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ビリビリする長電話

 -宗介さんの目利き、ほんものだから。

 裏の稼業が組織が絡む大きなもののとき、藤田さんはこの言葉を3回、わたしのために唱えて呉れる。

 はじめは、依頼を持ってきて、嫌がる私の首を縦に振らせるとき。

 次は、その当日の、依頼主の靴音がこつこつ此方に向かって近づくとき。

 アトリエの残るむかしの我が家、是枝恭介美術財団の理事長兼館長室まで足を運ぶのを嫌がる、密かな本当に依頼の足跡を消したい依頼主は、このマンションにやってくる。そんな依頼は、首を縦に振りたくないし、エレベーターに乗った時から靴音のコツコツが眉間まで響いてくるのだ。

 そんなとき、藤田さんはその言葉といっしょにもう既にヌルヌルし始めた掌を握ってくれたりハグまでしてくれる。


 美術品の鑑定から始まったこんな稼業も、裏の人づてで回っていくと持ち込み品は多岐に及ぶ。

 再起を掛けた演歌歌手、一部上場企業同士の合併、三冠馬を夢見る人の一歳馬の購入。この前なんか、ついこの間まで与党だった政党から、そう遠くない衆院選での候補者名簿の順位付けを持ち込まれ、パターンを編む手の込んだ作業までこなした。世間は素性も出自もはっきりした人たちの選択に満ち満ちている。

 宗介は断らない。断る断らないなんて選択がないってこと、はなから知ってるくせに、藤田さんは必ずその作法を宗介の鼻先に掲げる、割り込ませる。


 そして三度目は、そんな依頼主が帰ったあと。

 ドアを閉めるとき、長いコートからはみ出てるしっぽを挟まないようにそぉーとの顔まで引き上げて、 「こんなイカサマみたいな暮らしいつまで続けるんだろう」の口真似ぐちを見せると、藤田さんはその口が反り返れば反り返るほど(きょう)に塗られた顔になる。

 ー 宗介さんの目利き、ほんものだから。ほんとうに信じて。ここまでやってくる誰もがみんな感謝してるの。ねぇ、顔くらいは知ってるでしょう。みんな新聞やTVに顔を載せてるあんな偉い人たち、そんなひとたちを宗介さんは救ってあげてるの。だから・・・・・・

 いつも尻切れになる決めゼリフ。それを言ってるときの藤田さんはほんとうに気持ちよさそう。わたしの顔がゆがんで泣き出しそうに、崩れれば崩れるほどに、胸のあたりをギュッギュッ押し付ける顔になる。


 だけど今度のことは、楓に関係すること、楓を巻き込むことだよね。楓の将来を決めていくかもしれない大袈裟(おおげさ)なこと。なんでそんな大それたものを剝き出しのまま持ってきたりしたの、藤田さん。

 ー なぜって。そのひとは、そんなこと、知らないでしょう。目利きの理事長さんと誰もが羨む美人彫刻家の間にそんな特別な関係があるなんて。「血のつながった」とさらりと繋げればいいのに藤田さんはそんなもったいつけた言い回しで返してくる。

 今日の藤田さんは最初から様子が変だ。階下の部屋からエレベーターを降りて'64年式ベレットに乗ってする区内一周の一呼吸のないまま、部屋から一気に上がってきた。


 藤田さん、「今度のこと」わたしよりも先に楓に話して(ふし)がある。それで一悶着(ひともんちゃく)が起こしたのか、わたしに内緒の約束を交わしたのか。ここ一週間、電気風呂のビリビリは感じてこない。ふたりは沈黙を守っている。楓と藤田さんの長電話は一度も試さない。ふたりのお喋りが日を置いて断たれることはなかったのに。ビリビリを感じないで眠る夜は寝つきが悪い。

 ママの葬儀ではじめて直に楓に逢ったとき、楓の初々しさと一緒に楓と藤田さんとの親しさにわたしは唖然としたのだ。ママと私と藤田さん。わたしよりも居心地のいい三角形の角を占めている藤田さんは、わたしの逢っていない「血のつながったもの」との間に同じ大きさの三角形を育んでいた。楓ははじめての妹、それにこんなにも初々しく美しい妹と柔らかな水をかけても、いったん尖ったものはなかなか丸まってはくれなかった。

 それ以降、ふたりはいつもお喋りしている。それに気づいたのはその時からだが、きっとそれ以前から、わたしが知らない間からずっとお喋りしていたはずだ。ふたりともほかにお喋りする相手はいないから、ふたりのお喋りはふたりがするお喋りのすべて。

 ふたりのお喋りの中身をわたしは知らない。目利きの胆力なんて、ふたりのお喋りの波動を感じるだけ。わたしがふたりの波動を感じるのを知っているから、藤田さんは私に目利きを進めたのだ。

 波動の存在は感じるが中身まで踏みこまない能力。

 ほんものかどうかさえ教えてくれれば、あとは他人に知られたくない。顔の売れたそんな密かな悩みを抱えるひとたちにとって、目隠しの安心感が備わる。

「だから、宗介さんに託すのよ。楓ちゃん、宗介さんの大好きな楓ちゃん、いつまでもこんなところの籠の鳥にしていていいの。あなたが追い立ててなくてどうするの。このままだと、あの娘、死ぬまでアトリエと宗介さんの料理(かれー)以外はしらないまま」と、刺すような鼻薬のあと「わたしと楓ちゃんの間にそんな醜いものを挟み込むなんて、どこからそんな真っ黒な澱が湧いてくるの。そんな澱を混ぜてくるなら、さっき食べたお腹のカレー全部ここにぶちまけちゃうから・・・・・・今日の宗介さん、変よ。ただのお仕事じゃない。いままでだってやり過ごしてきたことじゃない。楓ちゃんの綺麗な身体の彫像がほしいって、画家に自画像もとめるのと同じことでしょう。あんなに美しいんだもの、それを欲しがるひとが現れるのなんて当たり前のことでしょう」

 と、俗な言いまわしで羽交い絞めする。ここまでの長台詞で攻めるのは腹の真意をしらせるため。それでわたしの胸のあたりをギュッギュッ押しつけてくる。

 ー 嫉妬なの。何に嫉妬、誰への妬み。楓ちゃんにくらべたら、あの娘をしってしまったら、あの子の彫ったものなんてただの抜け殻でしかないじゃないの。だれにあげたってどうでもいいこと。それなのに、それがわかっているのにー 目に前の宝物をいつまでも指をくわえて眺めている男を焚きつけたくる。

 いまの藤田さんのお喋り、楓は気づいていないよ。あの娘は、粘土遊びしていた3歳から真ん中の道(ミドルロード)を歩いてきてるだけなんだもの。本当は肩から生えてきた黒い羽毛を楓に植え付けて、巡り巡った残骸の一片(ひとひら)でも是枝恭介の手に届けたいなんて、藤田さんの野望、これっぽっちも勘づいていないから。

「恭介さん、あなたのそのどうしようもないくらいに困った顔が見られるのなら、お金も部屋も'64年式ベレットだってみんないらない。一番最初に写した集合写真の顔が半分隠れてる隙間だけ残してくれればいい」って(すが)りつけばよかったのに。いまからでも、いいから、そうしてごらんよ。

 だから、ねぇ、楓は傷つけないで。あの娘が、あの仔だけが、わたしたちのすべてじゃないの。それだけは信じていいのよね、藤田さん。


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