お茶会/3
実際のマナーなど深く考えずふわっとした感覚でお読みください
『すいません、お待たせし──』
『うわ、うわぁあぁぁぁぁぁ!!!』
あれから十分もしないくらいかしら? イオニス様の声と温室の扉を開く音に私が笑顔で振り返ると同時に、私の目の前で地面に膝をついて泣きながら必死に耳を塞いでいたニルウァ様が慌てて足をもつれさせながら逃げ出していきました。
『ニルウァ!? あ、あの、一体何が……?』
『い、いえ、その……それは……』
「ふふふ、あの子が貴族らしからぬ振る舞いをなされていたので、ちょっとだけ訂正と……あとは少々のお説教を僭越ながらさせて頂きましたの」
ええ、ちょっとだけよ? なのにあんな風に泣いて逃げ出すなんて……あまり強めに怒られた経験がないのかしらね? うふふ。
バロウ様はどこか青い顔で視線をさ迷わせていましたが、私がにっこりと笑いかけるとどこか困ったような笑顔を返してくださいました。 優しい方ですこと、こちらの使用人でなければうちで雇いたいくらい。
「でも少し強めに言い過ぎたかしら? 良ければ後でイオニス様が慰めて差し上げてくださいな」
『え、えぇ? はぁ……でも僕より父様か母さんのほうが……』
「いいえ、ぜひイオニス様が。 きっと今のあの子ならイオニス様のような方に優しくされれば……いえ、なんでもありませんわ」
弱った心につけ込むのは常套手段ですもの。 自尊心や自己肯定力がボロボロの今のニルウァ様になら、イオニス様の優しさはそれはもう心の奥まで染み渡るほど甘美でしょうね。 やはり夫となる方の兄弟仲は、お互いが嫌いあったり憎みあう関係でないなら良くして差し上げたいですもの。
さて、ではイオニス様もお着替えが済んだことですしここからはイオニス様からお話を聞くことにしましょうか。 バロウ様も空気を読んでくださったのか『私は外で道具の手入れの続きをしております』と告げて温室から出ていきました。
「さ、ではこちらのお花や木々について色々とお話を聞かせてくださいな」
『ひぇっ!? あの、う、うで……!!』
私はイオニス様の腕をがっしりと抱き締めるようにして抱えます。 仲睦まじい恋人のようにぴったりと身を寄せて。 強張った腕の筋肉と、そこからでも伝わってくる速まる心臓の鼓動が心地よいですわー。
「あ、それと私、ノーム達にイオニス様の妻として認めて貰いましたわ」
『はいっ!!? えっ、ノームが見え、えっ、妻、えっ!!?』
あらあら顔が真っ赤ですわ。 元々縁談のためにお伺いしているのですから、妻となるのは自然の流れですのに。
「うふふふ……良き妻として努めますので、末永くよろしくお願いいたしますイオニス様」
『え、っと……よろしくお願い、します……?』
『のむのー♪』
『のむむー♪』
あら、さっき逃げてしまったノーム達も帰ってきましたわ。 寄り添う私たちの周りを笑顔でぐるぐると駆け回っておりますが、彼らなりの祝福を表現しているのかしら。
そう思っていたら頭の中に【〈大地の祝福〉が与えられました】と女性の声が響きました。 ふむ……剣術や魔術の特訓でも何度かありましたが、これはいわゆるスキルを手に入れた時の現象です。
現代日本から生まれ変わって来た身としてはまるでゲームのナレーションにしか聞こえませんが、この世界で生まれ育った人々にとってこれは〈女神の神託〉と呼ばれています。 この世界を見守る女神様がスキルを授けてくださった、という認識で。
さて、ではこの〈大地の祝福〉とはどんなスキルかしら。 推測するに地の精霊であるノーム達に認められたことがきっかけだったようですけど。
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〈大地の祝福〉
大地を司る精霊より受けた祝福。 あなたが大地を愛し続ける限り、大地もまたあなたを愛するだろう。 【地属性魔法の威力上昇、植物を上手に育てられるようになる、ノームの里に入れる】
