ニートは君を見ている
青年、木目カネルは優柔不断であった。換言すれば、決断力に著しく欠けていた。
自動販売機の前ではいつも五分は立ち尽くすし、ショッピングなどすれば何時間も悩んだ末に結局手ぶらで帰ってくるような人間だった。
それが自らの進路など重要なことになるともっと酷い。彼は志望校を決定するどころか、高校三年の最後の最後まで文理選択で迷っていた。結果、難関国立大に合格していた。……結構意味分からん。
そんなのろまを模したような人間ことカネルが、一瞬の判断で行動し成果を挙げるようなことなど到底できるはずもなく。
彼はある日、踏切の遮断機に捕らわれた老人を助けようとして、でもやっぱ無理そうだったので戻って、それでもやっぱり助けたかったので線路に飛び込み──轢かれて死んだ。
彼の勇気ある行動を観察しながら、私は爆笑した。「いや何がしたかったんじゃい!」と、酒を飲み柿ピーとか食いながら椅子の肘置きをバシバシ叩いて爆笑していた。いやマジで笑い過ぎてオシッコ漏れるかと思った。
それがついさっき。ほんの数分前の話。
そして今彼は、ちょうど私の目の前にいる。
「やあ、カネル。ようこそ私のお家へ」
私は椅子に深く腰掛け後ろに背をもたれかかり、脚とか組んで大層偉そうにしながら、困惑する青年に挨拶の言葉を投げかける。
「あ……お邪魔します」
「なるほど、状況が掴めないながらのその第一声……間違いなくあのありとあらゆる頭のネジが中途半端に締まっていないで有名の木目カネルと見た」
「有名なんですか、僕」
「有名じゃないにしろ、だ。少なくとも私は君をよーく知っている。何しろ私は、君がおんぎゃあと生まれた時からほんぎゃあと死ぬ時まで、ずぅっと、ずぅーっと君のことを見ていたからね」
するとカネルは酷く不審そうに顔を顰めた後で、ようやく私に向かって当然の質問をしてくるのだ。
「あなたは誰ですか、ここはどこなんですか。僕は確か、おばあちゃんに跳ねられて……」
「おばあちゃん殺傷能力高いな」
「間違えた、電車でした」
そういえばこいつ、優柔不断な上に天然ボケだった。どうして勉学だけはできるのか、甚だ疑問である。
いやいや、今はそんなことどうでもいい。
今はカネルの純粋な質問に答えてやらねば。
死んだと思ったらいきなりこんな真っ暗な部屋で目が覚めて、更に目の前には超絶プリティーな女の子が座っていて、更に更にその子が自分の生涯をストーキングしてくれていただなんてぬかし始めて……さぞかし興奮しているに違いない。
しかし残念ながら、それは解くべき誤解なのだ。
私はこほんと咳払いをした後で、仰々しくも自己紹介を始める。
練習通り、威厳を放って、堂々と。
「はじめまして、私は自由の神『ニート』!君を異世界に転生するため、君の魂をこの『神界』に呼び寄せた!」
キマった……とばかりに恍惚に浸る私。
ところが一方のカネルは案外驚くことなく、寧ろ至って冷静に、「失礼ですが」と前置きをしてこんなことを言う。
「神様っぽくないです」
「何ぃ!?」
「茶髪ショートボブ、中学生みたいなくりくりとした目元、極めつけはその生活感溢れる部屋着……」
「おぉぅ、一人称視点の都合により地の文で言えないこと全部言ってくれた」
いや、確かに。私のこの愛くるしい恰好には神らしさは追及されていない。
でも仕方ないじゃん。だって私──あ、いややめとこ。
気を取り直して説明の続きを……と思い前に向き直る私。
すると何故だか、カネルはこちらに歩み寄って来て、私の手を握るのだ。
「ニートさん、あなたは神様っぽくありません。──ですがそれでいい!」
「どうした急に」
「めっちゃタイプです!!」
「そっかありがとう!」
なかなか情熱的な一面も持った、不思議な青年である。
「すみませんロリコンで」
「一言多いなお前」
そう言って、デコピンをかます私。神パワーの凝縮された一撃は、カネルの体を大きく後ろへ吹っ飛ばした。
「引き続き本題だ、カネル。私がこの神界から君を監視していたことについて、そして転生について。お姉さんの話を最後までしっかり聞けたら、少しだけエッチなことをしてあげよう」
「え、ありがとうございm……いや、良いのかな、まだ出会ったばかりだし。でももらえるものは貰っておきたいな……いやでも本人の合意があるとはいえ未成年に手を出すのはなぁ……!あ、いやでも、わぁ、あ、どうしよ……」
