記憶と名前
ルクスは船員を呼んだ。
「乗客の中にこの子を知っている人がいるか探してもらっても?」
「わかりました」
「あなたも一緒についていきなさい。もしかしたら、あなたを知っている人がいるかもしれません」
ルクスはネームレスと少年に船員に着いていくよう言い聞かせ、拘束されている男たちのもとへ行く。
「さて、聞いても無駄だと思いますが、あの首輪をどこで手に入れましたか?」
男たちはそっぽを向き答える気がない。予想通りの反応だ。
「まぁお前ら下っ端に聞いても、何も知らねぇだろうけどな」
ネロが男たちを煽る。しかし図星なのか言い返せないようだった。
船員と少年と一緒に、ネームレスは船内を見て回ったが、どうやら少年を知っている人はいないようだ。少年は特に気にしていないようだったが、ネームレスは落ち込んでいた。彼のことも知っていると言う人は少年と同じくいなかった。もしかしたらと抱いた淡い期待も、無駄に終わった。
船員と別れ、少年とルクスのもとへ帰る途中、大きな音が鳴った。それは少年の腹から聞こえたものだった。ネームレスは船に乗る前に買ったサンドイッチのことを思い出し、少年に差し出した。
「……ありがとう」
「ちょっと休もう。歩き疲れたでしょ?」
美味しそうにがっつく少年を見て、ネームレスは思った。
(僕も昔はこんな風に食べてたんだよなぁ)
何故かそう思った。その瞬間、頭痛と共に記憶が脳内に蘇る。
貧しい生活、必死に勉強をしてこの国トップの王立学校へ入学、その後スカウトされ研究職へと就いた。
「…………っ!?」
頭を押さえ、蹲る。少年は心配そうにネームレスに声をかける。
「大丈夫?ぼ、ぼくがお兄ちゃんのご飯食べちゃったから?」
「だ……大丈夫だよ、ご飯も食べていいやつだから」
(そうだ……僕の名前も、何をしていたのかも)
気分が落ち着き、少年と共にルクスのいる船内へと戻る。記憶が戻ったことを言うべきか悩んでいた。しかしルクスが先に口を開いた。
「もうすぐつきますよ、ゾグさん?」
「なんで……僕の名前を……」
――ゾグ。それは今までネームレスと呼ばれていた記憶喪失の男の名前だった。
しかしルクスは何事もなかったように、甲板へと出ていった。
「向こうに見えるのがスピルス大陸です」
薄く靄のかかった大陸が遠くに見える。だが、それよりも目立つものが隣に見えた。そこだけ空が黒く、異質な空間をしている。
「あの黒く淀んだ島は、すでに死んでいます」
「死んで……?」
ルクスは腰の鞄から、少年がつけていた首輪を取り出し、ネームレス改めゾグに見せた。
「この首輪についている石、集魔石は、我々の生活に欠かせない物になっています。町の灯り、料理などで使う火種、戦争で使うための魔法にも使われ、様々です」
ゾグは黙ってそれを聞いていた。
「ですがそれを巡り、争いが起き鉱石が乱獲され、やがて妖精が減り、精霊に見放されました。それがあの島です」
ルクスは悲しげな顔をしている。ゾグは島から目が離せないでいた。精霊がいなくなるということが、本当にあるのが信じられなかった。遠くからでも感じられるほど、あの島からは重い空気が漂っている。
「この世界にはああいった場所が複数存在していますが、あの島同様、各地の何箇所かはあえて、そのままにしています」
「……何故ですか?」
「また同じことを繰り返すのが、人間ですからね」
そう言うとルクスは首輪を再び鞄に仕舞い込む。船が停泊の準備に入る。あ然とするゾグの背中を、ネロが軽く叩き、降りる準備をするのだった。