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最後の一日

 今夜は本当に最後なのかもしれない。窓の外から橙色(だいだいいろ)が見えてきた。まだ熱くならないから紅蓮の炎に包まれた実感はないが、窓ガラスが溶け出し炭化した天井がズサズサ落ちてくるのはそう遠い先ではない。それとも、そんな大袈裟な結末はわたしの網膜の中だけかもしれない。でも、それはどちらでもいい。自らの目で自らが見えないのが分かり切ってるなら、この期に及んでどちらか問うてもせんないこと。残りが少ないのは確かだから、最後の在りかを見定めるのに専念しなければ。

 熱くなった。ガラス窓が溶けるよりも先に天井が落ちてきた。階上(うえ)にのった楓の彫りものたちが墜ちてくる。抱えても持ち上がらない(いつき)の重たいドスドス、ドスンの音はない。これで釣り合ってる。この期に及んでの大騒ぎは、わたしには似つかわしくないから。どれも硬い殻を剝ぎ切(へぎき)ったつるんの肌で、これからお昼寝でもしましょうの緩んだ匂いにむせかえりそう。

 これが最後のお別れ。ほらっ、先に身売りされ離れていった九十八体が、世間の垢を浴びた身なりで里帰りしてくれた。違う身なりを少し恥ずかしそうにして、顔出しせずにこの世を終える堕ちた彫りものたちを支えてくれる。 - 怖がらなくていいから。ちゃんと最後まで(そば)に付いててあげるから。

 わたしが長らく裏の生業(なりわい)にしていた目利きの相手も、ちらほら集まってきた。楓の掌に較べれば集まったのは思いのほか少なかったが、それでも算盤(そろばん)ずくでなく本当に好きだった唄が三つも顔を出してくれたのは嬉しかった。生業(なりわい)と幸せが目くじら立てないものは愛おしい。口ずさむとイントロいれた3曲は3人娘のコーラスみたいに8分丁度で繋がった。

 この期に及んで8分丁度のコーラスは張ったりだ。少し怖くなってきたのは否めない。自分の口元ばかり目をやってるうちにママたちと是枝恭介、それに藤田さんは先に済ませていってしまったらしい。藤田さんは着ていたものを綺麗に四角く畳みソファに置いていた。一番長い年月そこに座っていたひとなので、黒馬をなめした革には藤田さんのお尻のあとが形になって残っていた。恥ずかしがりやの藤田さんはそれを隠したかったに違いない。オランダ風の先の丸まったベージュの靴は白い灰に変わり、足元に一足分の灰の山を築いている。いかにも几帳面な藤田さんらしい始末の仕方だった。階下(した)が藤田さんの部屋というのは、やはり、わたしの妄想だった。藤田さんは此処から十五キロメートル離れた武蔵野の森を間尺にあった分だけ切り開き、十二畳一間のトレーラーハウスに住んでいた。もっともこの辺りのいきさつは全てが終わったあとで分かったことだが。

  

 楓は隣にいる。すべてを片付け始末したあとでも(かたわ)にいてくれる。すでに動かなくなってはいるが、カーボンファイバーのように頑なにみえる肌あいが触れればしなやかなゴムまりを掴む心地に変わるのは以前のままだ。

 楓に触れるのは久しぶり。どれくらい間が空いたのか思い出せないほど灰は溜まっている。動かなくなったと感じたが、楓が動かなくなったのは随分むかしから始まっていたことのように覚えてる。

 それは、妹の存在を始めて知ったときよりも、ツインテールの写真から一気に大人になった直の姿にあったときよりも、そんな時の移ろいや形の移ろいとは別に存在を育む以前からこうして漂いわたしの傍らにいてくれたような気がする。ソファに座り続けて。ひとりで座るには広すぎるあのソファには楓とふたり座っていれば、ほかは何もいらない。藤田さんもママも是枝恭介も、3人目に座るひとはもういらない。

 

 紅蓮はもう中まで入ってきた。でも熱くない、部屋の中はいつもの夜のように眠るのに心地いいままだから、感じることさえそうした気がするとしか感じられてこない。

 今夜は、本当に、そのときだったのだ。


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