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インスタレーション

 ふたりはにこにこしている。いつまでも。わたしがはいと言うって動くまで延々続けるつもりになっている。- (かたく)なな真四角で顔を固めているのは、わたしだけ。

そう、宗介さんだけ。はやく始めましょうよ。「朝が来て夜が来て、朝が来て夜が来て」をユニゾンで歌い始める。

 楓は裸のまま。ずっと体育座りの格好。そのうえ、藤田さんの全寮制女子学生の髪形が楓の隣で同じ体育座りをしているから、女子高美術部の悪ふざけに立ち会ってるみたいだ。

 もちろん、そんな状況じゃない。わたしは催促されている。早く画くようにと。絵具と絵筆とイーゼルに掛けた8号キャンバスまでわたしたちに準備させて、これで嫌とは言わせない。宗介さんの好みの溶剤、ナッツオイルだって突き止めてあるんだから。おジイさんまで近づいたおじさんなんだから、この状況から自分が行うべきことを見つめなさい。

 と、四つの目が催促を掛ける。

ー 画才なんていらないの。センスだけ、宗介さんのセンスだけでいいから。

 絵筆をとる。絵具のチューブを開ける。そしてウォールナッツオイル。この匂い、30年ぶり。フランドルの絵画にすり寄ってヨーロッパへ美術留学したとき以来。そう、わたしは美術学生だった。大学院までいった手垢のついた手が、そんな初めて油絵の具を触る中学生みたいな暗示に乗せられるほどピュアなわけないじゃないの。


 「楓ちゃん、自分じゃ無理だって。自分で自分の埋もれたものは掘り出せないんだって」

 楓のアトリエに籠った藤田さんが、梯子も使わず天井から落ちてきて、汗だくのまま助けを求めた。

 それが開会の合図だった。

 わたしが「虫の居所でも悪いみたい」と決めつけられ、藤田さんはずっと楓のアトリエに籠っている。仲直りしたのかどうか秘密の練り直しなのかどうか分からないが、わたしを間に入れても埒が明かないと思ってふたりでいろいろ始めたらしい。お喋りする暇もないくらいいろいろ作業があるから夜になっての電気風呂のビリビリはやってこない。

 気が抜けたようなさびしいような、朝が来て夜が来て朝が来て夜が来た。

 1週間まで数えたがその先は数えていない。料理(カレー)をつくらないのに、どうやってふたりで暮らしていけるのか気に病むのもやめにした。

 わたしはふたりのママじゃない。男なのだ。だから困ってしまう。ふたりはわたしの男に期待する。

 汗だくの藤田さんが階上(うえ)のアトリエからアクリルチューブを使って飛び込む。梯子もかけずに天井からドスンと落ちる。肉に(かたまり)、肉の(かたまり)、肉の(かたまり)のこだまが三度バウンドして、藤田さんは訴える。

「宗介さん早く来て。これは男のお仕事だから」

 片手を引っ張られ、梯子を降ろした楓が上でおいでおいでして待ち構えているのが見える。

 絶対によした方がいいに決まってるのが分かっていても、梯子を登る足は止められない。初めてのことでも依存症にどっぷり浸かってる気分だ。


 「分かってた、ことでしょ」

 ふたりとも来上がりはわかってるから、楓は肢体をかたちに合わせ、宗介は線を辿(たど)らずキャンバスにそのまま絵筆をはしらす。ウォールナッツオイルの匂いの中でことは運ばれ、体育座りを変えない藤田さんの監視の中、サっサと進む。

 藤田さんは、作業のことを言ったのか依存症のことを評したのか。それは最後まで分からなかったが、宗介の絵筆は美術学校の手垢など一片(ひとひら)も見せずに、楓がひとりでは無理だといった、それをキャンバスに写し取った。

 層を重ねない8号だから、一気、一本、一息でそれは了となった。背景は、楓も胡桃(くるみ)の匂いが好きだろうから、小豆よりも濃い赤の混じったグラデーションにした。楓は肩幅に満たない小さな自分を手に持って見つめている。ウォールナッツオイルの抜けていないキャンバスの縁々(ふちぶち)で掌がベトベトになるのを厭わず見入ってる。そして、茫然自失、肩で息を切ったままの宗介を置いてけぼりに、冷たくなった裏返しの黒のタンクトップとガウチョパンツを再び身に付けて、丸木に向かって彫りだし始めた。その顔は、救い出してあげなければいけないもっとも愛しい存在を手にし、溌剌さに満ち満ちていた。

 さーさ、用の済んだ男なんてここにいちゃ邪魔なだけだからと言いたい感じの藤田さんが宗介を階下へ追い払う。あんなことしたら男はみんな今日一日抜け殻になるに決まってるのに、「きっと、今晩は楓ちゃん、料理(カレー)をねだってくる」って、なんて楽しそうに囁くんだろう、藤田さん。


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