第2話 少年
街中を黒い影が音も無く、飛び回る。
街灯も存在しない世界では、誰も、その影に気付かない。
少年は走っていた。
夜は自分のテリトリーだ。
妹は、ばーさんから薬学の知識を受け継いだ。
頭が良かったからだ。
そして、自分は、ばーさんから『裏』の仕事を受け継いだ。
あの残されていた皮の袋の金額から考えると、恐らく、いつもの『上客』の所に行っていたのだろうと推測していた。
だからこそ、貴族街に行こうとしていたのだが、妹に、そんな説明をするわけにはいかなかった。
結果、あほ呼ばわりされてしまったが。
少年は、ばーさんから『上客』の存在は聞いていたが、どこの誰かとまでは聞いていなかった。ただ、察するに国の中枢に居る人間であるのは推測していた。
どこかの大臣か宰相か、若しくは王様か。
そこまで推測しておきながら、動くべきか悩んでいたら、いつの間にか1週間経ってしまっていた。
平民街の裏路地を入った先に、小汚いBARの看板が見えた。少年は迷いもなく入った。
誰も居ない店のカウンターに向けて、声を掛けた。
「サル、居る?」
「うわ、びっくりした! な、なんだ、ババアんとこのガキか」
カウンターの下から小汚い中年オヤジが飛び出してきた。
男の名はサルデス。略してサル。情報屋のサルだ。
決して、どこかの世界に居る動物に似ているからではない。どちらかというとネズミに似ている。
「音も無く入って来んなって、いつも言ってるだろ。俺は小心者なんだ!」
「威張って言う事かよ」
「で、どうしたよ?」
「ばーさんが消えた」
「らしいな」
知っていたらしい。流石に情報屋を名乗るだけの事はある。
「ここ1週間の貴族街の事件を知りたい」
「あ? なんだって、貴族街なんか調べてんだよ?」
「ばーさんの最後の客が『上客』だからだ」
「!」
流石に情報屋の顔色が変わる。
「確かなのか?」
「消える前に大金を受け取っている。しかも、袋は皮製だった」
「皮か。確かに平民や商人が使うようなものじゃないな」
そもそも平民は袋に入れるような大きい額の仕事は頼めないし、商人はケチって、安い麻の袋を使う事が多い。
「金は受け取ってあったってことは、『上客』が裏切ったわけじゃなさそうだな」
「なんで?」
「いや、だって、わざわざ始末しようとしている相手に金渡すか?」
「油断させる為、会合場所が騒ぎを起こせない場所だった為、殺した後に取り戻すつもりだった為、とか。可能性はあるよ」
それを聞いて、サルデスは肩をすくめる。
「まぁ、いいわ。貴族街の事件だったな。1週間前の夜に、ある男が殺されてる」
「誰?」
「言ってもわからんと思うが、財務局に勤める50代の男だ。名前はバルス・フォン・アルクテッド男爵。勤務態度は真面目だったんだが、事件の後、横領の証拠が山ほど出て来て、アルクテッド家は財産没収にされ、妻子は奴隷商に売られたらしい」
「おいおい……奴隷落ちって、どれだけ使い込んだんだよ」
「後は、とある子爵家で、メイドが夫人に殺された。どうやら、旦那がメイドに手を出したらしい」
「あ、そう」
それは何も関係なさそうだ。
「殺人以外は?」
「喧嘩が1件、詐欺が4件に、船の窃盗が1件だな」
「詐欺多すぎない?」
「なんでも、最近組織的な詐欺グループが現れたらしい」
「ふーん……」
それよりも気になったのが1つあった。
「で、船の窃盗って?」
「あ? これは確か、小型の帆も付いてないやつだ。細かい場所は忘れたが、貴族街の造りは知ってるか?」
「うん。簡単になら」
この国は運河を利用している。
王宮を中心に、北の一番運河から時計回りに7本の運河が真っ直ぐに流れている。一番運河から順に古く七番運河が新しい。歴史のある名家も、一番運河沿いに並んでいるし、新興貴族は七番運河の近くに多い。平民街やスラム街は、それら貴族街より、更に外周にあり、貴族街を囲う巨大な壁により仕切られており、中は覗けなくなっている。勿論出入りできる門には警備兵が立っている。
少し話は逸れたが、どの運河の近くに住んでいる事が貴族の中ではステータスになるのだ。
で、船が盗まれたのが
「四番運河の王宮寄りだ。犯人も船も見つかってない」
四番運河は、王宮から南西方向に向いて流れている。
スラム街があるのは、この国の最外周の南に当たる。
「四番は確か、西に少し逸れてる。三番の方が東に逸れてはいるが、うちからは近い。と、なると、襲われたのが、その辺か?」
「なんだ? 船の窃盗はババアの仕業か?」
「多分ね、怪我してたはずだから、船を使ったんじゃないかな」
そう言って、少年は金貨を投げる。
「釣りはねーからな」
「わかってるよ」
サルデスは金貨を見て驚いた。大体、今の情報量なら、多くても銀貨3枚程度のものだった。
「へっへ、毎度あり」
サルデスが懐に金貨を入れるのに、少し目を離した間に、少年は店内から消えていた。
「末恐ろしいガキだな、全く」
「失礼する」
「あ?」
そして、すぐに別の客が入って来た。
「なっ?!」
サルデスは客の顔を見て青ざめた。
「情報屋のサルとは貴様の事で間違いないか?」
「あ、あぁ……間違いないぜ」
情報屋でなくても顔を見れば、この国の人間なら誰でも知っているであろう人物。
軍司最高司令官オウギュスト・ハインネル将軍、その人だった。