表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/34

18下

 その男は、急いで“博士”の元へ向かっていた。


 通い慣れた様子の建物。その一室。

 刺激臭や、鉄が焼けたような匂い、血の香りが充満するその場所。

 ライトで集中的に照らされている部分と、そうでない薄暗い箇所の差が激しいそこには、電子顕微鏡や何かの液体、箱のような機械類、種々雑多な容器…。

 まるで黒魔術か錬金術の工房。

 透明な膜で隔てられた先では、白く清潔な布につま先から頭まで身を包み、目の前の玩具に熱中する研究者。

 散らかされた混沌の中でありながら、滲み出す外連味が、整えられた舞台のように見せる。


 彼らが今やっている職務、その為に必要なものをここに持ち出していた。

 だが急遽、それを(あらた)められるという報せが入った。

 それは困る。ただでさえ最近目立ち過ぎたのに、これ以上襤褸(ぼろ)を出すわけにはいかない。

「おい博士、一端中止だ。暫くそれを戻す必要が出来た」

「はあて、これはとてもとても貴重なサンプルだよ?文字通り世界に一つ!…否、二つか。その価値を知らぬ無作法者に触らせるなんて、リスクが高いとは思わんかね?」

 芝居がかった口調に苛つかされるが、ここで激昂しても意味はない。

 なるべく穏やかに交渉する。

「こちらでしっかり管理する。その唯一の手懸りが消えて困るのはこちらも同じだ。それでも、今は堪えろ。でなきゃ全て台無し、ご破算待った無しだ」

「おいおい、君らも大したことないねえ。隠すのは得意分野なんだろう?」

「限度がある。お前は成果を上げないままに、もう4年だ。それが突破口になるのか、それすら既に怪しい。これくらいは譲歩して貰おう。我々の宿願が人魚姫のように、水の泡となり儚く消える、ってのはお前だってごめんだろ?」

「そうだねぇ…ハッピーエンドで終わりたいのはその通りだ」

 手応えあり。行けそうだ。

「少しの間、その眼を返してくれればいい。何も見つからず、それで終わりだ」

「例の偽物で充分じゃあないか?」

 そう、これまでならその手で良かった。今更調べる者などいなかった。だが、今回の相手は違う。

「例の鬱陶しい小娘だよ。こちらの情報を小出しにしてる誰かさんのせいで、“吟遊”にまで辿り着かれた。もうそろそろ限界だ。この拠点も海外に移転する必要があるかもしれない」

「ああ、あの“探偵”か。致し方あるまい。あれは、面倒だからな」

 あとは調査の手が追い着く前にとっとと——


「面倒で申し訳ございませんね」


 博士の背後、スポットライトの外から、するりと歩み寄る、黒衣の芸術。

 この世ならざる、刺すような美貌。


 件の「探偵」、日下真見が姿を現す。


 念の為の非常口。そこから逆に、脅威が招かれる。場所が特定されているどころか、構造まで把握されている。男は衝撃を受けながらも、次の手を算出するべく頭を回転させる。


「やあやあ、これはこれは。君にも困ったものだ。そりゃあ見学したいのは分かるがね?それならそうと事前に言ってくれれば、私も完璧な持て成しを見せれたのだが」

 “博士”は調子を崩さない。いつも通りに役者めいて、全てを躍らせる指揮者を標榜(ひょうぼう)

「残念、嫌いな人の想定外を起こすのが大好きなんです」

 そう言いながら、日下は“博士”に接近する。

「その茶目っ気は嫌いじゃないがね」


 そうして俺達は入室した。

 男から「眼」と「吟遊」という言葉が出た時点で、GOサインが出た。

 確信するに至ったのだろう。あの資料の内容、それがある程度真実であるということを。

 日下の後に俺と警官達、それらに続いて途直姉妹。

 男が入ってきた入り口からは、別働隊が次々と詰め、粛々と逃げ場を塞いでゆく。

 だが男を直接捕縛しにはいかない。下手に刺激して本格的な戦闘になるのを避けるべき、それが日下からの提言だった。

 博士の手元から、小さな金属製の入れ物が取り上げられる。

 きっとあの中に、冷凍保存でもされているのだろう。


 俺達は、男——彩戸広助と、博士——十七夜月望に、遂に対峙した。


「一応お決まりのセリフを言っておくッス。何故ここが?」

 彩戸がお道化(どけ)て問う。

「正直に言えば、総当たりです。神暮山にもう一つ施設がある場合や、サンシ製薬本社にある場合、どこかの空き家の地下等々。調べられるところは調べ、可能性が潰しきれない地点全てに見張りを配置しました」

「警察自体が信用できないのに、よく人が足りたものだな?」

「民間の調査機関も雇わせて頂きましたから。私の自腹ですけど」

 「普通の」探偵の皆さんには感謝である。

 彩戸達が焦って、脇が甘くなっていたのを差し引いても、良い仕事をしてくれた。

「当然、博士にも監視を付けました。彼が頻繁に出入りするところにも。…因みに前者は私自身の担当です。あとは、焦った貴方が駆け込んでくるのを待つだけでした」

 

