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星とともに育つ少年

 その日、少年は早く目が覚めた。

 侍女より執事よりも早く支度をして自室を出ると、赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれた長い廊下を進み、たまに脇に置かれた花瓶や美術品の角度を調整したりしながら、真っ先に玄関へと向かう。

 滑るように階段を降りると、エントランスなどと呼ばれることもある広い玄関に出る。

 おかしいほど静かな空気に、少年はどこかそわそわしていた。


「──カネル様、家出ですか」

 まもなく現れたのは、侍女の一人であるアリア。


 眠そうな目元、寝間着で従者の前に現れる根性、ご子息の早朝外出を真っ先に家出と判断する偏見、その行動のどれをとっても失礼極まりなく、どうして彼女がこの家で雇われているのか、少年はこの世に十三年生きた今でも不思議でならない。


 しかしまあそんなアリアにも慣れたというもので。

「ちょっと教会に。お父様には黙っておいて」

 少年──カネル・スピルバグは、それだけ言って外に飛び出していた。




 紅歴(こうれき)700年。夜空に浮かぶ巨大な惑星『ムーネ』が紅に染まってから、ちょうど700年が経過したその日。

 ジプネ王国、王都トキョートのおよそど真ん中、由緒あるスピルバグ家の屋敷にて、一つの生命が誕生した。


 伯爵ラレル・スピルバグと夫人テクレの間に生まれたのは、元気で可愛い、それでいて既に気品のようなものを纏った美しい男の子。

 彼らは子を、かつて大規模な災害から世界を救ったという英雄の名から取って「エクス」と名付けた。


「──『カネル』です」

 赤子が喋ったのは、その時だった。


「失礼ですが、僕カネルって名前があって……あ、いや、カネルって名前がいいです」

 産声の次に言葉を話してしまった赤子に、夫人は腰を抜かしたという。


 ラレルがその時感じたのは、背筋をなぞられるような不気味さであった。

 いや、確かにへその()を切られて間もない赤子が言葉を話し、あまつさえ自分の名付けをしてしまうなど(はなは)だ恐ろしい話だが、そういうことではない。


 魔法使いとして名を馳せていたラレルは気付いていた。

 自分の子に、自分の何百倍の魔力が内蔵されていることに。


 紅のムーネと同じ日に誕生したカネルは、やがて「神の子」と呼ばれた。



 確かに彼は「神の子」だ。

 彼の生涯を二十年近く見守り続け、この世界に新しく生まれ変わらせたこの私──自由の神ニートという存在は、彼の母と言っても遜色ないはずである。


 そんな私は、彼の二度目の人生をもこうして見守っている。

 カネルの人生は見ていて退屈しない。

 それに、彼を観察することは私の使命だ。



 カネルは天才だった。

 それもそのはず、彼には前世から引き継いだ記憶と膨大な魔力があったのだから。


 言葉の話し方なんて一か月もあれば十分に習得できた。

 体の動かし方は半年程度で理解した。

 一歳になる頃には、母に本を読んでもらいながら魔法の勉強を始めていた。


「──炎魔法の魔法陣と闇魔法の魔法陣の形状の類似性から、魔法技術の発展の順番が推測できますよね。このおとぎ話に登場する『悪魔は水を嫌った』という記述も、当時唯一人間族発祥だった水魔法という未知なる技術を悪魔が恐れていたことと繋がります」

「…………うん、そうね…」


 と、まあこんな感じの親子の会話があったのを、私はよく覚えている。

 テクレ夫人は、カネルのあまりの頭の良さにややうんざりしているところもあっただろう。


 家庭教師を雇い本格的に魔法を勉強し始めたのは、カネルが四歳の時だった。

 将来有望な魔法使いになるであろうカネルに、ラレル伯爵は大層熱を入れて教育を施していた。

 結果、カネルは僅か五歳で、六年間かけて行うはずの初等教育を修了。

 六歳、国内有数のエリート魔法学校に主席で合格。

 形だけの初等教育を一年で終わらせ、七歳で中等部へ。

 八歳で高等部へ、それもまたすっとばして九歳で大学へ。

 十歳で研究室に入り、十一歳で新たな魔法を発明した。


 そうして十二歳になる頃には、この世に存在する魔法は全て使えるようになっていた。




「──いや人生イージーモード過ぎんか」

「そう言われましても……」

 そうして今、カネルは十三年前と同じようにこの暗闇の空間の中で私と話している。


『一年に一度……折角だから誕生日の日が良いかな。私は君の魂をこの神界に呼び寄せる。できればでいいんだけど、これから毎年、誕生日の日には教会に来てくれるかい?神と繋がりの強い場所の方が、簡単に呼び寄せられるんだ』