「早速優柔不断出てるな、君。あと私はもう800歳だっ」
今度は優しくチョップをかましておいて、私は早々に説明を始める。
「いいか、カネル。私は君をずっと見てきた。何故だか分かるか」
「え、なんでだろ……シンキングタイムを五分ください」
「時間切れ。正解は、君がこの現実世界に生まれたにも関わらず、どうしてかこれから転生する先である異世界の人々に共通する、ある特殊な『気質』を持っていたから」
「それは……」
私は証拠にと、右手に赤い炎を灯す。マッチもライターも使わない、本当の意味の「人工の炎」。
神の力にして、異世界人の力。
「──魔法だよ」
炎の不自然な揺らめきに、カネルはしばし唖然として私を見つめていた。
「赤子である木目カネルの魂には、魔法を使うのに必要な力、魔力が宿っていた。知っているかい? 君は生まれてまもなく、大規模な手術を受けたんだ」
「はい。両親から聞いたことがあります」
「あれは、魔力を宿す君の体が現実世界に順応していなかったんだよ。本来ならあそこで君は死んで、私が異世界で生まれ返らせていた」
「じゃあ、どうして僕は──」
「私が勝手をはたらいたのさ」
「……ニートさんが…?」
「ああ、本来なら君はあそこで死ぬはずだった。──けれどね、情が湧いてしまったんだ。君の両親に」
比較的無表情だったカネルの口元が、そこで少し歪む。
死後の彼に対し残された両親の話をするのは心が傷むか、とは思ったものの、同時にそこで話を止めるのも間違いだと思った。
「ここからは少し、悲しくなる話かもしれない。いいかい?」
「はい、お願いします」
「よし、良い子だ」
私は先程より少し、声のトーンを落ち着けて話を続けた。
「君の両親は生まれてきた君を愛していた。当然だろうね、お腹を痛めて産んだ自分の子なのだから。けれど、私はなんとなく、その愛を他のものと同じとは思わなかった」
「………………」
カネルは少し下を向く。
ああ、いいさ。好きに泣きたまえ。家族を想って泣く男は素敵だよ。
「あれは……君が生まれて三日目のことだったかな。知ってるかい? そこでようやく、君の名前が決まったんだよ。
『決め兼ねる』、優柔不断は親譲りなんだね。散々悩んだ末に決まった名前に込められた思いは、こうだった──『たくさん考えて、たくさん悩んで、立派な大人に育ってください』。まったく変な名前だと思ったよ。まったく変な名前で、けれどその分愛がこもっていると感じたんだ。
その時だったかな、私が決意したのは。私が君の魔力を無理やり制御して、君を生かしたのは」
あれは奇跡だと、両親も医者も泣いて驚いていた。
ああ、そうさ、奇跡だ。起こるはずのない、本来なら起こってはならない、奇跡だった。
「──父さん……母さん……っ!」
「おーおー、泣いてるね。大丈夫か?おっぱい揉む?」
「検討しておきます……!」
「泣いてもぶれないね」
愛する家族との永遠の別れだ。悲しいに違いない。
もしも私が余計なことをしなかったら、あるいは転生なんてしなかったら。
何も知らなければ、彼がこうして悲しむことも無かっただろうか。
いや、違う。私は後悔していない。
涙は幸福の証だ。私が彼らのためにやってきたことは、きっと間違いではなかった。
だから私は、今もやるべきことをする。
話すべきことを淡々と話すことに集中する。
「魔力を内蔵する君は、死んだら本来いるべき異世界に転生する予定だった。そのために、私は君を見守り続けた。──今がその時だ。
君はこれから異世界に転生する。今後は元いた現実世界との関係は完全に切られ、新たな世界で新たな人生をスタートする」
「……はい!」
顔を上げたカネルは、勇ましく見えた。
なるほど、こんな表情もできるのか。魔法で監視するのと生で見るのではわけが違う。
そこから私は、気兼ねなく異世界の話をすることができた。
「ただ、一つ問題があるんだ」
「魔法についてですか」
「察しが良いね、その通り。君の魔力はもう十九年も制御されている。異世界では魔法を使って体内の魔力を発散するのが当たり前だから、君の魔法は他とは少し違ったものになってしまうんだ」
「具体的には?」
「そうだね……ざっくり言うと、滅茶苦茶に強い」
