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インビジブル・スカイブルー  作者: D.S.L
終劇
34/34

カーテンコール

 その後の道中も色々なことを話した。


 例の社については、知り合いの民俗学者に試しに調べさせているらしい。

 古代の信仰の名残である上、隠れキリシタンについて新たな発見もあるかもしれないが、何分なにぶん保存状態もクソもない。そこまで期待はしていないそうだ。


 轍刑事は今回の騒動を収める役回りだったらしく、後処理にてんてこ舞いで難儀しているらしい。何せ隠された部分が多過ぎて、関係各所を納得させる言い訳がなかなか作れない。手柄は手に入れたものの、今も頭を痛めているのだろう。

 彼は今でも、暗宮進次のことを尊敬しているのだそうだ。


 あの商店街は、今や神暮山ともども一躍有名心霊スポットになってしまった。カルトが暴走し結託して殺人を行った後、誤魔化し切れずに自死の道を選んだ。世間では、それが全てとされている。の真理教以来の宗教関係の集団死、それもほとんどが自殺であり、更に様々な殺人の原因とも見なされている。世の野次馬が熱狂するのもむべなるかな。そこに、かつて追われたやくざ者達も群がっているという。注目度が高い上に空白の土地、支配者も消えた今容赦などない。ハゲタカのように食い尽くすだろう。

 結果、市は以前よりむしろ賑わっている。なんとも皮肉な話である。

 今回の件でチラチラ見えていた、この土地の汚い勢力達は、この先もしぶとく生き残るのだろう。


 日下はこの事件を畳みつつ、小さな依頼もこなしていたという。俺に会いに来たのが遅かった理由は、優先順位が著しく低かったからだと、そう言っていた、のだが、わざわざ俺を救いに来る人の良さは、本人が思う程隠せてはいない。

 そう言えば、彼女がやたらと甘い物を好む理由も聞いてみた。

 てっきり脳の働きには甘味がどうとか、そんなところだろうと思っていたが、

「………好きなだけです。別にいいじゃありませんか」

 とのこと。

 人とはつくづく分からないものだ。



 「“鬼”を探しに行く」。


 日下がそう言っていた意味は、乃ち俺が見えなくなっていた何かを、見えるようにするということだろう。


 俺は、自分の在り方を失いかけていた。誰にでも同化してしまうから、誰でもない素体でしかない。

 人が一番見えないのは、自分自身なのだ。

 だから周囲との距離で自分の位置を規定するのに、周り全てが自身なら測りようが無い。

 そこでこいつは、俺に“属性”を与えに来たのだ。

 外側から、“日高創”の同一性を担保した。

 優しさから稀有けうな才能を開花させた、努力の人。

 それが日高創である、そう言いに来たのだ。



 何てことは無い。こいつだって、底抜けに優しい奴だったのだ。



「あ、そうです先輩」


 と、そこでいきなり日下が急ハンドルを切った。


「依頼料の請求についてなんですが」

「…一応聞くが、何で俺に?」

「それは勿論、先輩に払っていただくからです」

「オイイィィィ!?ナンデ!?おかしいだろその流れ!?俺に支払いの責任は無い筈だぞ!?」

「同業を多数雇いましたし、渠蔵教育学校への編入にも費用が掛かっています。山登り用の装備を幾つか駄目にしたのも痛いですね…。経費だけでも大変な額になります。7桁の大台も見えますよ。本来の依頼人はあの姉妹で、費用は代理として湯田さんに頂く予定でしたが、生憎どちらも支払い能力を失ってしまいました」

「そうか残念だったな。この話終わりな」

「ところが、『途直優子さんの為ならなんでもする』という意気込みの方を見つけまして、だったらそちらに保証人になって頂こうかと。丁度途直姉妹や私に負い目があるみたいですし」

「悪魔かお前は。それとお前やっぱり俺のこと嫌いだろ」

 誰だよこいつの事「優しい」って言ったやつ。

「ただ甲斐性なしの先輩には、当然まともな支払いなど期待していません」

「ねえたかっといてディスるのやめない?」

「親御さんからぶんどる…失礼、頂くのも気が引けます」

「ホントに引けてる?というか、俺に払わせることにももっと躊躇して?」

「そこで先輩、連絡先を教えてください。ASAP(なるはや)で反応できるもので」


——は?


