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23

※※※※

初めて会った時も

あいつは笑顔だった


僕が悪態をついた時も

あいつは笑顔だった


僕が一人で泣いていた時も

あいつは笑顔だった


夜道でその日のことを話す時はいつも

水族館に行った時も

あの日学校で告白した時も

明日のことを約束した時も


あいつは


一番僕が欲しい笑顔で


いてくれたんだ


分かってる


それは当然だって


それが自然だって


でも


僕には


それが生きる意味だったんだ


それが希望そのものだったんだ



黒ですらない

無に包まれて


だからこそ


はっきりと思い浮かぶ


あいつは


笑顔だったんだ


それが


()()()()」だ


だから

あいつに自由を

それだけは与える

約束


約束だ

※※※※




「“透明人間”を否定することに、心血を注いだ刑事がいました」

 


 名は暗宮進次。


 はっきりしたものしか受け入れられない、日本国家警察最後の抵抗者。


「どうやら彼は、“透明人間”という風説が生じたこと、それ自体に怒りを感じていたようです。それは間違った状態であるとし、矯正しようとしました。当初は地獄の果てまで追う覚悟があったようですが、結局、最後には目に見えない大きなうねりと、襲い来る日常に押し潰され、一度は心が折れてしまった」

 3年間の、空白期間。

 文字通り空っぽだった時代。

「先パイにとっちゃ、そのままの方が幸せだったッスね。その後あんな馬鹿やらかさなきゃ、不要な痛みも無かったッス」

「言っても仕方のないことですね、それとも——」


——未練があるのは、貴方ですか?


 彩戸は、もうほとんど平衡を保てていない。

 日下の揺さぶりを、馬鹿正直に喰らっている。


「日下、よく分からないんだが、暗宮さんの犯したタブーってどの行動のことだ?」

「それは一ヶ月前、ある転機によって始まりました」

 転機。一ヶ月前。

 

——ああ、“会長”が。


「11月、闘病中ながら小康状態を保っていた矯平造が、容態を急変させました」


 矯平造の死。

 三絵図商店街にとって、世界の終わり、神の死に等しい。

 それが、目前まで迫っているのかもしれない。


「どうするべきか、話し合われたでしょうが、有効な打開策など提案できる筈がありません。それどころか、突然総出で大騒ぎしたものだから、嗅ぎまわっている者達に勘付かれます」

「吟遊は、気付いたのか?」


「彼らも後に辿り着いたでしょうが、先に嗅ぎつけたのは、真文提さんです」

 

 真文提。

 暗宮進次のかつてのパートナー。

 その執念を同じくする同志。

 何かを突き止め、消えてしまったジャーナリスト。

「彼は3年もの間調べ続け、その網についに獲物が掛かった。実際どうです、湯田さん?貴方は手助けをしましたか?」

 湯田さんにパスが行く。

「いい所まで迫っていたので、吟遊関係の情報を匿名で提供しました。彼はそれに関する資料を自宅に保管していたのですが、後に『行方不明事件の捜査』の名目で、全て持ち去られてしまいました」

 受け取った彼女は、平常で答える。


「な、なんで…湯田さんが協力してるんですか…?さっきから、湯田さんは何が目的なんですか…!?そんな人に情報を流して、それで“吟遊”っていう人達を本気で潰せると思ってたってことですか?『正義感』って、何がこの人の『正義』なんですか…!?」

 優子が事態に食いつこうとして、情報の濁流に飲まれ目を白黒させる。極度の緊張状態が続き、痛ましい程に疲労し切っている。それでも、自分で事件を嚙み砕こうと挑んでいるのだ。

 一方愛子は、十七夜月博士から没収された、例の容器を凝視している。


「それは後程。それより重要なのは、3年間で最大の成果を得た真文さんが、次に何をするか、です」

 次。

 仲間は全て脱落し、

 頼りの相棒もドロップアウト。

 それにも負けず追い続け、

 ついに苦節が実を結ぶ。

 次にすることは——


「挫折した仲間に教えに行く。立ち直らせ、再び共に進む為に。そうだ、暗宮さんと、真文提は、会っている…!」

 あの手帳の記述が蘇る。

 あのタイミングで、真文が唐突に真相に迫った。それは、この一連の混乱があったせいか。


 しかし暗宮は、それを妄言として取り合わなかった。


「それだけではありません、彼は明確に拒絶したんです。“透明人間”を反証することで一致していた盟友が、それ以上に胡散臭い情報を持ってやって来た。幻想に逃げた者達を、共に糾弾していた筈が、隣から離れ向こう側に付く。白か黒かで考えることを好む彼からすると、“白”として迎え入れたにも関わらず、『“黒”だった』『“黒”になった』という事態です。許し難い背信行為です」