「強いんですか!? 魔力が腐ってるとかじゃなくて?」
「大丈夫、魔力というのは非常食でも精液でもない。熟成されて強くなるものなんだ」
「精液って腐るんですか」
「カネルは健康的だから知らないよねー」
私は知っている。彼はこう見えてなかなか健康的……を通り越して、まあ、なんだ。動物で例えると、その、猿、なのだ。
「……おほん。それでね、魔力は熟成されて強くなるんだけど、残念ながら異世界人には魔力の発散が本能として身に付いている。私は君からその本能を制御したわけだ」
「じゃあ今の僕は、めっちゃ強力な魔法が使えるってことですか」
「そうだね。その上、多くの種類の魔法が使える。最上級の魔法を使うには十分な魔力量だ。あとは君が勉強して魔法を知れば知るほど、使える魔法も増えていくはずだよ」
加えて、彼の高いラーニング能力をもってすれば、異世界の比較的乏しい学問を理解することなど容易だろう。
「まあ魔法の詳細については、実際異世界に行ってから学ぶ方が良いかな。折角の人生だ、神の手を借り過ぎるのも良くない」
「ニートさんとは、ここでお別れになってしまうんですか?」
「まあそうなるね。けれど必ずまた会えるさ。何せ私が君の魂を呼び寄せれば、いつだって君をこの空間に連れて来られるんだからね」
そこでぱぁっと顔色を明るくしたカネルに、私の口角は我慢できない。
「私に会えるのがそんなに嬉しいか?好きになっちゃったか?ん?」
「はい、嬉しいです……!だから絶対、また会いましょうね!」
こんなに無邪気な笑顔を見たのは、実に百年ぶりくらいな気がする。
「──もうそろそろ時間かな」
カネルの魂がこの神界の空間に滞在できる時間は長くない。その証拠に、彼の姿を象った光は、既に足元から崩れかけていた。
話せることは十分に話したはずだ。
あとのことはカネル次第。なに、異世界では新たに赤子として生まれるのだ、事を知り過ぎても世界に順応できないだろう。
「僕、ニートさんにまだいっぱい聞きたいことあります……」
「残念ながら、もう『儀式』を始めなきゃいけないね」
「儀式……」
「そう、君を異世界に正しく誕生させるための儀式。ほら、こっちおいで」
そう言って私は椅子から立ち上がり、カネルに歩み寄る。
すると今度は私の方から、彼の手を取って、引き寄せた。
「力抜いて」
「……はい」
目を閉じ、額と額をくっつける。
カネルも目を閉じている。少し緊張した様子が可愛らしい。
接触する手に、強い魔力を込める。
カネルの手にも力が入ってしまっている。新たな世界は不安だし、怖いだろう。
私は穏やかな声で唱える。
「転生者、木目カネル……生まれる世界を誤り、誤った世界で正しく愛された優柔不断な青年よ。今ここに、自由の神ニートが新たな命を授ける。
次に目を覚ました時、君は記憶と魂だけを持って、まったく新しい自分として人生を始めるだろう。君はそこで、新たな出会いを見つけなさい。新たな愛を見つけなさい。新たな幸福を掴みなさい」
「……はい」
「私はいつでも、君を見守っている」
すると、カネルの体が眩く光り始めるのだ。
光は、粒になる。カネルの魂を包み込んで、ほろほろと形を失い始める。
「ニートさん……」
「またね、カネル」
不安そうにしたカネルは、もう下半身が全て粒になっている。
上昇し、暗闇の果てに溶けてゆく。
全てが見えなくなるまでは、あっという間だった。
「──ありがとう、ございました」
最後、カネルの口はそう動いていた。
不思議なくらい、気持ちが良かった。
「……行ったかな」
カネルが旅立つと、空間は再び沈黙する。
真っ暗な世界に椅子が一つ。
何も無い、誰もいない、孤独な世界が戻ってくる。
もうすぐだ。
カネルの記憶と魂を持った赤子が、きっと元気な産声を上げる。
それを聞き、観測するのが、思った以上に待ち遠しい。
──けれど。
けれど、そんなに悠長にしていられないのも分かっている。
私にはやるべき使命がある。
これは私が勝手に始めたことなのだから。
ある時、ある神は言った。
『お前が救った木目カネルは──』
彼の魔力には問題がある。
『──木目カネルは、いずれ異世界を滅ぼす魔王になる』
これは、私が彼を導く物語。
彼が「正しい」魔法使いになれるように。