流民の少年/1
難しく考えずふわっとした感覚でお読みください
「~♪」
『随分とご機嫌だな、お前のそんな姿は初めて見たぞ。 昔からどんな遊具を与えてもさほど関心を示さなかったお前が、この婚約ひとつでそこまで浮かれるとは』
「あら、好いた方と一緒になれると決まったのですよ? これに浮かれない者など男でも女でもいませんわ」
ラインヘルト家でのお茶会もとい婚約協議を終えて、中継地点の街を経由しながらなので3日過ぎましたが今は帰りの馬車の中です。 椅子に座りながら鼻唄を歌い足をパタパタと揺らしていた私に、お父様がちょっぴり呆れたような笑顔を見せます。
窓から見える景色は当家が治めますミドカント領のフラウェアという街ですが、既に日が傾いて赤みがかる空の下で人々はまだまだ忙しなく働いております。 時折こちらの視線に気付いて私に笑顔でお辞儀をしてくださる領民の方もいらっしゃるので、そんな方には私も笑顔で手を振ってご挨拶します。
お父様の優れた手腕により今日も領地の民は問題なく過ごせていそうですね、良かったですわ。
「────きゃあっ!?」
『危ないリコリス! 私に掴まれ!!』
するとガタンッ!!と大きな音をたてて馬車が急に強く揺れながら止まり、その衝撃でまだ幼い私の身体は席から浮き上がってしまいますが向かいの席に座っていたお父様が受け止めて支えてくださったことで事なきを得ました。
外では馬車を引いていた馬が嘶く声と蹄の音、御者が宥めようとする大きな声が聞こえてきます……なにかトラブルが起きたようですね。
『何事だ』
『申し訳御座いません旦那様、馬車の前に人が倒れこんできまして……』
「まぁ、怪我人か病人の方?」
『いえ、どうも浮浪者の子供のようです。 しかしあの見た目……恐らくですが他所から流れてきた民かと』
お父様が私を腕に抱いたまま馬車の小窓から御者に問いかけますが……ふむ、浮浪者ですか。 どうしたって貧富の差はどこでも生まれてしまうものですが、流民となると話が変わってきますね。
数名程度ならまだしも、もし知らず知らずの内に多くの流民が流れてきているのだとしたら大きな問題です。 職や住居、食料の問題や領民と流民のトラブル、特に危惧するのは流民による犯罪行為が発生することです。 盗賊の類いになどなられたら流通にも影響が出ますので。
「お父様、ひとまず確認してみましょう。 もしどこかから逃げてきてような者ですとどこから流れてきたのか知らねばなりませんわ」
『ああ、分かっている。 危ないからお前はここで待っていなさい』
お父様は私を座らせると一人馬車から出ていきます。 私はそっと小窓から馬車の前側を覗き込みますとそこには確かに子供が一人倒れていて、お父様がうつ伏せに倒れていた子供を転がして仰向けにして姿を確認します。
ですが遠目に見ただけでもハッキリ分かるその変わった姿に私は思わず目を丸くしてしまいました。
「あれは……呪い?」
仰向けにされた少年は褐色の肌に後ろで結んだボサボサの長い黒い髪をしていて、恐らくまともに食事を摂れていないのでしょう痩せ細った手足がボロボロに汚れたシャツと半ズボンから伸びています。
ですがその手足や顔に至るまで、まるで黒い蔦が全身を絡め取っているかのような紋様が入れ墨のように浮かび上がっています。 そしてその紋様からは酷く濃い闇の魔力が滲みだしていて、あんな気持ち悪い魔力を放つのはかなり悪意や殺意をこめた呪いです。
「お父様、あまりその子に触らないで。 相当に強く呪われていますから影響がないとも限りません」
『リコリス、中にいなさいと……言っても無駄だったなお前には』
私は馬車から降りるとお父様の制止を無視して倒れた少年の側にしゃがんで全身を確認します。 ……ふむ、かなり呪いが進行していて魂の深くまで食い込んでいるので、私では対処に時間がかかりますしこのままではいつ力尽きても不思議ではありませんね。
屋敷に運んで処置するのも手間ですし移動が彼への負担になる可能性もあるので、ここで何とかしてしまいましょうか。
「召喚、ディア。 召喚、ヴルド」
『はぁ~い、お呼びですかぁ~お嬢さまぁ~』
『はいお嬢様、ヴルドはここに』
私の声に反応するように少年を挟んだ向かい側に黒と白の小さな魔方陣が2つ地面に浮かび上がり、そこからメイド服の女性と執事服の男性が姿を現します。
