子守唄
ページをめくっていただき、ありがとうございます。
今回で第一部完結となります。
まずは、お楽しみください。
永遠の命令を無視したことに対する上陸止めが終わった日、勇名は朝から何もやる気が出ずにベッドで寝ころがっている。連日のように哨戒や戦闘の任務をこなして疲れがたまっていたからか、謹慎中に退屈することはなく、ほとんど眠って過ごしていた。
「母さん……」
母とのわずかな思い出、それも、大半がほんの数週間前の数日間の記憶を何度も思い出しては、後悔の涙を流している。口論したこと、母達報道クルーのルール違反を密告したこと。
そんなことをしなければ、母はまだ生きていたのではないか。
スマートフォンが鳴り、葵からだと確認して電話に出る。
「イックン、大丈夫? ずっと行ってあげられなくてごめんね。ご飯、食べられてる?」
葵は、わだつみの補給や改修のために忙しい中でも、少しの空き時間を作っては、こまめに電話をくれた。
「ああ。電話ありがとう。食事はなんとか」
「ほんと? 何か作ってあげたいけど、なかなか時間がうまく作れなくて。ごめんね」
「謝らないでよ。こうして電話をくれるだけでも嬉しいよ」
「うん。休みが取れたら、必ず行くからね。それまで、体調崩さないでね」
「ああ、気をつけるよ」
「あ、また誰かきた。またかけるね」
電話が切れる。
少ししてまたかかってきたので、電話に出る。
「勇名、おはよう。何してるの?」
「なんだ、リリィか」
「リリィだよ。誰だと思ったの」
「いや、別に」
「まぁいいけど。謹慎明けて非番なんでしょ。どこか外に出たくない?」
「出たくない」
「出なきゃだめ」
「なんで」
「なんでも。もう男子寮の前にいるから。早く支度して来て」
電話が切れる。
「なんだよ、強引だなぁ」
勇名は起き上がり、洗面所で顔を洗い、簡単に髪の毛を整える。寝間着にしている古いジャージを脱ぎ捨てて、適当に私服を取り出してそれを着る。
本当に寮の敷地前まで来ていたリリィに腕を取られ、汐汲坂を目指して歩く。エインは、いつもより更に距離をおいてついてきている。
「あのさ、リリィ。リリィは、お父さんとお母さんを亡くしているんだよね」
「うん。そうだよ」
「亡くなった親って、どうなるの? っていうか、その、リリィの気持ちの中ではどんな存在になってる?」
「大切な思い出かな。それと、私の中にお父さんとお母さんから受け継いだものがあるって感じかな。確かに、私の中にあるっていう」
「自分の中にある……」
勇名は、自分の中に、母はいるのだろうかと考える。物心ついたときには既に離れていて、思い出として残るのは、たった数日間のわだつみでの思い出だけ。それでも、母は、勇名の中にいるのだろうか。
汐汲坂についてすぐ、カフェに入る。勇名の腹から大きな音が響いて、リリィが勇名のためにパスタを注文する。期間限定の蟹のパスタは、コーヴァン北極基地名物の蟹を入荷して使っているのだろう。
「美味しい?」
「うん。美味しい」
「最近、あんまりご飯を食べてなかったんでしょ。少し痩せたわ」
「そうかな」
「そうよ」
「そうか、そういえば、自分が何をしてたのか、よく思い出せないや」
「じゃあ、食べてなかったのよ。でも、仕事に復帰する前に食欲がわいたならよかった」
「なんで?」
「コーヴァンのおじいちゃんが、張り切ってるもの。シミュレータや試験搭乗で大忙しになると思うわよ」
「ああ、六五式への改修か」
「そう、それ。食事くらいしっかりできないと、身体が持たないよ」
勇名はリリィの碧い瞳を直視する。
「ありがとう。心配してくれて」
リリィは微笑む。
「どういたしまして」
汐汲坂を下りながら、リリィのウィンドーショッピングに付き合う。
坂を下りきったところにある海の見える公園のベンチに座り、とりとめのない話で時間を過ごす。
中でも、リリィが獲真主義者の偶像としてどう生きてきたのか、波瀾万丈の人生に勇名は興味を持った。
経済大国エールデで生まれ、物心がついたときには既に、思想界の重鎮だった父の遊説の旅について歩いたこと。父の暗殺に続き、母親と兄弟達が次々と逮捕拘禁されたこと、クバナの獲真主義者達に助けられて世界中を逃げ回ったこと。来るべきクバナ革命のために現地のゲリラに戦闘訓練を受けたこと。革命では偶像として各戦線を渡り歩き、兵を鼓舞して回ったこと。
隠すことなく洗いざらい話してくれたことが、勇名の心の中に沁みていく。
「私は、民衆が自分の手で世界の真の姿を知ることを望んでいるの。世界の核心について七賢帝だけが独占して世界を治めていること、これはとてもよくないことだと思う。だって、正しい知識なしに、正しい判断はできないでしょ。なのに、前提となる知識を独占しておいて、民衆には正しい判断はできないと決めつけるなんて理不尽でしょ」
「ああ。そう思うよ」
「私は、父の遺した獲真主義を掲げ続けて戦っていくつもりでいるの。でも、それだけに、急進派を名乗るテロリストを許す訳にはいかない。彼等の行動は、民衆と獲真主義を引き離してしまう暴挙だから」
「そうなのか、だから、わだつみを支援してくれるのか」
リリィは笑顔を見せた。勇名の心に浸透していくような笑顔だ。
「ねえ、あれ、人魚かなぁ」
リリィに言われて海面を探すと、口をあける人魚を見つける。
「唄ってる、よね?」
「ああ。唄ってるよね」
リリィが立ち上がる。小さな声で歌い出したと思うと、それは日本語の歌だった。
――ねんねんころりよ、おころりよ。坊やはよい子だ。ねんねしな。
人魚の唄が、リリィに合わせているかのように変化していく。
――ねんねのお守りはどこへ行った。あの山こえて里へ行った。
ふと、勇名の脳裏に、自分を抱く母の姿が描かれる。それは、おぼろげな記憶、偽りかもしれない記憶だ。しかし、自分が泣いていることを勇名は自覚する。
「小さい頃、八洲人のメイドに歌ってもらった日本の子守唄よ」
――里のみやげに何もろた。でんでん太鼓に笙の笛。
リリィが声を出して泣き始めた勇名を抱きしめる。
――起きゃがり小法師に振り鼓。起きゃがり小法師に振り鼓。
勇名は声を出して泣きながら、リリィの温もりに身を委ねた。
第一部完結までお読みいただき、誠にありがとうございます。
勇名の心の成長を、少しは感じていただけますでしょうか。
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今後とも、「海流のE」をよろしくお願いします!