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「まぁ、イオニス様の妻として相応しいスキルを手に入れましたわ。 〈大地の祝福〉です」
『あ、あなたも? ……すごい……ノーム達は好奇心旺盛だけど臆病だから、姿が見える人にもあまり祝福なんてしないのに……』
「きっとイオニス様の妻となる者だから警戒を緩めてくれたのかもしれませんね。 それだけこの子達はイオニス様を信頼しているのでしょう。 なのでこれはイオニス様のおかげです」
『のむー!』
まるで私の言葉を肯定するようにノーム達が笑顔でピョンピョンと飛びはね、それを見てイオニス様はどこか困ったような笑みで首を傾げる。 自分に自信がないからか己を賛美する言葉を人から受けても素直に受けとることが出来ないのかしらね。 そんなちょっと無意識な卑屈も可愛いですわ。
それからイオニス様と寄り添って温室内を再度巡りましたが、最初こそガチガチに緊張して口数も少なく話してもしどろもどろだったイオニス様も私が草木についての質問や薬草類の効能について見解を述べると丁寧に1つ1つ分かりやすく教えてくださったり、私の意見を素人と侮らず真面目に考えて吟味してくださったりと自分の趣味の範囲でなら緊張を解いてくださるように。
あー、これ知ってますわ。 身に覚えがあります。 いわゆる自分の好きな物に関して饒舌になるオタクですね。 ……うっ、頭が。
『噂通り、リコリス様は本当に博識な方ですね。 僕は……植物のことくらいしか分からないから、ちょっと羨ましいです』
「あら、私は移り気なだけですわ。 イオニス様のように一つに情熱を注いで極めるというのは得意ではなくて。 ……あぁ、でも安心なさって? 私の愛はイオニス様に生涯注ぎ続けますから」
『あ、あはは……本当に、貴女がなんで俺なんかを選んだのか分からないですけど……』
ふむ、自分に自信がないのは別に気にしませんが私のこの溢れるどころかノアの洪水よろしく世界を押し流さんばかりの愛を信じて頂けないのは悲しいですわ。 くすん。
では早めに信じて頂けるよう、ここで一つ愛の証でも差し上げましょう。
「まぁイオニス様、髪に木の葉が……」
『えっ? 失礼しました、えっと……』
「お取りしますのでちょっとしゃがんでくださいませ」
『あっ、はい』
私が手を先に伸ばしていたためか考える間もなく自然と頭を下げてくださるイオニス様。 なのでその懐に身を滑り込ませまして……チュッと。
『ッッ!!!?!?』
「ふふふ、これで私のイオニス様に対する愛情をちょっとは信じて頂けますかしら?」
『えっ、ぁ、あの、え、えっ……!!??』
「こちらへは、いつか貴方が私の愛を信じて下さった時に贈りますわ」
そう言って私は自らの唇を指でなぞる。
あらまぁ全身が熟れたリンゴみたいに真っ赤っかだこと……湯気でも出そう。 私は鼻先に軽くキスしただけですのにね、うふふ……。
私としてはもちろん唇にしても良かったのですが、それはまだイオニス様には刺激が強すぎますわ。 婚約者になるのはもう確定ですし、逃がすつもりも毛頭ございませんので焦らずじっくりと私の愛に染めていきましょう。
そしていつか貴方にとって私の愛が酸素になれば嬉しいですわ。 常に側にあるのが当たり前で、けれどもただ生きるだけでそれがなければ生きられない……そんな存在に。
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鼻へのキスが効いたのか打ち解け始めていたのが再びガチガチの緊張状態になってしまったイオニス様を可愛らしく思い堪能していますと、メイドの方がお父様達の話し合いが終わったから応接間に来るようおっしゃっていると伝えに来てくださいました。