 一方真文は、食い下がった。

 去ろうとした暗宮を引き留め、戦線への復帰を求めた。

 再起を促し、舞台に上がらせようとした。

 暗宮からすれば、整理をつけようとした決意を揺るがす、破滅への誘惑にでも見えたのか。更に真文の話は、自分が散散(さんざん)否定してきたものを、受け入れろと言っているようなもの。

「誰かが作った怪しい何かが殺したので、裁く方法がありませんでした」。

 そんなもの、納得できない。

 彼にも分かってはいた。この世界は、はっきりしたものだけでは無いと。

 だから、それをゆっくりと飲み下していた最中だったのだ。

 そんな時、無理矢理喉元へと流し込まれた、口に苦い薬になる毒。

 もっと早ければ、彼は喜んでその提案に乗ったかもしれない。

 もっと遅ければ、彼は全てを諦めて、何の感慨も抱かなかったのかもしれない。

 けれど、それはあの時起こった。

 内側が坩堝(るつぼ)のように掻き混ざっている、まさにその時に。

 そして暗宮が見せた過剰な拒絶反応に気付いたのか否か、真文はどこまでもしつこく説得し続けた。

 彼の目の前に、見えない振りをできない程近くに、提示し続けたのだ。


 耳障りで、屈辱的な、その申し出を。


 だから暗宮は——



「暗宮進次元刑事は、真文提を殺害し、その両目を抉りました」



「なっ…」

 轍刑事の当然の驚愕。それと比して、彩戸広助は冷淡だった。

 当然か。彼らが知らない筈が無い。関係者全員が口裏を合わせる商店街内部とは違う。監視の目の前で、単独で、突発的に、計画性などなく行われた殺人。


 察知されるに決まってる。


「いやいやいやいや!それこそ納得いかないよ!なんで殺しちゃうのさ!?」

「ですから、そこを考察することは無意味ですよ。その時それが起こってしまった。それ以上のことは何もありません。どうしてもと言うのなら、彼の性格故と言うべきでしょう。曖昧なものを許せない彼は、人を敵か味方に二分したがる」

 味方でないなら、自動的に敵である。

「しかし、眼球を抉り出した理由は説明できます。真文提さんの死に、意味を持たせようとしたんです。本来割に合わない『人殺し』に、後付けで理由を添えようとした」

 

 きっと暗宮は真文から、「両目を抉られた死体が消える」という話を聞いたのだろう。

 そして、それが噓偽りであると実証するつもりだった。

 少なくとも、彼が思いついた真文提殺害の合理的な理由がそれだった。

 真文は間違っていた、だから殺した。

 そしてこれからその行動を利用して、馬鹿げた風説の反証とする。


 自分の主張が、やってしまった事が、正しかったと、そう言い張る為に。


「彼は、それはもう驚いたでしょう。遺体は早晩発見されると思っていましたし、直ぐに逮捕される事も覚悟していました。ところが——」

「真文提は、『行方不明』になった」


 殺人事件が、消えた。


 噂は、本当だった。


 暗宮はあっさりと、巨大組織の暗躍という仮説を受け入れた。

 もう少し早くそれが出来ていれば、そのコンビは吟遊に食らいつけたかもしれない。

 けれど暗宮は誤ってしまった。止まることも、出来なくなってしまった。

 今回得た大きな手掛かりから、事件の全てを解き明かすのだ。

 それが今までの死に、自分の罪に、意味を持たせる唯一の道なのだから。


「そしてこの出来事で、大きな進展を予感したのは彼だけではありません」

 真文提の死によって、踊らされたもう一つ。

「吟遊もまた、今回の殺しに注目しました」

 彼らにとっては、初めて捉えた殺害現場。今まで隠されていたものが、漏れ出でた瞬間。


 ここしかない。


 停滞を打破し、全てを解決するには、この綻びを広げるしかない。

 ただし、これまでの徹底ぶりから考えると、簡単に過ぎる発覚。彼らも馬鹿ではない。しっかりと罠を警戒していた。拷問の際に暗宮に問うていたのも、その“罠”の内容なのだろう。

