北極圏にて
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勇名はわだつみの艦首で、母が墜ちた灰色の海を見ていた。
わだつみ艦上にある葬儀場兼火葬場で一通りの儀式をこなして、父のもとにお骨を送る手続きをしたあと、花束を買ってここまで歩いてきた。
リリィとエインが、付き添っている。特に会話もないまま、三人で来た。とにかく勇名を一人にしないよう、リリィはついてきているのだろう。
葬儀には、葵も鈴も螢も出席しなかった。コーヴァン北極基地に到着して以来、三人は特別に多忙で、勇名の母を一緒に送ることができなかった。
勇名が花束を手から離すと、それは風に乗って少し飛んだ後、くるりと向きを変えて落ちていった。
勇名はほとんど記憶にない父親のことを考える。もしかしたら、母のお骨が少ないことに驚くかもしれない。母の遺体は7割方見つからなかったのだ。事情を知らない父は、不思議に思うかもしれない。
「勇名……」
今日初めて声を発したリリィを見ると、彼女の手袋をした手が勇名の手を包んだ。仄かな温もりが手袋越しに伝わってくる。握り返す気持ちにはならなかったが、振りほどきたくなるような不快感もなかった。
しばらく、そのまま海を眺めて、久々に母親と会ったときの気恥ずかしさや、複雑な気持ちを思い出す。自分を産んでくれた人なのに、母のことを何も知らない自分がいた。自分がひどく冷酷な人間であるかのような気がした。
視線を落とすと、花束が交差する波に飲まれて消えていった。
「リリィ、俺は宿舎に戻るよ」
「うん。近くまで一緒に行ってもいい?」
「うん。リリィの都合が大丈夫なら」
二人の手が離れて、勇名を先頭にゆっくり歩く。コーヴァンの技術者が、今夜は雪だろうと言っていたのを思い出す。灰色の雲が、今にも落ちてきそうな程、重たく見えた。
宿舎につけば、上陸止め*の続きが始まり、敷地の外に出られなくなる。振り返って景色を頭に焼き付けようかと思い、少し立ち止まったが、どうでもよくなってしまった。
深く悲しんでいる様を自分で自分に印象づけるような真似は、母に対しても、何より自分に対して不誠実な気がした。
「どうしたの、勇名?」
「いや、なんでもない」
しばらく歩き、宿舎前でリリィ達と別れる。
◆◇◆◇◆
「陛下、今のままでいいと思います。本番では、無理に立ち上がらず、車椅子のままでもいいでしょう」
「わかりました。ここは、そのままの文で。車椅子に座ったまま、ですね」
誠十郎と女皇は、わだつみからの全世界向け放送の打ち合わせをしていた。わだつみの機材では、八洲護衛艦のジャミング能力や、本土からのハッキングに阻まれて、八洲国内のみならず、世界的にも情報発信を妨害されてきた。
コーヴァンの施設を借りることで、やっとこちらの言い分を主張できるのだ。女皇、誠十郎、鈴皇太女などが集まり、スタジオでの準備を進めている。
八洲国内では、女皇と皇太女は誠十郎率いる急進派獲真主義者に拉致されたことになっている。
しかし、生中継で女皇と皇太女のコメントを発表出来れば、拉致という報道が偽の情報だったと分かるはずだ。そして、わだつみの現首脳陣が決して獲真主義者ではないことや、むしろ八洲国内でこそ急進派が勢力を伸ばしたことを知らせることもできるだろう。
誠十郎にとって、情報戦でここまで遅れをとったことは、人生の汚点といってもいいほどだった。ようやく、反撃の機会が巡ってきた。
◆◇◆◇◆
達彦は、コーヴァンと並んで六式の前にいる。駆け出し整備士である達彦だが、勇名との関係から永遠とも親しく、コミュニケーションが円滑であるため、六式の整備担当の一人になっている。
達彦にとってヴァルタザール=コーヴァンは正に憧れ、アーミス整備のレジェンドである。
「さて、四五式への大幅改修を始めよう。永遠さん、心の準備はよいかな」
「はい。お願いします」
「神話体そのものは、ほとんどいじらないでできるから、永遠ちゃんが怖がることはないからね」
達彦が穏やかに微笑みながらそういうと、永遠は緊張しつつも少しは安心した様子に見えた。
「はい」
長い運用歴を誇る他の兵器と同じで、六式も無数のマイナーチェンジを繰り返してきている。しかし、つぎはぎだらけの外装やプログラムは、整備を難しくしてしまうし、トラブル発生時の原因究明や解決法をややこしいものにしてしまう。
そして、この改修は近年わだつみの新開放エリアから見つかったネプチューンシステム・マーク・オリジン用のチップセットを実装するのが主眼だ。
ブラックボックスと言ってよいほど、中身の研究が途上にあるチップセットだが、100㎜四方程度の小さな基盤で推定10000のAIが運用されるらしい。
「これで、間違いなく戦いの様相は変わる。むしろ、戦争がいかに馬鹿馬鹿しいものであるか、世界中の人間達に雄弁に物語るのかもしれん。ナカムラ少年、この改修に立ち会えることを誇りに思いなさい」
「はい。誠心誠意取り組みます!」
達彦は満面の笑みでヴァルタザールに答えた。
*上陸止め……海軍でよく見られる懲罰の一種で、船が着岸しても船から下りられない。船上にいれば何かしら役割や仕事があるので、休暇禁止と自宅謹慎を兼ねたような罰。艦上に民間地区もあるわだつみでは、宿舎の敷地から出てはいけない運用になっている。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
勇名が大きなショックを受けた状態で物語が始まりました。もし彼の心情に感情移入していただけたなら、物書きとしてとても嬉しく思います。
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今後とも本作をよろしくお願いします。