メイド服の女性はディアという名前で光輝くような真っ白でふわふわとウェーブがかかる長髪に、少し目尻が垂れておっとりとした雰囲気の金色の瞳をもつ息を飲むほどに美しい顔立ち。 そこに出るところは出つつもバランスの取れた造形美を感じるプロポーションをしています。
執事服の男性はヴルドという名で、ディアとは正反対に背中の中程まで長さのある呑み込まれそうなほどに深い黒をした髪をオールバックで首の後ろで結い、アメジストを思わせる紫色をした瞳は冷ややかな印象を受ける切れ長でモノクルを左目に着けている。 細身でスラリとした長身に凛とした美しい顔立ちをしています。
……しかしこの二人は人間ではありません。
ディアは光の大精霊、ヴルドは闇の大精霊であり、ついでに言いますと二人は夫婦です。 光と闇はあくまで反対な性質なだけで精霊同士が反発し合う訳でもなく、むしろ表裏一体と言わんばかりに非常に仲睦まじい夫婦です。
二人とも私と契約をしていていつでも呼び出せる……のですが、基本的にうちの館で働いているので家だと召喚使わなくても呼べば来ます。 あ、契約とかで縛って無理やり働かせている訳ではありませんよ?
私が自分の能力で地球の洗濯洗剤を買ってメイド達に使い方を実演していましたら、お散歩していたらしいディアが眩しいくらい真っ白になったシーツや柔軟剤の香りを気に入って洗濯そのものに興味を持ってしまったのですよね。
それでそのまま人に変身してメイド達の中にしれっと紛れ込んでお洗濯をしようとしましたが……まぁこの目立つ見た目ですし直ぐに気付かれて騒ぎになり、光の大精霊であることが分かったので望み通りお洗濯させてから帰そうとしたのですが、いやいやもっとお洗濯したいのと駄々をこねられて……全属性の適正がある私と契約して今はメイドとして働いています。
しかしどうもお洗濯以外の仕事も彼女からしたら初めて人間の中で生活するという非常に新鮮で楽しいものだったようで、毎日イキイキと働いております。
それでヴルドのほうはディアから事情を全部聞いて把握した上で『この度は妻がご迷惑を……』といった感じでご挨拶をしにきて、尚且つディアから人間の生活が楽しいと散々話されて自分も興味があるので体験させてくれないかと頼まれました。
なので執事1日体験といった形で我が家のベテラン執事セヴァスに隣についてもらい見学や簡単な業務の体験をしてもらったところ、こちらはどうやら料理や紅茶に興味を抱いたらしく……そのあとは似た者夫婦なようでお察しです。
食事系は料理長には及びませんが、お菓子類はヴルドの作ったものに軍配が上がります。 紅茶の淹れ方もあっという間に形になっており、メイド長に次ぐ美味しい紅茶を淹れるようになりました。
つまり、彼らは自分の趣味のような感覚でメイドと執事をしています。 その過程で私のこともいたく気に入ってくださったようで、私の命尽きるまで契約を続けて力になることを約束して頂いています。
「この呪いを解きたいのだけれど力を貸してくれるかしら。 ディアが呪いを浄化しつつ内包された魔力ごと引き剥がして、ヴルドが剥がしたものの魔力を残さず喰らってついでに呪いだけ大元に突っ返して頂戴」
『わかりましたぁ~。 うわぁ、これすご~くひねくれた呪いですねぇ~。 いっぱい苦しかったですね~よしよしもう大丈夫ですよぉ~』
『かしこまりました。 ちょうど小腹も空いていましたし、そこそこ質の良い魔力がこもった呪いなので味も悪くなさそうです』
あら、美味しいものが食べれると少々興奮気味に舌なめずりしたヴルドの姿に野次馬の女性が何人か悲鳴をあげて倒れたわ。 一般的に見てすこぶる良い容姿してますものね、彼。
ちなみに領民達に二人は[珍しい光魔法と闇魔法に精通した使用人夫婦]と認識されており大精霊であることは明かしていません。 使用人業務で街にお買い物行ったり二人でデートしていることもあるので、容姿の良さから目立つ二人はそれぞれにファンがつきつつも仲睦まじい二人の邪魔をするつもりはないようで領民公認のおしどり夫婦です。 いつか私とイオニス様もそうなりましょう。
ディアは服の汚れも気にせずにその場に座ると少年の頭を自らの膝に乗せ、木漏れ日のように穏やかな光を帯びた手で優しく頭を撫でながら歌を口ずさむように古代精霊語を呟く。 優しく微笑みを浮かべ傷付いた幼子を慈しむその姿はまるで地球で見た聖母像のよう。
『泣かないで頂戴、可愛い子。
光の元に生まれたもの皆わたしの可愛い子。
ほら、手を繋ぎましょう?