 なんで、そうなる。

「これから時偶ときたま、事件で煮詰まった時などに先輩の意見を拝聴します。それを参考にして、その際の貢献度に応じて負債を減額していきます。シンプルでしょう?」

「俺はお前程利発な奴じゃないってのは分かってるだろ?それ一生俺の借金消えなくないか?」

「相も変わらず物覚えが悪いですね。先ほどから話しているじゃないですか。先輩は人の心に敏感で、私はそれらを極力排除して考える。全く別の視点を持った人間の意見というのは、得難い武器ですよ」

 それは、つまり——


「俺に、“感情移入”を繰り返せと?」


「それなら得意分野でしょう?」

「いや、悪いが俺はもう御免だ。このまま自他を区切って平穏に生きる」

「先輩、今回の事で分かったのでは?見ないフリをして受け流すというのは、不測の事態に対処が出来ない分却って危険なんです。なら先輩は、その才能を利用するにしろ沈静化するにしろ、それを伸ばし付き合い方を学び、使い熟せるようにならなければ。一種のリハビリテーションですよ」


 吟遊は、“見えなくする”勢力だった。

 だが“不可視”という力は、彼らが思っていたより強大だった。

 そして逆に振り回された。

 結局、“見えないもの”を“そこに在るもの”として受け入れ、向き合おうとした少年少女の方が、吟遊の何倍も強かった。

 

 俺は、この“癖”とはいつかおさらばしたい。

 だがそれには、そもそも理解することから始めなければいけない。


 それを“能力”として制御することが、詰まる所一番の近道なのだ。


 そういった観点から、言い分自体は尤もなのだが——

「なあんか、取って付けた感あんだよなあ…」

「なんでもいいじゃありませんか。お互いwin-winでやっていきましょう?」

 きっと日下は、中途半端で投げ出したくないのだ。俺がしっかり世間に適応できるまでいって、初めて彼女は「終わった」と言えるのだろう。


 こいつには、本当に敵いそうもない。


——まあ、いいか。


 俺にとってもやらなくてはいけない事。

 そこに日下が協力してくれるようなものだ。

 これ以上に頼もしい相談相手は、ちょっと思いつきそうにない。

 

 悪い話では、ないのだ。


 もう少しの間だけ探偵と、“事件”を追うのも良いかもしれない。



 空の色が、仄暗く移ろう。

 もうじき黄昏時だ。

 人影は見えれども、それが誰かは見えない。

 

 そんな、少し()()()なる時間。

 

 だが、今この時こそ、俺が待っていたものである。


「ほら、日下。ここだ」


 丁度、俺達は到着した。


 滅多めった矢鱈やたらに広がる麦畑。市の西側は、特にその傾向が強い。

 ある程度まで行くと、本当に視界に麦しか入らなくなるのだ。


 そして今は、収穫期である。


「これは、成程…。先輩にしては、良い選択です……」


 その光景は、数少ないこの土地の自慢の一つだった。


 山吹色の穂先が揃って、


 大地を黄金で埋め尽くす。


 燦燦さんさんと照る太陽の下でも、


 それはそれで絶景だろう。

 

 そんな金色こんじきのプールが、


 風で揺れるこがね色の海が、


 目の前で、


 赤々と燃えている。


 西の空から差す夕陽が、


 世界をあかく染め上げる。


 どこまでが地面で、


 どこからが天なのか。


 夕焼けが織り成すグラデーションが、


 それらの境をおぼろに溶かす。


 地平線が、見えなくなっていく。


 その中を行き来する人の姿は、


 まるで宙で踊る天人のように、


 行けぬ場所などどこにも無い。


 常識にも法則にも縛られていない。


 「見えないこと」に力があるから、


 境界が見えないこの時間がいいのだ。


 人を閉じ込める“青”から、


 今だけは自由になれる気がする。


 夜持の言う通り空を青く塗ったのは、


 俺達自身なのだろう。


 その呪いから解放されるのが、

 

 この刻限、


 この場所なのだ。


 夕方特有の言い知れぬ寂寥感、


 しかしそれは希望でもある。


 今日の終わりは、明日の始まりでもあるのだから。



 昔聞いたことがある。

 

 “丹畝”。それはこの光景のことなのだと。



 〽東に清流 西に黄金

  北にまします 天子の腰掛け

  ああ丹畝よ 我らが母よ

  夕焼け小焼けで またおわす



 かつての信徒達は、これを見て神を感じたのだろうか。


 夜持もこの光景を見て、「見えない空色」を知覚したのだろうか。


 だから彼が生きる場所は、


 どこまでも地続きになったのだろうか。


「『赤く染まるうね』、ということですか。かつての人々にとってはこの景色こそが、一番の恩寵だったのかもしれませんね」


 日下も、流石に感じ入っているようだった。


 その様子に俺も満足する。


 俺が知っている中で最も美しい眺めを、こいつには見て欲しかったのだ。


 もう会わないと思っていたから、別れ道に差し掛かる前に、俺の出来る限りを贈りたかった。


 もうしばらく関係が続くと知った今も、その気持ちには変わりがない。


 いつかは別の道を行くのが分かっているのなら、機会がある間に大恩を一部でも返したい。



 本当に、感謝しているのだから。



「夜持は、幸せだったのかな」

 俺は、親友だった男に想いを馳せる。

「これは持論ですが」

 ああ、この雰囲気。

 日下のいつもの講義が始まる。


「死ぬ直前に幸福感を感じたなら、その人は未来永劫幸福と言える。私はそう思っています」


「それはまた…」

 随分と大それた考え方だ。

「考えてもみてください。例えば貴方は、眠りに就く瞬間を明確に知覚できますか?恐らく、不可能でしょう。起きて思い出すのは、眠る直前まで考えていたこと。『今寝ました』なんて言える人間は居ないでしょうし、意識の終わりは見えないものなんです」

