうな感情が身体の奥底から突き上げてくる。


 落ち着ける様に一度を目を閉じて息を吐き、それから首を下げて目を開く。


 視界に目の前にまで来たスタンドと無数のニンゲン―――そして俺とシュンが。


 


 ターフを一人と一頭、走っている。


 


 


 ああ、なんだよ。


 


 


 


 


 こんなに気持ち良かったんだな 『走る』 ことは。


 


 


 


 


 俺は清々しい気持ちでウィナーズサークルへと軽い足取りで向かって行った。


 シュンはまた、両手を天に突き上げて、叫んだ。


 


 ああ。


 


 俺達の 勝ち だ。


 


 


 


    GⅡ / 産経賞オールカマー  


中山競馬場 芝2200m 晴れ/良 全11頭 2:11:05   上がり3F 32.0


 


1着 2枠3番  ワイルドケープリ   牡7 林田 駿  人気11  厩舎(園田・林田巌)


2着 3枠5番  デイビショップ    牡5 広山 應治 人気2  厩舎(栗東・満司 史朗)  2馬身


3着 1枠2番  アライアスクイーン  牝4 大倉 健吾 人気5  厩舎(美浦・富士野 遙) ハナ


4着 5枠7番  オーワッチャー    牡5 牧野 晴春 人気3  厩舎(栗東・鯨井恭二)  アタマ


4着 5枠8番  トリフォッリオ    牡4 田辺 勝治 人気1 厩舎(栗東・大迫 久司)  クビ


 


 


 


 


 


  ダート馬がオールカマーを獲るwwwww 884


  【鬼脚】ワイルドケープリとかいうダートの追い込み馬が芝最強説【ディープ並みの加速】 1000


  デイビショップとはなんだったのか 1000


  芝馬だった疑惑 ワイルドケープリ 1000


  園田から現れた謎の芝馬 ワイルドケープリ 1000


  林田とかいう無名ジョッキー天才疑惑【ワイルドケープリ】 51


  この結果は何!? 総合スレ 1000


  芝2200上がり3F32.0とかいうダート馬が叩きだした時計 721


  ワイルドケープリはフロック 1000


  園田競馬の駄馬に千切られたカスどもwwwww 1000


……


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