 ここは、「名義人が警察関係者である場所」を探していた時に見つけた場所だそうだ。轍をフル活用して手に入れた図面の中で、四方を壁に囲まれた不自然なスペースを見つけた。非常口の存在は、ある程度予想できるものだった。


 まあ、全て日下から聞いた話だが。


「力任せッスか…」

「こちらにも余裕が無かったもので。これ以上悪い方向に転がる前に、とっとと終止符を打ちに来ました」

「悪い状況?問題は解決したぞ。こちらとしては裏切り者が気になるが、君たちにはもう実害が無いだろう?急ぐ意味が分からないが…」

 この十七夜月とかいう男、これだけの事態の中でまだ(とぼ)けてやがる。

「お前いい加減に」

「確かに。通常なら一旦落ち着いたと考えて、外堀をゆっくりと埋めていきます」

 日下までとんでもない事を言い出した。

「おい、あんなに沢山人死(ひとじに)が出てんのに『落ち着いた』はないだろう」

「大勢だろうが一人だろうが、死は不可逆であり、当人にとっては大事ですよ。だからこそその捜査とは慎重に、仕損じることがないように、確実な方法を選ぶべきです。そう、本来なら」

 彼女はそこで、十七夜月の方へ前進する。


 カン。


「ですが今回がそうも言っていられない。貴方が関与していましたから」

 踏み出した一歩が鳴り響く、堆積した暗闇を晴らすように。


 (カン)


「分からないな。私を知るなら、むしろ人類の為に目溢(こぼ)すべきではないかね」

「貴方がそういう方だからこそ、見えてないことがあるのに無理矢理進む危険性があるからこそ、私はここに止めに来ました」

 彼女の音声(おんじょう)が場を支配する、遠きも近きも釘づけるように。


 (カン)


「君は、私の栄光を知らないから、そう言える。

私は、成功した!」

「確かに、貴方は成功例を得ました。だからこそ、私は貴方を信用できない。全てが薄っぺらであると言い切れます」

 彼女が舞台に登っていく、物語を終わらせるために。

 

 (カン)


「一時の感情に流された者の愚論だ。非常に残念だな」

「ほら、それが本性でしょう?幸せを語りながら情感を蔑視する。理論武装での正義面なんて、ただ気持ちが悪いだけです」

 彼女の白い手が払われる、その場の支配者を決めるように。


 これは主役の登場シーンではない。閉幕の為の舞台装置(デウス・エクス・マキナ)、その降臨場面だ。


 日下は止まる。

 十七夜月を尻目に、彩戸に立ち塞がる。


 さっきから、いや神暮山から帰ったあの日から、思っていたことがあった。


——怒っている。


 日下はきっと、秘かに、しかし滅茶苦茶にキレている。

 この事態を引き起こしたらしい、吟遊という組織や十七夜月にか。


 止められなかった自分にか。


「この場で、私の語りで、この事件の幕引きとさせて頂きます」


 探偵は解いていく。

 

 ゴルディアスの結び目を、


 一本一本丁寧に。


「『幕引き』ッスか?国家権力でもないのに、何の権限があって?何が出来るッスか?我々を拘束しても、その中枢を裁くことは出来ないッスよ。わざわざ訪問していただいたところ恐縮ッスが、子どもがどうこうするような問題じゃあないッス」

 そうだ。こいつらを壊滅させることは、不可能だろう。

 それを承知で、日下はここに乗り込んでいる。

「国の代役をするつもりは毛頭ありません。もしそれだけなら、私も彼らもここにはいませんよ。これは、警察職員の皆さんに無理を言って、私の職務に付き合っていただいている状態です」

 俺達がここに居ることに、何らかの意味がある。

 きっと日下の仕掛けは、そうでなければ発動しないのだろう。

「警察の仕事は、事実を突き止めることです。私の仕事は、誰かの真実を見つける手伝いをすることです。よって、これは法による正義ではなく、一種のセラピーのようなものですよ。事実はただそこに在り、始まりも終わりもありません。人は、その中に始点と終点を打ち込み、区切ることで受け入れる。それぞれの『真実』として」


 もとより、愛子達の為の場である。

 探偵の本領は、断罪には無い。


「それに、貴方にも損ばかりというわけではありません。聞いていただければ分かります」

 意味深長なことを言いながら、彼女は彩戸を牽制している。


「何分見切り発車です。これからの話は、多分に推論が混じります。そのことを念頭に置いてお聞きください」


 上手(かみて)に究明者。

 下手(しもて)に巨悪。


 その中心で、


 少女は完結させる。


「始まりは、遠い遠い過去の話です」


 烏の濡れ羽のような髪、

 夜のように黒いワンピース、

 その中で白く耀(かがよ)う、玉の肌と手袋。

 

 蠱惑的とも幻想的とも言える世界を纏いながら、


 “探偵”、日下真見は


 “終わり”を始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