——それでは、考えてみましょう。

「朝起きれば、就寝するまでにあった筈の感情は、過ぎ去りし残り香でしかありません。ですが、起きることがなければ?」

 その時、その人間は“終わり”を認識できない。

 見えなければ、無いのと同じ。

「もし亡くなる前に、多幸感に包まれていれば——」

「主観では、それを無限に嚙み締め続ける?」

「その通りです。何せそこには、『終わり』が欠落しているのですから。永遠に幸せの絶頂の中でしょう」

「なら夜持は、再び“かみさま”を知覚出来ていたら、今も世界のどこかで幸せを感じ続けているってのか?」

「そういう考え方もある、というだけですよ。死の不幸な面ばかり見てしまうのは、我々人間の悪い癖です。自殺や殺人は止めるべきですが、『死』そのものは誰にでも確実に訪れるもの。如何にプラス思考な死に方をするか、ですよ」

「プラス思考な、“死”か…」

 夜持は、決して不幸せと決まったわけではない。


 なら俺は、彼が笑顔で逝ったのだと、そう信じることにしよう。



 俺は土手の端に腰を下ろして、そのままくつろぐ体勢を取る。

 スマートフォンのロックを解除し、それと繋がったイヤホンを片耳に挿す。

 好きな音楽でも聞きながら、のんびりとこの一時を楽しもうというわけだ。

 

 耳を一つ残したのは、今流れている時間も感じていたいという、その場の勢いから来る思いつきである。


——ここは定番で『ハレルヤ』で良いか。


「先輩、何一人で浸ってるんですか。私にも聞かせてください」


 何時の間にか横に腰かけていた日下が、あぶれていた反対側を強制的にシェアする。


「レナード・コーエンですか。なかなか良い趣味ですね。しかし実を言うと私はペンタトニックスが歌ってるバージョンの方が好みなんですよ。アカペラで歌われているのが素朴な民謡らしくてより響くんです。信仰の始まりを彷彿とさせます」

「知らん。勝手に使うな。文句言うな。黙って聞け」


 くだらないやり取りを交わしながら、


 ふと横を見ると、


「綺麗ですね。至福の時です」


 そう言って日下真見が、


 初めて晴れやかに、


——笑った。


 思わず()()()()と緩んだ口角、陽の光に照り映え微かに赤らむ頬。

 僅かだが、確かな高揚。

 しとやかな目は眩しそうに細められ、けれどまたたきも惜しむように、決して逸らされることはない。

 今は“探偵”であることを止めた、何の憂いも無い幼気いたいけな少女。


 そこからずっと目が離せずに、


 ただ彼女の横顔だけ見ていた。


 体温と動悸が上昇し、


 思考は逆に澄み渡る。


 俺はその時不覚にも、


 「こんな“今”が続けばいい」と、


 そんなことを思ってしまった。


 


——————————————————————————————————————




 その後、俺の借金に利子があることが判明したり、「日下調査事務所」のアルバイトをさせられたり、神暮山を調査していた学者が温泉を掘り当てたり、東京オリンピックが流行り病の影響で無観客となってテロの標的として微妙になったりと、現実はいつも通り好き勝手に回る。


 そんなとめどなく連なる時間の中で、


 俺は飽きもせず夢想する。



 遥か遠く、


 空の向こう。


 見えぬ檻など無い場所で、


 夜持が安らぎの中歩いている。


 その傍らには“理解者”が居る。


 彼は最期に見えたのだ。

 

 だから彼は自由になった。


 あの日あの時、


 彼は線引きを克服した。


 あらゆるしがらみから解脱した者にとって、


 生死の境も意味を為さない。


 だから夜持は其処に着いた。


 まだその場所では幸せなまま。


 そうして、


 どこまでも続く虚空の荒野を、


 一人でふたりの完全な存在が、


 いつまでも進み続けている。


 ただそれだけで足りている。


 これからずっとどこまでも、


 彼は、彼らは満ち足りているのだ。


 俺はそんな夜持を、


 矢張りカッコいいと思っていた。


 夜空にまばゆい星のように、


 触れ得ぬ煌めきであるのだと。


 すると夜持が振り返った。


——ありがとう


——君が見ていてくれるから


——僕らはここにいられるんだ


 そうか。


 俺は、


 お前達を救うことが出来たのか。



 それは日高創にとって、




 生涯一番の誇りとなった。







                                インビジブル・スカイブルー(了)

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