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三人掛けのソファー

 ママがいなくなって、代わりに楓が加わって始まった宗介、楓、藤田さんの関係も7年が経つ。その7年で楓はたくさんの変化を遂げた。二十歳を過ぎた女の子なら、何か特筆するべきことを加えなくても、三十を迎えるまでの7年間は、その後の人生を語るべき多くのことが盛り込まれる時間だ。楓にそんなセンターラインに寄り添った物言いで話したら、「代わり映えのない単調な毎日が、何故」のオウム返しが返ってくるだけ。

 楓は余韻や迷いをしらない。ただ自分と目の前のいまがあるだけ。どんな女の子も体験できない楓の世界。もしも、恋愛と友人と仕事のことで毎日が()()()()()()なんて自己主張してる女の子に、楓の言う()調()()毎日を一日だけでも体験させたら、きっと彼女の一番大切にしている顔のパーツが配列ごと変わってしまうに違いない。

 アトリエは静謐(せいひつ)に覆われている。が、漂っている空気は野蛮だ。切り刻むばかりが連綿と繰り返されている空間は、放りこもれたものが形あるものなら、くぼんでる箇所すべてに鋭利が集まる。

 楓はそんなところにずっと住み続けているのだ。瞳と髪と肌は硬質な(たま)として磨かれる。具現化された美しさは、覗くのを許されたわずかなもののため息を想起させるが、幸せの温度を感じるものはない。

 

 それに較べると宗介と藤田さんは平凡に年老いている。ふたりのどちらが多く変容しただろうか。多分、それは宗介の方だろう。藤田さんは宗介よりも年上のはずだが、今では年下の気配を感じることさえある。どこを自分が追い越したのだろうか。それとも藤田さんがどこを止めているのだろうか。見えている部分を探すと藤田さんの髪型が真っ先に浮かんでくる。

 幼い宗介がそのひとを藤田さんと認めたときから、藤田さんは髪形を変えたことがない。混じった白いものばかりが目立つのは、ほかは何も手を加えていない証拠。それを除けば、光沢やお椀を伏せた丸っこい感じはずっと変わっていない。もう60を超えているはずなのに、そんな全寮制で集団生活している女の子の髪形をずっと通すなんて。よそ行き用に着てくる襟なしの黒地服は年齢に沿って少しずつ高級な服地やカーブを替えていく配慮ある人が、髪形だけをないがしろにしているはずがない。みっしりしたものと緩んだものの間に何の特徴もない藤田さんの60の顔。それでしれっとっしてる。だから、ちぐはぐな可笑しみは起きてはこない。わたしや楓にと連れてくるお客から、そのずれた違和感に居心地の悪さを感じるひとははひとりもいない。

 だから、藤田さんはバランスのいいひと。

 

 長い3人掛けのソファに藤田さんと楓に挟まれると、そのソファ本来の丁度よさを感じる。ママがいたときとは違う、丁度いいバランス。

 ママが生きてたときは、宗介は3人の隅っこに座っていた。隅っこに膝を抱え、ひとりぶんのそのまた隅っこに座っていたのだ。いくつになっても両膝を抱えた小学生みたいな体勢は変わらずに、ママも藤田さんも年を取っていくのに宗介だけが付いていけない。その距離はどんどん広がっていった。

 感覚だけが記憶するその距離は、今は宗介のところだけが早く回っている。3人でソファに座って見ていると、モニターの景色が宗介のところだけ早く回っていく。遅れた分を取り返すようにモニターに映る白塗りのジョーカーは、サイレント時代のドタバタみたいにひとりせかせか回っている。


 - 目利きなんだから、箔でもつけようかー なんて。藤田さんがずっとむかしに用意してくれた長袍(ちゃんぱお)に初めて袖を通す。ローブに入れっぱなしで白檀の香りはとうのむかしに消えている。ひとり部屋に両肩からに垂らしたラピスラズリの青が眩しい。


 楓はいつもどおり黒のノースリーブ。同じ黒のガウチョパンツを藤田さんも履いている。

「カエデちゃんのおふる、履きやすくていいの。でも、宗介さんが履いてるなんて意外」

 ー 楓の履き古しもらったの、わたしが先なんだけどー 

 それは内緒にしておく。楓が脱いだロデオパンツを、黙って裏返しのまま履いてたなんて聞いたら、藤田さんのあたまピーピーに膨らんじゃうから。

 余計なお喋りするには、今夜はお腹がくちくなり過ぎた。3人とも肉と魚は食べないから、真鱈の代わりにトロトロ芋を代用するまでは良かったけれど、スパイスと柑橘の混じり合ったほくほくの身が冬の海でぱんぱんになった真鱈さながら3人の胃袋を押し上げていく。

「わたしのお腹、せむしのおじいさんが拵えた曲げわっぱみたいにパンパン」

 楓は無理しても「ひとこと」をソファの前のチェストに転がす。可笑しくないのに、息するのさえ苦しいのに、ふたりとも無理矢理笑って痙攣起こすくらい苦しい。

 けれども楽しい。身体がよじれるくらいの苦しさは、快楽に直結するから心配。

「かえでちゃん、お願いだからこれ以上へんなこと言わないで。そうでないと、わたし、マホガニーの床一面に、お腹のカレー全部ぶちまけそう」

 藤田さんは疑ってる。高級ヒラタケと聞かされいたキノコが、本当はマジックマッシュルームなんじゃないかと。だからって、それを怒ったりはしない。だったらそれででいいじゃない。そんな顔つくって、いまを楽しんでる。

 3人がソファに幸せな気分だけ乗っけて、こんなにくつろいでるのは、久しぶり。本当はこんなこと大人のすることじゃないから。


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