私はまだラインヘルト家のお屋敷について間取りは詳しくないのでイオニス様にエスコートして頂きます。 もちろんしっかり腕を組みながら。 途中すれ違う使用人の方々が見た瞬間は驚いた顔をしますがすぐに微笑ましいものを見るような笑顔になり、中にはイオニス様に向けて口パクで『がんばれ!』と言っている方も。
ふむ、イオニス様は自分を卑下なさるけれど使用人との関係はかなり良好なようですわね。 まるで友人や家族のように思われている空気を感じます。 素敵なことですわ。
応接室の前に到着すると私が扉をノックして入ってもいいか声をかけるとラインヘルト伯爵様から入室許可の言葉を頂けましたので扉を開けますと、中ではソファーに腰掛け足を組みながらニッコリと私達に向けて笑いかけるお父様、机を挟んだ向かいのソファーでお父様とは対照的にぐったりと疲れたような様子で少し項垂れるラインヘルト伯爵様、伯爵様の隣でお父様と同じようにニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべられているシスティーヌ様がいらっしゃいました。
テーブルの上には証人欄に名前の書いてある婚姻契約書が置いてあります。 本来ならもっと何日もかけて家同士が相談をしたり本人達の親睦を深めて相性を見るものですが、今回は私のゴリ押しにより最初から完全にイオニス様へロックオンをして逃がすつもりもないため婚姻に必要なものは1つ残らず準備済みですの。
ふふふ、それに加えて私のお父様ですから。 私以上に口が上手くてよく回るので、相手を完膚なきまで言いくるめたり逆に望まない提案を潰すことは十八番中の十八番ですのよ。
『リコリス、ラインヘルト伯爵との協議は終わったよ。 あとはお前達が婚姻契約書にサインをすれば成立だ』
「まぁ嬉しい! これで正式にイオニス様の婚約者になれますのね!」
『そうだとも。 ラインヘルト伯爵、婚約発表に関しては今後改めて協議致しましょう』
『……あの、やはり考えを変えるつもりは……もう少し日をまたいでご相談を……』
『えぇ、えぇ! 勿論です! いつでもご予定を合わせられます! ね? あ な た ?』
……伯爵様の様子を見るにやはりニルウァ様との婚約打診があったのでしょうね。 しかしお父様にまったく相手にされず、今もまた諦めきれず食い下がろうとしましたがシスティーヌ様に食いぎみに遮られてシュンと身を縮こまらせております。 あらあら、強面なお顔に似合わず奥様の尻に敷かれてるご様子。
私は書面にざっと目を通し不備がないことを確認しますと、置かれていた羽ペンでサラサラと自らの名前を記入します。 そしてペンをインク壺に戻しますとイオニス様に笑いかけながら場所を譲りました。
『……本当に、僕でいいんですか……? 貴女ならもっといい人がいるでしょう? きっと殿下の婚約者にだってなれるのに……』
「貴方でいいのではないわ、貴方がよかったの。 いえ、貴方でなければ嫌だったのよ」
私の答えにまだ完全な信用は得られてないからか不安げに視線を逸らしますが、それでも恐る恐るペンを手にして契約書に自らの名前をお書きになられます。
『あの……僕、こんな暗い性格で……勉強も人並みで、容姿もパッとしないし……貴女につり合う要素ひとつもないですけど……それでも、その……大事に、します。 絶対に』
「えぇ、私こそ生涯貴方だけを愛し続けることを誓いますわ、イオニス様」
ペンを置いて私に向き合ったイオニス様は躊躇いがちにですが握手を求めるように手を差し出されたので、私はその手を両手で包み込みます。
なにも焦ることはないわ。 私達にはまだまだ時間があるのだから、ゆっくりじっくりと距離を深めればよいのです。 ……もちろん、その深さは言うまでもなく星を突き抜けるほどを目指しますけれど。 ふふふふ……。