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まいふぁーざー いず ぺいんたー

 中学にあがって英語を初めて学んだときのことを宗介はよく覚えている。

 前の席のハーフの女の子が背中だけ笑っている。クスクス声を漏らさないように声を押し殺して笑っているのだ。

 目鼻立ちはくっきりしているけれど、洋子の名前だったから彼女の口から父親がアメリカ人だと教えてもらうまで、それが分からなかった。

「だって、初めてのときはいつだってそうしてるのもの。ママが、すぐにハーフって分かるといろいろ面倒くさいことが起きるって。クラスメイトや先生やママたちには仲良くなったら頃に分かるのが丁度いいんだって」

 3カ月たって転向していったけど、洋子は初めての英語の授業あとの休み時間に宗介を掴まえて、昨日まで小6だった男の子が絶対そこまで頭を回さない箇所を丁寧に解説してくれた。

「まいふぁーざーいずてぃーちゃー。パパ、そんな変な英語、ぜったい、言わないよ。ファーザーって逢ったこともない友達のお父さんみたいだもの。自分のパパならダッドだよ」

「じゃあ、ぼくが洋子のおとうさんを、ようこのふぁーざーっていうのはOKなの」

 両腕でまん丸つくりながら「OK」っていって、洋子はもっとたくさんの友達をつくりに春の陽光の溜まっている窓側の席まで出張っていった。彼女と親しく話したのはその一回きりだけだったけど、ふぁーざーを口にすると、その声はいつも洋子の声になる。


 まいふぁーざー いず あーてぃすと

 まいふぁーざー いず ふぇいます ぺいんたー


 家から父がいなくなったあと、宗介は「おとうさん」の日本語を使いたくなかった。ママとはお互いに意識しているからその呼び名が出ることはなかったが、誰かしら間に入ってるお喋りのときは、母と子の繋がりの中に「おとうさん」は必要不可欠になる。


 ー そうすけちゃん、色白なで肩だったからてっきりお母さん似って決めつけてたのに。しばらく見ないうちに、ほーんと、おとうさんそっくりになってきたわね


 事情をしらない久方ぶりの知人がママに時候のあいさつでこんな一言を挟んだとき、傍らで聞こえている宗介は、洋子の声で「しみらぁーふぁーざー」と翻訳する。すると、是枝恭介の固太りの肩や酔っぱらったあとの暑くて臭い息やあご髭の感触は消えて、のっぺらぼうの、まだ一度もあったことのない洋子のおとうさんまで遜色なく薄らいでいく。

 そうした作法をとおして、思春期の宗介は父親の不在を過ごしてきたのだ。

 もちろん楓にそんな恥ずかしい話しをしたことはない。恥ずかしいというより子供じみているのが形容詞として似つかわしい。親子ほど離れた妹に遠い自分の記憶を付き合わせる道理はない。 

 それでも、それを意識しないわけにはいかない。楓のお父さんは、わたしのふぁーざーだから。


 ー ふぁーざーは娘をどう扱ったのだろう、楓はどんな扱われ方だったのだろう。

 そうした妄想は許される。

 肩ひじ張って妄想しないのは、かえって嘘つきな気がする。卑怯ものとののしる声が聞こえてくる。いまになっても同じままなんて、あのとき隠したり背けたりして生きてきた中学生の自分に申し訳ない気がする。いつまでもたった一言の思い出だけで引きずられているセーラー服姿の洋子にも申し訳ない気がする。

 楓とわたしには、一緒の人だから。その人の話をしよう。それをしないのは、かえっておかしいよ。無理してるなんて、十代で済ませること。もうお互いに大人なんだから、ふたりのママたちも見守ってるよ。

 ー だから、楓。藤田さんのいない場所で、藤田さんが聞こえないところで、おとうさんの話を聞かせて。ぼくらの記憶を穴の開いたままにしたくないから。


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