光の下で踊りましょう?
きっと楽しいわ。
たくさん楽しいわ。
あなたが笑ってくれるように。
あなたが幸せであるように。
愛しているわ、わたしの可愛い子』
ディアの詠唱と共に頭を撫でる手から清浄な光の魔力が少年の中に巡り始める。
私はしゃがみながら少年の手を握り彼の中にある魔力の流れにそっと意識を集中させる。 ……彼本来の魔力がまるで不整脈のように乱れ、そしてお腹の深くになにやら良くない魔力の塊が居座っている。
しかし流れ始めた光の大精霊であるディアの魔力は汚れを押し流すように体を巡りながら呪いに汚染された魔力をその塊に押し込め、そして私に目配せして合図を送るとそれを一気に体から引き剥がし同時に引きずり出したものを私が自分の魔力で器を作りだして閉じ込めた。
……宙に浮かぶのは直径30cmはありそうなガラスを思わせる透明の球体と、その内側を限界まで満たした酸化した血にも似た禍々しい赤黒い液体。 魔力の高くない者でもこの球体が発する恐ろしい気配に野次馬の一部が小さく悲鳴をあげて後ずさる。
私は浮かぶソレに手をかざし反発する力をより強い魔力で無理やり抑え、押し潰すように全方位から力をかけてかけて……それはもうギッッッチギチに闇の魔力を圧縮したビー玉サイズの球体に変えてしまいました。 既視感ありますがこれはあれですね、黒飴。
するとディアの隣で見守っていたヴルドがニコニコとご満悦の様子でその呪いをつまみ上げると、恍惚とした顔で口の中へと放り込みます。 そして本当に飴のように口の中で転がしながらじっくり考えております。
『……ふむ、どうもこれは彼個人というよりはこの少年が受け継いだ血統に対してかけられている呪いのようですね。 それにこの国のものではない魔力……香り高いスパイスに似た風味を感じます。 ふふ、コーティングするお嬢さまの極上の魔力を引き立てるよいアクセントになっております』
「あら、食レポありがとう。 じゃあ“もういいわよ”」
私が出した“よし”の合図にヴルドは待ってましたと言わんばかりに間髪いれず口に含んだ呪いの塊を噛み砕いた。 ボリッボリッと固いものを咀嚼する音が周囲に響くけれど、その音を発している本人は本当に嬉しそうなのよね。 捻れに捻れた死の呪いも闇の大精霊にとってはいいおやつだわ。
そして呪いを浄化された少年は荒かった呼吸は少し落ち着くけれど、呪いを抜きにしても体自体が衰弱していたために目を覚ますことはない。
「お父様、呪いも解けましたし一度この子を我が家に連れて帰り療養させましょう。 明らかに違う国の出身ですしどこからどういう経緯で、どれだけの人数で流れてきたのか調べないと」
『……あぁ、そうだな』
了承こそすれどお父様は非常に難しい顔をしている。 まぁ、無理もないわね。
血統に呪いをかけられる存在なんて、王族か貴族くらいですもの。