 つまり、ここからどのような手順で吟遊に損害を与えるつもりなのか。露見しない予定だったのか、それとも見つかる事まで計算の内か、こうなることまで織り込み済みか。

 怯えながら、測っていたのだ。


 そこに一切のビジョンは無いのに。


 突発的なアクシデントを、有機的な計画の一部と、そう考えてしまったのだ。

 

 吟遊が描く“敵”が、より大きく・暗く・得体が知れなくなっていく。けれどそれは、全ての出来事の裏に、作為を見出そうとしてしまった為。吟遊の一人である彩戸広助に、コンタクトをとって来たことも、疑念を大きくした要因だろう。

 全体で一つとして見てしまったからこそ、吟遊は勝利不能な戦いへ、その身を投じてしまったのだ。

 納得できないものに、“化物”や“鬼”といった形象を与えて、それで腑に落とそうとした。


 して、しまった。


 存在しない巨悪と対峙する、憐れな愛国の戦士達。

 騎士道に狂い風車に挑む、ドン・キホーテの喜劇のように。


 彼らは次に、彩戸広助を監視の任に()け、暗宮がやったように彩戸を“殺して”、その出方を窺った。


——目立って見せて、出方を窺う。成程、俺達は奇しくも同じことを考えていたワケだ。


 目には目を。

 暗宮の行動の反動のように、吟遊もまた大胆な一手に出た。


 彼が接触した吟遊の構成員に、「行方不明」の名目を与え、その身を隠させる。

 

 あからさまに、“陰謀”を匂わせる。

 

 暗宮が、どう反応するのか。

 彼が“裏切者”と結託しているなら、彩戸の失踪が狂言であると知っている筈だ。それを、態度に出してしまうのか。それとも、何も知らされていない末端なのか。


「黒幕なわけがないッス」


 彩戸は暗宮に対しては、(はなは)だ色濃く軽蔑している。

 けれどそれはある意味…いや、今は関係ないか。

「先パイはそんなに賢くないッス。単なる独りよがりの暴走か、知らずに黒幕に操られていただけ。あんな、頑迷(がんめい)固陋(ころう)を絵に描いたような人間、それくらいが関の山ッス」

「それでも、他に手掛かりが無い以上、吟遊は彼に張り付くしかなかった。そして、彼に期待していたのは湯田さんも同じです。彼女は、彼が真相に辿り着くことを願っていた。しかしそのうち、彼が答えを得るのは厳しいと気付き始めた。警戒され過ぎていたために、見られずに道標(みちしるべ)を渡すことは困難。真相に近づいた彼を見て、流石に泳がせるのも限界であると感じ、吟遊が確保するという決定が下れば、それを阻止することも出来ない」

 

 そして暗宮は、捕まった。


「暗宮進次さんは…どう、なったんだ…?」

「あ?あんなダメ男の心配ッスか?奇特ッスねえ」

 彩戸は俺の質問に、まるでどうでも良さそうに、


「死んだよ。遺体も処理した」

 

 あっさりと、そう答えた。

 

 彼の末路が、疑いようもなく、定まってしまった。


「最後まで、泣けども、叫べども、何も喋らなかった。我々は彼の捜査資料を入手している。彼が何を知り何を知らなかったか、その全てが聞かなくても分かる。だから、そんな意地を張らずに、楽に死ねば良かったのだ。愚かな男だよ」


 それは、とても寂しい。

 酷く、(わび)しい。


 彼は最期まで、訳も分からず死んだ。


 苦悶の中で、頭を(めぐ)るは疑問の数々。


 何が起こっていたのか。

 

 何が行われていたのか。


 誰がこんなことを始めたのか。


 何故、自分はこんな目に遭っているのか。


 何故、自分はこの事件を忘れられなかったのか。


 何故、自分は真文提を殺してしまったのか。


 何故、自分は——



 この時代・この場所に、生まれて来てしまったのか。



 自らの存在が、全て間違いのように感じられる。


 何一つ、意味の無いこと。

 

 むしろ、いない方が良かったもの。


 彼は、自分の存在意義(レゾンデートル)すら、はっきりと確信できていない。


 そうして暗宮進次は、

 

 丹畝市の端、


 忘れられた神の山で、


 誰にも見られることなく、


 自身が産み落とした業火に焼かれ、

 

 ()(がん)を手放した。


 その意識の終わりに見た、


 生死の間にある分け目もまた、


 曖昧模糊としたものだった。

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