 それが私という神と、カネルという転生者の間で交わした約束だった。


 そしたら毎日来た。雨の日も、風の日も。

 よだれかけしたバブちゃんが侍女と二人で駆けて来て、毎日教会の虚空に呼び掛けてくるのだ。

 「ニートさん、会いたいです」「ニートさん、一年なんて待てません」「ニートさん、魔法って面白いですね」「ニートさん、離乳食って不味いですね」「ニートさん、ニートさん!」「ニートさん!」「ニートさん!!」


 ニートニートうるせえので、一年じゃなくて半年に一回にしておいた。血に飢えたように私に会いたいと言って来た時とかは、たまに四か月に一回くらいにしてあるけど……。


 実を言うとこれが限界なのだ。

 人間界と神界を頻繁に繋げ過ぎると、時空の扉みたいなものの締まりが悪くなって、次元が狂ってしまう。カネルにもそれだけは了承してもらっていた。


「まあとにかく──お誕生日おめでとう、カネル」

「……はいっ!」

 紅歴713年。今日はカネルの十三歳の誕生日。


 いつものように歳が一つ増えたのを祝っていたが、しかし今日に限っては、これは少し特別な誕生日なのだ。


「僕、これでようやく『魔導士』になれます……!」


 王国を魔法で守る軍人──魔導士。

 それこそが、カネルがこの世界で見つけた目標というやつだった。


 この世界には人々を脅かす事象が多く存在する。

 例えば魔法を操る獰猛な化け物、通称『魔物』や、ジプネ王国の資産を求めて攻め込んでくる他国の野蛮な連中、内乱だってその一つだろう。

 あるいは、700と13年前にあの夜空を紅く染めた『魔力災害』。


 そのような脅威から王国を自衛するのが魔導士の仕事。

 優秀な魔導士を持つことは一族の富と名誉になり、王国の誇りになる。


 魔導士として活躍すれば、金にも女にも困らない。それがスピルバグ家のような貴族ともなれば、国を治めるほどの権力を持つようになってもおかしくないだろう。

 そんな世間で「人の役に立ちたい」なんて純粋な動機で魔導士を目指す者は、相当な物好きでない限りはいるはずがない。

 ……まあ、このカネルという少年こそがその物好きというやつなのだが。


 カネルは昔から、命を懸けて人々を守る魔導士に憧れていた。

 それを目標に魔法の勉強に励んできた。


 しかし魔導士資格取得の対象年齢は十三歳以上となっており、実力が見合ってもなおカネルは魔導士になることができずにいた。

 いや、当然だ。社会性や判断力に欠ける少年少女に王国を守る責務を負わせるわけにはいかない。


 十三歳という幼い対象年齢だって()()なのだ。

 ジプネ王国魔導士協会の提唱する「魔導士資格規定」にも、「原則として自国では十六歳以上を成人として扱う。ただし万が一魔法の才能に著しく優れた未成年者がいた場合は魔導士資格三級までの取得を許可する」と注釈がある。


 十六に満たず三級魔導士資格を取得した魔導士は、歴代でも片手で数えられる程度しかいない。

 しかし。

 私の見立てでは、カネルは既に()()()()()()()()()()()に達している。



 末恐ろしい。

 もう少しでも子供らしくしてみたらどうだ、と言いたいものだが、彼をここまで化け物に仕立て上げてしまったのは他でもない私なのだ。


 申し訳なく思いつつ、私はこんな聞き方をしてみる。

「カネルはどうしてそんなに魔導士になりたいんだい」


 カネルはいつも通りの微笑みで答えるのだ。

「僕、ずっと大人になりたかったんです。社会の役に立ちたかった、誰かの役に立ちたかった。子供だという理由だけで自分の力が使えないのが、どうしようもなくもどかしくて」

「なるほど、それは素敵な理由だね」


 そうだ、彼の魂はもう三十年も生きている。

 大人になろうとしていたところでいきなり子供に戻されて、さぞかしやるせなかっただろう。


「あ、そういえばニートさん。今更なんですが」

「ん、なんだね?」

「十三年前、僕が助けようとしたおばあちゃんはどうなりましたか」

「本当に今更だな君」


 私は伝えた。「ダメだった」と。いやだって助けようとしただけで助けたわけじゃないんだからね。

 するとカネルは「そうですか」と悔しそうに一度俯いた後で。


「──今度はもう、迷わない」

 

 ああ、そうだ。

 あれは傍観者の私からすれば立派な酒の肴だったが、カネルからすれば自分の性格が招いた悲劇、いわば一生の後悔なのだから。

 今度の人生では自分の道を真っすぐ進むと、そう意気込んでいるのだろう。

 いやまあ、私ならあそこで足の一歩も出なかっただろうよ。おばあちゃんは見知らぬ少年に助けられそうになるという記憶もなく孤独に死んでいた。

 対するカネルは……そう。


「──カネルは優し過ぎるね」

「褒めてもロマネ・コンティしか出ませんよ」

 貴族ジョークも覚えたか。


「いや、でも君は本当に優し過ぎる。今度の人生ではもっと利己的に生きることだ。そうすれば迷わずに突き進めるさ」

「利己的……ですか」

「何か欲しいものはないかい?」

「莫大な富と名声……あとニートさん似の許嫁ですかね」

「あーそうそう、そんな感じ。それをそのままパパに言ってくれたまえ」



「ニートさんって、何ができる神様なんですか」

「え、何さいきなり」

「いえ、どうやら運命を操作するようなことはできないようなので。もしできるのなら大学のウザい教授全員殺してるでしょうし」

「やっぱりウザかったんだね、小学生いびりの大人達」


 大学時代、カネルは優秀さのあまり周囲から少々嫌がらせを受けていた。教授達からは特に。ああいう魔法研究者達は魔法のことになるとマウント取りに必死になるからな……。全員カネルの魔法技術には敵わなかったけど。

 まあ、その分彼の実力は多くの人達に認められていた。

 学校でぼっちだったとかは決してない。寧ろ彼にはいつも五、六人の取り巻きがいた。


 いや、まあそんなことはさておき。

「私が何をできるか……か、確かに私は全能の神様ではないがね。実は色々できちゃうんだよ」

「例えば!?」

 あんま言っちゃ駄目なんだけどなぁ……。

 でも私()()()()()()、可愛い人間のお願いを簡単に断れないんだよ。


「例えば……そうだな、対象の人間一人の魔力の元栓を自在に開閉できる、とかかな」

「ああ、前世でやってくれてた」

「そ。あと、君がこの世界に生まれた時もだよ。君の魔力がこの世界に順応するように、ゆーっくり栓を開けるの大変だったんだから」


「へぇ……そうしないとどうなってたんですか?」

「君の体が爆散して魔力災害が起きてた」

「わあぉ」


「君には悪いけど、これ以上私の能力を話すことはできないよ。そもそも神様の実在が人間界に知られるだけでも、時空が歪みかねないんだからね」

「えー、残念」



 加えて、私の能力をカネルに話せない理由はもう一つある。


『──木目カネルは、いずれ異世界を滅ぼす魔王になる』


 あの予言が本当ならば。

 私の愛しい子にして監視対象、木目カネルはきっと、最強の魔道士になった末に世界を巻き込む魔力災害を起こす。

 私の力で彼を止めなければならない時が、必ずやってくる。


 この十三年間、彼が魔法使いとして順風満帆過ぎる成長を遂げているのがその何よりの証拠だ。


 何故彼を異世界に放ったのかって?

 だって、私は自由の神。

 可愛い子の意思の尊重こそが、最大の本能なのだから。


 だから、私はこう言いたくなってしまう。

「頑張るんだよ、カネル。君ならきっと、最強の魔道士になれるよ」


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